第11章 全ての真実
赤峰教頭がお化け騒動の件で警察に連行された後、一同は透の言葉に従って現場の空き家へと向かった。なぜかまだその場に残っていた舞子と水島さんも加わり、全員で現場の隣の空き家、その庭へと入る。透が自分の発見を説明し、大吾が隠された抜け道を明らかにして見せると、大人たちの口から驚きの声が漏れた。
「信じられん。まさか隣の庭にこんなものが隠されていたとは……盲点だった……」
首藤警部は無念そうに呟いて天を仰いだが、すぐに気を取り直して部下に調査の手配を命じた。
二人の刑事が慌てて通りの向こうに消えていくと、警部は「さて」と透に向き直った。
「透君。君の推理では、明石も犯人もこの抜け道を通って現場に出入りした。だから学校から見ていた君たちの目には誰の姿も映らず、結果として密室が出来上がった、そういうことだね」
その姿を見て、華はかすかな疑問を抱いた。いくら筋が通っていると言っても、どうして警部は出会って数日の小学生をここまで信用するのだろう。もしかして二人の間には自分の知らない何かがあるのではないか――そこまで考えて、華は慌てて意識を現実へと引き戻した。今は目の前の事件に集中するべきだ。
「はい」透は大きく頷いた。
「だけど、それだと説明のつかないことが一つだけあるんです」
「説明のつかないこと?」
「はい。ずっとそれが気になってたけど、やっとそれが解けました」
「何よ、気になってたって」思わず華は口を挟んだ。
「今さら密室だったことが不思議だって言いたいの?」
適当に口にした「密室」という言葉だったが、意外なことに透は首を縦に振った。
「そうだよ。この家が密室だった意味がずっと分からなかったんだ。だって考えてみてよ。皆がここを密室だと思ったのは、抜け道が僕と華から見えなかったからだよね。だとしたら、犯人はどこでそれを知ったんだろう? 僕たちが学校から見ていることを知らないと、あの密室は成り立たないよね?」
「あっ」ようやく華にも、透の言わんとしていることが分かった。確かに、自分たちがあの晩、学校から空き家を見張ることを決めたのはその日の夕方、しかも周りに探偵団以外の人物がいない時だ。それを犯人が事前に知り、犯罪計画に
「ま、まさか!」華は優、大吾、翼の方を音がしそうな勢いで向いた。「あの三人の中に裏切り者が!? それが犯人に漏れて……」
「違うって」透がやんわりと制止してくる。「それだったら、学校に忍び込む前に先生に見つかってるでしょ」
「そ、それもそうね。それくらい分かってたわよ」華は慌てて視線を逸らす。さすがにばつが悪くて三人の方を見る気になれない。
「ふうむ。君たちの行動の上、密室が成り立っている、か」再び透の相手は首藤警部に戻った。
「それは
「考えられることは一つしかありません」透はきっぱりした口調で言い切る。
「あの密室は偶然できたものだった……つまり、犯人が作りたかったものは密室じゃなかったんです」
「密室じゃなかった? では、犯人は密室以外の何かを作ろうとしていたというのか。それは一体何なんだ?」
「あの状況から密室以外に考えられるトリックは一つだけです」透はそこで一旦言葉を切ると、全員を眺め渡してから「答え」を口にした。
「犯人が作りたかったもの、それは……アリバイです」
その瞬間聞こえた音が、うなり声だと気付くまでに数秒かかった。声の主である警部はしてやられたと言いたげな表情で呻いた。
「そうか……それは気づかなかった……!」
しかし、華にとってはそれどころではなかった。どうか自分以外にも同じ人間がいることを願いながら、華はおそるおそる質問をぶつけた。
「え、えーと……透、その、“ありばい”って何?」
「嘘でしょ華、アリバイを知らないの?」透はこちらがカチンとくるような言い方で驚いてみせると、「アリバイ」についてごく簡単に教えてくれた。
「アリバイっていうのは……分かりやすく言うと、『現場不在証明』だよ」
「ああ、なるほど。ゲンバフザ……って」
と、そこで華は思わず透に食ってかかる。
「なおさら分かんないわよっ! もっと分かりやす教えなさいよっ!」
全く、今のような説明で通じると思ったのか。一方の透はしどろもどろになりながら「いや、でも、アリバイはアリバイだし」とか何とか呟いている。そこに助け船を出したのは優だった。
