第7章 謎の老人現る

 優は教室に入ると、まず目当ての顔を探した。普段から自宅で推理小説を読んでから始業ギリギリに登校している透はまだ来ていないようだが、華はと来たら、こちらもいつも通り既に教室にいた。普段はガサツで短期――いや、元気が有り余って勝ち気な華も、さすがにをした後ではさすがに懲りたらしく、自分の席で青い顔をして縮こまっている――なんてことはなく、それどころかクラスメートたちの中心となって盛んに一昨夕の経験を話している。よく見ると、集まっているのは全員六年生のようだが、他のクラスの児童も何人か見受けられる。道理で2組前の廊下が混雑しているわけだ。

「華の奴、今朝から一番乗りしたと思ったらこの調子だ」

 先に登校していた大吾が、優に気付いて呆れ顔を向けてきた。

「全く、大した奴だよ。ガチの死体を見たってのに」

「散々警察や親に絞られただろうに、懲りた様子もないとはな。将来は大物になるな、弓長は」

 いつの間にか優の後ろに立っていた翼が華を鳴らす。「将来は大物」というのは、間違いなく皮肉だろう。優は答える代わりに曖昧な笑みを浮かべながら、二日前のことを思い出していた。

 事態が思いもかけない方向に動き始めたのは、一昨日の9時になろうかという頃だった。優が風呂を上がると、パトカーのサイレンがやたらと鳴っていることに気付いた。間もなくバイト先から帰宅した高校生の姉が、近所で事件が起こったようだがどうやら殺人事件らしいと興奮した面持ちで告げてきた。

 さらに仰天する事実が明らかになったのは、学校から臨時休校の知らせを受けてしばらくしてからだった。何と、殺されたのは優たちが昨日二丁目のコンビニで遭遇したあの男で、しかも第一発見者は透と華だったという。

 聞いた話によると、二人は何と夜中に学校に忍び込み、そこで透の推理した通りに鬼火を目撃したのだという。そこで息せき切ってその家に向かったところ、遺体を発見した……という顛末らしい。ちなみに、遺体が向こうを向いていたこともあって二人とも顔は見ておらず、被害者が件の男であることは後に遺体が所持していた免許証の顔写真を警察に見せられて確認したのだという。

 優、大吾、翼の三人は以上の経緯について、昨日警察の事情聴取から解放された透と華から既に聞かされていた。と言っても、話していたのはほとんど華で、透は時々補足を挟む程度だったが。

 それにしても、と優は感心半分、呆れ半分といった気持ちで、教室の中央で独演状態の華に目をやる。まさか本当に夜の学校に忍び込むという真似をやらかすとは。ましてや、本物の殺人事件に遭遇するなど誰が予想できただろうか。優は昨日、透と華から聞いた事件のあらましを思い返していた――


 あの晩、男が死んでいるのを見て取った透と華は、一目散に部屋を飛び出した。どこで男が死んでいると判断できたのか、自分たちでも分からない。男が全く動く様子がなかったことか、頭の傷口から流れ出た血の量が尋常ではなかったことか。とにかく、男が「もう生きていない」ことだけは直感的に理解できた。

 二人は階段を転がり落ちるようにして一階に降りると、這々ほうほうていで玄関に到達した。だが、そこまでが限界だった。二人は上がりかまちにへたり込むと、荒い息をついた。10メートルあるかどうかという距離を移動しただけなのに、二人とも今し方200メートルの距離を全力疾走してきたかのような息の乱れ方であった。

 5分ほどもそうしていただろうか、やがてパトカーのサイレンが聞こえてきた。どうやら二人の悲鳴を聞きつけた近所の住民が通報したらしい。段々と近づいてきていたサイレンの音が突如として途絶えると、ほとんど間を置かずに複数の男性の声が近づいてきた。ほどなくして空き家の玄関扉が開けられると、そこには二人の制服警官が怪訝そうな顔をして立っていた。

 警官の制服が玄関口に現れたとき、華は既にいつもの元気を取り戻していた。華は自分たちが発見した死体について話そうと、勢い込んで警官たちに近づいていった。

 当然と言うべきか、華の期待したような展開にはならなかった。二人は自分たちの話をする前に、警官から質問攻めにされた。二人の名前と住所、学校のクラスを聞き出した後も、さらに「ここで何をしていたのか」「子供の悲鳴が聞こえたと通報があったが、君たちが上げたものか」「小学校の塀を乗り越えて逃げていく子供らしき姿を見たという情報もあるが、何か関係があるのか」、などなど。二人がやっと自分たちから話す機会を与えられ、警官が二階に上がって死体を確認、一人が泡を食ってパトカーへと駆け戻っていくまでにおよそ30分、連絡を受けて応援の警察官がやって来るまでにはさらに10分ほどの時間を要した。

