第10話 兄妹

「なぁティーネ。今、時間ある?」


 夕食後、部屋で読書していたらお兄様がノックもなしに部屋へ入ってきた。

 

「……お兄様、いくら妹の部屋と言ってもノックせずに入るのは失礼ですよ」

「そうかぁ?」

「そうですよ」

「ふぅん。じゃ気を付けるな」


 そしてお兄様は興味なさそうに返事して数歩下がってドアに凭れる。いや、気を付ける気がないだろうと言いたい。お兄様の頭の中の“気を付ける”の辞書の意味を一度読んでみたい。

 そしてドアに凭れながらじっと私の顔を見る。視線が突き刺さる。


「……視線が感じるんですけど」

「だろうな」


 だろうなって何。何が目的なんだ。今でも視線が感じる。ここは私が諦めて付き合うしかないのか。そうなんだろう。

 内心溜め息を吐くのは許してほしい。


「……それで、突然なんですか?」

「暇?」

「……特別忙しいわけではないですけど」

「よし、なら少し話すか。部屋入るぞ」


 そう言うとお兄様は私の許可なく入っていってソファーに腰を下ろす。流石お兄様。唐突だし、妹が睨んでもスルーして我が道へ行く。

 なんだか文句を言うのも面倒に感じてきて、渋々私も話を聞く姿勢に入る。


「明日は早いのではないですか? 早めにお休みした方がいいのでは?」


 明日の天覧試合は朝から丸一日行われ、優勝候補のお兄様は対戦回数が多いはずだ。早めに休んだ方がいいに決まっている。


「はいはい、わかってるって。少し話したら寝るって。なんだよ、一応心配して顔見に来たのにかわいくないな」

「心配、ということはお父様に聞いたのですか?」


 お兄様の言葉で納得する。

 お兄様が天覧試合前にわざわざ時間をかけて帰ってくるのも少し不思議だったけど、私の部屋へ来たことで確信した。

 お父様かお母様かどちらかから何かしらの連絡を受けたのだと。

 多分お父様だと思う。過保護なのはお父様の方だから。


「いや、父上と母上どっちからも」

「お父様とお母様から?」


 少し驚いた声になる。まさかお母様もお兄様に連絡していたなんて。


「そ。母上からは茶会の日に会ったかって聞かれただけだけど。うるさかったのは父上の方だよ。自分が聞いてもダメだからって俺に相談してきた」

「なんでお兄様に?」

「さぁ? 娘に嫌われたくないんじゃねぇの? 父親より兄貴の方がまだ話すって思ったんじゃねぇの?」

「お兄様、口が悪いです」


 お父様もまさかお兄様に使うなんて。それでお兄様が帰ってきたってことか。


「それを隣で聞いてたラウルも心配してさ。様子見に行こうとしたんだよ」


 頬杖しながらお兄様がさらりと言ってのける。お兄様の口から今は聞きたくないラウルの名前が出てドキっとなる。

 ラウルの名前を聞くとやっぱりまだ辛い。

 これはまだ時間がかかるなと判断する。

 でも今は平然としておかないと。お兄様に気付かれたくない。


「そうなんですね。それは申し訳ないです」

「でも心配してさ。アイツも色々と忙しいだろう? だから手紙を預かったんだ」


 ビクっと肩が少し揺れて思わず目線が下へ向いてしまった。しまった。平然としようと思った矢先に。自分が情けない。

 不安に思い、そっとお兄様を見上げると意地悪な笑みを浮かべていた。ああ、一気に不機嫌になる。


「へぇ、ラウルね」

「……お兄様、鎌をかけましたね?」

「正解」


 鋭い緋色の目が細められてニヤリと意地悪そうに笑うお兄様を睨み付ける。嵌められた。悔しくて仕方ない。

 

「どこから嘘ですか?」

「手紙はな。父上がお前のことを話した時はラウルはいなかったけど。でも手紙で天覧試合来ないって知って心配してたのはホント」

「……そうですか」

 

 心配してくれているのは少し嬉しいけど複雑だ。

 ラウルからしたら仲のいい親友の妹が元気ないから心配しているだけなのに。


「何かあったんか? お前アイツのこと兄のように慕っていただろう。喧嘩でもした?」


 お兄様が頬杖をやめてだらしなく椅子に凭れながら尋ねてくる。喧嘩、か。喧嘩なんてしたことない。だってラウルはいつも私に優しかったから。

 それこそ、あの夜会で初めてラウルが怒っているのを見たくらいだ。


「……お兄様はラウルと喧嘩したことありますか?」

「ラウルと? そりゃあ、あるに決まってるだろう? 八年の付き合いだぞ? あいつ、中々キレないけど怒ったら怖いんだぞ」


 当然の如くお兄様が答える。……怒ると怖いんだ、初めて知った。

 親友であるお兄様とラウルでもやっぱり喧嘩する時はするんだ。

 そう思うと同時に、そりゃあそうだろうなと思う。私も十年の幼馴染であるキャロルと喧嘩したことはある。

 でも、私とラウルは一度もない。

 きっと、親友の妹だから我儘を聞いてくれたのだろう。

 

