第6話 勾玉

 あれは六龍珠ろくりゅうじゅというの、という言葉を呑み込んだ。

 その代わりに含み笑いで返した。

 求厭ぐえんの探究ぶりはかなりのもので、主導権をこれ以上は奪われたくはない。燕岳の山奥の庵に、ずっと籠っていた私とは段違いだ。

「そうね。里帰りみたいな気分なのよ」

「成程、糸魚川産の翡翠ひすいですからね、あれは。採掘された洞穴に辿り着けたら龍脈が見えるでしょうね」

 私は自分の心情を語ったが、彼は博識で返答した。

 私はディパックを開き、その勾玉を納めた標本箱を取り出そうとしたが、彼は掌を翳してそれを制止した。

「それには及びません。目視でもすれば自分はただでは済まなくなります。あの勾玉は能力増幅の呪いが封じられているのですよ。ただの浮遊霊ですら、手練れの魍魎の如くに始末が厄介になります。それは妄りに結界の外に出すものではありません」

「そうね。何かつよい力を篭めたものだとは判っていたわ。それが六龍珠の固有の力なの」

「そう。かつてあった蓄音機を貴女は覚えているでしょう。レコード針が拾った微かな振動を、あの喇叭ラッパが増幅して音に変換する、そんな能力を持っているのです。触媒のようなものですな。本体には何の変化もなく、近接しているものの力を増幅する。それで自滅するものもいるでしょう」

 蓄音機を初めて見たのは明治後期だったかと思う。

 あれは秋の盛りで、銀杏の葉が尋常小学校の校庭の隅に掃き溜めてあった。

 個人の家庭でそれを買えるのは稀な事例で、好事家のご厚意でお披露目されたものを群衆の中で見ていた。校庭には事前に知らせを受けた観衆が肩をぶつけあいながら見ていたのだ。

 恭しく深窓の乙女のような扱いで、蓄音機のゼンマイが巻かれて、白手袋で掲げらたレコード盤が置かれた。回転するそこに針が乗り、しばらくすると音楽が校庭に響いたので、大層な驚きの声を皆が、一様に漏らしたことを覚えている。

 そのような日進月歩の時代を彼も見守ってきたのだろう。

 更にこの男は口走ってしまったきらいがある。

 つまり。この勾玉を直視すれば、彼は制御不能な事態に陥るのだろう。それは私で言えば雪女としての能力が暴走して、周囲を凍土化した反動の蓄熱で酩酊したようになる、そんな醜態になるのだろうか。

「私にはまだ影響がないわ」

「既に力をお持ちだからですよ。自分のような非才なものにより発動するのですね。意思のようなものを感じてしまいます」

「・・へえ慈悲深いのね。六龍珠って」

 求厭はちょっと鼻白んで、強張った表情になった。椅子の座り心地を確かめるように座り直した。茶化したような物言いが気に食わなかったようだ。

「お判りのはずですよ。鬼とか霊というのは・・・」

「死者や生き霊の霊体が、空中の静電気や電離層に宿るもの。意識を持った電流帯のことね」

「そう魍魎というのは・・・」

「その鬼や霊が固まり合って大きな集団の意識を統合したもの」

「そうつまり、複数の命を押し固めたもの、ですから退治が難しいのです。さてではお聞きします。貴女はどれだけの命を、呑み込んできたのでしょうね。現在の生業で、とは違いますよ。まず魍魎として転生したかつては、最初に誰の命を重ねたのでしょうね?」

 私は返す言葉を失った。

 その始点である記憶は、勿論ない。

 自らの覚醒は自我の存在する前ということだろう。

 求厭も口数は減り、しばらく車窓の眺めながら過ごした。そうしていると列車が、するすると姫川駅のホームに侵入していく。

「最後に六龍珠ですがね。それには対の珠があるはずですよ」

「対の珠」

「そう。物事には表と裏、光と闇、正と邪があります。それが陰陽道の太極というものです」と掌を反転させながら嘯いた。

「では自分はここで」と彼は帽子を取って一礼して、席を立った。

 通路だけは雪かきをしてあるホームに出て、こちらには一瞥もくれない。

 その背は雪に紛れることなく黒々として、ホームの陰に消えるまで確認できた。


 終着駅の糸魚川まではひと駅だった。

 予想外に巨大な駅で、新幹線まで通っている。

 ホームから降りていくと、寒々とした地方都市が白銀に埋没していた。駅横にはレンガ作りのモニュメントの建物があり、この駅にかつてあった煉瓦倉庫の一部を移設建設したものらしい。 その明治時代の気風の残る煉瓦壁は、史華であれば大好物だろうな、とぼんやりと思った。

 雪女の生来として寒さは感じないが、この土地には不案内だ。 

 私はタクシーを止めて、その中に潜り込んだ。車内は暖かな空気と芳香剤の匂いが詰まっていた。

「ごめんなさいね。海が見えるところまで出してくれる?」

 ばすんとドアが閉まり、そのタクシーが発車する。

 暫くはドライバーは無言だった。バックミラーでちらちらと盗み見ているのが分かる。そんな視線に無自覚な女などはいない。「お客さん、お一人でご旅行で?」と尋ねてきた。

 ええ、と小首を傾けて答えた。

「この時期はあんこう鍋が名物ですな。お店をご紹介がてら、ちょっとお話ししてよろしいでしょうか」

 さあ。喰いついた。

 むしろ思う壺だわ。

 ごくりと喉が鳴る。

 もう一度、バックミラーの眼を見返した。

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