第三章
オーディションが終わった次の日、遥香は学校でクラスメイト達にもみくちゃにされていた。
「オーディション受かったって本当⁉」
「おめでとー!」
「サインもらっとこうかな!」
このような具合に、学校で遥香のオーディション合格の話が流れてからというもの、遥香が登校するなりずっとこの調子だ。
「あはは、どーもどーも」
たあまりにも面倒くさいので、遥香は苦笑いして返す。
「オーディションどんな感じだった? やっぱり歌って踊ったりするの?」
「えー、じゃあ前田さんって歌もダンスも出来るってこと? 見たーい」
「い、いや。歌もダンスもやってないよ」
「えーじゃあ何したの?」
遥香はこういう質問に困っていた。夢叶仕合のことは絶対に伏せるように言われているので、正直にバトルロワイヤルやりましたとは言えない。
「えっと、面接とか?」
「そんだけ? 簡単じゃーん」
「えっと、簡単じゃ無かったよ。他にも色々あったし」
「色々って?」
「それは、その……」
遥香は困り果てていた。すると丁度良いところに友美が廊下を歩いているのをはっけんする。ここぞとばかりに、遥香は友美に目配せして、助け船を出してもらおうとした。
「やれやれ……。みんな、遥香が困ってるじゃん」
「あ、友美、やっほー。前田さん、ごめんね?」
「あ、うん。大丈夫」
「にしても、遥香凄いじゃん。オーディション受かっちゃうなんて。あれ、そういえばその腕どしたの?」
遥香は心愛に極められた十字固めのせいで、片腕の肘を脱臼していた。現在は骨をはめ直して、包帯で固定して安静にしている状態だ。
オーディションを受けに行ったはずなのに、腕を怪我しているというのは中々不可解な事で、当然友美は気になった。その興味が遥香を更に困らせる事になるのだが。
「いや、ちょっとした事故があって。でも大丈夫だよ、脱臼しただけだし」
「そう? なら安静にしときなね」
なんとかごまかせたようで、遥香はほっと胸をなで下ろした。
「じゃあさ、これから忙しくなっちゃうんだ? ダンスレッスンとか、デビューライブの準備とかさ!」
友美は目をキラキラさせて、興奮した様子で言う。
「うーん、どうなんだろ。多分そうなんだろうけど、今日これからのことを説明されるんだよね」
「へー。でも凄いよ。もう最ッ高だよ遥香!」
友美の興奮のボルテージも最高潮に達し、教室で遥香を囲っている人の誰よりも大きな声と動きで気持ちを爆発させる。
「どーどー、友美」
遥香は興奮する友美に苦笑いしながら、頭の片隅で、ぼんやりと今日の放課後のことを考えていた。
放課後、遥香は赤城プロモーションの事務所に来ていた。放課後もクラスメイト達に絡まれ、何とか抜け出してきたものの結構集合時刻ギリギリだった。
「確か二階だったよね。えっと、あとは行けば分かるか」
遥香は二虎に言われた集合場所に、あやふやでふわっとした言葉からはかけ離れた堂々とした足取りで向かう。
事務所二階にはいくつか部屋があるが、どれも扉が閉まっており、どこに二虎たちが居るのか分からなかった。
「えっと、どれだっけ?」
遥香は困って頭を掻いた。
話し声は聞こえるが、全て部屋の内部から聞こえるもので、遥香が居る廊下には誰もいなかった。頼れる人はいない。
部屋の数は四つ、そのうちの一つが目的の場所だ。
「確率は四分の一……」
遥香は四つの中から正解を見つけ出し、扉を開ける気だった。扉を一つずつ見ながら、脳内で推理を働かせる。
「ま、ここでいっか」
だが全く分からず無意味だったので、遥香は当てずっぽうで一つ選んで、ドアノブに手を掛ける。そしてノックもせず、勢い強めでドアを開けた。
「遅くなりましたぁ! ……ってあれ?」
結果としては外れで、遥香は二虎達のいない部屋を引いてしまった。部屋の中には一人の小柄な少女が呆然とした様子で遥香を見ている。
少女の見た目はとにかく体が小さいというのが一番印象的で、長いツインテールや大きい目と小さい口、そして丸っこい顔の輪郭が更に幼さを助長する。だから遥香は、こんな小さな子でもアイドル目指して練習しているのかとびっくりした。
「ま、間違えましたー……」
遥香はゆっくりとドアを閉め、退出しようとする。
「誰?」
話しかけられ、遥香はビクッとした。
「えっと……」
「私様の練習中に入ってくるなんて、それもノックもせず大っきな音を立てて、失礼だと思わないの? はしたない」
「うっ…………。すみません」