 やがて、夜の住宅街には続々とパトカーが押し寄せ、空き家の前には規制線が張られ、透と華は警察からさらに事情を聞かれる羽目になった。捜査の指揮を執ったのは、首藤しゅとう元鬼げんきという50歳前後の警部で、名前の通り鬼のようにいかつい面構えと鋭い目つきが特徴だった。首藤警部は二人から一通りの事情を聞き終わると、二人を一階に残したまま二階に上った。現場では青い制服の鑑識課員が慌ただしく動き回っており、遺体もそのまま残っている。苦悶に満ちた顔は向こう側に回らないと見えないが、既に冷たくなったその身体は紙のように蒼白で、後頭部から流れ出た血はほとんど乾きかけていた。警部は鑑識による作業を見守りながら、眉間にしわを寄せて呟いた。

「なるほど、大体の所は分かった。しかし、今ひとつ分からん所も多いな。第一に、なぜこの男がこの空き家を訪れていたのかだが」

 と言って、部屋の奥の遺体に、次いでそれより手前に転がった燃えかすに視線を移した。

「状況を見る限り、彼はどうやらこの部屋で『鬼火』とやらを燃やしていたらしい。しかし、そんなことをしたのか分からんな。ただのいたずらか、それとも他に何か目的でもあったのか。ましてや、それが変死したとなると……それに、もう一つ気になるのは」と、警部はそこで自分が今し方上ってきた階段に目を向け、

「一階に待たせているあの子供たちの話では、彼らはずっとこの空き家の玄関が見える場所を30分以上見張っていたらしい。だとすると、この男は一体どこからこの家に入ったんだ? いや、この男だけではない。ことによっては」

 と、そこで一旦言葉を切った警部は傍らにしゃがみ込んで作業をしている鑑識の一人に尋ねた。

「一つ知りたいんだが、死因は?」

「司法解剖してみないと確かなことは分かりませんが」まだ若い、おそらくは30歳手前と見られる鑑識は作業の手を止めずに答えた。

「撲殺でほぼ間違いないでしょうね。固い棒状のもので数度後頭部を殴られているようです。ですが、その凶器はまだ見つかっていません」

「ということは、事故や自殺の可能性は……?」

「あり得ませんね」若い鑑識はきっぱりとした口調で首を振った。

「これは明らかに他殺です。凶器は犯人が持ち去ったんでしょう。第一、事故や自殺だったら傷は一つしかないでしょうしね」

「なるほど。ありがとう」警部は鑑識に礼を言うと、より一層困惑した表情になった。

「彼らの話が本当なら、ここには『被害者』だけでなく『犯人』もいたことになる。だが、そいつはどうやって殺人を犯した後、この家から抜け出したんだ? もちろん、子供の証言だし鵜呑みにはできんが、かといって頭ごなしに否定もできん。ふーむ、どうやらこの二点をどうにかしなければ、この事件ヤマは片付か……」

「二つだけじゃないよ」突如、部屋の入り口から聞こえてきた声が警部の独り言を遮った。その場にいた全員が思わずぎょっとしたのは、その声が殺人現場には不釣り合いなほど幼いものであったからであった。

 声の主は透であった。その横で凛としたたたずまいで胸を反らせているのは華である。一階で二人と共にいたはずの警官が慌てて階段を駆け上がってきたことから察するに、二人は警官の目を盗み、隙を突いて二階に上がってきたらしい。

「な、何をやってるんだ、というか、何を言ってるんだ、君たちは!」首藤警部はあまりのことに驚きながら二人を怒鳴りつけた。だが、二人の行動が意外すぎたためか、はたまた二人が子供だったからか、その声は警部の厳つい顔に反して迫力に欠けるものとなった。

