第12話 「親友の妹」は、もう終わり
此度の天覧試合で決勝戦まで残ったのはなんとお兄様とラウルだったようで、それはそれは激しい接戦だったと観戦していた友人から聞いた。
幾度も剣と剣がぶつかいあい、決着が着くまでかなり時間がかかったらしい。
まぁお兄様とラウルは士官学校の同期で、よく対戦したと思うし、何より親友だ。相手の得意不得意もよくわかっているはず。だからこそ、苦戦してかなりの接戦だったのだと思う。
ちなみに教えてくれた友人は従兄が近衛騎士だと言っていた子だが、彼女は従兄の活躍は口にしなかった。
そして天覧試合の優勝者はラウルとわかって数日、私はその今をときめくラウルから会えないか、と手紙を貰った。
その日はお兄様が普通にお仕事の日で、どうやら私の体調を気にして会いたいとのこと。
会うのは迷ったけど、今回断ってもまた少ししてから様子を見たいと言いそうだと考え、了承の手紙を送ったのだった。
***
約束の日。応接室へ入ると、私に気付いたラウルがほっとした顔を浮かべた。
「久しぶり、エルネスティーネ」
「久しぶり、ラウル」
私も普通に微笑む。まだ完全に失恋の痛みは癒えたわけではないけれど、いつもどおりでいないと。
侍女はサリーだけドアの入り口に控え、ラウルの様子を窺う。
いつもどおりの雰囲気で紅茶を飲んでいて変わりはなさそう。
「体調はもう大丈夫?」
「うん。ごめんね、心配かけて」
「いや、元気になったのならそれでいいんだ」
「ふふ、ラウルっていつも優しいね」
こういうところが好きになったんだ。いつも優しくて気にしてくれて。
「わざわざ来てくれてありがとう。もう大丈夫だよ」
「それならよかったよ」
意外にもラウルと普通に話せている。よかった、これならこれからも普通に話せそう。
この流れに乗って天覧試合の優勝を祝おう。
「天覧試合、優勝おめでとう」
「ありがとう。とはいっても、なんとかアルシェンに勝てたんだけど」
「ううん、それでもすごいよ」
今回の天覧試合でどれだけの人が参加していたのかはわからない。だけど多かったのは確かだ。特に準々決勝、準決勝と勝ち上がっていくと接戦だったと思う。
お兄様は武家の嫡男として生まれ、副団長であるお父様から昔から指導を受けていた。いくらお兄様の得意不得意を知っているといっても勝つのは容易ではなかったはず。そんなお兄様に勝ったのだから本当にすごいと思う。
「……ありがとう、エルネスティーネ」
「ううん。それで、今日はどうしたの?」
天覧試合の話は終え、次へと移動する。
私の体調を気にして会いに来たのはわかる。だけど、お兄様から話は聞いていると思うし、お兄様が帰ってくる時に一緒に来てもよかったと思うから不思議だ。
するとラウルは紅茶をテーブルに置いて話し始めた。
「実は、エルネスティーネに話があって来たんだ」
「私?」
「うん」
私に話。……もしかして、私の予想どおりの恋人ができたからこれからは会えないと話すのかもしれない。
それなら素直に頷こう。我儘を言ってはいけない。
「中庭を歩きながらでもいいかな」
「うん、いいよ」
返事して、応接室から出てラウルと二人で中庭を黙って歩いていく。
「…………」
「…………」
沈黙の空気が少し重い。
いつもはこんな沈黙が起きる前に私が話していた気がするから少し困る。
沈黙の中、黙っているのも気まずく、歩きながら顔の筋肉をほぐしていく。ラウルが恋人できたと報告してきたら笑顔で祝福しないといけないから。
「……エルネスティーネ、何しているの?」
「あ、顔の筋肉をほぐしているの」
「顔の筋肉を? なんで?」
言えるはずない。まさか好きな人から恋人できたと聞いて笑えないだろうから顔の筋肉をほぐしているんです、なんて。
「……特に理由はない」
「理由ないの? エルネスティーネって面白いね」
「……」
クスクスと小さく笑われるけど我慢する。確かにいきなり顔の筋肉をほぐしていたら驚くだろう。しかも理由がない。私だってキャロルがしたら笑うと思う。
少し緊張がほぐれて中庭に咲く花を見る。
風でゆらゆらと揺れる花は私の心とは裏腹に穏やかに揺れている。
「……エルネスティーネ」
「……?」
隣を歩いていたラウルが立ち止まり、私も同じく立ち止まる。ついに来た。
どんな話かわからない。しかし、私の方は準備万端だ。筋肉とともに緊張もほぐれた。あとは笑顔で祝福してあげるだけ。
さぁかかってこい、と思いながらラウルの様子を窺う。「おめでとう」。その五文字を言えばこの初恋は終わりだ。
そしてラウルが口を動かした。
「エルネスティーネ──好きだよ。僕と結婚を前提に付き合ってくれないかな」
「うん、おめでとう──……えっ?」
おめでとう、と言って終わりと思っていたのに、予想外の言葉が聞こえた気がした。今、なんて?