「あのね、華。アリバイっていうのは、要するに犯人が犯行現場にいなかったり行けなかったりすることだよ。例えば、東京で犯行があった時犯人は大阪にいたとか、犯人が一人でいた時間は五分だけだけど現場までは一時間かかるとか、そういうことを言うんだ」
ってことでいいんだよね、透? と優は透に目を向ける。話をふられた透は慌てた様子でコクコクと頷いた。
「なるほど、だから『現場に
「だけど、透」そこで大吾が疑問を口にした。「それがどうしてアリバイになるんだよ」
それは華も思っていたことだった。それに透よりも先に答えたのは翼だった。
「この抜け道を使えば誰にも見られることなく移動できる。結果としてアリバイが成立する。そういうことか、森」
「あっ!」華は大吾、優と顔を見合わせる。透が大きく頷いたことがそれを証明していた。
「そういうこと。抜け道を通って移動すれば、信号で停まったり、工事で遠回りしたりすることもない。誰かに見られたり防犯カメラに映ることもない。結果、犯人にはアリバイができあがる」
「距離によっては往復することで余計時間がかかりそうだが」と警部。
それに対しても、翼が答えを出した。しゃがみ込んで地面に落ちていた二枚の葉を拾い上げると、たっぷり十秒ほどそれらを観察し、
「どうやら往復する必要はないようだな。こっちの葉は水辺に生えているものだが、もう片方は山の常緑樹の葉だ。どちらもこの庭には見当たらないし、第一同じ場所に生息しているはずがない。おそらく明石や犯人の服や靴に付着していたものが落ちたのだろう。どうやらこの抜け道の出入り口はここ以外にも複数あるようだな」
「ってことは、どっかから入ってそのまま別の出入り口に突っ切ることもできるってわけか」大吾がようやく納得いったという風な表情を見せる。トリックを暴いた透もそこまでは考えつかなかったらしく、しきりに感心した様子を見せていた。
「なるほど、君の言うことは分かった」首藤警部がここまでの話をまとめるように一歩前に出る。
「しかし、弱ったな。透君の推理が本当だとすると、犯人は犯行時刻のアリバイを主張していることになる。だが、これまで調べた者の中にはっきりとしたアリバイがある者は……」
「ええ、だから犯人は先手を打ったんです」
「先手?」
「はい。犯人は自分の立場上、アリバイとまでは行かなくても、犯行時刻にどこで何をしてたか聞かれることは予想してたんでしょう。だから警部に質問された時、その日の行動を細かく話すことでさり気なく自分のアリバイをアピールしたんです」
「立場上? さり気なく?」透が誰のことを言っているのか分かったらしく、警部の顔色が目に見えて変わった。そして、華にも。
「ま、まさか!」
「ええ」そこで透はくるりと体の向きを変えると、その人物に正面から向き合った。
「そうですよね、水島さん」
しばらくの間、誰も口をきかなかった。実際には一分どころか三十秒も経っていなかっただろう。だが、透にはそれが何十年もかかったように思えた。
「そ、そんな……水島さんが犯人だなんて、信じられない……」
やがて、ゆっくりと優が口を開いた。しかし、その口調は信じられないというより信じたくないといった感じだった。
優の気持ちは分かる。自分も初めてこの結論に達した時は推理を間違ったのではないかと本気で考えた。だが、それから時間をおいて考えてみた結果、水島さんが犯人だという推理はよりはっきりしたものになっていた。
「だけど優、あの時の水島さんはこう言ってたよね。『隣町に出かけていて、夜八時過ぎに横川に帰ってきた後、友達の家と駅前のコンビニに寄ってから家に帰った』って。でもこれって、よく考えたら変なんだ。普通に『非番で出かけてたけど、誰も見なかった』って言えばいいのに、わざわざこんなに詳しく言う必要はあったのかな? でもそれも、アリバイトリックのためだって考えたら辻褄が合うんだ」
「そっか」優が納得したように呟く。しかし、その声は暗いままだった。
「警察が後でその友達の家やコンビニに行って、インターホンや防犯カメラに姿が映っていれば、水島さんのアリバイは出来上がる」
「だが待て」今度は翼が疑問を挟む。
