項羽、彭城に漢軍を撃つ ー彭城の戦いー

 漢の二年、漢軍は東へいき楚を擊ちました、使いをして趙に告げさせ、ともに行動しようとしました。


 陳餘ちんよは申しました。


「漢が張耳ちょうじを殺せばしたがおう。」


 ここに漢王は人の張耳に類する(似ている)ものを求めてこれを斬り、その頭を持たせて陳餘につかわしました。 陳餘はそこで兵をつかわして漢を助けました。


 さて、項羽こううは齊において、様々な残滅を行いましたが、ここにおいて田榮でんえいの弟の田橫でんおうが齊のげていた卒をおさめて数萬人をえて、城陽じょうようにおいてそむきました。


 夏、四月、榮の子・こうを立てて齊王となし、もって楚をふせぎました。項羽はそれらの抵抗のために留って、連戰しましたが、いまだくだすことができませんでした。漢が東にきていると聞くといえども、すでに齊を擊ちて、ついに齊を破りてのちに漢を擊ちたいとのぞみました、漢王はそのために諸侯の兵、凡そ五十六萬人を率いて楚を伐つことができました。


 外黃がいこうに到り、彭越ほうえつがその兵・三萬餘人をひきいて漢に帰しました。


 漢王はおっしゃいました


「彭將軍は魏の地をおさめて十餘城をえている(項羽は梁(魏)、楚をあわせて王となっており、魏王・豹は河東に徙って、西魏王と号しています、今、彭越のくだすところの外黃の十餘城は、皆な梁の地だったとのことです)、急ぎ魏ののちの子孫を立てようとおもう。今、西魏王・豹は、真の魏の後である。」


 そして彭越を拜して魏の相國しょうこくとなし、ほしいままにその兵をひきいて梁の地を略定させました。


 漢王はついに彭城ほうじょうに入り、その貨宝、美人をおさめ、日び酒を置き高會(宴会)しました。


 項羽はこのことを聞き、諸將をして齊を擊たせて、そしてみずから精兵・三萬人をひきいて南へいき、より胡陵こりょうに出でてしょうにいたりました。


 しん(夜明け)に、西方面から漢軍を擊ちて東へいきて彭城にいたり、日中には、大いに漢軍を破りました。


 漢軍はみな走り、それぞれつれだってこく水に入りました、漢卒を殺すこと十餘萬人でした。


 漢の卒はみな南に山へ走り、楚はまた追擊して靈璧れいへき縣の東の睢水すいすいほとりにいたりました。


 漢軍はしりぞき、楚のおすところとなり、漢の卒・十餘萬人はみな睢水に入り、水は漢の卒のために流れないほどでした。漢王を囲むこと三そう(めぐり)でした。


 ここに大風が西北より起こり、木を折り、屋をひらき、沙石をげ、窈冥ようめい(深く暗いこと)にして晝(昼)にくらきにあいました、楚軍は大風を逢迎ほうげいし、大いに乱れて壞散し、そのために漢王はそこで数十騎と遁去とんきょ(逃げ去る)することができました。


 はいの街を過ぎて家室(劉邦は沛の出身)をおさめようとしましたが、しかし楚もまた人をして沛にゆきて漢王の家をとらさせました。家のものはみなげ、漢王とあいまみえませんでした。



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