ラウルの言葉を脳内で反芻する。
『エルネスティーネ──好きだよ。僕と結婚を前提に付き合ってくれないかな』
…………好き? ラウルが、私を?
呆然としながらラウルの瞳を見ると、灰色の混じった青い瞳に私の間抜けな顔が映り込んでいる。
しかも、いつも見せる優しい顔ではなく、笑わずにまっすぐと私を見つめていて、その姿にドキッとしてしまう。
笑わない顔も素敵だな、って思うけど今はそんなこと呑気に考えている場合ではない。
「う、嘘だぁ! 冗談でしょう!?」
「嘘じゃないよ。こんな悪質な冗談は言わないよ」
いや、わかっている。ラウルは真面目な人だからこんな冗談なんて言わないって。
だけど脳が追い付かない。なんで?
「だ、だってそんなそぶり見せなかったじゃん! いつも妹のように接してきて!」
「そうだね、最初は妹のように思っていたよ」
私の言い分を否定せず、そうだったと肯定する。
それはつまり途中で変化したということで。でもいつから? 全くわからなかった。
「な、なんで私なの? いつも令嬢たちに囲まれていたのに」
ラウルは夜会に頻繁に参加はしていない。
だけど、参加したら令嬢たちによく囲まれていたのは知っている。それこそ、かわいい令嬢や美人な令嬢、大人っぽい令嬢に清楚な令嬢と色んな雰囲気の令嬢に囲まれていたのに。
「彼女たちは僕ではなくてベルベット侯爵家を見ているよ。僕のことを見ていても、ベルベット侯爵家の割合の方が大きいね」
苦笑しながらさらりと言ってのける。あの、毒舌では?
「本当だよ。……侯爵家の一人息子で婚約者がいなかったからか、小さい頃は母に連れられてお茶会に参加する度、侯爵夫人狙いの令嬢に囲まれていたから。そういう目だけは養われたかな」
「そ、そうなの……」
苦笑したまま再びさらりと言ってのける。
確かに侯爵夫人は魅力的だろう。ラウルの家は政治の中枢にいるわけではないけれど、侯爵領は王都に近くて交通の便も発達していて裕福だから。
「だから士官学校に入学したんだ。士官学校なら長期休暇以外、お茶会に参加することはないし、令嬢たちと会うことはないから。実際、行って楽しかったし。友人もできて、剣は上達したし」
昔を思い出しているのか、目を細めて語っていく。声もいつもと違ってしんみりとしている。
「士官学校に入学してよかったなと思う。あそこでアルシェンに出会えて、アルシェン経由でエルネスティーネにも出会えたし」
「うん……、そうだね」
今でも覚えている。ラウルと初めて出会った日のことは。初めて会った時からラウルは優しい人だった。
「初めてエルネスティーネを見た時、明るい子だなって思ったよ。僕のこと兄のように慕ってくれて、妹がいたらこんな感じなんだって思ったくらい」
「ど、どうも……」
なんと言えばいいのだろう。上手く返事はできないけど、やっぱり最初はそんな風に思っていたんだ。
「その後も来る度に楽しそうに出迎えてくれて嬉しかったな。侯爵夫人の座を狙うわけでもなく、兄のように慕ってくれて」
確かにあの頃の私は侯爵夫人なんかより優しいお兄様の友人が来てくれた、くらいにしか思っていなかった。
侯爵家のご子息だから失礼のないように、とお母様と侍女長に言われたけど、ラウルは気にせずかわいがってくれてすぐに懐いた。
「近衛騎士に入団して厳しくても楽しい日々を過ごしていたけど、同時に成人にもなったから幾つか縁談もしていたんだ」
「え、そうだったの?」
縁談。ラウルが縁談していたなんて知らなかった。お兄様もそんな話、私にしなかったし。
「だけど親に言われているのか、自分の意思なのかわからないけど、僕より侯爵家を見ている相手は好きにはなれなくて。親も僕の気持ちを尊重してくれてたから誰とも婚約しなかったんだ。そんな中で会えば変わらず慕ってくれるエルネスティーネに勝手に癒されてた」
