漢王と滕公(夏侯嬰)
先に述べたように、漢王は
漢王は道にのちの
楚の騎がこの車を追いましたので、漢王は急がれたので、二子を車の下に
滕公は申しました。
「今は急いでいるといっても、だからといって(車を)駆るべきではない、どうしてこの方々を棄てようか!」
そのために徐行(ゆっくり行く)しました。
漢王は怒り、滕公を斬ろうとすることが十餘回でした。しかし滕公はついに保護をし、二子は危機を脱しました。
別の文によると、漢王は急がれたので、馬がつかれ、虜(敵)は後ろにあり、常に両児を蹴られ、これを棄てようとされました。嬰が常におさめ、ついにこれを載せ、徐行して面を樹でふさいでそして馳せました。
漢王は怒られ、行くに嬰を斬ろうとされること十餘でしたが、ついに脫することができ、孝惠、魯元を豐にいたらせた、とのことです。
夏侯嬰という人は、沛の人です。沛の
漢王は戲れて嬰を傷つけることがありましたが、人に漢王のことを告げる(告発する)ものがありました。高祖は時に亭長であり、人を傷つけると重く罪されました。漢王はそのために(申し開きで)嬰を傷つけてないと告げました、嬰もこれを
のち獄の判決はくつがえりましたが、嬰は高祖が繫れたのに連坐させられること歲餘、
そういう人でした。
のち数々の功を立て、この時は列侯(昭平侯)となり、太僕となっていました。そしてまた漢王を救ったのです。
さて
楚軍とともに帰り、項王は常に軍中に置いて
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