第10章 さらわれた華

 華は薄暗がりの中、小さなパイプ椅子に縛り付けられていた。首から下は全く動かせず、口にもガムテープを貼られ、ろくに喋ることもできない。かろうじて僅かなうめき声を出すのが精一杯だった。

 恐怖の感情は微塵も湧いてこなかった。むしろ、まんまとやられたという怒りと悔しさの方が勝っていた。

 透と喧嘩別れした後、華は怒りに任せて外に飛び出した。通りに出た所に誰かいた気もするが、大して気にも留めなかった。華の気は収まらず、そのまま数分間何も考えずに歩き続けた。

 人気の少ない道にさしかかった時、突然後ろから口を塞がれた。低く押し殺した男の声が「静かにしろ」と告げてきたが、華は構わずに身をよじって逃れようようとした。必死の抵抗も空しく、華はいつの間にか側に停めてあった車の後部座席に押し込められた。そのままガムテープで口を塞がれ、ロープで手足を縛られた華を乗せて車は走り出した。

 車は15分程走り続けて、どこかの廃工場らしき場所に乗り入れた。華をさらった男たち――華を車に押し込んで拘束した男と運転していた男の二人――は、床に乱暴に降ろした華には目もくれず、何やら落ち着かなげな様子でヒソヒソと話を始めた。その隙に華はポケットに入っていたスマホで透に電話をかけたのだが、まともな情報も与えることができないまま男たちにスマホは取り上げられてしまった。はずみで口のガムテープがとれたため、必死で「助けて」とだけ叫んだのだが、透たちには自分がどこに囚われているのかも分からないだろう。この自分があっさりと不意を突かれて捕まったことも腹立たしかったが、それ以上に助けが期待できないことが華をもどかしく、げんなりした気持ちにさせた。

 かろうじて見えるのは、打ちっ放しのコンクリートの床と所々むき出しになった鉄骨だけだった。視覚から得られる情報からは、ここがもう何年も使われていない工場らしいということしか分からなかった。

(それにしても、透たちは何やってんのよ。そろそろ助けに来てくれたっていいのに)

 先ほど助けは見込めないと自分で思っておきながら、華が勝手にもそんなことを思っていると、足音と共に自分をさらった二人組が戻ってきた。誘拐犯のうち華を車に押し込んだ方、大柄で短髪の男が睨み付けてきた。

「さっきはよくもやってくれたなこのガキ。余計なことしやがって」

「おい、そうカリカリするな」車を運転していたもう一人の誘拐犯、相棒よりも一回りは小柄で小太りの男がなだめるような声を出す。

「どうせ無駄だよ。スマホは遠くに捨ててきたし、こいつは自分がどこにいるかさえ分かってないんだからな」

 と、勝ち誇ったような見下したような笑みを浮かべる。華は黙って二人を睨み返してやった。

 こうして見ると、二人ともどこかのツナギを着たごく普通の会社員に見えた。だが、自分をさらったことを差し引いても、その顔つきや佇まいにはどこか胡散臭げ雰囲気が感じられる。それでも、この男たちが自分をさらった理由は何となく察しがついた。

「それにしても、あの抜け道を見つけられちまうとはな。こいつと残りのガキ共をどうするか……」

 案の定、大柄な方の男が苦々しげに吐き捨てた。やはり、透が抜け道を見つけてしまったことがまずかったらしい。

「まあいいさ。それよりも、どうしてあの人に連絡が取れないんだ?」小柄な方の男が首を捻る。

 段々と華にも状況が分かってきた。どうやらこの男たちがお化け騒動を企て、明石にそれを実行させていたらしい。メンバーは少なくともこの二人と彼らが「あの人」と呼んでいる人物の三人。出入りに使っていた抜け道を見つけられただけで小学生を拉致する。だとすれば、自然と殺人事件の真相も見えてきた気がした。

(なるほどね。多分、この男たちが明石を……)

 華は内心で一人納得する。ここまで手荒なことをする人間のことだ、時と場合によっては殺人すら躊躇わなかったとしても不思議ではない。だが、その可能性に至ったことで、元から後先考えない華の頭脳は急に楽観的な方向へと向き始めた。

(だったら話は早いわ。こいつらを警察に突き出せば事件は解決ね!)