「貴方、新人?」
「え? はい」
「新垣に呼ばれたのよね?」
「はい」
「ならここじゃなくて、二個隣の部屋よ」
その少女は呆れた様にため息をついて、投げやりに言う。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございますじゃないわよ。いきなり入ってきて私様の邪魔をして」
「ご、ごめんなさい……。あの、何か練習してたんですか? もの凄い汗ですけど」
「見て分からない? 私様はダンスの練習をしていたの」
「へー、凄いですね!」
「別に凄くないわよ。アイドル目指してるなら普通でしょ」
高圧的に、憎まれ口を叩く少女だが、どことなく嬉しそうな様子が滲み出ており、少し口角を上げた。だが少女は自分がにやけている事に気づくとすぐに、少し顔を赤くして遥香を睨んだ。
「あ、貴方も早く行きなさいよ!」
「お、お邪魔しました!」
少女が急に怒るので、遥香は慌てて部屋を出た。入ったときと同じ様に強くドアを閉めたので、フロア中に大きな音が響く。
「もっとゆっくり閉めなさいよ!」
という声がドアの向こうから聞こえてくるので、遥香は逃げるようにそそくさと二虎たちのいる部屋の方へ向かった。
「お、遅くなりましたー」
遥香は今度こそ、二虎たちの居る部屋のドアを開けた。
部屋の中にはすでに薫、心愛、美桜の三人が来ていた。大きめの折りたたみテーブルに、パイプ椅子が四つ置かれており、テーブルの左側に薫と心愛、右側に美桜と空席、そして部屋の奥にあるホワイトボードの横に二虎が立っていた。
「大丈夫? 外から大きな音と叫び声が聞こえてきたけど……」
先程の騒ぎが二虎たちの居る部屋にも聞こえていたようで、二虎は心配そうにしていた。
「うん、大丈夫だよ」
「そ、それなら良いんだけど。事務所で暴れないでね?」
「暴れてない!」
遥香は、心外だと少し不機嫌になり、ちょっと乱暴に空いている席に座る。
「ふふふっ」
そんな遥香を見て、心愛は楽しそうに笑った。
「何笑ってるの」
「いや、つい、ごめんね。昨日あれだけボクとしあった遥香が、今こうやって素の可愛い姿をボクに見せてくれている。それがなんだか嬉しくてね」
「ちょっと何言ってるかわかんないかな……」
「少し話してみたけど、心愛はそういう所がある」
薫は表情を変えず、少しだけのトーンを下げて言う。
「薫は少し硬いね。これから同じグループで活動する仲間なんだし、もう少し砕けた感じでいかないかい?」
「私は元々こう」
「そうかい。でもそれもとても魅力的な性格だと思うよ」
「あっそう」
心愛が薫に笑いかけるも、薫は表情を変えないままそっぽを向いてしまった。
「二人とも、もう仲良しになったんですねー」
そんな二人を、美桜は下の姉妹の面倒を見る上の子のような温かい目で見る。
「私には喧嘩しているように見えたけど」
「喧嘩じゃないですよ。それに喧嘩をしていたのなら、もう喧嘩するだけ仲が良くなったってことじゃないですか」
「た、確かに?」
「ですよー」
美桜は優しく微笑んだ。
「なんだか、お姉ちゃんみたいだね、美桜」
「まあ、お姉ちゃんですから」
「ボクもそれを思っていたさ!」
いきなり心愛が話に割り込んできた。キラキラした目で美桜の瞳を見つめ、綺麗なものを見たみたいに恍惚とした表情を浮かべる。
「ど、どうしたのいきなり」
「遥香も思うだろう? 美桜の回りを見る力とこの包容力、まさにお姉さん! 素晴らしい個性だと思う! ボクはそんなキミがとても魅力的に感じるよ」
「心愛、皆に魅力的って言ってるね……」
「そりゃそうさ。魅力的なんだから」
心愛は当然だと言いたげな自信満々の表情で言う。こうもきっぱり言われては、遥香もこれ以上何も言い返せなかった。
「あ、あの。すぐ皆打ち解けたみたいで良いんだけど、そろそろ初めても良いかな?」
今まで影が薄く、ほったらかされていた二虎がおずおすと会話に入ってきた。
「そうだった。せっかく呼ばれたのに、まだ何も始まって無かったね」
「ああ。皆と話すのが楽しくて、失念していたよ」
「ごめんなさいねー、マネージャーさん」
「ミーティングだっけ。始めよう、マネージャー」
二虎はほっとした様子で、一つ息を吐いた。
「じゃ、じゃあ気を取り直して。第一回目のミーティングを始めようと思います。といっても、ほとんどはこの業界のこととか、夢叶仕合についての詳しい説明が主になるんだけどね」
