第8章 捜査禁止?

 首藤警部に名刺をもらったのは金曜日のことだった。そのことがきっかけとなったのかどうかは分からないが、その後も土曜、日曜と探偵団は自分たちなりの捜査を続けた。さすがにそれ以上警察からの情報は得られなかったが、近所の人(何となく脇坂老人は避けた)や通りすがりの人にそれとなく話を聞いてみたり、時にはこっそり現場の空き家やその周りを調べてみたりし、夕方には集まってそれぞれの成果を報告し合う、といった活動を二日にわたって続けた。結果、新しい情報こそ得られなかったものの、自分たちなりに事件を整理し、思いついたことを話してみるというのは意外と楽しかった。特に、透にとっては。

 これまで部屋や図書室に籠もって推理小説を読むことにほとんどの時間を費やしてきた透にとって、誰かと話すというのは新鮮な経験だった。まるでモノクロの世界が一気にカラーに変わっていくかのように視界が広がっていくのを感じた。日曜の昼、普段は二日あれば丸一冊は読み切る推理小説をこの土日はわずか30ページほどしか読んでいないことも気にならなかったし、その日の夕方、華の「また明日もねっ!」という言葉もすんなりと受け入れることができた。何も結論が出なくても、探偵団として活動することに何の疑いも抱かなかった。

 異変が起きたのは月曜の放課後だった。ホームルームが終わるのもそこそこに透たちが教室を出たところ、後ろから声が掛かった。

「待ちなさい」

 誰にとも言われなかったのに、なぜか自分たちに向けられた声だと透は直感的に思った。どうやら他の四人もそう感じたらしい。皆が一斉に声の主を振り返った。

 そこに一人の女子児童が立っていた。肩までまっすぐ伸びた黒髪、ぴんと伸びた背筋といい、定規で線を引いたような印象を与える。私服であるはずなのに、身につけた白いブラウスと黒と紺を混ぜ合わせたような色合いのスカートは、どこか名門のお嬢様学校の制服を感じさせた。

 ほぼ間違いなく自分たちと同じ六年生なのだろう、何度か顔を見かけた気がするが、名前は思い出せなかった。華も同様だったらしく、ぶしつけな調子で尋ねた。「……あんた誰?」

 女子児童は答えなかった。代わりに優がそっと耳打ちした。

「1組の黒羽くろはねさんだよ。黒羽舞子まいこさん」

 途端に華が怪訝な顔になった。

「何、優。あんた何でこの子の名前知ってんの? まさか好きだったりすんの?」

「ち、違うよ!? 何でって、黒羽さん、児童会長だからだよ。それに、書道とかスポーツでしょっちゅう表彰されてるし……」

 なるほど、児童会長か。それなら全校集会などで皆の前に立つ機会も多いだろうから、顔に何となく見覚えがあるのも納得できる。頻繁に表彰されているとなれば、なおさらだ。だが、児童会長が自分たちに何の用があるのか。透が抱いた疑問は、またしても華が口に出した。

「ふうん。で、その児童会長が何の用? あたしたち、これから急がなきゃいけないから、手短に済ましてほしいんだけど」

 あまりにも無遠慮な物言いだったが、舞子は特に気を悪くした様子もなかった。

「急がなければいけない、ですか。それは、先週の水曜日にこの近辺の空き家で起こった殺人事件に関することですか?」

「そうよ。なんてったってあたしたちは少年探偵団なんだから。何? もしかしてあんたも何か情報を教えてくれるの? それとも、あたしたち探偵団に入りたいとか?」

 華の声からは期待が滲み出ていた。透も次の言葉を待った。だが、舞子の口から出たのは予想だにしない言葉だった。

「やはりそうでしたか。では、手短に済ませましょう。結論から言いますと、これ以上警察の仕事に首を突っ込むのは止めなさい」

 一瞬、透は何を言われたのか分からなかった。静寂を破ったのはやはり華の声だった。

「……はぁ? 何言ってんのあんた」

「そのままの意味です。本来、殺人事件の捜査は警察が行うもの。そこに部外者、しかも小学生が介入するなど、見当違いもいいところです。それなのに、あなた方は事件現場の周囲を勝手に動き回り、あまつさえ警察の捜査に口出しをしているとのこと。これを首を突っ込むと言わずして何と言うのですか」

