第9章 密室の謎、解明?

 発生から一週間と一日が経つというのに、新聞でもニュースでも事件に関する報道はほとんど流れなくなっていた。被害者の人となりが報道されるにつれ、同情する声が薄れていったのもあるかもしれない、自分の部屋で透はぼんやりと思った。


 どうやら明石は近所でも有名なトラブルメーカーだったらしく、最初に聞いていたよりも多くの問題行動が明らかになっていた。酔っぱらって窓ガラスや看板を破壊したり、騒音トラブルで注意してきた相手に逆ギレしたりといったことは日常茶飯事だったらしい。「殺されて当然だ」とまではいかなくても、「殺されるほど恨まれていても仕方なかった」くらいの感想が周囲で固まりつつあるようだった。


 容疑者の目星すらついていないにもかかわらず、小学校近くの空き家で起こった殺人事件は既に人々の関心を失いつつあった。その中に透も含まれていた。


 たった二日捜査から離れただけで、透は暇さえあれば推理小説を読みふけるという元の生活に戻っていた。皆で捜査をしている時に感じていた新鮮味は、それ以上のスピードであっけなく萎んでいった。


 思い返せば、現場の「密室」も本当であったのか疑わしい。あのときは夜だったのだから当然暗かったし、自分と華がいた場所から空き家の玄関まではかなりの距離があった。人の出入りがあったとしても気付かなかったかもしれない。やはり舞子が言ったとおり、自分たちが出入りする犯人の姿を見落としただけではないのか――。


 違う、と頭の中で誰か――もう一人の自分がそれを否定する。自分も華も空き家に出入りする人間は一人として見ていない。では、自分たちが鬼火を目撃して玄関に駆けつけるまでの間に殺人が行なわれた可能性はどうか。それもありえない。正確に時間を計った訳ではないが、自分たちが空き家を見ていなかった時間が三分もなかったのは確かだ。あの一瞬で誰にも見られずに現場を立ち去ることができたとは思えないし、誰かとすれ違ったりということもなかった。第一、明石はその数十分前には殺されていたのだから、犯人がその時まで現場に留まっている理由はない。


 現場は確かに密室だった。そのことだけは断言できる。しかし。


「そう考えると、どうしてもが引っかかるんだよなぁ……」透はベッドに寝転がったまま、知らず知らずの内に言葉を漏らしていた。思わずハッとなって辺りを見回すが、当然のことながら誰もいない。誰に聞かせるでもない独り言だ。未だ事件に引きずられている自分に少しうんざりしながらベッドから身を起こした時、枕元のスマホが震えた。華からの電話だ。


 警戒心がこみ上げてくる。透はスマホと十分な距離を取ってから通話ボタンを押した。案の定、スピーカー状態にしていないにもかかわらず、華の声がはっきりと聞こえてきた。電話越しでも声が弾んでいるのが伝わってくる。前置きも無しに華はこう切り出した。


「ねえねえ、明日もう一回あの空き家に行ってみましょ! さっき聞いた話だと、明日は絶好のチャンスみたいよっ!」



 華の言った「絶好のチャンス」とは、赤峰教頭の出張だった。何でも昨日、職員室で先生たちが話しているのを聞いたらしい(華がどうして職員室にいたのかは敢えて聞かないでおいた)。


「だからチャンスなのよ、チャンス! 教頭のいない間に、ちゃちゃっと調べちゃいましょ!」


 やたらとテンションの高い華とは対照的に、透以下他の四人はあまり乗り気ではないようだった。


「ちゃちゃっと、って言ってもなあ……どこから探せばいいんだよ」大吾が庭を覗き込みながら呆れ気味にぼやくと、優も不安そうに辺りを見回しながら、


「そもそも、これって不法侵入だよね」


 と呟く。華はそんな声が聞こえていないかのように素知らぬ顔を決め込んでいる。その時、透は翼がせわしなげに周囲を見回していることに気付いた。が、透が声をかける前に華も翼の様子に気付いたらしい。不思議そうな表情で声をかけた。