二虎はホワイトボードにいくつか紙を貼り、マーカーで色々書き始めた。
「えっと、まず、夢叶試合はアイドルがライブやテレビ番組の出演権等を勝ち取るためのものだっていうのは知ってるよね?」
「そういってたね、オーディションの時に」
遥香はオーディションで社長が言っていたことを思い出した。
「うん。これの具体的な話なんだけど。例えば遥香たちが、武道館でライブがしたいから夢叶試合で権利を取ろうと思っても、それが出来るわけじゃないんだ」
「どういうことだい?」
「出来る限り君たちアイドルの希望は聞くけど、その夢叶試合の出場権を取ってくるのは僕ら事務所側なんだ。でもだからと言って僕らがなんでも仕事を取ってこれるわけでもない。君たちの活躍も大事なんだよ」
「つまり、まず私達だけで夢叶試合には出られない。でもマネージャーさんたちが武道館でもなんでも、大きな仕事を取ってくることも、私達が夢叶試合で勝って、その後も成果を上げていって、有名にならないと出来ないということですか?」
「そういう事。だから君たちアイドルと、僕等事務所側の人間の両方が頑張らないといけないってことだね」
二虎は、また別の紙をホワイトボードに貼り出した。
「次が、夢叶試合のルールについて。夢叶試合は、ちゃんと決まってるわけじゃないけど、ランクがあるんだ。小さなライブハウスでライブするにも夢叶試合があるんだけど、これが一番低いランクで、防具あり、急所無し、レフェリーが止めてくれるといったルールがある。ボクシングとかの試合みたいなものだと考えてくれていいよ。で、ランクが上がるにつれて、このルールがどんどん無くなっていく。紅白とかのレベルになると、殺さない限りなんでもありって具合にフリーになるんだ」
「待ってほしい」
薫がそう言って、静かに手を上げる。
「薫、なにかな」
「それ、怪我とかはどうなる。私たちは客の前に立って仕事をするんだから、顔とか体に怪我や跡があったらまずいと思う」
「それに関しては大丈夫。ランクの低い仕合は怪我が残らないようしっかりルールがあるし、大きな仕合に関しては、本番の何か月も前から仕合をするんだ。だから本番までには怪我も治ってるし、夢叶仕合を仕切ってくれているアイドル協会も、医療系に関しても全力でバックアップしてくれているんだ。だから安心してもいいよ」
そして二虎はホワイトボードに貼ってあるすべての紙や文字を消し、大きめのポスターを一枚貼った。
「最後に、これが君たちが目指すデビューライブのステージ!」
「ここって、確か二千人くらい入るとこだよね。ななみちゃんがデビューしたところだよ!」
「よく知ってるね、遥香。その通りで、ここは我が赤城プロ―モーションが誇るトップアイドル、大島ななみがデビューしたステージでもあるんだ」
「あのななみちゃんの……。ならこのステージでのデビューは、ある意味凄い意味を持つことになるんじゃないかい?」
「その通りだよ、心愛。赤城プロ―モーションがここでデビューライブをやるのは、ホント大島ななみ以来なんだよ。だから、ここでデビューライブをできたなら、物凄い注目を浴びるかもしれない。またとないチャンスだよ」
それまでほんわかしていた二虎が、急に真剣な表情になった。
「僕は君たちにこのデビューライブを勝ち取って、頂点に駆け上がるスタートをして欲しいんだ。そのためにはどんな支援もする。けど、実際に仕合会場に立つのも、ステージでライブするのも君たちだ。君たちが頑張らないといけないんだ」
「もちろん、分かってるよ」
遥香は勢いよく立ち上がって、拳を強く握る。その瞳には、闘志がみなぎっていた。
他の三人も同じだ。皆立ち上がる遥香を見る目にやる気と自信があふれ出て、炎がともっているようだった。
「ああ、そうとも。ボク達は皆で戦って、トップへ駆け上がるんだ」
「そのためにオーディションも受けて、アイドルになったんですからねー」
「私も、皆と共に戦い、声を重ねたい。そのための夢叶仕合に勝つ自信はある」
「だよね。二虎、私達は言われなくてもすでに本気だからね。歌もダンスも練習して、来る敵全部倒して、トップアイドルになってみせる!」
四人の意志聞いて、二虎は安心した様な様子を見せる。だがそれも一瞬で、すぐに遥香達と同じ目になり、楽しそうな笑顔を浮かべた。
「君たちの気持ちは十分伝わったよ。僕にも君たちの夢の手伝いをさせて欲しい。全力で君たちを支えるから、頂点に立った君たちの姿を見せて欲しい!」
