第3話 初めまして

 私がラウルと初めて出会ったのは八歳の頃。

 きっかけは勿論、お兄様だった。


 幼い頃の私は同年代の子どもと比べて成長が遅く、小柄だった。……まぁ今も平均より身長は小さいけど。それはいい。

 おかげで子ども同士が集まるお茶会に参加すると、貴族の子息たちにからかわれることがあって、それが嫌で嫌で堪らなかった。

 そんな私をいつも守ってくれたのがお兄様で、からかってきた子息たちに鋭い睨みを利かせて半泣きさせてきた。


 ぶっきらぼうで無愛想で、口数が多くないけど、いつも私を守ってくれていて、そんなお兄様を慕っていた。

 お兄様も忙しいはずなのに、そんな妹を無下にはせず、遊びを求められたら稽古の傍ら応じてくれて、端から見たら仲のいい兄妹だったと思う。

 変化が訪れたのは私が八歳の時、お兄様が士官学校に入学することになってからだ。


 王宮勤めの近衛騎士や国を守る軍の士官を目指す者は十三歳から全寮制の士官学校に入学する。

 代々近衛騎士や軍人を輩出する武家であるメイファレット伯爵家の嫡男であるお兄様も例外ではなく、士官学校を受験して合格した十三歳の春、士官学校に入学した。

 

 士官学校は全寮制で長期休暇以外の三年間は学校で過ごす。

 実家が武家であることを理解していたけど、お兄様がいなくなるのは寂しくて長期休暇を日々待ち遠しくしていた。

 そして士官学校が長期休暇に入り、帰省すると連絡の手紙を受け取って久しぶりにお兄様に会えるのを楽しみにしていた。

 士官学校はどんなところなのか、お土産は何か、どんな遊びをしてもらおうか、と色々考えながら過ごしていた。

 そして予定通りにお兄様は帰ってきた。人を連れて。


 ラウルと初めて出会ったその日のことは今でも鮮明に覚えている。

 侍女長に「お嬢様!」と注意されながら走って玄関へ迎えに行った私は、お兄様が友人を連れて帰ってくると聞いていなかったため、思わず固まってしまった。


 そんな私を見てはラウルは僅かに目を見開くも、すぐに愛想のいい笑みを浮かべて微笑んだ。

 灰色が混じったアッシュブロンド、同じく灰色が混じった青色の瞳が印象的で、二色混じった髪と瞳は不思議ときれいだと思い、思わずじっと見つめてしまった。

 お兄様のような鋭い目ではなく、柔らかい目元と優しい顔立ちで、何もかもお兄様とは正反対の人。

 それがラウルに対するの第一印象だった。


「ティーネ、コイツはラウル。士官学校で俺と同じ部屋で友人になったんだ。で、この長期休暇で遊びに来たってわけ。よろしくな」

 

 全然よろしくない。お兄様は昔から勝手に説明して勝手に終わらせるところがある。士官学校前から変わらないけど、急なことで頭に入らなかった。


「アルシェン、説明適当すぎない?」


 初めて聞くお兄様の友人というその人は苦笑しながらもお兄様に注意する。

 お兄様と同じ部屋だったことがきっかけで友人となったというその人は見た目と同じ穏やかで優しい人で、かがみ込んで挨拶してきた。


「初めまして、君がエルネスティーネかな? 僕はラウル・ルクス・ベルベット。アルシェンの友だちで遊びに来たんだ」


 再びニコリとラウルは私に微笑んで挨拶して、そして手を差し出してきた。


「数日伯爵邸で過ごすんだ。よろしくね」


 より近くで見ると灰色と青色が混じった瞳は美しく感じてしまった。


「お嬢様……!」

「おい、ティーネ? どした?」

「はっ……!」


 ぼぅっと見惚れていたけど、追いついた侍女長とお兄様の声で意識を戻しておずおずと挨拶した。


「は、初めまして……。エルネスティーネ・ルクス・メイファレットです。よ、よろしくお願いします……」


 今思えばなんとたどたどしい挨拶だったんだろうと思う。

 だけどそんな私の挨拶を笑うことせず、ラウルは人好きするような笑みで「よろしくね」と握手した。


 そこからは早かった。

 お兄様の友人であるラウルに私はすっかり懐いた。

 五つ年上ということもあり、同年代の子息たちと違って優しく、大人びていて、私の話も嫌な顔をせずに聞いてくれるラウルを慕うのはごく自然なことだった。

 私の話を聞いてくれる時は年上らしい顔をするのに、逆にお兄様と一緒に士官学校の話をする時は年相応の笑みを見せる姿に少しばかりドキッとした。


 そして初めて訪れたラウルとの数日間はあっという間に過ぎて、ラウルは実家へ帰ることになって寂しくなった。

 明らかに落ち込んでいる私を見てはお兄様は頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でて慰めてくれたけど、寂しさは消えなかった。