「ちょ、ちょっと待ってよ。部外者って何? あんたは知らないかもしれないけど、あたしと透は事件の第一発見者、ってやつなのよ。それに、あたしたち他にも大切な証言をしてるんだから……」

「大切な証言」舞子の声のトーンが少し低くなった。それと同時に、周りの温度も一気に数度下がったように透には感じられた。

「その証言というのは、あなた方二人が見ている間、現場となった空き家に被害者を含む何人も出入りしなかったという、あれですか。その結果、現場は密室になっていたと? 馬鹿馬鹿しい話も大概にしてください。そんなもの、あなた方が気付いていないだけで一瞬目を離した時に幸運にも犯人が脱出することができただけでしょう。あるいはもっと単純に、犯人はあなた方が鬼火とやらを目撃して現場に飛んでいく間に立ち去ったと考えればすむことです。それを、密室などという非合理的なものでいたずらに複雑化させようとは……あなた方の行動は事件の妨害でこそあれ、事件解決の助けには微塵もなっていません」

「な、何よ」華の声も一段と低くなる。まずいと透は思った。これは相当頭にきているサインだ。

「黙って聞いてりゃさっきから部外者部外者って。そういうあんたはどうなのよ。あんたの方こそ部外者なんじゃないの? 警察の身内でもないのに、何でそんな偉そうな口がきけるわけ?」

 痛い所をついてやったと言わんばかりの華。だが、それを嘲笑うように舞子は平然と答えた。

「警察の身内ですが」

「ええっ?」これには華だけでなく透も驚いた。

「け、警察の身内って……」

「私の父は県警捜査一課の課長です。父から聞いた話では、ここ数日、学校の近辺で起きた殺人事件のことを現場付近で尋ね回っている小学生が複数人いると保護者の方から指摘があったそうです。おそらくはこの学校の児童であろうということで、私が話をすると父に申し出たのです。遺体の第一発見者が2組の児童二人だと聞いていたので、もしやと思って話を聞きに来たのですが……どうやら当たりだったようですね。分かったのであれば、これ以上現場をかき回すのは止めるように。話は以上です」

 これ以上の議論は不要とばかりに踵を返す舞子。もちろん、負けん気の強い華がこのまま黙っている訳がない。その場を去ろうとする舞子の背中に怒りの声をぶつけた。

「待ちなさいよっ! 言ったでしょ、あたしたちは少年探偵団だって! 事件が起きたら解決するのが探偵の仕事でしょ! そもそも、殺された男が関わってたお化け騒動だってまだ解決してないんだし……」

 やにわに、舞子が振り向いた。今度こそ呆れたように鼻から息を吐き出すと、つかつかと透たちの元へと歩み寄り、華の目の前で立ち止まった。その目には、僅かな憤りの炎がちらついて見えた。

「弓長華さん。あなたは、実際の探偵の仕事がどのようなものなのかご存知ですか? 現実の探偵が行っている仕事内容は、浮気調査やペット探し、身元調査などがほとんどです。探偵が事件現場に足を踏み入れ、警察を差し置いて事件を解決するなど、創作の中だけの話。フィクションと現実を混同して絵空事を話すのも大概にしてください。それに近頃、複数の児童から不審な人影や鬼火とやらを目撃したとの情報が寄せられていることも把握しています。私が話を聞いただけでも、およそ二十人ほど」

「に、二十人……」透は驚いた。自分たちが聞いている人数とは数倍の差がある。お化け騒動について初めて聞いた日の翌日、華はあらゆる学年の児童にお化けについて尋ねて回ったが、結果はなしの礫だった。だが、あの中にその二十人がいなかったとは考えにくい。やはり華の聞き方が乱暴だったのだろうか。いや、それ以上に、他の人に話しづらいことでも相談できる、それほど舞子が周囲から信頼されているということなのかもしれない。