「なんか暑苦しいね、二虎」
「ええ⁉ そういう流れじゃなかった?」
「ボクは凄いと思うな。マネージャーのメンタルが」
「中々言える事じゃ無いと思う」
「心愛、薫まで突き放すのか⁉」
「私は格好良いと思いますよー」
「僕の味方は美桜だけだよ……」
美桜の仏のような微少に、二虎はすがるように拝んだ。
「まあさ」
そんな落ち込んでいる二虎の肩を遥香は叩く。
「私が、私達が連れて行ってあげるから。テッペン」
呆けて遥香を見上げる二虎に、遥香はニッと笑顔を見せた。
「……遥香が一番暑苦しいこと言ってない? 僕だけじゃないよね」
「ここでそういうのはいらないよ、マネージャー」
「僕が責められるの⁉」
「あーもう締まらないなあ」
遥香、心愛、薫、美桜は、まるで昔から仲の良かった友人との談笑の様に楽しそうに笑い合う。オーディションで出会ってから今まで短い期間だが、すでに四人の間には強い結束が出来はじめていた。
「やれやれ。じゃあ今日はこれで終わるけど、明日からいろんなトレーニングがぎっちり入るから、頑張ってね」
この日から、遥香達のアイドルデビューへ向けた戦いが始まった。どんな困難が待っているかなど、遥香には予想も出来なかったが、遥香には自信と必ず夢を掴むという予感だけはあった。
翌日から、多忙で過酷なレッスンの日々が始まった。遥香の一日のスケジュールを例に上げるなら、十六時に学校が終わるとすぐ事務所に顔を出し、事務所に備わっているダンス練習やボイスレッスンが出来る防音使用のスタジオでみっちり夜遅くまで練習するのだ。そしてアイドルになる以上は膚のケア等にも気を遣わないといけなくなり、家に帰ってからもケアに時間を割き、次の日の学校の時間まで泥のように眠るという日々を過ごした。四人とも歌もダンスも素人で、二ヶ月後のデビューライブに向けて、人前に出せるレベルにしようと思ったらそれくらい詰め込まないと厳しいのだ。
そしてこの生活を続けて二回目の土曜日、遥香達は休日で学校が休みということで、午前からレッスンに励んでいた。
「ハァ……ッハァ……ハァ……、っき、キツイ…………」
遥香はスタジオの端で、膝に手を突いて肩で息をしていた。午前から三時間もぶっ通しでダンスレッスンをしていたので無理も無い。寧ろその状態で立っていられるほど体力がある事を褒めるべきだろう。
「もう立てませ~ん」
美桜も床にへたり込んで、力のこもってない声で言った。
「流石に……、三時間はやっぱり、ハードだね」
心愛も全身汗だくで、目のすぐ側を流れる汗の滴にも気に掛ける事が出来ないくらい消耗していた。
「やはり、二ヶ月で詰め込むのは大変だ……」
薫は、表情こそ変えないが、目の焦点が合っていなかった。
「で、でもとりあえずお昼の休憩だよ。長かった……」
「しかし流石に今は昼食なんか入らない。すでに吐きそうだ……」
薫は遂にそのポーカーフェイスを崩し、もの凄く気持ち悪そうな顔をする。
「そう? 私はお腹減ったなー」
「遥香は元気ですねー。私も今は食べられ無いかもしれません」
「だが食べるしか無いさ。体作りもボク達の仕事だからね」
「その通り!」
そう元気の良い声でそう言いって、二虎がスタジオに入ってくる。二虎も大変な様子で、目にはうっすらクマができているし、スーツも少しシワがあった。
「皆は沢山食べなきゃ! 体作りになるし、食べなきゃ午後を乗り切れないよ?」
「だよね! ところで二虎、なんか少しやつれてない? 大丈夫?」
「ああ。君たちの頑張りに比べたら、これくらいへっちゃらだよ!」
心配そうに見つめてくる遥香に、二虎は空元気の笑顔で返した。
「そうは見えないけど。二虎もしっかり食べて、休めるときには休んだ方が良いよ?」
「そうだね。僕も沢山食べるよ。それに関係して話があるんだけど、昼ご飯食べに行かない? 皆頑張ってるから、今日は僕が奢るよ!」
「え、本当⁉」
しわになったシャツの上から胸をドンと叩く二虎に、遥香は目を輝かせて喜んだ。
「それは嬉しいけど、マネージャーはいままでそんなことしたこと無いよね。特にボク達が何か成し遂げた訳じゃ無いし、どういう風の吹き回しだい?」
「どうもなにもそのままだよ、君たちが頑張ってるから、そのご褒美だ! っとまあそう言っちゃったけど、先輩に担当の子と飯でも行って休憩して来いって追い出されちゃってさ。昼食の時くらい仕事から離れて休憩しろって意味なんだろうけど、せっかくの機械だし、本当に誘って食べに行こうかなと思ってね」