「翼、何やってんのよ。さっきからやたらとキョロキョロしてるけど」


「いや、何でもない。この前から気になっていることがあるが、やはり勘違いだったようだ」


 華の問いかけに対し、そっけなく答える翼。その言葉で、透は明石のアパートを見に行った時も翼が同じような言動をしていたことを思い出した。あのときは勘違い「かもしれない」だったのが、「ようだ」になっている。翼は何がそんなに気になっているのだろうか。だが、華はその言葉であっさりと興味を失ったらしく、


「よーし、じゃあ行くわよ! 今日こそ密室の謎を解き明かしてやるんだからっ!」

 

 と、門を開けて空き家の中へと入っていった。


「あーあ、遂に入っちゃったよ……」


 大吾の言葉は、ぼやきと言うよりもはや嘆きに近かった。仕方なく、透たちも誰にも見られていないことを確認してから空き家へと足を踏み入れた。



 密室で起こった事件の答えとして華が最初に言い出したのは、「家のどこかに秘密の通路がある」というものだった。


「だって、これだけ古い家よ。忍者屋敷みたいな隠し通路があっても良さそうなものじゃない?」


 目を輝かせて力説する華だが、そこに翼の厳しい指摘が入った。


「馬鹿馬鹿しい。こんな小さな家の中にそんな仕掛けがあったら、とうの昔に警察が見つけているだろう。警察だって他に出入りできるような仕掛けがないか必死になって家の中を探したはずだからな」


 その言葉に一瞬押し黙る華だったが、またすぐに顔を輝かせる。


「じゃあこんなのはどう? 犯人は明石を殺した後、家の中にずっと隠れてた。その時にどこかで手に入れたお巡りさんの制服に着替えたのよ。それで、警察が来た後、引き揚げる時にこっそりその中に紛れて現場を出て行ったってのは? あの時、現場には何人も背服のお巡りさんがいたし、一人くらい増えても気付かれないんじゃない?」


 今度こそ核心を突いた! と言わんばかりに勝ち誇った表情を見せる華。しかし、今度は優が首を傾げる。


「でもそれって、犯人は警察が来るまでずっと現場にいないといけないってことだよね? それだったらさっさと逃げた方がいいんじゃないかなあ? この時はたまたま透と華が早い段階で遺体を見つけてくれたから良かったけど、ここは空き家なんだから下手したら次の日か、それより後になったかもしれないよね」


「それによ、靴の問題はどうするんだ?」と、大吾も同調する。


「犯人は現場から明石の靴を持ち去ったんだろ? 今のところ何でそんなことをしたのか分からねえけど、靴はどうやって隠し持ったんだよ」


 渾身の推理を立て続けに否定されたのが気に食わなかったらしい、華はみるみるうちに不機嫌な表情になった。と、不意に華が透の方を振り向いた。


「ねえ透、さっきから黙ってるけど、あんたは何かないわけ?」


「え?」


「え?、じゃなくて、あたしがこれだけ言ってるのにあんたは何もないのって聞いてんの。前にも言ったでしょ、透がいなきゃ何も始まんないって。あんたがいてこその探偵団なんだから何か推理してみなさいよ」


 少し怒りを含んだまっすぐな目が透を見つめてくる。しかし、素直に頷く気は起きなかった。無意識に視線が落ちる。


「ちょっと、何で何も言わないのよ」


「僕は……」落ちた視線が横に逸れた。華の肩越しに隣の空き家の庭が目に入る。元々この家との境の塀を作っていたのが崩れたのか、いくつものブロック塀がそこかしこに散らばっている。その中のある一点に目を留めた時、透は奇妙な感覚にとらわれた。


 透は華を押しのけるようにして隣の空き家へと近づいていった。皆の自分を呼ぶ声がするが、まるで水中にいるかのようにぼんやりとしか聞こえない。透はほとんど崩れた塀を乗り越えて先ほど目をつけた場所にたどり着くと、そこにしゃがみ込んだ。周囲の地面を見て、先ほどの可能性が確信へと変わっていくのを感じる。

 その時、急に背後から肩をつかまれた。振り返ると、華が険しい表情でこちらを睨んでいる。


「透、さっきから何してんのよ! 勝手に探偵モードに入ったかと思ったらいきなり隣の家の庭なんか調べ出したりして! そんなとこ、調べたって何もないんじゃないの?」


 探偵モード? 華が何を言っているのかは分からなかったが、少なくとも今自分が調べている所に「何もない」わけではないことは分かっていた。透はしゃがみ込んだままで自身の足下を指さした。そこには縦に二つ、横に三つ、合計六つのブロック塀が直方体の形で置かれていた。