 と、まだ誰かが助けに来てくれるか自力で脱出できるかどうかも分からない状況での希望的観測にガムテープの下の口元がほころんだらしい、大柄が険しい視線を向けてきた。

「おい、何を一人でニヤニヤしてる。お前自分の立場を……」

 と、男が言い終わらない内だった。

 場違いな程軽快な、何かが跳ねるような音が鳴り響いた。二人の男がぎょっとした様子で音のした方を見る。二人の間から、華にも「それ」がはっきりと見えた。

 音の正体はサッカーボールだった。開いていた窓から飛び込んできたらしきそれは、数回バウンドしたかと思うと、三人から数メートル離れた所で止まった。背中越しでも、誘拐犯たちの唖然としているのが華には分かった。

「な……何だ、これ? 一体どこから……」長身の男が戸惑った様子で言った時、

「すみませーん」

 と、外から声がした。

「ボールが中に入っちゃったんですけどー、取りに入ってもいいですかー?」

 その声を聞いて、華ははっとして顔を上げた。間違いない。この声は。

(――透)

 それを裏付けるように、もう一つの声が割って入った。

「すまないが、これは私たちの落ち度だ。私たちで落とし前をつけさせてほしい」

(翼も……)

 華はあからさまに自分がホッとするのが分かった。もし椅子に縛り付けられていなければ、ヘナヘナとその場に崩れ落ちていたかもしれない。

 しかし、華を拉致した連中にとってはホッとするどころではなかった。二人の男は目に見えてうろたえ出した。

「おい、どうするんだ。今ここに入ってこられたら……」

 と言っている内に、足音が近づいてきたかと思うと、

「やっぱり。ここにいたんだ」

 という声と共に、透と翼が顔を覗かせた。

(透、翼……)

「ん〜、んん〜っ!」

 華はすぐにでも二人に駆け寄りたかったが、口を塞がれて満足に喋ることができない。その分、必死に身を捩らせた。それを見た大柄な男が慌てた様子で華の肩を押さえ込もうとする。

「おい、大人しくしろ!」

「くそ、どうなってる!?」一方の小太りは激しく動揺していた。

「一体こいつらどうやって……」

「どうやっても何も、あなたたちが教えてくれたんだよ」何でもないといった風に透が言った。

「そうでしょ? ?」

(のせ……けんせつ……?)

 華には最初、幼なじみが何を言っているのか分からなかった。透の発した言葉が「能勢建設」という会社の名前に変換されるまで数秒かかった。しかし、その言葉に、二人の誘拐犯は雷に打たれたかのような反応を示した。小太りの男が震える声で問いかけた。

「な……何でそれを……会社の名前を知ってる?」

「何で、だと?」その問いに答えたのは翼だった。

「何を今さら。ここ数日、車で私たちの周りをコソコソ嗅ぎ回っていただろう」

「そういうこと」透が後を引き取る。

「あなたたちは気付かれてないと思ってたかもしれないけど、翼は覚えてたんだ。それで、車を見つけてここが分かったって訳だよ」

「どうしてそのことを……」そこまで言って、男たちは二人が華の仲間だと気付いたらしい。

「まさかお前ら、あのガキ共か!」

 その言葉を聞いて、華は男たちが「残りのガキ共をどうするか」と言っていたのを思い出した。

(ちょっと待って。これってかなりヤバい状況なんじゃ……)

 案の定、二人の誘拐犯は舌なめずりするように透と翼に向かって歩き出した。

「こりゃあ、むしろ好都合だ。ひとまず三人まとめてひっ捕まえてやる!」

 すると、その言葉に翼が鼻を鳴らした。

「馬鹿馬鹿しい」

「何?」

「子供だけで犯罪者の元にノコノコやって来る訳がないと言っている」

「その通り」翼の声に答えるように、三人目の人物が現れた。厳つい顔をした、スーツ姿の男性が誘拐犯に正面から向き合った。

「県警の首藤だ。とりあえずは、拉致監禁の容疑でお話を伺おうか」

「な……」二人の男は一瞬、固まったように見えた。だが数秒後、二人は揃って身を翻すと、華の後ろへと回り込んだ。大柄な男がポケットから何かを取り出す。それを見た瞬間、華はゾッとした。それは銀色に光るナイフだった。

「それ以上近づくな! 一歩でも動いたらこのガキの命はないからな!」

 まるで刑事ドラマから丸写ししてきたようなセリフだが、目の前でちらつくナイフは紛れもなく本物だった。刃先が首筋に触れた途端、華はその冷たい感触が全身に広がっていくような感覚に襲われた。透と翼も顔を引きつらせて固まったままでいる。

