第7話 勾玉

 冬であっても薄着は変わらない。

 むしろ氷点下に下がる方がいい。

 その気温でも、白いタートルネックのセーターを素肌に着ただけだ。下着なんてつける趣味ではないので胸の先端が尖り、浮いて見えてると思う。普段着のままで来てしまったので、黒のパンツルックにオレンジのダウンだけを羽織ってきた。必要性は感じないが、過度の薄着は不自然に見えるらしい。

 スカートでないのは、スノーブーツを履くためだ。雪道に合うように、靴底にスパイクが打ってある。

 そしてダウンの前は当たり前のように締めていない。色葉が隣に座っていたなら、「もう!」とか言いながら無理やりにジッパーを上げるだろう。

「お客さん、あんこう鍋を頂いたことはおありで?」

 ちらちらとドライバーがそれを盗み見ている。

「ないわね」

「あんこうは捨てる部位がないのですよ。鍋もいいですが、唐揚げも捨てがたいです。少し田舎の民宿なんですが。そこだとこの周辺では一番のあんこうが頂けますよ」

 私は少し焦れていた。

 周りくど過ぎていた。

 さあ、噛みついてよ。

 このドライバーには憑依している霊がいる。

 それは確信していた。駅前のタクシースタンドでは拾わずに商店街に出て、流しを拾った。商店街の歩道は雪よけの小屋根を掛けてあり、歩き易くて瘴気を検分するには都合の良い場所だった。

 その車を選んだのは、屋根に横座りした女を乗せていたからだ。

 勿論、それは肉体を持ってはいない。手を上げた私に横付けした時には、それは助手席に収まって、振り返りにっと笑みを見せていた。凄絶な微笑だった。

 地縛霊に該当するだろう。

 動物霊であるとか、執着を持たない霊ならば、私のまとう空気に接する前に退散するだろう。それが同一空間に平然と座っている。恐らくはこのドライバーであるとか、この車両とかに巣食う霊だと思う。

 それならば私にとっての珍味になる。

 暫く霊を喰べてはいない。空腹などは覚えないが、逆にそれは恐怖でもある。魍魎として能力の発動が、不意に途切れてしまう畏れがある。

 そしてこの女霊の目線に気になる部分がある。

 薄紅のスエットの部屋着を着ている。髪は短く、軽く内側に巻いている。化粧っけはない。まだ20代に入ったばかりの糖蜜のような肉体をしている。きちんとした服装をして、街中を歩いていれば目立つだろう。

 しかしながら、その稚気のある顔立ちに、禍々しい怨念を篭めてドライバーを睨んでいる。

 その男に悪戯されて死に至ったのかもしれない。

 ではその本懐を遂げさせた方が、美味しいかも。

 雪景色の街並みを外れ、車は人気のない通りに入っていく。それも不自然なほどに。そして無遠慮なほどに、男の目は私の胸を見ていた。

 弾むのがわかっていて、身じろぎをして、シートに座り直す。

 さあ、そろそろ仕掛けてくるのかな。


 眼前に錐のような切っ先がある。

 ショートのはずの女霊の髪が鋭く伸びて、後部座席の宙に浮いている。それが挑発するようにゆるゆると動いている。

「これで脅しているつもり?」と穏やかな口調で言った。

 嬉しそうにその女霊は、声もなく嘲笑う。

「どこで犯ろうか・・・」とドライバーはあからさまな独白をいう。

「そのお高く留まった顔がよ。苦痛に歪むのが堪らんな。乳首を噛んでやる。尻からやってやる」

 恐らく本人には自覚がない。鼻息だけが荒い。獣欲が自制心を炮烙ほうらくさせている。溶岩のようなたぎりが股間から鎌首をもたげているのだろうな、と他人事のように考えた。

 ち、と火花が散って女霊の髪の先端が消し飛んだ。

 これまでに数度は繰り返している。

 それで事情は呑み込んでいる。

 散っていく毛髪の記憶を吸入している。

 この娘は大学生だった。コンパの帰りにこのタクシーを利用した。帰宅してシャワーを浴びていて、それでバッグの忘れ物に気がついた。財布は入れてなかったが、スマホと学生証が入っている。

 それでそのタクシー会社に連絡しようとした。しかしスマホもないので、困り果てていた。

 その時にドアベルが鳴った。オートロックではない小じんまりとした1DKの缶ションだ。しかも時間が深夜2時になっていた。恐る恐るドアホンから相手を確認すると、先ほど利用したタクシーの制服姿が立っていた。

 カメラに持ち上げた手には、忘れ物のバッグが写っている。反射的にドアの鍵を開けた。

 いきなり押し倒された。床で頭を打ち頬を張られて、血走った眼を見上げた。

 下着が剥がされ、口いっぱいに押し込まれた。押しのけようとするが、抗えない。シャワーなんて浴びなきゃよかったと天井を睨みつつ、そう思っていた。


 顔が迫ってきている。

 女霊のものではない。

 生臭い呼吸が、なぶる。

 ドライバーの視線は前方を向いたまま、いやらしい呪文をぶつぶつと唱えている。その後頭部から男根のような触手が生えている。その先端に季のような小じんまりとした顔がある。

 それがちろりちろりと舌を出している。

「貴方も本体を見せてきたようね」

 強がりを言っているのは、実は私の方だ。

 自分の能力が衰えている。

 この程度の抵抗が精一杯なのだ。

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