「え。わ、私が?」
突然私が出てきて動揺すると、ラウルが優しい笑みで頷く。
「癒しだったよ。いつも楽しそうに出迎えてくれて、しんどいな、考えたくないな、ってことも忘れられて。それこそ、エルネスティーネが婚約者だったらよかったのにって思うくらいには。だけど僕は兄の親友でしかない。そんなこといわれても困るだろうから黙ってたんだ」
「ラウル……」
ラウルは自分の気持ちではなくて、私の気持ちを優先してくれたんだ。
侯爵家から縁談が来たら伯爵家が断るのは難しい。いや、お父様のことだから「娘がほしいのなら決闘だ!」と叫びそうだけど、でもまぁ断るのに時間がかかる。
私と婚約したら自分は楽になるのに、私の気持ちを優先してくれるのはラウルらしい。
「会う度にきれいになっていくエルネスティーネに惹かれながらもずっと“優しい兄の親友”を演じ続けた。……だけど、やっぱり気持ちを伝えたいって思って。だから天覧試合で優勝したら伝えようって思ったんだ。天覧試合直前に意中の女性からハンカチを貰うと優勝するって言い伝えが近衛騎士団の中で密かにあってね。それで頼んだんだ」
「え? ……え?」
そろそろ脳がショートしそう。だから、天覧試合までに作ってほしいって頼んだの? というか、そんな言い伝え知らない。
知らないことばかり知らされて心臓がうるさい。初めて聞くことばかりですぐに理解できなくてまだ頭が混乱する。
「……エルネスティーネ」
そんな中で名前を呼ばれてドキッとする。ラウルの灰色が混じった青い瞳と目とぶつかる。
「ダメならダメでいいよ。気持ちを伝えたかっただけだから。……エルネスティーネ、ずっと『親友の妹』として接してきたけど、もう終わってもいいかな」
「ラウル……」
ラウルの言葉に目が潤んでしまう。
さっき告げられたラウルの告白を思い出すと嬉しさが、好きという思いが、愛しさが胸に込み上げてくる。
諦めていた。ラウルにとって私は「親友の妹」でしかないのだとあのお茶会の帰りに聞いたから。
「……ごめん、急にこんなこと言って。返事はゆっくりでいいよ、じゃあね」
「まっ……!」
まだ離れたくなくて思わずラウルの袖を掴む。勢いで掴んでしまった。
ラウルが少し驚いた顔でこちらを見る。心臓がうるさい。でも、伝えたい。ラウルに私の気持ちを伝えたい。
「っ……わ、たしも好き……」
「えっ?」
「ずっと……ずっと前からラウルのことが好きだったの……」
言った。顔を見れずに若干声が震えて俯いてしまったけど言ったぞ、私。
だけどいくら待っても反応がなくてあれ?と思いながらそぉっと顔をあげると──ラウルがポカンとした表情を浮かべていた。
ラウルのある意味穏やかなポーカーフェイスが崩れていて、しばらくぼぉっと見つめていたけど……おかしくてつい笑ってしまった。
「ふ、ふふ……」
笑うとやっとこちらに戻ってきたのか、ラウルが少し不機嫌な顔をする。そんな顔、初めて見た。
「……エルネスティーネ」
「だ、だって初めて見たんだもの」
「はぁ……。……エルネスティーネ。本当?」
ラウルが少し気恥ずかしそうに尋ねる姿も珍しいなと思う。
いつものそつなくこなす穏やかで優しい顔も好きだけど、これからはこんな姿を、もっともっと見ていきたいなと思ってしまった。願ってしまった。
「私がこんな時に嘘つく女だと思ってるの?」
「……思ってないよ。……エルネスティーネ、本当に?」
「うん。……私も、好き。大好きだよ、ラウル」
ちゃんと届いてほしい、そんな思いで再び口にして一番素敵な笑顔を見せると、ラウルももう一度耳元で囁いてくれて二人で笑ったのだった。
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