「ともかく、これ以上あなた方が事件の捜査に介入することは認めません。お化けがどうしたという点についても、実行犯と思われる人物が死亡した以上、何を調べることがありますか? あとはいもしなかったお化けに対し過敏になっている児童たちのケアのみ。これも私一人ですむことです。あなた方も警察の捜査に首を突っ込むのは止めるように。捜査の指揮を執っている首藤警部には父から話を通しておきます」

 では、と一言残すと、舞子は透たちに背を向けた。去り際、首を少し曲げて振り向くと、

「言っておきますが……私は何もあなた方が探偵の真似事をしているのを咎めている訳ではありません。お化け騒動にしろ何にしろ、あなた方が独自に動いたとしても別に構いません。ただ、警察の邪魔だけはしないように」

 それだけ言うと、舞子は今度こそ廊下を急いだ様子もなく去って行った。


「ねえ華。ホントに大丈夫?」優が周りを不安そうに見回しながら、今日、というよりこの30分で何度目になるか分からない問いを発した。それに対する華の返事も、これまた判で押したように同じ言葉が繰り返されるばかりだった。

「くどいわねー。何回も言ってるでしょ。あたしの直感が大丈夫って言ってるって。まさか、石頭の先生たちやあのお高くとまった児童会長だってこんなとこまでは嗅ぎつけてこないでしょ」

「それはそうなんだけどさ」それでも、優は未だに辺りを気にしていた。

「何か怖いよ、この辺。僕らみたいな小学生がずっといたら、逆に目立たないかな」

 透も優の言うとおりだと思った。上を見れば抜けるような青空なのに、周りの景色は奇妙に淀んで、黒ずんだ何かがこびりついているように見えた。通りには自分たち以外、誰もいないはずなのに、何故かどこからか監視されているようにすら感じる。今にも物陰から得体の知れない何かが飛び出してきてもおかしくない、そんな雰囲気だった。

 現在、五人は被害者、明石英彦が住んでいる――正確には住んでいた――アパートの付近を歩いていた。元々は今日も現場である空き家の周囲を調べるつもりだったのだが、児童会長から止めるよう言われてしまった以上、現場での捜査は諦めざるを得なかった。もちろん、華がそれに大人しく従うはずがない。無理矢理にでも現場に行こうとする所を何とか押しとどめ、その代わりに、という訳ではないが明石の家の周りに何かあるかもしれないということで今日はそちらへ赴くことになった。

 警察から話を聞かなくても、明石も横川町に住んでいたことは五人とも新聞やニュースの報道で知っていた。明石のアパートは小学校からさらに西、町を南北に流れる   松江まつえ川を渡った一帯にあるということだったが、いざ足を踏み入れてみると、その異様な空気に透は肌を刺されるような感覚を覚えた。

 周りに建つ家は、さすがに木造建築ではなく、現場の空き家や脇坂老人の家よりは明らかに新しいコンクリート建てではあったが、全体的にどこか煤けたような印象を与えた。人の気配、というか温かみのようなものがまるで感じられず、なるほど優の言うとおり、この辺りを小学生が歩いているのは場違いに思えた。

 しかし、華にとってはそんなことは大した問題ではないらしい。

「うーん、アパートなんて見当たらないけど……あ、もしかしてここじゃない?」

 と、立ち止まったのは、今にも崩れそうな、としか表現のしようがないくらい年季の入った二階建ての建物の前だった。元からそのような塗装だったのか、それとも年月を経る内にそうなっていったのか定かではないが、壁といい柱といい浮き出た錆で赤茶色に染まっていた。見たところ部屋は一階に五部屋、二階と合わせて合計十部屋あることになる。いくつかの部屋の前に自転車や植木鉢が置いてある所を見ると、幾部屋かに人が住んでいるのは確実なようだが、それでも人気ひとけは全くと言っていいほど感じられなかった。その廃墟然とした様子を見て華が呟きを漏らす。

「うへえ、何よこれ……あの空き家よりこっちの方がよっぽどお化けが出そうじゃない」

 と、かなり失礼なセリフを吐きながらアパートへと近づいていく。透も何気なくそれに続こうとした。そのとき、透は翼の様子が妙なことに気付いた。今し方自分たちが来た方向とは別の道、右側の路地をじっと見つめている。