 ただ一人、首藤警部だけは眉一つ動かさなかった。興奮状態の男たちとは対照的に、落ち着いた様子で一歩前に出る。

「ほほう。警察の前で罪を重ねるとは大した度胸だな。しかし、そんなことをして逃げ切れるとでも思っているのかね」

 その声は、華がこれまでに聞いたことがないような響きを帯びていた。怒鳴った訳でも、ドスがきいている訳でもない。ごく普通の、低くよく通る声だったが、そこには今まで何人もの犯罪者を相手にしてきた独特のすごみがあった。

「う、うるせえ! それ以上近づくなって言ってんのが分かんねえのか!」

 華にナイフを当てている男もそれを感じ取ったらしい、ナイフを握る手に力を込めて警部を脅すが、その声は先ほどまでとは違い、明らかに上ずっていた。反対に、首藤警部の方は依然として落ち着き払っている。

「まだ投降する気は起きないかね」

「あ、当たり前だ! いいか、5秒以内にここを出ていかねえと……」

 男が急に言葉を切った。頭上から聞こえてくる何かがきしむような音に気が付いたらしい。二人の誘拐犯は不安そうな表情で音のする方向を見上げた。次の瞬間、積みっぱなしになっていた資材の山が派手な音を立てて崩れだした。小太りの男が悲鳴を上げてその場を飛び退く。その直後、男が立っていた場所を落下してきた資材が直撃した。大柄な男もひるんだらしく、華にナイフを当てる手が一瞬緩む。その瞬間を逃さず、透が叫んだ。

「今だ、華!」

 その時には、華は既に行動を起こしていた。椅子に縛り付けられている華は、首から下は動かすことができない。だが、それは同時に、ということでもあった。

 華は全身の力を込めて、頭を後方にフルスイングした。頭が何か柔らかいものに当たる感触と共に、男がうめき声を上げる。どうやら華の頭は、うまく男の鳩尾みぞおちにヒットしたらしい。男がくずおれると同時に、ナイフが乾いた音を立てて床に放り出される。しかし、華も勢い余って椅子ごと床に倒れた。

「確保!」首藤警部の声を合図に、複数の足音がバラバラと駆けてくる。どうやら物陰に刑事たちが待機していたらしい。辛うじて資材の雪崩から逃れた小太りの男が泡を食った様子で逃げ出すのが倒れた華の目に映った。

「待て!」刑事の一人がそう叫んだが、男はその体型からは想像できないような身軽さで、開いていた窓から外へと飛び出した。その数秒後、再びの悲鳴に続いて、何かが地面に叩きつけられたような重い音が聞こえた。

 華には何が起こったのか分からなかった。が、それについて考える前に制服の女性警官が近づいてきた。

「大丈夫? 怪我はない?」

 と、優しい言葉をかけながら、刑事の一人と共に椅子ごと華を助け起こし、縄をほどいてくれた。ガムテープを剥がす時は慎重な手付きだったが、それでも口元には痛みが走った。

 手足が完全に自由になると、透と翼が駆け寄ってきた。

「華、大丈夫?」

 さっきも同じことを聞かれたと思いながら、華はやっとのことで言葉を絞り出した。

「……遅い」

 二人が顔をしかめた。

「助けに来た人間にかけるセリフがそれか」翼がため息を吐く。

「元はと言えば、華が勝手な行動をしたからだろ」透も呆れたように言った。

 二人の言うとおりであるのは間違いなかった。華は目を逸らすと、小さな声で「……ありがとう」と呟いた。悔しさはなかったが、それよりも照れくささの方が勝った。

「最初から素直にそう言えばいいのに」という透を無視して、華は床に目をやる。腹へのダメージから立ち直りつつあった大柄な男はなおも抵抗を続けていたが、他の刑事たちに数人がかりで押えつけられては逃げることもできずにいた。それを見ながら華は先ほどから疑問に思っていたことを尋ねた。

「そう言えば、何であんたたちここが分かったの? ていうか、さっきのドスンって音は何?」

「見た方が早いと思うよ」そう言って透は翼と共に華を外へと連れ出した。

 小太りの男が逃げ出した窓の所まで来た華は唖然とした。男は地面に大の字に伸び、相棒と同じく刑事たちに取り押さえられていた。その横で腕を組んで得意げに仁王立ちしているのは、大吾だった。