「確かあの時、彼は自転車で外出したと言っていたぞ。この中がどうなっているか知らんが、自転車で通れるものなのか?」
「自転車が二台あれば? 片方で入り口まで行った後、あらかじめ出口の近くに隠しておいたもう片方で駅まで行く。入り口の近くに隠した一台目は後でこっそり回収すれば問題はないんじゃないかな。念のため色も形も同じか似ているものを二台用意してね」
その言葉で、翼も一応は納得したように引き下がった。すると今度は、今までずっと黙っていた樽井先生が口を開く。
「ちょっと待って、森君。あなたの言う通り、こちらのお巡りさんが犯人だとして、どうやって殺された人がこの空き家に来るタイミングを知ったの? あなたと弓長さんはその人が電話で話しているのを聞いたから時間が分かったんだろうけど、この人もその場にいたのかしら?」
「その問題ももう解決してます、先生。水島さんには、明石があの日の夜八時半に来ることが予想できていたんです。次に狙われている子どもに見当が着いたから」
「次に狙われている子ども?」
「ええ。その子は僕と華に教えてくれたんです。この近くの英語教室に通ってるって、ちょうど昨日ね」
そう言って透は、その子の方に視線を移す。ほぼ同時に華も同じ方向に目を向けた。
「私のことですか」舞子の表情は先ほどと何も変わらないように見えた。しかし、名指しされたことを少なからず意外に思っていることは確かだった。
「確かに、私はこの近隣の英語教室に通っています。毎週水曜日にね。ですが、それがどうしてお化け騒動につながるのですか。騒動の犯人が指定されたのは八時半ですよね。数ヶ月前ならともかく、現在私はその時間にあの場所は……あ」
そこで舞子は何かに気付いたように言葉を切る。それに被せるように華が「ああっ!」と声を上げた。その様子を見て透は口元が緩むのを感じた。
「そう。黒羽さんは今も昔も同じ英語教室に通ってる。でも、カリキュラムを他の人より早く終えてしまったから、時間をずらして先生から個別にフランス語を教わることにした。黒羽さん、今『数ヶ月前』って言ったけど、君がフランス語を習い始めたのは正確にはいつ?」
「二ヶ月前、今年の春休みからです。そう言えば、英語を習っていた時、帰りにこの付近を通っていたのは八時半頃でした」
「やっぱり。あの時明石に電話していたのは教頭先生でまず間違いない。教頭先生は、黒羽さんが毎週水曜日、八時半くらいにこの近くを通ってるってことを知って、そこで黒羽さんを脅かすよう明石に指示した。え、黒羽さんを狙った理由? 多分、黒羽さんが児童会長としてお化けを怖がる子たちの相談に乗ってたのが邪魔だったんじゃないかな。でも、二ヶ月前から通る時間が変わったことまでは教頭先生も知らなかった。だから、時間がずれて黒羽さんが鬼火を見ることはなかった」
透の一息の説明に、一人を除いて全員が呆気に取られていた。普段から表情の変化が乏しい翼や舞子も引き込まれているように見える。透は唯一の例外、自分が犯人だと名指しした人物に目をやる。
水島さんの表情は、これまでと何も変わっていないように見えた。しかし、その顔からはスポイトで吸い取ったように感情が消えていた。今、水島さんが何を思っているのか、透には分からなかった。
「では」警部の声で、透は我に返る。警部がまじまじと透の顔を覗き込んでいた。
「これまでの話をまとめると、どういうことになるのかね」
「は、はい」透は声が裏返りそうになるのを抑えながら、必死で言葉を探した。授業中に当てられた時でもこんなに緊張することはない。
「ええとですね、まず水島さんは自転車を二台用意して、一台を出口に決めておいた場所の近くに隠したんです。そして事件のあった日、明石があの空き家でお化け騒動を起こすことを予想して、犯行を実行した。最初に友達の家を訪れた後、自転車で入り口の所まで行くと、自転車はその辺りに隠して、抜け道からここまで来た。そこで明石を殺害すると、また抜け道に入って今度は別の出入り口から出る。そのまま隠しておいた自転車で駅前のコンビニに行く。後で警察にそのことを話せば、確認のためにその場所が全て調べられて、自動的に水島さんのアリバイは出来上がり。きっと、こういう流れだったんだと思います」
「なるほど、一応筋は通っているな」首藤警部は腕組みしながら納得したように頷いた。
