第2話 兄の親友

「お嬢様、着きましたよ」

「ありがとう、サリー」


 お茶会の馬車にともに同行していた二つ上の侍女・サリーが屋敷に到着したことを告げる。


「お風呂のご用意致しましょうか?」

「うーん」


 サリーの質問に少し考える。

 今日はもう家で過ごす予定なのでお風呂に入ってもいいかもしれない。


「そうだね、お願い」

「かしこまりました」


 サリーに頼んで屋敷に入ると執事長のロドニーが入り口のエントランスで待っていた。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま、ロドニー」


 出迎えてくれたロドニーに返事をして部屋へ向かって廊下を歩いていく。


「お嬢様、お客様が来ています」

「お客様が?」


 ロドニーの言葉に振り向いてオウム返しする。今日は客人が来るとは聞いていなかったからだ。

 誰が来ているのだろうと尋ねようとしたら名前を呼ばれた。


「ティーネ、おかえりなさい」

「お母様。ただいま帰りました」


 挨拶をするとお母様がニコリと微笑む。その際に私と同じ赤茶色の髪が揺れる。


「ティーネ、お客様が来ているわ。早く着替えていらっしゃい」

「誰が来ているのですか?」


 お母様もロドニーと同じことを言い、訪問客に思い当たらず、尋ねてしまう。

 用件があるのなら事前に伯爵家に連絡してほしい。一体、誰が来ているのだろう、そう思っていたらお母様が口を開いた。


「片方はアルシェンよ。もう一人は──ベルベット卿よ」

「!」


 しかし、お母様のその言葉で目を見開いてしまった。

 お兄様に、あの人が来ているのか。

 いつから来ていたのだろうと思い、再びお母様に尋ねる。


「いつから来ているんですか……!?」


 それに対してお母様は頬に手を置いて確か、と呟く。


「一時間前くらいかしら。今は応接室で話しているわ」

「サリー! お風呂の用意はやめて急いで部屋へ!」

「はい! お嬢様!」


 指示するとサリーは素早く反応して部屋へ向かう。


「ありがとうございます、お母様!」

「ふふ、いいえ」


 そしてお母様はニコリと微笑みながら手を振った。




 ***




 長い腰近くまである赤茶髪はそのままおろし、お気に入りである青みのついた銀色の花模様の髪飾りだけつける。

 衣服は淡いクリーム色のワンピースで、鏡で前と後ろを確認していく。


「サリー、どう? おかしくない?」

「おかしくありません。かわいいですよ、お嬢様」

「それならよかった」


 自分から見てもおかしくない。それにサリーから見てもおかしくないのなら大丈夫だろう。 

 着替え終わると早速部屋から出て階段を下りて応接室に向かっていく。

 一時間くらいしか経っていないのなら、あと一時間はいるだろう。少しならお話できるはずだ。

 そして応接室にたどり着き、小さくノックした。


「はい? 誰?」


 この声はお兄様の声だ。返事をする。


「お兄様、私です。入ってもよろしいですか?」

「ティーネ?」


 するとドアが開いてお兄様が出てきた。


「茶会から帰ってきたのか? おかえり」


 私の薄茶色の瞳とは異なる鮮やかな緋色の瞳がこちらを見る。

 

「お久しぶりです、お兄様。ただいま帰りました」


 おかえり、と言うお兄様に私も挨拶する。

 普段は王宮の敷地内にある近衛騎士団寮で生活しているためお兄様とはいえ、会うのは約一ヵ月半ぶりである。


「ああ、久しぶり」


 お兄様がふぁ、とあくびをしながら短く返事する。

 端整な顔立ちに赤茶髪を短く整え、鋭い緋色の瞳を持つのはアルシェン・ルクス・メイファレット。近衛騎士団に所属している二十一歳。


「お母様からお兄様とラウルが来ていると聞いてやって来たんですが…」

「ふぅん。まぁ入れば?」

「ありがとうございます」

「ラウルー! ティーネが来たー!」


 お兄様が首だけを後ろへ向かせて室内にいる人物に大声で告げる。お行儀が悪い。

 しかし、相手はそんなお兄様の態度に不快を見せずにこちらへやって来た。


「エルネスティーネ?」

「ラウル!」


 ぱぁぁと喜色を含んだ声で名前を呼ぶとニコッと微笑んでくれた。


「久しぶり、エルネスティーネ」

「うん……! 久しぶり、ラウル!」


 明るく返事して応接室に入っていく。

 

「元気だった?」

「元気だよ。私、健康が取り柄なんだから!」

「そっか、それはいい取り柄だね」


 クスクスと微笑む姿をつい見てしまう。

 ラウル・ルクス・ベルベット。ベルベット侯爵家の一人息子でお兄様と同い年の二十一歳。

 灰色が混じったアッシュブロンドに同じく灰色が混じった青色の瞳を持っていて、優しくて穏やかな近衛騎士。

 そして──私の好きな人。

 お兄様とは士官学校からの親友で、お兄様同様、若手ながらも小隊の隊長をしている。

 そんなラウルは時折、伯爵家に訪れては私を妹のようにかわいがってくれる。


「えっと、ラウルの方こそ元気だった?」

「うん、元気だったよ」


 ラウルの向かいに座って尋ねると優しい声音で返事してくれる。


「そっか。連絡がなくてびっくりしちゃった。寄り道で来たの?」

「ん? そうだよ。たまには実家に帰って来いって言われて。だから帰省のついでに伯爵家に寄ってエルネスティーネの顔を見てみようかなって思って。はい、お土産。ここのクッキー好きだったよね?」