「へへっ、いつもは同じ小学生か、せいぜい中学生ばっかとやってるからな。大人を相手にできて貴重な経験になったぜ」

 痛そうに顔をしかめてのたうち回っている男とは対照的に、大吾は嬉しそうにしている。それを見て、華にも事情が飲み込めた。

 男は窓から逃げ出した所を、待ち構えていた大吾に投げ飛ばされたのだろう。大吾の運動神経と体格なら、大人一人投げ飛ばすことができても不思議ではない。

 疑問の一つは解決した。だが、今度は別の疑問が湧いてくる。

「じゃあ、さっきの荷物が崩れたのは何?」

「僕だよ」背後から聞き慣れた別の声がした。振り返ると、いつの間にか優がそこに立っていた。

「僕がこっそり天井に上って、あいつらに向かって荷物を崩してやったんだ。正直怖かったけど、上手くいってよかったよ」

「マジで?」華は普段大人しい優がそこまで大胆な行動を取ったことに驚いた。しかし、まだ最大の疑問が残っていた。

「そもそも、皆何でここが分かったの? あたしだってここがどこか分かってないのに」

 それに答えたのは透だった。

「それは翼のおかげだよ。翼があいつらの車に前から気付いてたから、ここが分かったんだ」

 車? 言われるままに透の指差す方に目を向けた華は、そこに一台の車が停まっているのに気付いた。外見だけでは分からないが、サイズからして確かに男たちが自分を拉致するのに使った車らしい。よく見ると、側面には『能勢不動産』という文字がプリントされている。透が男たちを「能勢不動産の社員さん」と呼んでいたことを華は思い出した。

 どういうことかと聞く前に、透はどのようにしてこの場所が分かったかを説明し始めた――


華からのSOSが途絶えた後、透たちは慌ててまだ近くにいた舞子と水島さんを捕まえてつい今しがたかかってきた電話の内容を話した。予想外の事態に゙水島さんは慌てふためき、舞子も最初こそ「言わんこっちゃない」とでも言いたげな顔をしたものの、その後は特に透たちを怒るような素振りは見せなかった。

 水島さんは警察本部に連絡すると言って、子供たちを残して一旦その場を去った。その間、翼は一言も発さずずっと何かを考えている様子だった。

「翼、どうしたの? 翼?」

 いち早く気付いた優が声をかける。しかし、翼は聞こえていないのか、眉間にしわを寄せて考え込んでいる。やがて、ふっと顔を上げた翼は、たった一言、ポツリと呟いた。

「……能勢不動産だ」

「え?」聞き慣れない単語に他の面々が面食らう中、普段は全くと言っていいほど感情を顔に出さない翼は、珍しく悔しげな表情を浮かべていた。

「すまない。やはり私の勘違いなどではなかった。弓長をさらったのはあの車に違いない」

 勘違い。その言葉で、透は明石のアパートを訪れた時と空き家に入る前、翼が辺りを見回し、透や華の問いかけにそう答えていたことを思い出した。では、翼が気にしていたのはその車だったのだろうか。

「でも、どうしてその不動産屋が華をさらったって分かるんだ?」大吾の疑問は最もである。透もその点は気になっていた。しかし、翼から聞かされた答えは予想もしないものだった。

「ここ数日、ずっと能勢不動産の車が私たちを尾けていた」

「マジかよ!? そんなの全然気付かなかったぜ……?」

「本当に同じ車だったの? 似た形の車がたまたま2台いただけかも……」

 優がいかにもありそうな可能性を口にするが、翼は即座にそれを打ち消した。

「いや、同じ車だった。ナンバー、それに助手席側の傷も一緒だった」

 透は驚いた。翼が他の誰も気付かなかった車に気付いていたこともだが、それ以上にナンバーとか傷といった細かい点まで覚えていたとは予想外だった。だが、これで次に何をやるべきかははっきりした。透は他の三人と舞子を順に見回すと、きっぱりした口調で告げた。