「しかし残念だが、それだけでは不十分だな。彼が犯人だという、はっきりとした証拠がなければ……」
その言葉も透には予想済みだった。「はい。証拠もあります。それに気付いた時、ずっと分からなかったもう一つの謎も解けました」
「何!?」首藤警部は愕然として目を見開いた。警部だけではない。その言葉にそれまで黙っていた水島さんもハッと顔を上げた。
透は足の震えと戦いながら、カバンからハンカチを取り出す。それを開くと、中から白い紐のようなものが二つ出てきた。それを見て樽井先生が訝しげに呟く。
「それは……靴紐?」
それを聞くやいなや、水島さんの顔色がはっきりと変わった。それを横目で確認しながら、透は話を続ける。
「はい。この靴紐がこの家の庭に落ちていたんです」
「でも、何でこれが証拠に……? それに、もう一つの謎って?」
「あっ、分かったぁ!」華が出し抜けに大声を上げる。
「明石の靴ね」
「その通り」透は満足げに頷く。
「現場から明石の靴が無くなってたこと、ずっと気になってたんだ。抜け道がばれないようにするなら、玄関か勝手口に置いといた方が自然だからね。そうしなかったってことは、何か靴を行かざるを得ない事情があったんじゃないかと思ったんだ。例えば……自分の靴が履けなくなったとか」
「あっ! ってことは……」
「そう。犯行を終えて抜け道に戻ろうとした時、水島さんの靴紐が切れてしまったんだ。そのままだと歩くスピードも遅くなってアリバイが成立しなくなっちゃうかもしれないし、紐が切れた靴を履いていたら不審に思われるだろうしね。だから水島さんは、明石の靴を代わりに履いていったんだ」
「じゃあ、その靴紐は……」
「切れて飛んでいったのに気づかなかったか、広い損ねたかのどっちかだろうね。最初はそうと気付かずに触っちゃったから僕の指紋も付いてるだろうけど、調べれば水島さんの指紋も出てくるかもしれない。もしかしたら、現場から持ち去った明石の靴もまだ隠し持って……」
「その通りだよ」不意の静かな声が透の言葉を遮った。皆の視線が声の主に集まる。
水島さんは再び視線を落とし、諦めたような、それでいてどこか吹っ切れたような表情で、囁くような声を出した。
「あの男の靴、まだ私の家に隠してありますよ。それだけじゃない、凶器に使った角材もです。それがあれば、決定的な証拠になるでしょう」
犯人の、罪の告白だった。
今度の沈黙は、先ほどよりも短かった。しかし、最初に口を開いたのはまたしても優だった。
「そんな……水島さんみたいな優しいお巡りさんが、どうして……」
「ごめんね、優君」水島さんは殺人を犯したとは思えないほど穏やかな笑みで優の言葉を否定した。その表情は姉の財布を一緒に探してくれた時と少しも変わらず、それが余計に優の戸惑いと悲しみを深くさせているように華には見えた。
「私は君が思ってるほど立派な人間じゃない。現にこうやって、憎いとはいえ人を一人殺してるんだからね」
「憎いって……?」
「も、もしかして……」唐突に悲鳴のような声を上げたのは樽井先生だった。
「お巡りさん……いえ、水島さん……もしかして、あのおじいさんのためにこんなことを……?」
「あのおじいさん……って、この裏に住んでる脇坂って人のこと?」華は今日何度目になるか分からない割り込みをした。
「あの人がどうしたの、先生?」
その言葉に樽井先生は「知ってたのね」と悲しげに呟くと、一瞬迷う素振りを見せた後、一つ一つ選ぶように言葉を絞り出した。
「実は……何日か前に分かったことなんだけど……
ええっという声が透、華、大吾、優の口から異口同音に走り出た。唯一声を上げなかった翼が、「そう言えば」と記憶を辿るように眼鏡のツルをつまんだ。
「初めて会った時、あの老人は足を引きずっていた。それに、まだ夕方だったにもかかわらず雨戸が閉まっていた……おそらく、どちらも石を投げられた影響だろう」
「何それ、ひっどーい! 何でその子たちはそんなことしたのよ!?」
「担任の先生方が聞いた話だと……『あの家に住んでるお化けを退治しに行こうと思った』んですって」
「お化け? あのおじいちゃんが? じゃああの人、教頭や明石が起こしたお化け騒動のとばっちりを食って……」