 そう言ってラウルが差し出したのは王都で人気のクッキー専門店で、中でも人気で予約が取りにくいバターと希少な種類の砂糖をたっぷりと使用したクッキーだった。


「わぁっ……! 覚えててくれたの? ありがとう、ラウル!!」


 以前、ラウルの前で一度だけ食べたクッキーだったけど、それを覚えていてくれたんだ。

 好きなクッキー、ということもあるけど、好きな人がプレゼントしてくれたため余計嬉しくなる。


「相変わらずお前は食い意地張ってるよな」

「お兄様、食い意地張ってないので黙っててください」

「おい妹、クッキーに釘付けになりながら言っても意味ないぞ」

「まぁまぁ、アルシェン」


 反論しようとしたらラウルがお兄様をどうどう、と宥め始めたので黙っておいた。お兄様もラウルの前で言わなくてもいいと思う。

 そしてそんなお兄様を宥めているラウルをちらりと見る。

 穏やかで優しいだけではなくて、近衛騎士としても優秀なラウルは令嬢に人気だ。

 だけど令嬢と噂になったことはなく、基本的に一線を引いている気がする。

 それに対して安心はするけど、だからといってデビュタントを迎えたのにいつまでも出会った頃のように小さい少女のように扱う態度に不満がないとはいえない。


 わかっている、ラウルにとって所詮私は「親友の妹」でしかないことは。

 本来、身分が上のラウルを呼び捨てにするなんてあり得ないと。それが許されているのはその「親友の妹」だからともわかっている。

 だけど、理解していても納得しているかは別だ。

 

「ん? どうしたの?」

「え、あっ……な、なんでもない!」


 ちらりと見ていたら視線に気付いたのか、ニコリと話しかけてきたため心臓がドキマギしてしまう。

 油断も隙もありやしない。穏やかな顔して意外と周りをよく見ているのは八年の付き合いで知っているのに。


「お兄様、何か面白い話はないの?」


 先ほどの応酬を無視して隣のソファーに座るお兄様に尋ねる。


「あっ? 面白い話? んっ~、そうだ。希望者だけ参加した軍との合同訓練の最中に遭遇した野生の猪の群れとバトルした話をするか」

「なんでそんなことになってるの……」

「いやーなんでだろうな? あれは確か……」


 そしてお兄様の回想が始まった。

 曰く、その合同訓練に士官学校の同期が軍の希望者としていて、久しぶりの再会ですこーしふざけていたら野生の猪の群れを怒らせてしまったらしい。

 その結果、合同訓練+野生の猪とも戦うはめになったらしい。


「何しているの……」

「うるせぇ、友人に会ってつい浮かれてたんだよ。あれは大変だったよな、ラウル」

「あれは……思い出したくない」


 お兄様の発言にぎょっとしてしまう。

 ラウルも参加していたなんて。しかも思い出しているのか、遠い目をしている。


「ラウルも……お兄様に巻き込まれたの……?」


 お兄様は少々人を巻き込む。巻き込まれたのかと心配する。


「……大丈夫だよ。大きな怪我はしなかったし」


 苦笑いしながらそう告げる。大丈夫じゃない。迷惑かけたのが確定して申し訳ない。

 お兄様はまず人を巻き込むのをやめるべきだ。そして、結婚相手はそんなお兄様の手綱を握れる人だと感じた。

 きっとお兄様を睨みつける。


「お兄様のバカ!」

「はぁ!? なんだよ、いきなり」

「ラウルにみんなに迷惑かけて!」


 トラブルメーカーなのだから気を付けてほしいと切実に思う。

 真面目で優しく穏和なラウルとがさつで無愛想で口の悪いお兄様がよく気が合うなと思う。本当不思議。


「エルネスティーネ、アルシェンも副団長に追加訓練言い渡されて反省してるからその辺で許してあげて」

「ラウル……わかったよ」


 お父様が既に罰を与えているのならこれくらいでやめよう。

 お父様のことだ。私と違って次期当主としてお兄様を育ててきたからきっとそこそこ厳しい追加訓練を与えたと思う。


 それからは三人で普通に色々な話をした。

 主に近衛騎士団であったことを私が聞くのだけど、意外と面白い話が多くて聞いていて楽しい。

 そんな風に話していたらあっという間に時間は過ぎてラウルがそろそろ帰る、と言った。


「じゃあね、エルネスティーネ。今度はどっかの夜会で会おうか」

「うん。また手紙送ってもいい?」

「勿論。アルシェンと一緒に送って」

「うん」


 和やかに会話をすると、ラウルは今度はお兄様に挨拶をする。


「じゃあね、アルシェン」

「前から思うけど、お前自分の家のようにくつろぎすぎじゃないね?」

「気のせいじゃない?」

「お兄様、ラウルに失礼」


 そう言ってお兄様のわき腹を肘で攻撃する。どうして親友にそんなこと言うのだろう。


「いててて! おい、力強すぎだろう! ……ったく、やってらんねぇ」

 

 肘攻撃から急いで逃げて、大人しく退散するお兄様を見てラウルがクスクスと笑う。


「ごめんね、ラウル。お兄様ったら」

「気にしないから別にいいよ。アルシェンの性格は知っているし。じゃあね」

「うん、またね」


 ニコッと笑いながらラウルに手を振る。

 すると、ラウルは僅かに目を見開いて近付いてきた。

 え、と小さく声をあげるも固まる私にラウルは手をゆっくりと伸ばしてきた。

 そして次に感じた感触は髪飾りが揺れる感触だった。


「……?」

「髪飾り、ずれてたから。うん、かわいい」

「……!」


 突然のかわいい発言にピクッと固まるも、ラウルは何事もなかったように微笑みながら手を振る。


「またね」

「……う、ん。ま、たね……」


 何とか詰まりながらも声を出して手を振って見送ったけど、心臓がうるさく脈打ち続けた。

 ダンス以外で触れられるのは四年ぶりだったから。


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