「どうしたの、翼?」気になって声を掛けると、翼は今透に気付いたかのように振り向いた。

「いや、何でもない。少し気になることがあっただけだ」

「気になること?」

「自分でも確信がないから忘れてくれ。私は確かな証拠がないことは決して口にしない主義だ」

 それだけ言って翼はそっぽを向く。いつもの翼にしては煮え切らない態度だ、そう思ったとき、不意に聞こえた声が透を現実に引き戻した。

「痛い、痛いってば! ちょっと、何すんのよ、放して!」

 慌てて声のした方を見ると、いつの間に現れたのか、一人の老婆がそこにいた。ボサボサで伸ばしっぱなしにしたような白髪頭、身長は大柄な大吾より少し低いくらいのその老婆は、鬼の形相で華の腕をつかんでいた。その光景を見る前から、悲鳴を上げたのが華であることは分かっていた。

 華に抗議されても、老婆は腕をつかむ手を緩める様子はなかった。見開いた目により一層の怒りを浮かび上がらせ、老婆は唾を飛ばしながら聞き取りにくいしゃがれ声で怒鳴った。

「何が離せだい! 警察がやっと帰って、マスコミや野次馬の詮索もようやく終わったと思ったら、今度はこんな子供まで! ああ、やだやだ、全く、あのチンピラのせいでうちのアパートは大迷惑だよっ」

「ま、待ってください」慌てて優が止めに入る。ひとまずは謝った方が賢明だと考えたらしく、老婆に向かって頭を下げる。

「ごめんなさい、でも、僕たち……」

「ちょっと、優、何謝ってんの! こっちは何も悪いことなんかしてないでしょっ!」その様子を見た華が不満げに吠える。優はそれをやんわりと押しとどめて、

「いいから。でもお婆さん、僕たち別に冷やかしとかでここに来たわけじゃないんです。僕たち、少年探偵団なんです。あの事件のことを調べに来たんです」

 その言葉を聞いて納得してくれたのかどうかは分からないが、老婆はようやく華の腕を放した。だが、それでも警戒は解いていないらしく、胡乱うろんげな目で透たちをジロリとめつけた。

「フン、探偵? 探偵が一体何の用だい。言っておくけど、あたしだって大したことを知ってるわけじゃないからね。あたしが話せるのは、あの男が金にだらしなかったってことだけさ。あの男と来たら、ちょっと金が入ったら、家賃や借金は返すけど、残りは全部酒やギャンブルに使っちまうんだから。全く、金を貯めるってことを知しやしない。いや、しなかったって言うべきかもね」

 どうやら、老婆はこのアパートの大家らしい。だが、話す内容はどちらかと言えば愚痴に近かった。どうやら、明石とは家賃のやり取りくらいしか接点がなかったらしい。この人に聞いてもあまり収穫はなさそうだな、透はそう思った。話を切り上げようとしたとき、大家は気になることを言った。

「あのときだってそうさ。車を売ったからってその金を特に考えもしないでパーッと使っちまうなんて。全く、あのときの金の半分でも残しておいたら、次の月の家賃だってさっさと払えたはずなのに」

「へえ。あの人車売っちゃったことがあるんですか」何の気なしに透は尋ねる。

「ああ、そうさ。3,4年前のことだったかな。それまで真っ赤な色した派手な車を乗り回してたんだけどね。あるとき急に乗らなくなったかと思うと、それからしばらくして見かけなくなったから車はどうしたんだって聞いたら売ったって。その時も、別にちょっと気になったから聞いただけなのに、すごい剣幕で『それがどうした』って噛みついてきてねえ。今思えば、普段からあまり態度のよろしくない人だったよ。最近は何してるのかと思ったら、まさか小さい子供たちを脅かしてたなんて……」

 そう言って大家はため息を吐いた。何気ない話のはずだったが、透は何か引っかかるものを覚えた。

(そう言えば、明石って人、免許を持ってたな。大家さんの話じゃ、その時は別にお金に困ってた訳じゃないみたいなのに、どうして車を売ったりなんかしたんだろう。それに車をどうしたか聞かれただけでそんなに怒るなんて……)


 大家からは、それ以上の話は聞き出せなかった。最初こそ気が立っていた大家だったが、話している内に落ち着いてきたのか、その場を去る時には最初ほどの刺々しさは残っていなかった。