「首藤警部に連絡しよう。翼が覚えてたナンバーの車を追ってもらうんだ」

 そして最後に、こう付け加えた。

「――華は絶対、助け出す」


「――それで、あれからすぐに車の場所を探し出して、ここが分かったってわけ」

 と言って、透は現在までに至る経緯を締めくくった。華はと言えば、翼、優、大吾の意外とも言える活躍に唖然とする他なかった。

「う、うん……それは分かったんだけど……」華はおずおずと口を開いた。

「でも、何で皆そこまでしてあたしを助けてくれたの? 特に透にはあんなひどいこと言ったのに」

 その言葉に、今度は透が呆気に取られた表情をした。数秒の後、透は当然だとでもいうように答えを口にした。

「それは……友達だから、っていうか、探偵団だから、じゃダメかな?」

「探偵、団……」華はその言葉を噛みしめるように繰り返す。なぜか、今まで感じたことのない感情が湧き上がってくるのを感じた。その姿を見て、大吾がカラカラと笑い声を響かせた。

「おいおい、華、どうした? そんなしおらしい顔する何て、ちっとも華らしくないぜ?」そう言って、華の背中をバシンと叩く。衝撃で、それまでの感情はどこかへと飛んでいき、代わりに怒りが湧き上がってきた。

「痛っ! ちょっと何すんのよ!」

「それでこそ華だね」優が短く笑う。

「いつもそれくらい強気じゃないないと、華らしくないよ。ちょっと怖かったけど、助けにいって良かった」

「まあ、あれだけのことをしたんだ。後で警察には怒られるだろうがな」翼がそう言い終わらない内に、背後から「その通り」という声がした。

 おそるおそる振り向くと、はたしてそこには首藤警部が目を吊り上げて立っていた。誘拐犯たちに向けていた眼差しとは天と地ほどの差があったが、それでもかなり怒っているのは明白だった。

「全く、何を考えているのかね、君たちは!」警部は鼻息荒く吐き捨てた。無理矢理怒りを押し殺しているような声だった。

「犯人の気を逸らさせるだけだから特別に同行を許可したというのに、勝手に天井に上ったり、ましてや犯人と接触したりするとは! たまたま誰も怪我人が出なかったから良かったものの、一歩間違えばもっとひどいことになっていたかもしれないんだぞ!」

 確かに、警部の言うことはもっともだった。そもそも、自分が勝手な行動を取らなければこうして拉致されることもなかった。

 言い返すことのできない正論に、華はうなだれるしかなかった。透たちも神妙な顔でうつむいている。

 しばらくの間、首藤警部は鬼の形相で五人を睨みつけていた。華は雷が落とされるのも覚悟したが、予想に反して警部は数秒後、ふっと口元をゆるめた。

「だがまあ、君たちの活躍で犯人を捕まえることができたのも事実。今回は少年探偵団のお手柄ということだな」

 華は思わず顔を上げた。そこにあったのは既に鬼の形相ではなく、どこか呆れたような、吹っ切れたような笑みを浮かべた警部の顔であった。

「け、警部……怒らないの?」

「警察官としては、そうするべきなのだろう。だが、君たちを見ていると、そんな気もなくなった。それに」と、警部は透に視線を移した。

「透君。あの殺人事件の真相が分かったというのは本当かね」

「え……ええっ!」

 華は今度こそ耳を疑った。そのままの勢いで幼なじみに掴みかかる。

「ちょっと、どういうことよ、透っ! まさかあたしをほっぽって抜けがけしたわけ!?」

「ち、違うって!」後ろに飛び退いて華の攻撃をかわしながら、透は慌て気味に弁明した。

「華が飛び出した後、ちょっとしたきっかけで分かったんだ。その後華があんな電話かけてきたから……もちろん、華も揃った後で話すつもりだったよ」

「なら、早く教えなさいよ」

「そうしたいのは山々だけど」

「山々だけど、何?」

「ここにいるメンバーだけじゃ足りないんだ。揃ってからじゃないと……あっ、来た!」

「全員?」

 華が透の視線を追うと、ちょうど敷地内に一台の車が入ってくる所だった。そのまま六人から1メートルと離れていない所に停まる。車から降りてきた顔ぶれを見て、華は顔が引きつるのを感じた。後部座席からは担任の樽井先生、助手席からは赤峰教頭が降りてきた。

「せ、先生……」

「弓長さん」樽井先生は華を真正面からじっと見つめた。怒られる、華は直感的にそう感じた。

 しかし、華が怒られることはなかった。次の瞬間、先生は華をしっかと抱きしめると、たった一言、絞り出すように呟いた。

「良かった、無事で本当に良かった……」

「先生……」華は驚くよりも先に戸惑いと嬉しさに満たされた。そして、他の誰よりもこの担任教師に迷惑をかけたことを申し訳なく思った。しかし、もう一方の教師に関して同じようにはいかなかった。

