第12話 勾玉

 色葉が意識を取り戻すのに一両日はかかった。

 その間は私が看病をした。色葉の家に親族は父親しかいない。男手しかない家で我が子とはいえ、妙齢になった娘の下のお世話はさせられない。まして中学生ほどに年齢を戻した、赤の他人の少女までいる。

 その史華だけどおむつを履かせていても、生理的現象はない。体温も脈拍もあるがどれもおよそ哺乳動物としては最低限の数値を示していた。微かな呼吸音もひどく緩慢な気がする。

「まるで冬眠中の動物みたいね」

「もう下着は普通のでいいのかもね」

「ちょっと六花姉、ボクのはお父さんにさせてないよね」

「さあ、どうでしょうねえ」と嘯いてやった。

 鼻を鳴らしている色葉に笑って、別れたのは昨日のことだった。

 私も樽沢の庵をかなり不在にしていて、一泊程度の準備しかしてなくてもちろん着替えにも困っていた。

 それで父親の四駆で庵に戻ってきた。

 運転席の彼は私の顔色に怯えながら、無言を貫いていた。それでも「本当に色葉のこと、有難う」と言って林道に横付けしてくれた。

 新雪を踏んで丸木橋を渡り、小径を辿っていくと小ぶりの鳥居が見えてきた。本殿の隣に、居住している庵を見てほっと息をついた。

 冠に雪を置いていた。雪かきの必要がないのは、私の根付いた庵には結界があって、適度の積雪量を保っているからだ。

 そしていつもの寝床について、すぐに微睡んでしまった。

 

 眼を覚まして。

 庵の天井板をぼんやりと眺めていて。

 雪女とはいえ布団の温もりは嬉しいのだとくすりと笑った。

 そして朝餉の準備をしていると電話が鳴った。

 私は携帯を持っていないので、今時珍しい黒電話を使っている。しかもダイヤル式のままだ。愛着を持って今でも使っている。

 その名義はここの先代であった色葉の祖母のままになってる。この回線と電話機は、色葉のたっての願いで今でも生きている。この形見が使えるようにするためには、色々と契約に手順が必要だったと父親がこぼすのを傍観していた。

 私がここに棲むことになったのも、先代の誘いがあればこそだ。

 甘利助教と電話で待合せをして、彼の車で里宮に降りた。

 里宮の住居側の玄関から入って、応接間に勝手に入っていった。私には合鍵を渡されている。助教にソファを勧めて、その部屋にあるミニキッチンで紅茶を入れる準備をしていた。それから史華の現状を見て貰おうと思っていた。

「史華のこと、大学にはどう説明しているの」

「彼女は大学にはもう一週間は来ていない。けれどそれくらいで、大学だと保護者に連絡は行かないよ。だけどもうすぐ後期試験に入る。そうなるとかなりまずい。進級に関わるからね」

「あの姿では、ねえ。冬眠から目が醒めているといいけど」

「冬眠?」と不意に扉の外で声を掛けられた。

 応接間の扉を開いて、史華が入ってきた。

 睫毛を重そうに羽ばたかせて、艶然とした笑みを膨らませていた。

 その愛嬌のある目に、ソファに座っていた甘利助教が腰を浮かせた。私も思わず息を呑んだ。なぜならそれは見慣れた彼女の姿であり、年齢を奪われていた寝姿ではなかったからだ。

「わたしにも紅茶いただけるかしら」

 普段より優しい声音。

 いつもより甘い声音。

 彼女はそんな好意を私に寄せていたか。

「酔狂はおやめなさい、色葉」

 史華はぺろりと舌先を覗かせて「もうバレちゃったかあ」と笑った。その稚気らしい仕草は彼女のものだ。

「手鏡でね、コピーしたのよ。そうしたらこの肉体が出てきたの。けれども魂が抜けていたの。ただの抜け殻みたいだから、すんなりとボクが入れたの」

「貴方の本体はどこにあるの」

「今は学校で授業中だよ。手短にお願い、もうすぐ期末考査だから」

 史華の本体は冬眠を続けている。

 色葉が精神体に潜っても、混濁した沼のような澱みがあるという。その反面で記憶だけは残っていた。

 私の見たあの黒い羽衣が、数年分の命脈と共に魂を奪い去ったのかもしれない。その中心にあるのは、あの勾玉、六龍珠だろう。

「求厭という、その男が言っていたのよね。もうひとつの勾玉があるはずだって。それを探さないといけないのに。それを史華さんに探して貰いたかったの。羽衣があれば移動半径が大きいから、当てにしてたんだぁ」

「それにしても無茶な事をする」と助教はそれでも半信半疑なのか、及び腰で言葉に真がこもっていない。

「でも残念。この身体からは羽衣は使えそうにないの。彼女の知識は残っていても、意識が発動条件なのね」

 史華の身体で、掌を上に向けて肩をすくめた。そして自分の片胸を持ち上げて「大人って肩凝るって本当なんだぁ」と付け加えた。

「その身体はどうするつもりよ」と口調に剣が篭る。

「史華さんの意識の根を探るわ。その黒羽衣を取り返して同期できると思うの」

「また私を酷使するつもりね。まあいいわ。手が足りないのも事実だし、それに史華さんの将来も何とかして欲しいし。まあ貴方も無茶なことをしたものね」

「どう言う事よ」

 助教も含み笑いをして続けて言った。

「君はね、これから大学の後期試験と、高校の期末考査の両方をこなさないといけないということだよ」

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