「別にいいじゃない、警部さん。あたしたち第一発見者ってやつなんだし」年上の警部にも臆することなく、華が堂々と言ってのける。

「それに、あたしは何も言うことないもん。警部さんに話があるって言ったのは透よ」

「何?」首藤警部は戸惑いの表情で透を見つめた。

「そういえば君、『二つだけじゃない』と言ったな。他に不審な点など、一体どこにあるんだね」

「あそこです」警部の問いに対し、透は打てば響くような調子で遺体の足下を指さした。

「だってその人、靴を履いてないじゃないですか」

「何を言ってるんだ、当たり前じゃないか」警部は途端に呆れ顔になった。苦笑する気も起きないらしい。

「ここはホテルとか外国じゃないんだ。屋内で靴を脱ぐのは当然だろう」

「いや、それはそうなんだけど」透は一度言葉を切ると、重大な事実を口にした。

「何!?」警部が愕然とする一方で、「あっ、そういえば」と華が得心したような顔になる。

「あたしたちがここに来たとき、玄関は空っぽだったっけ。そうか、何かおかしいと思ってたらそういうことだったのねぇ」

 と、一人で納得したように頷いている。それとは対照的に警部は

「まさか、そんなことが……お、おいっ、ここに最初に着いたのは誰だ?」

 と、周りを見回す。先ほど透と華を質問攻めにした制服警官の一人が、「は、はっ」と背筋を伸ばして答えた。

「最初に現着(現場到着)したのは私ですが……そういえば、玄関には子供用の靴が二組ほどあっただけで、他に靴は見当たらなかった気が……」

「そ、そうか……私が来たときにはもう玄関は靴まみれだったからな……」一本取られたと言わんばかりの首藤警部だったが、そこに透がさらなる言葉を投げかけた。

「仕方ないですよ。だって警部さん、ドーナツ食べてるところを呼び出されて慌てて来たんでしょ?」

「……んな!」もはや警部は目も口も開きっぱなしだった。酸欠の金魚のように口をパクパクさせながら、

「な、なぜそんなことまで分かるんだ? 君はずっとここにいたんじゃないのか!?」

「いや、だって」とまたしても透はこともなげに、

「警部さん、きちんとスーツを着てる割りにはネクタイしてないじゃないですか。よく見たら、Yシャツも一日中着てたはずなのに結構綺麗だし。これって、どこかで食事してる時に何か思いっきりこぼしちゃったんじゃないですか? 普通なら家に帰って洗濯すればいいけど、事件が起きて呼び出されちゃった。さすがに汚れた服で現場に駆けつけるのは恥ずかしいから、とりあえず近くの店でYシャツだけ買って着替えたってとこかな? そんなことが可能なのは、フードコートの近くに服屋さんがある、ここから一駅行った先のデパートぐらいしかないでしょ?」

「でも、何でドーナツなのよ? フードコートなら、他にも食べ物なんていくらでもあるでしょ?」華が聞いた。それに対し、透はまたしても即答した。

「スーツの袖だよ」

「袖?」

「ほら、警部さんの両袖、よく見ると一センチくらい折りたたまれてるじゃない。それって、袖にも汚れがついたってことだよね。つまり、食べてたのは両手で持つものってことになる。両手に持つ食べ物と言えばハンバーガーがドーナツ。だけど、ハンバーガーでそんな盛大に服が汚れるなんて考えにくいから、ドーナツじゃないかって思ったんだ。ドーナツでも、中にクリームがぎっしり詰まってるのを強く握りしめたり思いっきりかぶりついたりしたら服に飛ぶんじゃないかな」と言って、透は推理を締めくくった。

 今や、全員が透の話に聞き入っていた。聞き手は華を除いて皆警察関係者だったが、手を動かしている者は一人としていなかった。それほどまでに透の推理は筋道立っており、反論の余地はなかった。しばらく押し黙っていた首藤警部だったが、やがてふう、と息をついた。

「いやはや、参ったな。まさしくその通りだよ。まさか一瞬でそこまで気付くとは……」そこでやにわに言葉を切ったかと思うと、まじまじと透の顔を見つめた。

「……? 透。森透ですけど」

「森……そうか……」なぜか眉間にしわを寄せて考え込んでいた警部だったが、やがて顔を上げたかと思うと、より一層真剣な口調で透の名を呼んだ。

「森君、いや透君。もう一度確認させてほしい。君とこちらの華さん、だったね? が30分以上この空き家の入り口を見ていたというのは本当かね?」

「は、はい。本当ですけど……」あまりにも真剣な警部の様子に戸惑いながらも透は答える。

「そして家の中には他殺遺体……だとすると、これは……」警部の言葉を引き取るように透が興奮した面持ちで叫ぶ。

「そうです、警部、これは『密室殺人』なんですよ! 被害者も犯人も僕と華の目に入らずにこの家に出入りしたんです!」

「そうだ、正に密室だ。それに靴の問題もある。犯人はなぜ被害者の靴を持ち去ったのか。透君、君はこれについても何か考えが……」警部がそこまで言ったとき、それまで後ろに控えていた若い刑事が慌て気味に口を挟んだ。