「そうなんですね。優しい先輩なんですねー」
「で、みんなはどうかな?」
二虎の問いかけに、四人は顔を見合わせる。そしてアイコンタクトで互いの主張を理解した様で、互いにうなずきあった。
「私は行きたい!」
「私も、賛成」
「皆でご飯、いいですねー」
「決まりだね。マネージャー、おごりって言うのは本当だろうね?」
「勿論! じゃあ休憩時間も長くは無いし、早速いこうか!」
ウキウキな二虎に連れられ、四人は昼食を取りに向かった。
二時間後、遥香達は腹を一杯に満たして事務所に戻ってきていた。
「いやー腹一杯!」
「遥香。あれだけの量よく食べたね。」
「ですねー。私、びっくりしちゃいました」
「その体のどこにあれだけ入るのか、気になる」
「食べ放題の店にしといて良かった…………」
二虎はまだ紙幣が何枚か入っている財布を見て、ホッと息を吐いた。
「皆が食べなさすぎなんだよ。あれくらい食べれるって」
「食べ放題の肉の全メニューを各五人前で制覇して、更にハラミ十人前は異常だと思うな。まあ、いっぱい食べる遥香も魅力的だと思うけどね」
「あの量はおかしい。見てるこっちがお腹いっぱいになる」
心愛と薫の少し引き気味な表情を遥香は理解出来ていなかった。遥香にとってはこれが普通だから引かれる理由は無い。
「まあいいや。早くスタジオに戻って続きやらないと! まだまだ成長しなきゃ!」
「遥香はまだ腕が治りきってないから無理しないでよ?」
「分かってるって二虎! まあ任せて!」
遥香はスタジオの前で止まり、入り口のドアノブに手を掛ける。
「よっし、午後もがんばるぞ!」
遥香が勢いよくドアを開ける。だがスタジオには一人、少女がダンスで汗を流していた。少女は口をぽっかり開けたまま唖然としていて、ダンス用のミュージックだけがこの場に流れている。
「ま、またなの?」
最初に口を開いたのは少女の方だった。
「またノックもせずにいきなり入ってきたの?」
「え、そう言われても、ここは私達が使ってた所だし。って、見たことある人だ。あのときの、一人で練習してた子だよね?」
その少女は何も答えず、ただ遥香から目をそらした。
「何事? って君は……。こんなところで何をしてるんだ」
二虎はスタジオに入ってくるなり、少女を見て嫌な顔をする。
「二虎。この子を知ってるんだね」
「うん。去年入ってきた君たちの先輩なんだ」
「先輩だったの⁉」
「そう。でも誰ともグループを組まないし、とってもわがままで僕らの言うことも聞かないんだ。デビュー出来るポテンシャルがあるのにもったいない子なんだよ」
「新垣二虎。あなた私様にむかってなんてこと言うのよ!」
「だって本当じゃないか。君はどれだけ勿体ないことをしているのか分かってるのか?」
「うるさいわね、余計なお世話よ」
少女は二虎に睨みをきかせた後、遥香に顔を向けて、堂々とした立ち姿で遥香に指を突きつけた。
「あなた達、私にスタジオを譲りなさいよ。今は私様が練習してるのよ!」
「無茶は言わないでくれるかな、小さな先輩」
「小さな先輩って何よ。私様には黒崎理子って名前があるんだけど」
「はいはい。じゃあ黒崎先輩、ここはアイドルが多いが、スタジオの数は限られている。だからスタジオは予約制になってるはずだよ。そして今回はボク達の番だ。だから先輩の言い分は目に余るものがあるね」
「知らないわよそんなの。いいから私様に譲りなさい!」
「先輩はさ、ボクがルール位守ろうと言ってるのが分からないのかい?」
心愛は理子との距離を詰める。二人の間の空間は狭くなり、顔と顔がハガキの幅と同じ位の距離まで縮まった。
「なによ、やる気?」
「そうだね。アイドルは夢叶仕合で勝ち取るものだ。ここを使う権利も仕合って決めてもいいかもしれないな」
もう二人は、互いにいつ手が出てもおかしくない状況だった。
両者、拳を握り、下ろしている手を相手に向けていつでも発射できるようスタンバイして狙いを定める。
「ま、待った待った!」
その間に遥香が強引に割り込んだ。
「二人とも落ち着いて」
「なによ邪魔しないで」
「そうだよ遥香。こいつは一度痛い目見ないとだめだ」
「ここは堪えて。私たちはこんなところで喧嘩してる余裕はないよ。怪我なんてしたら目も当てられないし」
「……っと、そうだね。ボクとしたことが、頭に血が上っていたよ。ごめん」
オーディションの時のような目をしていた心愛だったが、すぐに落ち着きを取り戻し、いつもの様子に戻った。