 するとラウルが初めて挨拶した時のように再びかがみ込んだ。


「エルネスティーネ、もしよければまた長期休暇に遊びに来ていいかな? 今度は君の好きなお菓子でもお土産に持って」

「また……? 来てくれるの……?」

「うん。エルネスティーネがよければだけど」


 そんなの、いいに決まっている。また会いたい。それが素直な気持ちだった。


「また……! また来てね! 絶対だよ、約束だからね!」

「うん、約束」


 頭を撫でながらラウルが約束してくれたことに嬉しくて、お兄様が「甘やかしやがったな」とこぼしていたけど返事はできなかった。

 この時はお兄様の友人で優しい人。それくらいの認識だった。






 それからラウルは約束どおり、長期休暇の度、ほぼ毎回伯爵家へお土産を持って顔を出してきてくれた。

 士官学校の生活に授業、実技訓練に行事。お兄様とラウルの話は士官学校に通わない私にとって毎回新鮮な話だった。

 私の方は淑女教育を頑張って裁縫やピアノの練習をして時折、二人に披露していた。


 そんな風にラウルと過ごした中でも特に思い出深いのはピアノの練習。

 ラウルは剣術が得意なだけではなく、ピアノも得意だった。

 お兄様は音楽などからっきしだけどラウルは違い、いつも躓いてしまうところをある時教えてくれた。

 楽譜を見ながら隣で聞き慣れた声が丁寧に教えてくれて、心臓がバクバクとうるさく、ラウルに聞こえないか不安だった。

 そんな私の心配なんか露知らず、ラウルは懇切丁寧に、根気よく教えてくれて、なんとか成功したら褒めてくれた。

 そうして過ごしていくうちに、少しずつ特別な人になっても、この時はまだそれが「恋」だとわからなかった。






 三年間通った士官学校を卒業するとお兄様とラウルは近衛騎士団に入団した。

 同期の中でも優秀な二人は順調に成果を上げていて、令嬢に人気なのだと姉を持つキャロルから聞いた。

 あの見た目きつい容姿に中身トラブルメーカーなお兄様が令嬢に人気?と不思議に思ったが、ラウルの方は納得した。

 同時に不安に思った。もしかして、ラウルは令嬢にすごくモテるのでは?と。

 そして不安に思いながらもお兄様に尋ねてみると案の定だった。


「ラウル? ああ、夜会であちこちに声かけられたりしてるけど。それがどうしたんだ?」


 お兄様の報告は私の脳天を撃ち抜くのに十分だった。

「アイツは婚約者がいないし、侯爵家の一人息子だしな。当然か」と、お兄様が呟いていたけど、返事することはできなかった。

 私より年上の令嬢たちがラウルと仲良くお話している。想像するだけで嫌になった。

 この気持ちはなんなんだろう。そう思っていたらストンとその言葉が落ちてきた。

「好き」。家族や友人の好きとは異なる──恋愛の、異性としての好きだと。

 十三歳のとある日──その日、私は初恋を自覚したのだった。




 ***




 湯船から上がってからは自室に入って読書もせずに青みのついた銀色の花模様がついた髪飾りを眺める。

 ラウルがかわいいと言ってくれた髪飾りだ。


「かわいい、か」


 髪飾りが揺れる感触と僅かに髪に触れられる感触を思い出すと、自然と口角が上がる。

 私とは異なる大人の低い声。大人の、男性の声。


「……ふふ」


 思わず笑みが零れる。

 家族や友人にかわいいと言われるのも嬉しいけど、やっぱり好きな人に言われるのと違う。


「手紙、何書こうかな」


 羽ペンを持ちながらラウルの手紙に何を書こうかと考える。

 ラウルは普段は近衛騎士で忙しく、夜会に出ても友人や令嬢に囲まれてお兄様がいなければ中々話すことができない。

 侯爵家の一人息子で、未だに婚約者がいないラウルは令嬢に人気だ。

 だからこそ、手紙でのやり取りを大切にしている。

 ラウルは今も昔も変わらず、優しい。

 それこそ、幼い頃はラウルが訪問する度に突撃したのにそれを受け止めては毎回頭を撫でてくれた。

 今思えば令嬢としてはしたない行為なのにラウルは嫌な顔をせずにいつも笑って受け入れてくれた。

 さすがに十二歳になるとお母様や侍女長たちから恥ずかしいと言われてやめたけど。

 私がやめたらラウルも不用意に頭を撫でたりするのを控えたため、ラウルは年上だったから笑って受け入れてくれたのだとわかった。


「とりあえず、まずは健康に気を付けてと書いてっと……」


 若くして頭角を表していて忙しい身だからあまり長文を書いて負担をかけたくない。

 話したいことがたくさんあるなか、何を書こうか、何を話そうか吟味して羽ペンを動かしたのだった。


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