「ええ……それでひとまず児童会長の黒羽さんと怪我をされた住人の方と以前から親しかった水島さんが今日謝罪に伺うことになったんだけど……もしかして水島さん、騒ぎの事実を知ってこんなことを……」
「樽井先生、それは違うでしょう」青ざめた顔の樽井先生に反論したのは……透ではなく、舞子だった。
「水島巡査がお化け騒動の真実に気付いていたのだとしたら、現行犯で捕まえて警察に突き出せばよかった話でしょう。わざわざこんなトリックでアリバイを確保してまで殺害するというのは、筋が通っていないのではないでしょうか。それに、アリバイというものは、自分と被害者の間に何かつながりが見つかって初めて疑われるものです。水島巡査には、過去に被害者との間に調べれば出てくるようなつながりがあるのでは?」
舞子は「違いますか」と水島さんに視線を移す。水島さんは肩を落とすと、憑き物が落ちたように話し始めた。
「仰る通りです。脇坂さんのことがあったのも殺人の動機の一部になったと言えば事実です。ですが、私にはそれ以上のものがあった」そこで水島さんは言葉を切った。その時、一瞬その目に怒りと悲しみの炎がちらついた気がした。
「明石は……あの男は、三年前に私の妻を轢き殺したんです」
華の驚きは今日一番だった。しかし、それに対する言葉は全く出てこなかった。まさか明石がそんなことをしていたなんて……。夢にも思わなかった。その時、華の頭に先日聞いたある会話が再生された。
「まさか」自然に言葉が出てきた。「明石のアパートの大家さんが『派手な赤い車を乗り回してたのに何年か前に乗らなくなって、それからしばらくして売った』って言ってたけど……それってもしかして」
首藤警部が重苦しい表情で頷いた。「その少し前に水島君の奥さんを轢いたんだろう。それでほとぼりが冷めるまで乗るのを止めた後、売った」
「ええ」水島さんも暗い顔で同意した。
「暗かった上に雨が降ってたから、まともな証言はほとんど得られなかった。だが、事故の直後に赤い車が猛スピードで走り去っていったという目撃証言を聞いて、私はその車が妻を轢いたんだと確信した。おそらく飲酒運転だろうということもね。それから私は、休日の度に独自にその車を追い続けた。そして遂にあの男に辿り着いたんだ。だがその時には……」
「手遅れだった」翼が後を引き取った。
「そう。車は既に売られた後だった。立件できるかどうかは不明だった。それに、私は聞いてしまったんだ、あの男が酔った勢いで仲間に話しているのを。『あんなばあさん一人を轢いたくらいで刑務所に行ってたまるか』とね」
「そんな」樽井先生が悲鳴のような声を上げた。
「人の命をそんな風に言うなんて」
「許されないことだとは分かっていた。だが、その言葉を聞いて私はどうしても我慢できなかった。この男は法で裁いても意味はない。ならば自分がこの手で……と。だが、やはり止めておけばよかったかな」
水島さんは最後に寂しげな笑みを透に向けると、首藤警部の方に向き直って両手を差し出した。警部は頷くと、水島さんに歩み寄っていった。
「一つだけ聞いていいかな」手錠をかけられて連行されていく直前、水島さんは透に尋ねた。
「どこで私が怪しいと思ったんだい」
それに対して透はあっさりと答えた。「アリバイトリックに気付いたのとほとんど同時……って言うか、ついさっきです」
「ついさっき?」
「水島さん、華のことを心配した時、『塀を乗り越えていった』って言ったでしょう? でも塀を乗り越える必要があるのは隣の家なんです。それに気付いた時に思ったんです。水島さん、本当は僕たちが抜け道を見つける所をずっと見てたのに、それを黙ってるんじゃないか、何か抜け道が見つかったら困ることがあるんじゃないかって」
それを聞いて、水島さんは苦笑した。
「なるほど、そうか。最後の最後で墓穴を掘ってしまったってわけか」
水島さんを乗せたパトカーが走り去ると、華は勢いよく幼なじみを振り返った。
「透、すごいじゃない! あんたホントに名探て……透、どうしたの!?」
華の目に映ったのは、糸が切れたようにヘナヘナとくずおれた透が大吾と優に両脇から支えられる姿だった。
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