「だが遥香、この先輩はどうするんだい? 今のままじゃまた揉めるだけだろう?」
「そうだなあ。あ、良い事考えた!」
遥香は急に理子の両手を握った。
「な、なによあなた」
「理子先輩も一緒にやればいいんだよ! そうすれば揉めないでしょ?」
瞬間、場の空気が固まる。遥香の突拍子もない提案に、誰もが内容を読み取って理解するのに時間が数秒掛かっていた。
一番初めに我に返り、沈黙を破ったのは理子だった。
「は、ハァ⁉」
やっと驚くというリアクションを取れるまでには理解した様で、理子は大きな声を出した。
「あなた、何を言ってるの⁉」
「そ、その通りだ遥香! なんだって一緒にやらなきゃならないんだい?」
心愛もやっと戻ってきて、話に入ってくる。言ってることは理解しているが、意図は全く分かっていないようで、困惑している様子も見て取れた。
「理子先輩もあれだけ熱心に練習してたんだし、気持ちは私たちと同じだと思うんだ。だから皆で出来るはずだよ。それに理子先輩は私達より沢山練習してきてるんだから、分からないところがあれば教えて貰えるし」
「あのね、なんで私様があなた達に教えてあげなきゃいけないわけ? スタジオを共有して、一緒に練習しようってのもわけわかんないし」
今だ不服そうな理子だったが、遥香を見た瞬間体が硬直した。遥香の目は先程までの優しいものではなく、番長を名乗るに相応しい、強くて凄みのある目に変わっていたからだ。
「私達さぁ、こんなくだらないことで揉めたくないんだよね。これでも譲ってる方なんだけど、まだなんかあんの?」
その声色と雰囲気が、理子や心愛だけでなく遥香の後ろにいる薫達にまで強く圧を感じさせた。
理子は、最初こそ圧に歯向かおうとしたが、遥香から放たれる強烈なプレッシャーは到底耐えられるものではなく、やがて、
「わ、分かったわよ」
理子の方が折れた。
「本当⁉ 良かった、じゃあそうしよう!」
遥香は飛んで喜んでいたが、そんなテンションでいるのは遥香だけで、他は先程までの圧力に慄いていた。怒らせたらまずい人を怒らせそうになった、そんな感じだ。
「遥香、凄かった……」
「ああ。あの圧にはびっくりしたね」
「流石番長ですねー」
三人とも声が震えていた。今自分たちの仲間で良かったという思いがあったが、その震えた声に込められた感情はそれだけではなかった。三人とも幼少期から武や格闘技というものに触れ、親しんできていたから、またしたいという好奇心が武者震いさせていた。何処まで行っても、たとえアイドルになっても武闘家は武闘家なのだろう。
「全く、遥香には敵わないな。先輩、よろしく頼むよ」
心愛は理子に向かって手を差し、握手を求める。
「別にあなた達と慣れあう気はないわよ?」
「構わないさ。ボクもそのつもりは無いから」
「あっそ。まあいいわ」
理子は心愛の手を握り、強く力を込めた。心愛も反応して、負けじと手を握る力を強める。傍から見れば握手を交わす友好的な光景だが、二人は険悪な雰囲気だった。
だがこれ以上対立することなく、レッスンが再開された。空気も悪いというわけではなかったが、お互いに不干渉を貫いたので盛り上がりも無かった。
レッスンの間、遥香は自分の練習をしながら理子の様子を見ていた。初めて見た日と同じように、真剣な眼差しで取り組むその姿は、遥香には魅力的に映って、何故今だに足ふみしているのか理解できない理由だった。
「ねえみんな、理子先輩の練習見てた?」
レッスン終了後、クールダウン中に遥香が薫たちに話しかける。理子はレッスンが終わるとすぐにスタジオを出て行ってしまったので、遥香は気を使うことなく、輝いた目と高いテンションで、普通の声のトーンで楽しそうに発言した。
「見た。遥香の言う通り、凄く熱心だった。先輩のアイドルに対する情熱を感じた」
「態度は気に入らないけど、先輩は魅力にあふれていたね」
「上手でしたねー。マネージャーさんが勿体ないって言ってた意味が分かった気がしますね」
「そう! そこなんだよ!」
遥香は興奮気味に床をバンバン叩く。
「あれだけ熱があって、あんなに上手いのに、なんでいまだに燻ってるのかってこと! 気にならない?」
「そうだね。大方あの性格のせいな気もするけど、それだったら一人で進んでいけばいいだけだし、確かに気になるね」
「でしょ?」
心愛が共感してくれたので、遥香は更に嬉しくなって興奮のボルテージが上がる。