「見てよ、これ。何か変だと思わない?」


「はあ? どこがよ? 普通のブロックなんじゃないの?」


「そうでもないよ。ほら、このブロック、周りにあるのよりも全然新しい。それに、他のブロックがバラバラに散らばってるのに、ここだけ綺麗に六つも積み重なってるのはどう見ても変じゃないかな?」


 透の指摘に、「あっ」という声が誰からともなく漏れる。


「い、言われてみれば確かに……じゃあ、このブロックは……?」


 という優の疑問に答えるように大吾がずいと前に出る。


「そりゃ、この下に何か都合の悪いもんを隠してるからに決まってんだろ。ちょっと待ってろ、今すぐこのブロックをどかしてやるから」


 と、手近にあったブロックの両端を掴んで持ち上げようとした時、その顔が「あれ?」と訝しげに曇る。


「何だこれ、横や下のやつとガッチリくっついて全然離れないぞ……うお!?」


 と、さらに力を込めた途端、は起こった。華や優も声を上げて飛び退いた。


 ブロック塀が持ち上がっていた――六つ全て。それだけではない。もブロックにくっつくようにして斜めに傾いている。そして、その下には人一人がやっと通れる程の穴がぽっかりと口を開けていた。あまりのことに、普段は無表情な翼も目を見開いていた。


 そんな中、透だけがただ一人冷静さを保ったまま、ぽつりと呟いた。


「これが密室の答えだったんだ。明石も犯人も、ここから出入りしてたんだ」



 しばらくの間、誰も口を開かなかった。沈黙を破ったのは大吾だった。


「……信じられねえ。そもそも何なんだ、この穴?」


 透にはその答えが分かった気がした。


「多分だけど井戸、だと思う」


「井戸?」


 透は今いる場所の裏に位置する家に視線を移した。そこに暮らす老人の顔が思い浮かんだ。


「あの脇坂っておじいさん、言ってただろ。『昔は井戸から水を汲んでた』って。ってことは、この辺りの他の家にも井戸があったんじゃないかな」


「で、でも」優が口を挟んだ。


「前に何かの本で読んだ気がするんだけど、井戸って確か何十メートルも掘る必要があったと思うんだ。そんな深くまで人間が降りていって大丈夫なのかなぁ?」


 その言葉に透は穴の中を覗きこんだ。よく見ると、穴の側面には錆び付いた鉄の梯子が据え付けられている。ああ、そういうことか。


「多分」透は言った。「この穴は本物の井戸じゃない」


「え!?」


「この梯子、付けられてから相当時間が経ってる。最初からこの抜け道が作られて、それを隠すために井戸を作ったんだ」


「だ、誰が何のために?」


「さあ。でも、明石がこの抜け道を使ってた理由は大体分かるよ。お化け騒動を演出するためだ」


「なるほどね」華が全て察したという感じで頷いた。


「普通にお化け騒動を演出しても、玄関から入るとこを誰かに見られてたらアウト。でも、この抜け道を使えば見られるリスクはぐっと低くなるし、なおさらお化けを信じる人が増える、ってわけね。だけどこれ、外はともかく中から開けられるものなの?」


「そうでもないと思うよ」透は大吾の手によって完全に開ききった『蓋』の裏側を覗き込んだ。


「ここに取っ手みたいなのが付いてる。これなら、中から蓋を持ち上げることも中に入って蓋を閉めることもできる。小学生でも大吾一人の力で開けられたんだから、大人ならもっと楽に動かせただろうしね」


「それがおおよそ正しいだろうな」蓋の地上部分を調べていた翼が言う。


「このブロック、いかにもそれらしく作ってあるが、本当にコンクリートなのは上側の一部分だけだ。他はプラスチックか何か、もっと軽い素材に塗料を吹きつけてコンクリートに見せかけているだけだろう。六つ全て本物で作ってあるよりずっと軽いはずだ」


「つまり、あの夜起こったことは……」透は話を締めくくりにかかる。


「あの夜、明石は鬼火を演出するために抜け道を通ってこの家にやって来た。犯人もそれを知ってて、先回りしたか後を追ってきたか分からないけど、同じように抜け道からやって来て、明石を殺した。この抜け道は学校からは死角になってるから、僕と華からは見えない。これで密室完成ってわけ」


