第2話 勾玉

 その勾玉の形状は異質なものであった。

 胎児のように背中を緩く曲げているが、背鰭せびれがある。肌には鱗のような紋様がある。とても哺乳類を模したものには見えなかった。

 さらに腹に当たる部分に、二回りも小さい勾玉を抱きこんでいる。 

 形状はほぼ同じだが、密着しているのでこちらには背鰭が認められない。

「子持ち勾玉という特殊なものだ。出土地は皆神山だと聞いている」

「ふうん、皆神山ね。それで先日に訊いてきたのね」

 甘利助教からその地で魍魎と闘ったことがあるか、という電話があった。その場所ではそんな記憶はない。あの場所の霊気は只ならぬものがある。その結界を破って近づける魍魎であれば、それは手強いだろう。

「そうね。これは巨きな力だわ」

 甘利助教は素直に驚き、史華の反応には訝しむ匂いが混じっていた。

「見た目にはこれは指先で摘めるサイズだけど。巨大な力が凝集して封じ込めてあるわ」

「それはどのくらいだと思う?」

「さあ、私にも測れないわ。この肉体に取り込んでもいいけど、私が呑み込まれそうで剣呑だわ」

「それほどのものか」

「そうね、喩えるなら海や山は表面的に見ることは出来るわよね。けれどそれは識ることにはならないわ。測るのはとても不遜なことよ」

 何かを言いかけた史華が押し黙った。

「港の突堤に立って海を見ても、その中に内包している生命やその営みまではわからない。僅かばかりの海水を掬ってみても、それは海水であって海ではないわ」

「山にしてもそう。遠目から見て、抱き締めることができそうな山容でも、森林の木の葉も小動物も源流の一滴から急流までの全てが山よ。石ひとつ拾っても山とは言えない。巨大なものを識るには、こちらは卑小過ぎるの」

「我々では身の丈に合わないということか」

 彼の眼が泳いでる。見るからに私の見識を期待していたようだ。

「それほどの力があるのか」

 そうね、色葉であればと思う自分を制した。

 彼女は代々が巫女という血筋のせいか、千里眼から口寄せまで開花させてしまった。これ以上の能力を持たせてはならない。とはいえ史華では確実にこれは劇薬で、あっさりと侵食されてしまうだろう。

「これは個人の所有物なの、それとも博物館の収容品なの?」

「研究調査は済んでいる。個人収蔵物になっていて、僕が論文のためという申請で借り出してきた」

「そう、なら暫く私が預かってみるわ。一緒の空間にあれば勾玉が語りかけるかもしれない。海岸に立ってると、波濤が砕けて飛沫を届けてくるようにね」

「助かる。だか海に行ったことがあるのか。雪女だからずっと山暮らしなのかと思っていた」

「あら娘時代は堺だと言ったでしょう。それから母と大坂に出て、中島川の界隈に住んでいたの。信じられる、昔はあの川にも鮎が上って来ていて、よく泳いでいたものよ」

 甘利助教の顔が少し曇った。

 そういえばこちらの進展は未だのようだ。

「そうだった。きみの母君の件だったね。堺の古寺に連絡を取ってはいる。こちらは僕に預けていて欲しい」

 違和感を感じたが、余り気にはならなかった。

「それとこの白鞘は返却するよ。きみの知っている通りに、側に置いておくと剣呑なものだ。幽体とはいえ、斬った手応えというものが殘る。余りいいものではないな」

 と白鞘を渡してきた。


 夢をみた。

 珍しいことだ。

 私のいつもの眠りは奈落の底を這いずるような、くらおりのような粘着質のものだ。泥が夢をみたらそうであるかのような、陰鬱なものだ。

 それが色彩のある夢をみた。

 私は幼な子の姿で、赤切れした指先をしていた。

 枯れ野の、朽ちかけた社に棲んでいた。

 日中は赤とんぼの尻を追い回して芒の原を駆けて遊んでいた。夜は母と一緒に寝藁の中でくるまって眠っている、そんな素朴な暮らしだ。

 時代は分からないが、自分の年代的に桃山時代か江戸初期の頃であろうとは、思う。そもそも私はこの期間の記憶は、流石に途切れ途切れになっている。

 そこに男性が訪問してきた。

 父親の記憶は全くない。

 それは見知らぬ男であり、私たちの庵に来た久方振りの客でもあった。とても珍しく思い、じっとその顔を凝視していたように思う。

 何か視界が揺れている、と思うと。

 その男の背におぶさっていて、うたた寝をしていたようであった。陽だまりの匂いさえ感じられるような大きな背に齧りついていた。

 そこで目が醒めた。

 暗がりで視界に薄く、天井が見えている。

 そこにごそごそと小動物が駆け回る音がしていた。山間の凍えた夜気を避けて潜り込んだようだ。その生き物の気配は好ましいものだ。

 寝返りをうって、寝具の温もりのなかで微睡んでみる。

 思い返しても珍しい夢を見たものだ。封印でも掛けられたかのように、幼い時分の記憶は欠落していた。

「夢・・・か」と声に出て、はっと思い出した。

 甘利助教の言葉である。

 彼は白鞘を傍らに置いていた時期に、嫌な夢つまり悪夢をよく見たとは言っていなかったか。あの時の彼の表情を反芻して、成る程と思った。

 嘘を言うときの男の眼。

 彼は何かを隠している。

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