「でもなんだってそんなに興奮してるんだい? ボクらには関係の無い事だろうに」
「確かにそう。気にはなるけど、気にしなくていいと思う。私たちはそっちに引っ張られてる場合じゃない」
「私は心配っていう気持ちわかりますよー。けど薫の言う通りでもあると思います。難しいですねー」
「それはそうなんだけどさー」
それでも遥香はどうしても気になった。それだけ人を引き込む力が理子にはあると、遥香はどこかで感じていたのだ。だが自分たちの事で精一杯で、理子を気にかけている余裕は無いのも確かだ。この迷いが、遥香を揺さぶっていた。
「みんなお疲れ様。入ってもいいかな」
スタジオ入り口の扉から、ノックと共に二虎の声が聞こえてきた。
「はーい。大丈夫―」
遥香が少し声を張って返すと、二虎が数本のペットボトルの入ったコンビニ袋を手に提げて入ってきた。
「お疲れ様。スポーツドリンク買ってきたから、皆で飲んで」
二虎はドリンクを取り出すと、一人一人に手渡す。四人ともしっかりとお礼を言ってから受け取り、のどが渇いていたようで、皆すごい勢いで飲んだ。
「仕事があって、レッスンに居てあげられなくてごめんね。あれから大丈夫だった?」
「うん、なにも無かったよ。寧ろもの凄く刺激を受けたし。でもなんであんな調子なのかイマイチわかんないんだよねー。それが気になってさ」
軽い感じで話す遥香とは対照的に、二虎の表情は暗くなり、気まずそうにする。少し動揺していて目が泳ぎ、言うかどうか迷っているようだった。
「どうしたの? もしかして、何か知ってたり?」
「まあ。去年に色々あってね……」
「そういう言い方されると気になる」
スポーツドリンクを飲み終えた薫が、表情を変えないまままっすぐ二虎を見て続きを話せと訴える。二虎は薫の視線が痛く、目を反らした。だが他三人も薫と同じような目をむけてきていた。それでも少しの間渋っていた二虎だったが、諦めたのか大きくため息をついた。
「あの子のためにも言わないでおこうと思ったけど、まあいいや。皆なら大丈夫か」
二虎はスタジオの床に尻をついて座り、薫たちと目線を合わせ、話し始めた。
「あの子、去年オーディションに受かってここに来たんだけど、まああんな感じだから、結構色々揉め事が多くて。けど才能は凄かったから、一度社長が新人でグループを作って、そこに理子が入ったんだよ。カシューナッツってグループ分かるかな」
「もちろんだよ。デビュー当時は凄かったよね。けど同時期にデビューしたキングオブキングスとは、今となっては結構差が付いちゃってるかなー」
遥香は当然だと言わんばかりのどや顔で、嫌なオタクのように上から目線な感想を述べる。
カシューナッツというグループはデビューしてから現在で一年の五人組グループだ。赤城プロ―モーション同期の「king(キング) of(オブ) kings(キングス)」という四人組グループと同時期にデビュー、ブレイクし、業界を盛り上げた。だが現在は人気に差が出来ており、キングオブキングスをカシューナッツが追いかけるような構図になっていた。
「先輩は、元々はカシューナッツのメンバーだったんだね。それならあのレベルの高さも頷ける。しかし何故先輩は今カシューナッツにいないんだい?」
「理子はカシューナッツに入ってもあんな感じでね。凄く頑張るんだけど我儘なままで、一人で突っ走っちゃってたんだよ。そんな理子に他のメンバーはいつも悩まされていて。で、遂に愛想つかされちゃったんだ」
「そんな過去があったんですねー。でもだったら、やっぱり一人で頑張った方がいいと思いますけど、なんだかマネージャーさん達にも距離があるように感じます」
「うん。美桜の言うとおりだ」
二虎は酷く落ち込んだ様子で、目線を下げる。
「結局、理子はカシューナッツを抜けることになるんだけど、そのやり方が問題だったんだ」
「二虎が何かしたの?」
「直接的には何も。けど止められる立場にあったのに、先輩に頼まれたからという理由だけで手伝ってしまったんだ……」
「一体マネージャーと先輩に、何があった。その様子、辛いと思うが、ここまで話したんだ、言って欲しい」
「……カシューナッツのデビュー日と理子が抜けた日は同じなんだけど、理子はデビューする日を知らなかったんだ。先輩とカシューナッツは、黙って理子を脱退させ、そのまま理子抜きでデビューした。裏切ったんだよ、すぐに理子を切り離したかったから。だから理子は他のアイドルたちだけじゃなく、僕等事務所の人間も信用せず、頼ろうとしないんだ」