「あっ! だから犯人は現場から靴を持ち去ったのか」大吾が叫ぶ。


「そう。多分靴は抜け道から一番近い窓の所にでも脱ぎ捨ててあったんだ。もし靴をそのままにしておいたら、警察が抜け道を見つけちゃうかもしれないからね。犯人にとっても、抜け道がバレたらまずかったんだ」


「ってことは、犯人は抜け道を知ってる人……明石にお化け騒動を指示してた相手とか?」


 優がそう尋ねてきたが、透としてはどこか違うと感じた。何か重要なことを見落としているような気がしてならない。


 しかし、その思考は幼なじみによって断ち切られた。スマホのライトで穴の中を照らしながら、華が誰ともなしに問いかけた。


「ねえ、ところで、この穴どこに続いてるの?」


「さあ、どこかまでは分からないよ。多分目立たない所だろうとは思うけど」透としては、そう答えるほかなかった。しかし、その後に続いた華の言葉は耳を疑うようなものだった。


「なるほど。じゃ、今から行ってみましょ!」


「うん……はぁ!?」あまりにもあっさり、かつしっかりした物言いだったため、一瞬同意しかけた後、素っ頓狂な声が出た。透は信じられないという思いで華をまじまじと見た。まさかいくら何でも華がここまで無謀なことを言い出すとは夢にも思わなかった。


「ちょ、ちょっと待った。何言ってるんだよ華。さすがにそれはめた方が……」


 それは他の面々も同じだったらしい。優が泡を食った様子で止めに入った。しかし、華は全く取り合おうとしない。


「はあ? そっちこそ何言ってんの。何でここまで来て引き下がんなきゃなんないのよ。こうなったらこの抜け道がどこにつながってるのかまで、しっかりとこの目で確かめてやるんだからっ」


「前野の言うとおりだ、弓長。この先何があるか分からないのに闇雲に進んでどうする」


「そうだぜ、華。これ以上関わるのはさすがに危険だろ。後は警察に任せようぜ」


 翼と大吾も優に加勢する。それでも華は首を縦に振ろうとしなかった。


「何でよ! ここで降りたらせっかく今までやってきた捜査が台無しじゃない! いいわ、こうなったらあたしたちだけでもやるんだからっ」


 その言葉を聞いた途端、透は嫌な予感がした。「あたし」ではなく、「あたし」と言った。まさか……。そう思った次の瞬間、華がくるりとこちらを向いた。


「透、あんたはもちろん行くわよね?」


「え……」透が返答に詰まっていると、華はさらにたたみかけてきた。


「だって、この抜け道を発見したのはあんたなんだし。だったら最後まで見届けるのが探偵ってもんなんじゃないの?」


「僕は……」視線が地面に落ちた。一瞬のためらいの後、透はきっぱりと言い切った。「僕も行かない」


 華のつり上がった目が大きく見開かれた後、見る間に不機嫌な表情になった。


「何でよ。何でそんなことが言えるわけ」


 問いかける声は、先ほどまでとは打って変わって低くなっていた。それにも構わず、透は言葉を続けた。


「だって、皆の言う通りじゃないか。この先に何があるのか分からないし、そもそも犯人が分かったわけじゃない。危険すぎるよ」


「だったら、犯人も推理してみてよ。もしかしたら、抜け道の先に何か犯人につながる手がかりがあるかもしれないじゃない。だとしたら、あんたはなおさら行かないといけないんじゃないの」


「いや、っていうか……」わずかに口ごもった後、透は数日前から感じていたことを口にした。「もうこの事件に関わるのはいいかな、って」


「な……」一瞬戸惑った様子を見せた後、華は透がこれまでに見たことがないほど怒り始めた。「もういいってどういうこと!? 何でよ、せっかくここまで来たのに! それとも透はこれまでやってきた捜査が楽しくなかったの!?」


 楽しくなかったと言えば嘘になる。むしろ楽しかったとはっきり言える。だが今、透の胸には別の思いの方が強かった。透は一言一言言葉を選ぶようにしながら自分の思いを口に出した。