「ま、待ってください、警部。どうして子供に意見を求めようとするんです? 第一、この子たちは夜に許可もなく学校に忍び込んでいるんですよ? そんな子供の証言を鵜呑みにしていいんですか?」

 その言葉で警部はハッと我に返ったようになると、気まずそうに咳払いをしながら仏頂面に戻って言った。

「と、とにかく、君たちの事情は改めて聞く! もう10時近いじゃないか、家の人に迎えに来てもらうから、今日はもう帰りなさい!」


「……って訳で、その日は帰されて、昨日は朝から事情聴取されたってわけ。全く、あの後先生からもパパとママからもめちゃくちゃ怒られて散々だったわ」華はそう言って自分たちの体験を語り終えた。昨日聞いたときよりも話がすっきりしてるな、優はぼんやりとそう思ってから華がクラスメートたちに語っている内容にいつの間にか耳を傾けていたことに気付いた。話が途中で脱線することもないし、透による注釈も必要としていない。相当喋り慣れているのは明らかだった。丁寧にも「いつの間にか」とか「堂々と」といった風に自分を美化する言葉まで付け加えている。

「それにしても、警察ってホント意地悪よねー。せっかくあたしたちが貴重な証言をしてあげたっていうのに、話を聞くだけ聞いて、向こうからは何も教えてくれないなんて。感謝状くらいもらっても……」華がそこまで言ったとき、教室の入り口から静かな、それでいて有無を言わせない声が飛んできた。

「何を馬鹿げたこと言ってるの、弓長さん。あなた、自分たちがしたことが分かってるの?」

 全員の視線が声のした方へ向く。華の顔が一瞬にして強ばった。

「げっ、た、樽井たるい先生……」

「担任に向かってげっとは何ですか。全く、あなたは昔から……」ため息をつきながら教室に入ってきたのは6年2組の担任、樽井すず。年齢は27歳。なぜ優が彼女の年齢まで正確に知っているかというと、樽井先生が大学を卒業して初めて横川小に赴任したのが5年前、すなわち優たちの学年が入学した年であるからだ。そして、先生が最初に副担任を受け持ったクラスにいた児童こそ、当時から気の強さとけんかっ早さの片鱗を見せていた華だった。よって、華と樽井先生は今年に入って6年目の腐れ縁であると同時に、お互いを少々苦手としているのであった。

「ほら、もうすぐホームルームよ。さっさと自分の教室に戻りなさい」

 先生はそう2組以外の児童に促すと、自らは教卓でホームルームの準備をしながら華にお説教を始めた。

「昨日も散々言ったでしょう。あなたと森君は夜に無断で学校に侵入したのよ。挙句にはものすごい音を立てて階段を駆け下りたり、学校の塀を乗り越えたり……あなたたちの軽率な行動で、沢山の人たちに迷惑がかかっていることをもっと自覚しなさい。探偵ごっこが駄目とは言わないけど、その行動で周りの人にどんな迷惑がかかるか、よく考えてから行動しなさいって、昔から言ってるでしょう」

「……で、でも先生、あたしたちごっこでやってた訳じゃないし、それにどうせ叱るなら透も来てから……」

「何言ってるの、森君ならもう来てるわよ」

「え?」

 全員の視線が再び一点へと集まる。先生の言ったとおり、いつの間にか透が来ていた。一番後ろの自分の席に座り、文庫本を立てた状態で読んでいる。表紙に書かれているのは、聞いたこともない作家の名前。東川ひがしかわという名字はかろうじて読むことができるが、下の名前は漢字が読めない。タイトルの方は……『密室に向かって撃て!』。聞いたことがないが、おそらくは推理小説なのだろう。以前話していた二冊とはタイトルが違う気がするが、まさかこの数日で二冊とも読み終えたのか、それとも顔を隠す目的で持ってきたのか。いずれにせよ、透はとうとう学校に本を持ってくるという手段に出たらしい。