「い、一体これはどういうことだ!」赤峰教頭は予想通りどころか予想以上の剣幕で華を怒鳴りつけた。

「けしからん、全くもってけしからん! この前あれほど言ったのに、懲りずにまた同じことをしようとするとは! 貴様、大人をどこまで馬鹿にすれば気が済むんだ!」

「教頭先生……」

「樽井先生は黙っていてください! これは私と彼女の問題なんです!」

「教頭先生」今度は透が口を挟んだ。静かな声だったにもかかわらず、その声はやけに響いて聞こえた。

「そこまでして華を叱るのは、自分がお化け騒動や拉致に関わってるのがバレたらまずいからですか?」

「え!?」華は今度こそ驚いた。首藤警部、樽井先生も同様の反応を示した。何も表情が変わらないのは、自分以外の探偵団だけだった。

「な……」教頭はといえば、他の大人たちと同様に驚きの反応を見せた後、それまで以上に怒り出した。

「ふ、ふざけるな! 何を言い出すかと思えば! 大体、どうして私がこの児童の拉致に関わっていると言うんだ!? それはあの男たちの仕業だろう!」

 一瞬の沈黙の後、透がポツリと言った。

「教頭先生。どうして知ってるんですか、華をさらったのがだって」

「あっ……!」華は思わず声を上げた。確かに、自分を拉致した男たちは既に連行されている。たった今ここに着いた教頭には、犯人の性別も人数も分かるはずがなかった。教頭も一瞬「しまった」という表情を浮かべたものの、すぐに取り繕った。

「そ、それは……そう思ったんだ! 女子児童がさらわれたと聞いて、勝手に男の複数犯の犯行だと思い込んでしまったんだ! ただの偶然だ!」

 苦し紛れの言い訳を並べ立てる教頭だったが、透は一切動じなかった。

「へえ、偶然。……だったら、華をさらった二人が勤めてる能勢不動産の副社長の名前が「赤峰」だってことも偶然ですか」

 教頭の顔がみるみるうちに青ざめた。

「ど、どうしてそんなことまで……」

 自白も同然の言葉が口から出たタイミングで、優がスマホの画面を華と大人たちに見せる。画面には『副代表 赤峰 喜一郎きいちろう』という名前と共に、一人の男性の顔写真が載っていた。言われてみれば、どこか神経質そうな目つきや尖った顎の形が教頭に似ている。

「ね。名字が同じで、喜一郎と治三郎で下の名前も顔も似てる。普通に考えたら、兄弟か親戚だよね」

「……ってことは……分かったぁ!」華は突如として大声を張り上げた。

「教頭、あんたがお化け騒動のボスだったのね! そう言えばあの二人、『あの人に連絡が取れない』って言ってたわ! あれもあんたのことだったんでしょ!」

「教頭先生……そう言えば、ここに来る車の中で何度も携帯が。しかも、ずっとそれを無視してましたよね」樽井先生が呆然とした様子で言う。教頭は口を開きかけたが、上手い言い訳が思いつかなかったのか、結局何も言わないまま黙りこくってしまった。そこに華はさらなる追い打ちをかける。

「明石を殺したのもあんたなんでしょ! 明石にお化け役をやらせてたけど、お金か何かでもめて殺したんでしょ!」

「なるほど」首藤警部がずいと前に進み出た。

「少なくとも、殺人に関わっている可能性は濃厚だな。教頭先生、ちょっと署まで来てもらいましょうか」

 しかし、その言葉を聞くや教頭は激しく首を振り始めた。

「ち、違う。私はやって……」

「それは本当だよ」教頭を擁護する声は意外な方向から上がった。華は信じられない思いで声の主を見る。

「透、どういうこと? 犯人は教頭こいつなんじゃないの?」

「確かに、明石を使ってお化け騒動を起こしたのは教頭先生だよ」透はその点は認めた上で、首を振った。

「でも、殺人に関しては違う。明石を殺した犯人は別にいるんだ」

 衝撃の言葉に皆が驚いた反応を見せる中、透は静かに告げた。

「そして、それを明らかにするには、あそこに――あの空き家に行かなければならないんです」

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