「だってさ、僕たち探偵をしたことで、周りから散々怒られたよね。警察にも、先生にも。それでも大人の目を盗んで今日も来たけど、そこまでして続ける意味ってあるのかなって、最近思ってたんだ」


「だから何? 透、まさか忘れてないわよね? 元はと言えば、あんたが名探偵になりたいって言ったからあたしはこうやって皆を集めたのよ。それで今さらあんたが尻込みしてどうすんのよ。何もかもあんたのためにやってあげたのに」


 あんたのため。やってあげた。そんな言い方が透の胸をえぐった。次の瞬間、透はその先のことを何も考えずに言葉を発していた。


「そんなの……一言も頼んでないじゃないか。そっちが勝手にやり始めたことだろ」


 言ってから顔を上げ、華の表情を見た瞬間、透は今の発言を後悔した。だが、遅かった。しまった、そう思った数秒後、自分の顔面を目がけて飛んできた何かにぶつかり、透は尻餅をついた。顔に鈍い痛みが広がる中、華の声がやけに遠くに聞こえた。


「もう知らない! 勝手にしなさいっ!」


 透がノロノロと体を起こした時には、既に華の姿は消えていた。側を見ると、華がさっきまで手に持っていた手提げカバンが落ちている。どうやらこれを投げつけられたらしい。それにしても、華の大胆さと短気さにはしょっちゅう驚かされたり呆れさせられたりする。抜け道に入ろうと言い出すとは思ってもいなかった。まさか本当に入ったのだろうか、そんな透の考えを読み取ったかのように優が言った。「穴なら大丈夫。二人が喧嘩してる間に大吾が塞いだから」


 ホッとしながらも透は取り繕った。「別に喧嘩なんかしてない。正直に思ったことを口にしただけだから」


「それはともかく」翼が透の横に転がった華の手提げカバンを指さした。「それはどうする」


 透は思わずため息を吐いた。辺りにはカバンから飛び出したらしい、筆箱やヘアピン、その他何に使うのかも分からない様々な物が散らばっている。透はそれらをろくに確かめもせず、手当たり次第にカバンの中に放り込んでいった。よく見ると元々入っていたのかもはっきりしない糸くずや紐、おはじきのようなものなども含まれているが、構わないと思った。


 そのまま隣の家の門から出ようとしたが、ガチガチに錆び付いているらしく開かなかった。仕方なく、四人はもう一度塀を乗り越えて現場の門から外に出た。優が尋ねてくる。「華は? どうする?」


 透は半分投げやりになってぼやいた。「どうせ今から走っても追いつかない。華も落ち着いたらその内戻ってくるだろうからそれまでここで……」


「待つとでも言うのですか」突然、冷たい声が続きを遮った。透はぎょっとして声のした方を見た。


 目の前では、水島さんが困ったような笑い顔で立っていた。その横でこちらを呆れたように睨みつけているのは舞子だった。



 舞子は今度こそ本気で怒っているようだった。つい今し方の発見や、どうして水島さんと一緒にいるのか、そういった話をする余地も与えられずに透たちは空き家から連れ出された。


 透たちがされたのは昨日華と三人で話をしたばかりの東屋だった。ベンチに腰を下ろした舞子は大きく息を吐くと、刺すような視線を向けてきた。


「昨日も言いましたよね。これ以上、探偵の真似事は認めないと。あの路地から弓長さんが走っていくのを見かけたので、まさかと思って来てみたら……忠告した次の日にこれですか」


 これまでなら華が突っかかる所だが、本人はここにいない。つまり、わざわざ舞子に反論する理由はない。残る四人は揃って「ごめんなさい」と頭を下げた。


「まあまあ、お嬢さん」水島さんが困ったような笑いのまま取りなす。


「この子たちだって悪気があってした訳じゃないでしょう。まだ規制線が残ってるとはいえ、別に警察の捜査を邪魔したとかじゃないですし、ここは私に免じて大目に見てあげてもらえませんか」


 県警のお偉いさんの娘であるからか、小学生に対してかなり丁寧な言葉遣いである。そうでなくても、水島さんの低く優しい声で頼まれれば思わず頷いてしまいそうなものだと透は思ったのだが、それでも舞子は難しい顔のままだった。