 こんな所、子供はもう来ちゃいけないよ。大家の言葉を背中に聞きながら、五人はアパ-トを立ち去った。角を曲がってから、大吾が呻いた。

「あの婆ちゃんには悪いけど、あんまり役に立つ情報じゃなかったな」

「やっぱりあの空き家に何かあるはずよ」華が言った。

「今日一日大人しくしてたって思わせとけば、先生たちだって何も言わないはず。よしっ、明日からまた現場よっ!」


 しかし、その希望はわずか一日で打ち砕かれた。

 翌日の昼休み、透たちは職員室横の会議室に呼び出されていた。この部屋に入ってから既に10分近くが経過しているが、未だに部屋中に響く怒鳴り声が止む様子はない。顔こそ見えないものの、斜め後ろで立っている担任の樽井先生も困惑しているようだった。

 昼休みが始まってすぐ、樽井先生がやけに固い表情で五人を呼びに来た。この時点では、またしても小言を言われるだけだろうぐらいに透は思っていた。昨日の話を聞く限り、舞子は先生からの信頼も相当に厚いらしい。おそらく、舞子が改めて担任からも釘を刺しておくよう樽井先生に頼んだのだろう。

 だが、会議室に通されると状況は一変した。待っていたのは教頭先生だった。

 横川小学校の教頭は、赤峰あかみね治三郎じさぶろうというやたら仰々しい名前の、神経質そうな五十代だった。赴任してきたのは3年前らしいが、透は今回初めて名前を知った。それくらい、透は教頭と接点はなく、従って急に呼び出される理由も分からなかった。

 五人揃って教頭の前に立たされると、困惑はさらに深まった。五人を自分の前に整列させるや否や、教頭は低い声で問いかけてきた。

「最近起こった殺人事件のことを嗅ぎ回っているというのは本当か」

「え?」思わず素っ頓狂な声が出る透、その横で優がおずおずと尋ねようとする。

「え、えーと、すみません、何でそんなこと……」

「質問しているのはこちらだ」教頭は優の言葉を遮り、こちらを睨み付けてきた。

「どうなんだ、え?」

 最初の質問よりも口調が高圧的になったように感じる。数秒の間、痛いほどの沈黙が流れた。皆の顔を見たいが、責めてくるような教頭の顔、いや目線から目を逸らすことができない。教頭は苛立たしげに右手でペンをもてあそびながら、射るような視線をこちらに向けている。やがて、優が躊躇いがちに口を開いた。

「は、はい、行きました。でも……」

 そこから先のセリフを発することはできなかった。優の声は、教頭の怒鳴り声にかき消された。

「ふざけるなっ! 子供がそんなことをしてタダで済むとでも思っているのかっ!」

 あまりの大声に透は思わずびくついた。いきなり怒鳴りつけられたことが衝撃で、その言葉の意味まで理解する余裕まではなかった。しかし、頭が情報を処理する前に、赤峰教頭のさらなる怒鳴り声が五人に浴びせられた。

「君たちは一体警察の捜査を何だと思っているっ! 子供が大人の仕事にしゃしゃり出てきて許されるとでも思っているのかっ! そのような行為など我が校の児童としてあるまじき……」

 そこからは教頭の怒鳴り声が延々と続いた。その怒り方たるや、顔を真っ赤にして目はつり上がり、まるで誰にも口を挟ませまいと決めているようであった。5分もしない内に透は耳が痛くなってきたが、それに気付いているのかいないのか、教頭は怒鳴り続けていた。いかなる言い訳も反論も許されず、ただ時間だけが過ぎていった。

「あ、あの、教頭先生。お怒りの気持ちも分からなくはありませんが、ここは大目に見ていただけないでしょうか。この子たちだって悪気があってやった訳ではないでしょうし、まだ小学生なんですからそこまで頭ごなしに怒らなくても……」

 さすがに怒り方が度を過ぎていると感じたのか、教頭の言葉が一瞬途切れたタイミングで樽井先生がおそるおそるといった様子で口を挟んだ。が、教頭の怒りは収まらなかった。それどころか、教頭はより一層表情を険しくして怒りの矛先を樽井先生にまで向けた。