 唖然としている華に、樽井先生が「とにかく」と声をかける。

「今後は行動する前に周りの迷惑やその後のことをよく考えること。もう6年生なんだから、それくらいの分別はつくでしょう?」

「……はぁい」さすがの華もこれ以上教師に刃向かっても勝ち目はないと判断したのか、その場は渋々引き下がった。


 もちろん、そんなことで引き下がる華ではなかった。放課後になると、皆を引き連れてまっすぐ事件現場へと向かう。

「おい、いいのかよ。今朝先生にあれだけ絞られたってのに……」不安そうな大吾の問いにも、意に介した様子を見せない。

「だーいじょうぶだって。先生が言ったのは『夜に勝手に学校に入るな』ってことで、『殺人現場に行くな』とは一言も言ってないんだから」と、もはや屁理屈でしかない理論を振りまきながら、意気揚々と現場の空き家に歩を進める。

「それに、最初に遺体を発見したのはあたしと透なんだから、警察だってもっと情報を教えてくれたっていいじゃない」

 しかし、当然と言うべきか、華の望んだような結果にはならなかった。事件発生から既に丸一日以上が経過していると言うのに、未だ空き家の前には警察による規制線が張られていた。華はそれでも周りの目を盗んで家の中にこっそり入ろうとしたが、たまたま近くで聞き込みをしていた刑事と出くわしてしまい、こっぴどく叱られる羽目になった。結局、なおも食い下がろうとする華を大吾が無理矢理引きずり、優がぺこぺこ頭を下げながらその場は退散するしかなかった。

「もーう、何なのよ! 警察ってほんとにケチね!」文句を垂れる華とは対照的に、翼の方は冷めた目をしている。

「当たり前だろう。弓長、何か勘違いしているのかもしれないが、第一発見者など大した権限は有していない。事情聴取が終わった以上、事件現場をうろついてもお前はただの邪魔な小学生だ」

「何よ、皆して! 何であたしばっかりこんなにボロクソに言われなきゃならないのよ!」

「まあまあ。それよりも、この家の裏ってどうなってるの? 裏の通りに出れば、少しは人通りも……あ」取りなそうとした優だったが、「あるもの」が視界に入って思わず途中で言葉を切った。優が不意に黙ったので、自然と残りの四人もそれに目を向ける形になった。

 五人はいつの間にか現場となった家の裏側にあたる道に出ていた。そこは他より少し幅の広い道路になっていて、そこから所々細い道が枝分かれする形になっている。道をまっすぐ向こうに行けば駅であり、実際に来てみれば、ここが千夏が白い人影を目撃した場所であるという透の推理にも改めて納得がいった。

 今、五人がいる場所から三軒目にあたる所は更地になっていた。この裏が事件現場になるのだろう。その一軒手前、周りと同じような木造の家の前に一台の自転車が停まっていた。それ自体は別に驚くようなことではない。優が声を出したのは、その側にたたずむ人物の横顔に見覚えがあったからだった。制服の上に乗った浅黒い肌と白髪交じりの髪、数日前に出会った警官がそこにいた。向こうがこちらに気付く前に優の方が先に声を掛けた。

「水島さん!」

 声を掛けられた警官がこちらに顔を向ける。駅前交番の巡査、水島さんが意外そうな顔になった。

「おお、君たちか。どうしたんだい、こんな所で……って、決まっているか。あの事件のことを調べているのかね。それにしても、災難だったなあ。まさか、殺された遺体を見るなんて、夢にも思わなかっただろう?」と言って、水島さんは透と華に目を向けた。どうやら、二人が第一発見者であることは警察でも周知の事実になっているらしい。同情するような声を掛けられても、相変わらず華は胸を張っている。

「災難? 全っ然! むしろ、あたしと透が重要な証言をしちゃったんだから! それなのに、先生も警察も親もあたしたちが夜中に学校に忍び込んだことばっかり怒って……」

「ハハハ、それはしょうがないよ。先生や親御さんは、君たちのことを心配して叱ってくれてるんだから」

「それより、水島さんはどうしてここに来たんですか? もしかして、水島さんも捜査に関わってるんですか?」優の問いに対し、水島さんは首を横に振る。

「いや、違うよ。私は別の件で、ここに住んでる人に会いに来たんだ」

「住んでる人? ここに?」

 意外に思って尋ね返した優の背後から、しわがれた声が掛かった。

「こんなあばら家に住んどる物好きなどおらんと言いたいのかな。心配せんでも、ここが正真正銘、わしの家じゃよ」

 振り返ると、家の前に痩せて髪もだいぶ薄くなった老人が立っていた。色あせたシャツとスラックスを身につけた、これといって特徴の無い老人だったが、それが逆に不思議な印象を与えた。身綺麗ではないが小汚くもない。声も聞いていて心地よくもないが不快というわけでもない。まるで、そこにいてもいなくても変わらない背景のような存在感を纏った老人だった。

