別れ 3

「あにうえ――――っ!!!!」


 銀の短剣を落としたティリオンに受け止められ、抱きかかえられた兄王に、涙を飛ばしてアフロディアが駆け寄る。


 ティリオンは体を回転させ、逞しい王の重い体を背負うようにして、クラディウスの亡骸なきがらの隠してある茂みまで運んだ。


 衝撃をあたえないよう細心の注意を払って降ろし、重いかぶとを脱がせ、あちこち大きく割れて、ほとんどその用を果たさなくなっている鎧の紐を解く。


 クレオンブロトス王の傷を軽く調べたティリオンの表情が、一気いっきに深刻になる。


 額に汗を浮かべ、さらに傷の状態を詳しくて、ティリオンは思わずぎゅっと固く目を閉じた。


 (だめだ! いま生きているのが不思議なくらいだ。


 よく……よくこんな体で、ここまで……)


 へたり込むように頭の脇に座って、涙の雨を降らせる妹に、クレオンブロトス王は微笑みかけていた。


 震える手をのばして、いつものように頬の涙をそっと拭ってやる。


「泣くな……


 女とはいえ、おまえもスパルタ戦士の一員だろうが……」


「あっ、あっ、あにうえ、あにうえ、ごっ、ごっ、ごめんなさいっ。


 うっう……うえっえっ……」


 兄王の指で拭われても、拭われても、アフロディアの涙は次から次へと、とめどなく流れ落ちる。


 兄王はあきらめて、手を落とした。


「ふう……まったくどいつもこいつも、泣いてばかりだ」


 ティリオンは、王の鎧の紐をきちんと結び直し、ぼろぼろになっている王のマントで、一番ひどい腹の傷の上を隠して、覆った。


 クレオンブロトス王は、妹と反対側にひざまずくティリオンに目を向け、言った。


「約束だ、アフロディアをくれてやる。


 どこへでも連れてゆけ」


「クレオンブロトスさま……」


「早く行け。ここは危険……うっ、うあっ……あああーっ!!」


 最後の凄まじい痛みに、クレオンブロトスの体がのけぞり、痙攣けいれんして苦しみ始める。


「あにうえっ、あにうえ――っ!!」


「クレオンブロトスさまっ!!」


 苦痛にかすむ目で、クレオンブロトス王はティリオンの手を探した。


 ティリオンが王の手をしっかりと握ると、王は声を振り絞った。


「頼む! 早く、行け……


 見せるな……私の最期さいご……妹……連れていってくれ……


 まもって……やってくれ……」


 歯をくいしばって頷いたティリオンが、王の手をはなして立ち上がり、反対側に回ってアフロディアを抱えて立たせようとする。


「さ、姫、行かねばなりません」


「いや――っ、いやっ!!


 兄上さまと一緒でなきゃ、絶対いやだ――――っ!!」


 苦しむ兄王の体に抱きつき、泣き叫ぶアフロディア。


 クレオンブロトスは、最後の力で妹を押しのけた。


「ば……馬鹿者……早く……行け……


 その者について……いけ……ついて……いくんだ」


「いや、いや、いやだ――っ!!


 兄上さまも一緒に行くんだっ、一緒にいく……


 あっ、離して! 離してっ!!」


 ついに、ティリオンに強引に肩に担ぎ上げられ、アフロディアはさらに激しく泣き叫んだ。


「馬鹿! 馬鹿っ! 降ろして、降ろしてっ!!


 やだっ、兄上さまと一緒じゃなきゃ、絶対にやだっ!


 やだっ、降ろせっ! 降ろせっ!


 やだっ、やだっ、あにうえ――――っ!!!!」


 死相を浮かべ始めているクレオンブロトスがティリオンに頷き、ティリオンがしっかりと頷き返した。


 草を踏んで、走り去る音。


 アフロディアの叫びと泣き声が、遠ざかってゆく。


 クレオンブロトスはくつろぐように、全身の力を抜いた。


 もう苦痛はなかった。


 かたわらのクラディウスの亡骸なきがらに顔を向け、そっと呟く。


「クラディウスの馬鹿者め……こうなったら……あの世までともをせい」


 静かに目を閉じると、まぶたの裏には、笑って手をふるふたりの少女。


 (さらば、アフロディア……さら……ば……ペイレ……ネ……)


 意識が、急速に薄れていった。


 王に、永遠の眠りが訪れた。




 こうして……


 ひとりの王と、多くの市民を失ったスパルタは、これ以後、二度とかつての栄光を取り戻すことはなかった。


 ギリシャの歴史に、ひとつの大きな終止符が打たれたのである。


 ただしもちろん、このいくさで生き残った者たち。


 ティリオン、アフロディア、フレイウス、ギルフィ、アルヴィ、ぺロピダス、エパミノンダス、等々……


 そして、ペイレネ。


 その他、多くの者たちの物語はまだ続いてゆく。


 しかし、今回はここまでをひとくぎりとして、ひとまず話を終えることとする。





           [ ギリシャ物語 完 ]


【※この物語は、史実をベースにしていますが、あくまでフィクションです】




―――――――――――――――――――*



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 どうぞよろしくお願いいたします。 m(__)m



                      本城 冴月(ほんじょう さつき)


● レウクトラの戦いで、スパルタは敗戦!

 逃げたティリオンとアフロディア姫はどうなったのか。

 フレイウスはティリオンに会えるのか。『ギリシャ物語』の続きはこちら。


 『ギリシャ物語 Ⅱ【前編】』

 URLはこちら↓(恋愛・都市国家・戦い・ブロマンス・読みやすい)

 https://kakuyomu.jp/works/16817330655302612745



●『ギリシャ物語』の前日譚となる『ギリシャ物語 外伝 ~旅のはじまり~』も公開中です。

 ティリオンが、アテナイから逃亡するいきさつを描いたお話です。


 『ギリシャ物語 外伝 ~旅のはじまり~』URLはこちら ↓

 https://kakuyomu.jp/works/16817330651563623430


 ぜひ、お立ち寄りください。


参考図書


  ニュートンムック 古代ギリシャ (ジョヴァンニ・カセッリ監修)

   ニュートンムック 古代ローマ (ジョヴァンニ・カセッリ監修)

  ギリシャ文化史 (ヤーコブ・ブルクハルト 著)

  アーキオ ビジュアル考古学 ギリシャ文明 

  古代ギリシャ人の生活、文化 (JPマハフィー著)

  古代ギリシャの教育 (JPマハフィー著)

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ギリシャ物語 本城 冴月(ほんじょう さつき) @sathukihon

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