「何を言ってるんですかっ! 樽井先生、そもそも児童の監督は担任であるあなたの仕事でしょう、それができていないから、あなたの児童がこんな非行に走ったんじゃないんですか! 普段から児童の様子に気を配っていれば、こんなことにはならなかったはずです!」

 まるで自分たちが不良であるかのような教頭の物言いに、さすがの透もムッとした。普段はどちらかと言えば気弱な樽井先生も同じように感じたらしく、少し怒ったような口調で言い返した。

「非行って……確かに彼らは夜中に学校に忍び込んだり、殺人事件が起こった場所に近づいたりしました。私もそのことで彼らを叱りましたが、それはこの子たちの安全を思ってのことです。別に彼らが探偵の真似事をしたからといって、そこまで目くじらを立てるほどのことじゃないでしょう。そもそも、今私が気を配っていればと仰いましたが、教頭先生はどなたから彼らのことをお聞きになったんですか」

「それは……」なぜか一瞬、教頭は言い淀むような素振りを見せた。だが、すぐに元の尊大な調子に戻って言った。

「保護者から通報があったんです。『殺人事件の被害者宅の周りをうろついている子供がいる』とね。どうしてそんなことがお知りになりたいんです」

「保護者?」なぜか樽井先生が怪訝そうな声になる。

「ええ。何か問題がありますか。第一、今はそんなことは関係な……」教頭がそこまで言った時、昼休み終了5分前のチャイムが鳴った。透は思わずホッと息を吐いた。教頭はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、やがて鼻から大きく息を吐き出すと、

「いいか、もうこれ以上殺人現場やその関係先に近づくんじゃない! もしまたお前たちがそんなことをしたと聞いたら今度こそタダじゃおかないからな! 分かったならさっさと行け!」

 と言って鼻息も荒く五人と樽井先生を部屋の外に追い出した。背後で勢いよく扉が閉じられる。そのタイミングを待っていたかのように華が口を開いた。

「な……何なのよあれ! あ、あんな態度、あんまりじゃない!」

「全くだよなあ」大吾がため息を吐く。

「最後なんか俺たちのこと『お前』呼ばわりしてたぜ。あれはちょっと言い過ぎじゃねえのか」

「いいえ。ちょっとどころじゃないわ」その時、突如として樽井先生が声を張り上げた。

「確かに教頭先生はちょっとしたことで怒鳴ったりするわ。それもどうかと思うんだけど、あんな風に子供を一方的に怒鳴りつけるのはどうなのかしら。それに、ああやって子供の自主性を否定するような言い方をするなんて、ひど過ぎるわ」そこまで一息に言い切ると、樽井先生はそれまで一緒に横並びで歩いていた透たちの前に回り込み、正面から向き合った。

「ねえ、皆。先生はあなたたちが探偵だと名乗ってやってきたことの全部がやっても構わないことだとは思ってないわ。夜中に学校に忍び込んだり、犯罪……とまで言えるかどうか分からないけど、あまり良くないことに関わっていた人の家に近づくなんて絶対に駄目。でも、さっき教頭先生が仰ったようなことを全部真に受ける必要もないわ。があなたたち自分の頭で考えてやりたいと思ったことなんだったら、先生は応援する。それが、先生の考える教師のあり方だと思うから」

 と、静かに告げた。普段通りあまり抑揚を感じさせない声だったが、その口調はどこか熱っぽい響きを帯びており、透たちをまっすぐ見つめる目には真剣な光が宿っていた。

「先生……」華が囁くような声を漏らした。珍しく先生の話を素直に受け止めているようだ。ただし、と先生はそれまでとはまた違った真剣さを持った目で続けた。

「これまで何度も言ってるように、危ないことだけは絶対にしないで。もしあなたたちに何かあったら、先生だけじゃなくてあなたたちのご家族や友達、皆が悲しむことになるから」

 じゃあ先生は授業の準備をしてくるから、あなたたちは先に教室に戻ってなさい。そう言って樽井先生は職員室の方向に歩いていく。その背中に、透はふと疑問に思ったことをぶつけてみた。