「……お兄様には関係ありません。それに、お茶会の日はラウルには会っていません」


 実際は私が勝手にラウルと同じ近衛騎士を見つけただけで、ラウルは私に“好きな人”がいると聞かれたとは思ってもいないだろう。


「そうだな、アイツも言ってたし。じゃあ喧嘩じゃなくて別のことね」

「…………」


 お兄様が尋ねてくるけど無視する。これ以上は話すつもりはない。ボロがでそうだから。

 誰が兄の親友に恋をしていて失恋したと兄に報告するのだ。私の片想いに気付いていないお兄様に伝える気はさらさらない。

 私の態度から、答える気がない、と理解したのかお兄様が大きな溜め息を吐く。


「……はぁ、お前って頑固なところがあるからな。まぁ言いたくないなら別にいいけど」

「がさつで、トラブルメーカーなお兄様に言われたくありません」

「うるせぇ」

「いたっ」


 素早い動きで額をデコピンされた。

 痛がる私を見て、小さく笑ってくる。


「何があったか知らねぇけどしけた顔すんなよ。みんな心配するだろう?」

「……わかってます、反省してます」


 お兄様の説教に素直に返事する。心配は、お兄様もしていたのだと思うから。

 昔からなんだかんだ私を気にかけてくれているお兄様だ。お兄様なりに元気出させようとしているのだと思う。

 近衛騎士団寮に住むお兄様にまで心配かけて私は本当に子どもっぽい。


「しかし、ラウルが原因とはねぇー……」

「もう大丈夫ですから。ラウルには何も聞かないでくださいね?」

「はいはい」


 お兄様が適当に返事するので改めて言っておいた。少し不安だ。


「はいはい、じゃあもう休むさ」

「ぜひそうしてください」


 お兄様が立ち上がったので私も立ち上がって背中を押してドアへ追いやる。


「あからさまに兄貴を追い出そうとするなよ」

「ノックもなしに入室してきた仕返しです」

「かわいくねぇ」

「かわいくなくて結構です」


 心配はしていてもいつもどおりに接してくれるお兄様に小さく笑いながら、さっさと部屋から追い出したのだった。




 ***




 翌朝、家族で朝食を摂った後、お父様とお兄様はそれぞれ準備をした。

 お父様は先に王宮へ行き、お兄様は簡単に素振りをした後、着替えて王宮へ行く準備をした。

 天覧試合は観戦する気はないけど、お兄様の応援はするつもりで、お母様と一緒に玄関で待つ。


「ティーネ、ハンカチはいいの? アルシェンに預ける方法もあるわよ」

「いいんです。お兄様の手を煩わせるわけにはいかないので」


 お母様にはそう言って断る。

 あのハンカチは贈らなくていいし、贈りたくないのが本音だ。

 だって、ラウルは他に好きな人がいるのだから。

 ハンカチはどうするか考えておこう。

 それから少し待っているとお兄様がやって来た。


「お。なんだ、ティーネ。応援してくれるのか?」

「応援くらいはします。……怪我しないでくださいね。あと……頑張ってください」


 お兄様は強いけど、他にも強い人はいる。勝ち残っていくと怪我する可能性もあるから一言告げておく。

 お兄様はがさつだけど剣に対しては努力家なのは知っているから頑張ってほしい。

 するときょとんとした顔を浮かべた後、お兄様はニヤリと笑って手を伸ばし──乱暴に頭を撫でてきた。


「わ、ちょ、頭ぐしゃぐしゃにしないで!」

「別にいいじゃんか。どーせ、今日は友だちが来るんだろう? ならきれいに整えるんだからいいだろう?」

「そうだけど妹に対する扱い!」


 抗議の声をあげてもお兄様は無視して笑うのみでやめる気がないようだ。お母様も笑ってスルーしている。ひどいです。


「でもまぁ、応援されたもんな。なら、優勝してその賞金で何かうまいもの食わしてやるよ」


 そう言うとお兄様がようやく手を離した。ああ…髪がボサボサになった。サリーに後できれいに直してもらうしかない。


「じゃあ、行ってきます、母上」

「いってらっしゃい、アルシェン。気を付けて頑張ってね」

「はい、母上。ティーネ、行ってくるな」

「いってらっしゃい、お兄様」


 そして挨拶をするとお兄様は馬車へ乗って王宮へ向かったのだった。

 部屋へ戻ってサリーに髪を整えてもらっていると、ふと、疑問が生まれた。

 私、お兄様に今日友人が来ると伝えたっけ、と。


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