脇坂わきさかさん」水島さんが驚いた様子で声をかけた。「言ったじゃないですか。足を怪我されてるんだったら安静にしてないと」

「ええ、ええ」脇坂と呼ばれた老人は億劫そうに手を振った。

「言ったじゃろう、ちょいと足を捻っただけじゃと。それにこんな老いぼれのためにお巡りさんの手を煩わす必要もなかろう」

「煩わすって……それが私の仕事ですから」

「ちょ、ちょっと待って」そこに華が割って入る。

「おじいさん、ここに住んでるの? こんな家に?」

「華」大吾が咎めるが、脇坂老人は気を悪くした様子もない。

「構わん。何とでも言いなされ。わしは生まれてこの方、ずっとここで暮らしてきた。周りから人がどんどんいなくなっていき、景色も随分変わったが、別に気になったことはない。お役人だかどこかから何度も施設に入るよう勧められたこともあったが、それも断ってきた。何と言われようと、ここがわしの家じゃからな」

「でも」思わずといった調子で、大吾が尋ねる。

「一人暮らしで大丈夫なんですか。飯とか、風呂とか……」

 すると、老人は何も言わずに庭の一角を親指で指した。見ると、そこには十個近い植木鉢が並べられ、それぞれに緑色の茎が生えている。所々に付いている実や花を見て翼が呟いた。

「トマトにキュウリ、奥のはオクラか。ちょっとした家庭菜園だな」

「そんな大層なものではないがね」脇坂老人は口元を歪めて、

「野菜はあれと台所で育てている豆苗で十分。あとは、一ヶ月に一度スーパーで適当に買い込んでおけば、年金で賄える。さすがに、この歳になると井戸の水は汲めんから、風呂や飲み水は水道に任せっきりじゃがな」

「へえ。水道があるんですか」優は相槌を打つ。

「左様。20年ほど前までは、この辺では水は井戸から汲み上げておった。今じゃ、水道の方が便利で安全なのは否定できんがな……所でお前さんたち、お巡りさんと知り合いのようじゃが、この老いぼれに何か用かな?」

「この子たちね、『探偵』だそうですよ。最近この辺りでお化けが出ているらしくて、そのことを調べているんです。脇坂さん、何かご存じじゃありませんか?」

「お化けぇ?」頓狂な声を上げた老人だったが、やがてニヤリと笑った。

「そりゃ、わしのことかな」

「え? いやいや、そんな!」慌てて否定する優だが、老人は、

「そうかね。なぜかここ最近、近所のガキどもがわしを目の敵にするようになってな。それもことあるごとに、お化けだなんだと罵ってくる。お化けたあ、そのことじゃないのかね」

 優は思わず横の大吾と顔を見合わせた。今にも崩れそうな木造の家に一人で住んでいる老人、確かに子供の目から見れば十分不気味に映るだろう。自分も、一人で出くわしたなら、逃げ出していたかもしれない。しかし、実際のお化け騒動で目撃されているのは鬼火や人影だ。おそらくこの老人は無関係なのではないか。だが、本人にその自覚はないらしい。「そういえば」と急に話題を変えると、思いもかけないことを言い出した。

「一昨日の晩、裏の辺りがやけに騒がしかったな。何やら子供の叫び声が聞こえたと思ったら、警察が大挙して押し寄せてきよった。おかげで昨日は昼まで寝ておったわ。聞けば、この裏の家で人が殺されてたとかいうじゃないか。お前さんらも、探偵だとか言うんなら、お化けなんざよりそっちの方を調べてみたらどうかね」

「――!」あまりにも予想外な言葉に思わず絶句する優。水島さんも慌てた様子で「いや、脇坂さん、その子が……」と言おうとしたが、それより早く脇坂老人は「じゃあ、そういうことで」と一方的に話しを打ち切って、家の中に引っ込んでしまった。どこに行ったか確かめようとしても、正面の窓は分厚い雨戸が閉まっていて中を覗き見ることができない。全員が所在なげに佇む中、大吾が半ば呆れ気味に呟いた。