「そういえば、先生。僕たちが明石――殺された人の家の近くに行ったことを教頭先生から聞いたとき、何か言いたそうだったけど、何かあったんですか」

「え? ああ、そのことなんだけどね」振り返った樽井先生はそこで言葉を切ると、一瞬迷う素振りを見せてから口を開いた。

「あのとき、教頭先生は『保護者から通報があった』って仰ってたでしょう。でも、うちの児童であの辺りに住んでいる子なんていたかしらと思ってね。そこがちょっと引っかかったの……」


 翌日の夕方、透は自分の部屋のベッドに寝転がり、何をするでもなくただ天井を見つめていた。手探りで枕の周囲を窺い、手に当たった本を目の前にかざすが、つい最近読み終えたばかりのものであると気付いて元あった場所に戻す。決して広いとは言えない部屋の中は、床と言わず勉強机や箪笥の上と言わず推理小説が所狭しと積み上げられていたが、その中からまだ読んでいないものを見つけ出す気は不思議と起きなかった。帰宅してからというもの、舞子や教頭の言葉がずっと頭の中を駆け巡っていた。

 昨日、教頭にあそこまで大目玉を食らった以上、さすがに目立つ行動を取ることは難しかった。それでも教頭は透たちのことが信用できないらしく、授業中や休み時間にどこからともなく現れては睨むような視線を皆に向けてくる、ということを一日に何度も繰り返していた。まるで見張られているみたいだとクラスメートたちが噂している姿を何度も見かけた。しかし、透には分かっていた――「みたい」ではなく、透たちがまた事件に関わろうとしないか本当に見張っているのだと。

 普段とは異なり読書に没頭していなかったからか、いつもは中々気付かない階下からの声にもすぐに気付いた。透は億劫そうにベッドから起き上がると、本の山を崩さないように気を付けながら部屋を出た。

 一階のリビングに降りると、すぐ横のキッチンから母の明美が顔を覗かせた。息子の姿を見てホッとした表情を浮かべる。

「ああ、良かった透、聞こえたのね。悪いんだけど、今からお醤油と牛乳買って来てくれない?」そう言って中身がほとんど空になった醤油のボトルを振る。

「今から?」透は少し驚いて壁に掛かった時計を見た。時刻は6時を10分ほど過ぎた頃。五月のこの時期ならまだ外は明るく、小学生が一人で出歩いても問題はなさそうである。それよりも透にとっては、普段から用意周到な母が醤油と牛乳が足りていないことに今の今まで気付かなかったことの方が意外だった。そんな息子の心を読み取ったかのように明美がバツの悪そうな顔になる。

「買い物に出かける時にチェックするのを忘れちゃったの。千円あれば足りると思うから、急いで駅前のスーパーまでお願い。自転車で行けばそんなに時間はかからないと思うわ」

「うん、分かった」

 透は二つ返事で承知した。明日の朝飲む分の牛乳が無いのも困るし、このまま部屋に戻って本を読む気にもなれない。気分転換にはちょうど良いかもしれなかった。

 透が玄関で出かける支度をしていると、玄関扉の開く音がした。

「ただいま……ってどうした透、こんな時間に出かけるのか」

「父さん」靴を履き終えた透は顔を上げる。「うん。母さん、醤油と牛乳を買うの忘れちゃったんだって」

「そうか。母さん、時々うっかりしてるからな」父の智也ともやはそう言って苦笑した。今年38歳になる父は母より2歳年上だが、身長は2センチ程低い。おまけに最近突き出てきた腹のため、長身の明美と並ぶと余計に背が低く見える。市役所での勤めを終えて駅から家までの道のりを歩いてきたらしく、額にはうっすら汗が浮かんでいる。

