別れ 2

 が、間に合った銀の疾風が、それを許さなかった。


 姫ぎみに気をとられてすきだらけの後ろから、あおの瞳の師ゆずりの剣が、あっという間にふたりの首を落とす。


 驚愕して振り向いた最後のひとりの、悲鳴を振り絞ろうとした喉に渾身こんしんの力をこめて、血のりでなまくらになりつつある剣を突き立てた。


 戦闘は、声なくして終了した。


 死体を抱いて、アフロディアがぼんやりと振り返る。


 彼女の視線の先には、てっきり死んだと思っていた気弱な恋人が、鋭い目をした強い戦士となってよみがえり、油断なくあたりをうかがいながら、テバイ兵の死体から新しい剣を抜き取っていた。


 エメラルドの瞳がアフロディアを見つめ、その目の鋭さをいとしさに変えて、駆け寄ってきて抱きしめた死体をはずさせても、彼女はただ呆然としていた。


 ひざまずいたティリオンは、クラディウスの亡骸なきがらを抱き、一見して分かっている死体の心音と呼吸をさらに確かめ、自らに言いきかせるように小さく首を振って、静かに地に横たえた。


 呆然としたままのアフロディアの肩をつかみ、顔を覗き込んで言う。


「姫、私です、ティリオンです。


 私がわかりますね?


 私と一緒に来てください。ここにいては危険です。


 すぐに立ち去らなければいけません。


 可哀相ですが、クラディウスは置いて行くしかありません。


 わかりますね?


 クラディウスはもう、死んでいます」


 アフロディアの目に、再び涙がふくれあがった。


 ぽろぽろ涙をこぼしながら、彼女は小さな子供のように訴えた。


「クラディ、死んでしまった。


 クラディが、クラディが、死んでしまった。


 どうしよう? ティリオン、どうしよう?!


 私はどうすればいい?


 クラディが、クラディが……死んだ……」


 ティリオンは、アフロディアを強く胸に抱きしめた。


 彼の目にもこらえきれぬ涙がにじんでいる。


「そう、クラディは死んでしまった。


 でも、クラディは姫さまに生きて欲しいと思っています。


 クラディの気持ちを無駄にしては、駄目です。


 生きなくてはなりません。


 私が姫さまをおまもりします。


 私を信じて、私についてきてくれませんか?」


 泣きじゃくりながらどうにか頷いた少女を、ほとんど抱き上げるようにして立たせる。


 アフロディアを脇に抱えるようにして、茂みから数歩踏み出た所で、しかし、ティリオンの足は止まった。


 そこに、王がいた。


 少し離れた一本の木に左手をついて、クレオンブロトス王が立っていた。


 スパルタの黄金獅子きんじしクレオンブロトス王の体は、たった今、血の池から上がってきたように全身真っ赤だった。


 どこからが返り血で、どこからが自分の血か、もう全く分からないような状態である。


 だらりと垂らした右手に持った剣の先からも、血がぼたぼたと絶え間なく落ちていた。


 王は、妹を抱いた銀色の髪の青年を睨み、静かに言った。


「そうか……やはり生きていたか。


 どうりでクラディウスめ、最後まで私に逆らいおって」


「あ……兄上!!」


 アフロディアが喜びと、恐怖の入り混じった叫びを上げる。


 彼女の体は兄王に向かってかしいだが、その手は、恋人の体をしっかりとつかんで離さなかった。


 クレオンブロトスはそんな妹に、もの悲しく微笑んだ。


 そして微笑みを消して、琥珀こはくの目でティリオンを再度、睨む。


 いどみかける声。


「きさま、我が妹がそれほど欲しいか?!」


 ティリオンの緑の目が燃え上がった。


 心の底からの叫び。


「欲しい!!」


 クレオンブロトスは、血みどろの顔でにやりと笑った。


「いいだろう、私に勝てば妹をくれてやるぞ」


 血のしたたり落ちる剣先がゆっくりと上がり、ティリオンに向かって、ぴたりとえられる。


 スパルタの黄金獅子きんじしが、えた。


「来いっ、ティリオン!!」


 恋人にぐい、と強い力で横へ押しのけられたアフロディアは、あわてて取りすがった。


「まって、まって、ティリオンっ! 兄上さまも、やめてっ!!」


 けれども、取りすがったアフロディアの体は、男の強い力で引き剝がされて、再び押しやられた。


 優しい恋人の口から出たとは思われないような、迫力ある怒声どせいで凍りついた。


「邪魔をするなっ、どいてろっ!!」


 なすすべもなく、愕然がくぜんとして見つめるアフロディア。


 ティリオンが抜刀ばっとうし、ふたりの戦士が長剣を構えて、気合きあいをはかって睨み合う。


 息の止まる一瞬。


 ティリオンの体が走った。


 銀の戦士が、光の尾を引いて走った。


 体の中央で構えられていた剣が大きく振り上げられ、黄金獅子きんじしめがけて振り下ろされる。


 黄金獅子きんじし琥珀こはくの瞳が、閃く。


 重傷を負っているとは思えない鋭い動作で止められ、からめて、はね上げられる剣。


 厳しく、叱るような王の叫び。


「甘いっ!!」


 ティリオンの剣は手を離れ、高く弾き飛ばされて、さくっ、と地に突き刺さった。


「!!」


 しかし、敵の剣を飛ばして勝ったはずの黄金獅子きんじしの体は、硬直していた。


 黄金獅子きんじしの喉。


 そこには、おとりの長剣を飛ばされるすきに手にした銀の短剣が、ティリオンの左手で鋭くつきつけられていたのだ。


 柄元つかもとのエメラルドが、きらり、と光った。


 勝負の後の、静寂。


 高く差し上げられていた黄金獅子きんじしの剣が、だらりと下がった。


 彼は、苦笑いして言った。


「なるほど、実用性も、あった訳だ」


 そして全身の力を失って、倒れかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る