「そう仰いますが、水島巡査、私は彼らに一度注意しているんです。現在ここにいない弓長さんとこちらにいる森君には昨晩この場所でもしたばかりなんですよ。いくら小学生の行為だからと言って、このまま放置しておくことは彼ら自身にとっても危険ではないでしょうか」


「ですが、まだ一回か二回なんでしょう? お嬢さんの気持ちも分かりますが、そこまで目くじらを立てなくても……ところで」そこで水島さんは言葉を切ると、透たちの方に向き直った。


「さっき塀を越えていった女の子、彼女は大丈夫かな? どうやらかなり興奮してたようだったが」


「ああ、華はいつもあんな感じなんで気にしないでください」答える大吾の視線が僅かに揺れている。いくら人の感情に鈍い透でも、それが意味することに気付いた。先ほど見つけた抜け道について二人に話したいが、華のいないところで話せばどうなるか分からない。大吾はそれで迷って迷っているのだろう。いや、むしろさっさと警察にあの抜け道を調べてもらった方が華も諦めがつくかもしれない。


「あの……」抜け穴のことを舞子と水島さんに伝えるために声をかけようとした瞬間、


「お嬢さん、そろそろ」「ええ、では行きましょうか」


 二人は急に立ち上がった。透は中途半端な姿勢のままその場で固まる。その時、何かがポケットから転がり落ちた。優がそれを拾い上げる。


「透、何か落ちたよ」拾った物を透に渡そうとした優が目を丸くする。


「何これ?」


 それは鍵の付いたキーホルダーだった。と言っても、鍵の先に付いているのは普段「キーホルダー」と聞いて連想するようなものではなかった。鍵とリングでつながっているのは、よく見るとペットボトルの蓋を二つ繋ぎ合わせて色を塗っただけのものだった。


「ああ、それ」透は答える。「母さんが持たせてきたんだ」


 今朝のことだった。数日前、キーホルダーが壊れたと言っていた透に明美がこれを渡してきた。何でも、新しいキーホルダーを買うのを忘れていたため、急遽きゅうきょ作ったのだという。しかし、正直な所、透はいかにも「急ごしらえしました」と言わんばかりのこれがあまり気に入っていなかった。


「母さんったら言うんだ。『元からこんなキーホルダーですって顔で堂々としてれば大丈夫』って。でもさあ……さすがにこれはちょっと……」


「そうかな?」優が苦笑する。


「ペットボトルの蓋だって思わなければ別に気にならないんじゃないの?」


「母さんも父さんもそう言うんだけどね。先入観を捨てて別の角度から見れば違った見方が出てくる……」


 そこまで言った時、透の頭の中を電流が走った。今まで味わったことのない感覚が全身を駆け巡る。


(先入観を捨てて別の角度から見る……?)


 その言葉を心の中でもう一度繰り返した時、抜け道を見つけた時と同じ、いや、それ以上の感覚が襲ってきた。それまでずっと引っかかっていたも含めて全ての点が頭の中で一本の線となってつながっていく。


(だったら、あの密室は、本当は……)


 パズルのピースが全てはまった、そんな感覚がした次の瞬間、透は誰にともなく呟いていた。


「つながった……」


「え?」


「分かったんだ、全部。多分、犯人も」


「ええっ……!?」三人の唖然とした顔が見返してくる。


「本当なのかよ、透」大吾の問いかけに、透は必死の思いで頷く。


「だ、だったらすぐ警察に……」優がそこまで言った時、ポケットの中のスマホが震えた。発信者名を見て透はすぐに通話ボタンを押す。


「もしもし、華?」


 呼びかけたが、なぜか反応はない。幼なじみはまだ怒っているのだろうか。


「華、よく聞いて欲しいんだ。実は今、犯人が……」そこまで言って、透は電話の向こうが無音ではないことに気付いた。僅かだがうめき声のような音が聞こえる。嫌な予感がした。


「華? 華?」透がもう一度呼びかけた時、


『おい、このガキ、何やってるんだ!?』


 と野太い男の声がした。次いで鈍い音と共に、女の子の悲鳴が聞こえた。


「華!?」ただならぬ透の声に他の三人が身をこわばらせる。先ほどの男の『電話を切れ』という声がした直後、電話はぷつりと途切れた。しかし、切られる寸前に華が発した声ははっきりと聞き取れた。


『助けて、透!』

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