「自転車で行くのか?」

「そっちの方が早いからそうしていけって」

「そうか。気を付けてな」

 自分と入れ替わりに玄関へと入っていく父に適当な返事を返しながら、透は去年買ってもらったばかりの自転車にまたがった。

 明美の言ったとおり、駅前のスーパーまでは自転車で10分もかからなかった。買い物を終えて店を出ると、透は来た道とは反対の方向に自転車を向けた。横川町は山の麓に位置していることもあり、傾斜の付いた道が多い。そのため、比較的平坦になっている行きと違って、帰りは少し遠回りでも別の道を通った方が楽だった。駅から少し上った所にある坂を自転車で駆け下りればすぐ家の近くであり、また帰宅ラッシュで混み合った大通りを通る必要もなかった。かなりのスピードが出るため人や車とぶつかる危険性もあり、大人たちはあまりその道を使わないよう呼びかけていたが、やはり楽ということもあって透を含む多くの子供たちは――自分たちなりに気を付けながら――自転車に乗っている時はその道を使っていた。しかし、今、透には別の不安があった。

(途中で「あそこ」の近くを通るけど……大丈夫かなぁ)

 坂を下りて平坦な道をしばらく行った所には、先日起こった殺人事件の現場となった空き家があるのだった。透たちが捜査をしていたことは、今や多くの人に知れわたっている。いつまた誰かに見つかって先生や警察に報告されないとも限らない。誰にも出くわさないことを祈りながら現場近くの公園にさしかかった時だった。

「透っ!」

 聞き慣れた声が横からかかった。反射的に透は自転車のブレーキをかける。間髪を入れず、通りに面した東屋あずまやからショートカットの幼なじみが顔を出した。

「何してんの、こんなとこで」

「お使いだよ。華の方こそ何してるんだよ。また見つかったら怒られるぞ」

「ふん、先生が怖くて探偵ができるわけないじゃない」華は自信満々に言い切ってから、一転して苦々しげな表情になった。「一人だけでも何かつかんでやろうと思ったのに、この子に見つかっちゃって」

「この子?」そこで初めて透は、華の他にももう一人誰かいることに気付く。思わず「あ」と声が漏れた。黒髪に切れ長の目、制服を上品に着こなしたような服装。児童会長の黒羽舞子が華と並んで腰掛けていた。舞子がやれやれといった様子でため息を吐く。

「言ったはずですよね。これ以上警察の仕事を邪魔するような真似はするなと。それともまだ、現場は密室だったとでも信じているのですか」

「そーよ、悪い? そっちこそ、教頭まで引っ張り出してくるなんて、そこまでしてあたしたちにうろちょろしてほしくないわけ?」

 舞子をキッと睨み据えて言い返す華。だが、その言葉に対して舞子は怪訝そうな顔をした。

「教頭先生? 私は先生方のどなたにもあなた方のことはお話ししていませんよ。わざわざ申し上げるまでのことでもないと思いましたので」

「はあ?」今度は華が怪訝そうな顔をする番だった。声こそ出さなかったものの、自分も同じような顔をしているに違いないと透は思った。

「でも、昨日の昼間、あたしたち教頭に呼び出されてこってり絞られたのよ。もう探偵の真似事はするなって」

「教頭先生がそんなことを……ですが、言いましたよね。私は、警察の捜査の邪魔さえしなければあなた方が何をしようと別に構わないという考えですから」

「待って」透は思わず口を挟んだ。

「じゃあ、僕らが黒羽さんと教頭先生に二日連続で怒られたことは関係ないっていうの?」

「ええ。」

 舞子はそう言った後、腕時計に目をやるとやおら立ち上がった。

「もうこんな時間でしたか。少々長居し過ぎてしまいましたね」

「長居って、どこ行くのよ」

 華の問いに、児童会長はこともなげに答えた。

「フランス語の教室です」

「フッ……!」

 思いもかけない言葉に、透は思わず華と顔を見合わせた。舞子はそんな反応には慣れているかのように説明を加える。

「元々この近隣の英語教室に通っていたのですが、授業の内容をほとんど終えてしまった所、先生がフランスにも留学経験があるというだったので、他の方々と時間をずらして個別に教わることにしたのです。では」舞子はそれだけ言うと、公園の出口に向かって歩いていこうとした。数歩歩いた所で立ち止まり、透と華を一瞥いちべつすると、

「もう一度だけ言っておきます。動き回るのは自由ですが、警察の捜査の邪魔になるようなことはしないように。これが最後ですよ」

 冷たく、だがしっかりした声音で忠告すると、公園を去っていった。二日前と同じく、二人の方は一度も振り返らずに。

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