「何だありゃ。とんでもなく楽天的なじいちゃんだな」

「まあ、そうなんだがね」と、水島さんも困ったように頭を掻いた。

「脇坂さんはさっきも言ってた通り、昔からずっとこの家に住んでてね。本人も歳だし、この家だって建てられてから何十年も経って老朽化が激しいから、そろそろ一人暮らしは止めた方がいいんじゃないかって何度も言ってるんだがねぇ……」

「親戚はいないのか」翼がいつも通りの口調で尋ねる。

「いないらしい。本人がこの歳までずっと独身だったそうだからね。だから場所を移るとしたら施設とかになるのかもしれないが、本人は頑なに嫌だと言ってるんだ。だから、せめて私が見回りのついでに安否確認も兼ねて時々訪れてるんだよ」

「そうだったんですか……でも、あの人がずっとここで暮らしてたんだったら、事件のあった日も何か気付いたんじゃないんですか? いつもとは違う物音とか、話し声とか」優がそう疑問を口にしたとき、背後からの新たな声がそれに答えた。

「警察でもその辺はきちんと把握しておるよ。残念ながら、こちらのご老人は普段から夜8時には布団に入っていて、君らの悲鳴やらサイレンやらを聞くまでずっと寝ておられたそうだ」

 優が振り返る前に、声の主を見た透と華があっと声を上げる。それだけではなく、水島さんも身を強ばらせて敬礼をした。

 振り返ると、50歳くらいのスーツを着た男性が部下らしき数人を連れてこちらに歩いてくる所だった。男性は優たちの側に歩いてくると、スーツのポケットから警察手帳を取り出して、中の顔写真を見せた。

「君たち、こちらの透君と華さんの友人かね。初めまして、県警の首藤です」

 予想通りだった。この人が首藤警部か。確かに華の言うとおり、どんな凶悪犯も黙らせそうな厳めしい顔をしている。だが、現在その顔には悩ましげな表情が浮かんでいた。

「ねえねえ、警部」そんな警部の表情に気付いているのかいないのか(おそらくいない)、華がずいと前に進み出る。

「何か他に情報は無いの? あたしたち、捜査にコーケンしてあげたんだからさ、教えてくれたっていいじゃない、ねえ」

「あのねえ、君」警部の一番近くに控えていた若い刑事が、苦い顔になる。

「捜査に貢献って、確かに遺体の発見は早まったけど、別に君たちが通報した訳じゃないだろう? そもそも、君たちがやったことは一歩間違えば不法侵入になるんだから、そんなでかい顔をするのはちょっと違うんじゃ……」

 そこまで言ったところで、警部が刑事を制した。

「構わない。捜査に支障の無い範囲で話してやりなさい。いや、私が話そう」

 優は耳を疑った。若い刑事も唖然として警部をまじまじと見た。

「い、いいんですか?」

「そう言ってるだろう」警部は刑事の様子も意に介さず、重々しく頷いた。そんな中でも、華は一人無邪気過ぎるほどに喜んでいた。

「やったぁ! そう来なくっちゃ! やっぱり警部は分かってくれるのね!」

「ああ、まあ」警部は少し居心地が悪そうに咳払いをして、新しく分かったことを教えてくれた。

「亡くなっていたのは明石あかし英彦ひでひこという男でね、近所の人の話では『どうしようもない遊び人』ということらしい。実際、職業には何も就いていなかったようだ。そんな訳で、アパートの家賃も長い間滞納、つまり払っていなかったらしいんだが、なぜかここ一、二週間で急に溜まっていた家賃を払ったり、借金を返したりするようになったそうだ」

「最近になって急に? 何それ、めちゃくちゃ怪しいじゃない」すかさず華が合いの手を入れる。

「確かお化け騒ぎも最近の話だったよな。やっぱり、透の推理した通り、その明石って奴が鬼火だの何だのをやってたんじゃねえか」大吾の加勢にも、警部は神妙な表情で頷く。

「ああ。だとすると、明石がお化け騒動を演出してみせた背景には指示役がいたということになる。すると今度は、誰が、何の目的でそんなことをしたのかという疑問が出てくるんだよ。わざわざ人を雇い、報酬を払ってまで怪談騒ぎをでっち上げた理由は何なのか……」

「スマホの履歴を調べたらいいんじゃないですか?」優はふと疑問に思って質問してみた。

「明石って男、僕たちが見たときはスマホで誰かと話をしてましたよ。内容からして、そいつがお化け騒動の黒幕だと思います」

 だが、警部はそれに対しゆるゆると首を振った。

「そう思って周りを調べてみたんだが、スマホや携帯電話の類いは見つからなかった。おそらく犯人が持ち去ったのだろうね。そう言えば、君」と、警部は水島さんに視線を移す。県警の警部に声を掛けられてさすがに緊張するのか、水島さんの返事も「は、はっ」と上ずっている。

