漢王、黥布・彭越・韓信の三將を張良に教わる

 この時、呂后の兄の周呂しゅうりょ侯・呂澤りょたくが漢のために兵をひきい、下邑かゆう(梁(魏)の国にあり、とあります)に居ました。漢王はひそかに往きてこれにしたがい、ようやくその士卒をおさめました。


 諸侯はみな漢にそむき、また楚にみしました。


 さい王・きんてき王・えいげて楚にくだりました。


 田橫でんおうは進みて田假でんかを攻め、田假は楚に走りました。楚は田假を殺しました。田橫はついにまた三齊の地を定めました。



 さて漢王かんおうが群臣に問われることがありました。



 彭城ほうじょうで、漢が敗れて還る(敗走)にいたりましたが、下邑(周呂侯がひかえていたところ)にいたると、漢王は馬からおり鞍にきょ(腰掛け)して問うておっしゃいました。


「吾れは關(関)より以東をすてようとおもう。等しくこれを棄てるならば(棄てるに等しいのならば)、誰が功を共にすべきものであるか?」


 張良は進みて申しました。


九江きゅうこう王・黥布げいふは、楚の梟將きょうしょう(最も勇健な將)でありますが、項羽と隙があります。


 彭越ほうえつは齊王・田榮に梁の地にそむいています。この両人は急ぎ使うべきです。


 そして漢王の將ではひとり韓信かんしんだけが大事を屬し、一面に当たることができます。もし関東をすてようとのぞまれるなら、それをこの三人にすてれば、そこで楚は破ることができるのです。」



 さて、時間は遡ります。


 齊王・田榮が楚にそむき、項羽がゆきて齊を擊ったとき、兵を九江にちょう(徴発)しましたが、九江王・黥布は病と称してゆかず、將をつかわして軍・数千人をひきいて行かせました。


 漢が楚に彭城ほうじょうに破れたときも、黥布はまた病と称して楚をたすけませんでした。項羽はこれによりて布をうらみ、しばしば使者を使いさせ誚讓しょうじょう(言葉で責める)させ、黥布を召しました。黥布はいよいよ恐れ、あえて往きませんでした。


 項王はまさに北に齊、趙をうれい、西は漢をわずらい、ともにするところのものは、ひとり九江王だけでした。また布の材を多とし(重んじ)、黥布を親しくもちいたいとのぞんで、そのためにいまだ黥布を擊ちませんでした。


 漢王は下邑よりうつってとうに軍し、ついにりょうに至りました。


 左右のものにいっておっしゃいました。


「彼等(左右のものたち)のごときものは、ともに天下の事を計るに足ることがない!」


 謁者えっしゃ隨何ずいかが進みて申しました。


「陛下のおっしゃるところがつまびらかでございません(はっきりわかりません)。」


 漢王はおっしゃいました。


「だれかよく我がために淮南(九江)に使いして、これをして兵を発して楚にそむき、項羽を齊に留めることが数月なれば、我の天下を取ることは百をもってまったかるべきのに(安全であるのに)。」


 隨何は申しました。


「臣はこれに使いせんことを請います!」


 そこで隨何は二十人とともに淮南に使いすることになりました。

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漢・大風の歌【改訂版】 ろな @rona736

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