「水島君、だったね。君は事件の当日、何か変わったものを見なかったか?」警部の問いに、数歳年上のはずの水島さんは未だ緊張が解けきらない様子で、

「そ、そうですね。自分は一昨日はちょうど非番で、午後から夜にかけて自転車で隣町まで出かけていたのですが、不審な人物などは目撃しませんでした。あの日は8時前に横川に帰ってきて友人を訪ねたあと、工事中の場所を避けて駅前のコンビニによってから帰宅したのですが、時間帯もあってか駅付近以外ではほとんど人に会いませんでした。被害者の男性らしき人物にも会っておりません。お役に立てず、申し訳ありません……」神妙に頭を下げる水島さんだが、警部には予想済みの答えだったらしい。

「そうか、まあ、仕方ないな。この辺りは夜の8時を過ぎると人通りもめっきり減るそうだからな。不審人物がうろついていればすぐ分かったと思うんだが、もしかすると犯人はそこも視野に入れていたのかもしれん。ああ、それと、犯人と言えばもう一つ――」そこで警部は言葉を切ると、真剣な表情で透と華を見た。

「昨日の晩、小学校の協力で実験した結果だが、学校からだと、あの路地に人が来ればすぐに分かるという結果になった。つまり君たちの証言は十分信用できるということだ(ここで華がドヤ顔になった)。すると、またしても分からないことが出てくる。そう、『一体被害者と犯人はどこから来て、どこへ消えたのか』という点だ。仮に二人共がずっと前から空き家に潜んでいたのだとしても、その後で犯人がどこへ行ったのか。これは正に……」警部がそこまで言ったとき、それまでずっと黙っていた透が口を開いた。

。しかも、ただの密室じゃなくて『開かれた密室』ってやつですよね」

 一瞬にして場が静まり返った。誰もが戸惑い顔を見合わせる。優は代表して聞いてみることにした。

「ええと、透。『開かれた密室』っていうのは一体何?」

 それに対し、透はまるで九九を教えるようにすらすらと答えた。

「『開かれた密室』は、鍵以外で閉じられた密室のことだよ。普通、密室っていうと、鍵が掛かった部屋を思いつくよね。でも、この事件は、僕と華がずっと現場の玄関を見張ってたから密室殺人になっちゃった。現場には鍵なんて掛かってないのにね。こういう風に、別に鍵が掛かってる訳でもないのに、誰かがずっと見ていたとか、周りに足跡のない雪が積もっていたとか、それ以外の原因で結果的に密室になったものを、ミステリーだと『開かれた密室』って言うんだよ。例えば、この本みたいにね」と言って、ランドセルから取り出したのは今朝透が読んでいた本。それを見て首藤警部が作者とタイトルを口にする。

東川篤哉とくやの『密室に向かって撃て!』かね」

 そこで、優はようやく作者のフルネームを知る。しかし、間近で見ると中々シュールな表紙だった。表紙には一組の男女と寝そべった犬が描かれている。問題なのはその男女だった。女の人は白いワンピースを着て穏やかな笑みを浮かべているのに、手に持った分厚い本――明らかに辞書――を男の人の頭に振り下ろしていた。優はどうしてこんなことになったのか聞きたい気持ちを必死で抑え、また機会があれば聞いておこうと心に留めた。

 一方、透は引き続き小説の内容を嬉々として喋っていた。

「この本でも、『開かれた密室』での殺人が起きるんだよ。しかも、大勢の人が見ている前でね。何か、ヒントになるものがないかと思って読み返してみたんだけど……ここで使われてるトリックじゃないと思うんだ。そもそも、拳銃がないと無理なトリックだし」そう言って、透は「密室教室」を締めくくった。

 しばらく唖然としていた警部だったが、やがて感心したように唸った。

「ううん、やはりと言うべきか、君の推理力は相当優れているようだ。それと、推理小説の知識もな。本来ならあるまじきことなのだが……どうだろう、もし今後何か気付いたことがあったら、私まで知らせてくれないだろうか。もちろん、他の子たちも」

 そう言うと、警部は透たち一人一人に自分の名刺を渡して去って行った。五人は思わず顔を見合わせた。どの顔にも、信じられないという感情が表れていた。

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