二虎は全て言い切り、少し疲れた様子でただ下を向いていた。
当時まだ見習いだった二虎は、先輩の手伝いをしながら経験を積んでいた。その先輩が担当していたのがカシューナッツだ。当時のメンバーは六人で、理子はそのスキルの高さからセンターに立ち、その才能でグループを引っ張っていくことが期待されていた。
しかしあの性格のせいでグループ内の揉め事は絶えず、あわや解散の危機にまで発展しかけたこともあった。
とはいえ理子も全く害を出していたわけではなく、レッスンを重ねるたびに他のメンバーの歌やダンスのレベルが著しく上がっていた。ほんの一か月でデビューしても困らないレベルという成長率だ。
そしてデビュー一か月前、そろそろデビューライブの夢叶仕合のことを考えなくてはならなくなったころ、二虎の先輩はあることに気づいた。
それは理子がレッスンを休んでいて、五人で練習していた時の事だった。たまたまその練習風景を見ていた先輩は、理子がいないときの方が明らかに場の雰囲気が良く、歌やダンスも一人一人は理子に劣るものの、歌声のまとまりやダンスのチームワークが段違いで良かったことに気づいた。
先輩にとって、理子という才能にあふれている尖った子を残すよりも、一人一人は凄くないが、チームとして完璧な五人というのは、天秤に掛けられないほど明らかに差があり、結果として理子を切り捨てる方を選んだ。
だがそれを本人に言えばまた揉めてしまう事が容易に予想でき、デビュー前なカシューナッツにとっては避けたかった。そのため、理子には黙ってのけ者にし、そのまま文句を言われる前にデビューさせてしまおうとしたのだ。二虎は先輩だからという理由で止められず、デビューするまで手伝った。
二虎はこれが良くない結果を招くことは予想していたし、抜けさせるにしてもきっちり話し合うべきだと思っていた。だが二虎は弱かった。特に新人で自信がなく、先輩に「それは駄目だ」と強くいう事が出来なかった。二虎は今でもそれを後悔していた。
二虎はカシューナッツがデビューするまでの期間、理子に隠しながら熱心に働いた。おかげで二虎は仕事のノウハウをしっかりと身に付け、マネージャーとして一人で仕事が出来るまでになった。結果として、この経験が二虎を成長させたことになり、それを本人も自覚していて、それが理子への後ろめたい気持ちを助長させていた。
理子はこれまで我儘で高圧的な性格だが人との壁を作らず楽しそうにしていたが、カシューナッツのデビュー後から、性格はそのままに、自身と他人との間に高く分厚い心の壁を張るようになった。練習は常に一人で行い、ボイストレーナーやダンスインストラクターすら頼らなかった。
そんな独りよがりな練習だが、持っていた才能のおかげで、一人でもかなり高いレベルにまで成長していた。これでついてしまった一人でもできるという自信が、更に理子を孤立させることになった。
そして一年の時が過ぎ、理子はデビュー前のアイドルの中で一番の実力を持ちながら、事務所で孤立し、デビューも出来ないまま才能を無駄にして燻っていた。
レッスン後、日も落ちて暗くなった帰り道を、遥香は一人歩いていた。
遥香は十数分前に二虎から聞いたことについて考えていた。全てを話してから、二虎のトラウマのスイッチを入れてしまったようで、二虎はすっかり落ち込んでしまった。そこで今日は終わりとなり解散したのだが、遥香は未だに理子の事が気になっていたのだ。
下を向いて考え事をしながら歩いていた遥香はふと、なんとなしに顔を上げた。
「……あ」
遥香の目の前で、コンビニの眩しい明かりをバックに、理子が缶ジュースを飲んでいた。
理子と遥香の目が合った。そのタイミングで理子も遥香に気づいたようで、咄嗟に目を反らす。
「理子先輩こんばんは!」
だがもう手遅れで、理子は遥香に声を掛けられた。
「……何よ」
流石に無視するわけにもいかず、理子は渋々返事をする。
「何してるの?」
「何って、別に何も」
「まあそっか。あ、そのジュース美味しいよねー」
「まあ、そうね」
「そう言えば理子先輩、今日のレッスン凄かったよね!」
「……あっそ」
結構グイグイ来る遥香に、理子は面倒くさそうな顔をする。嫌そうな顔をしている人にここまで詰め寄ってくるメンタルとコミュ力に逆に感心してしまうほどで、理子は返事を返してしまったことを後悔した。
「……ねえ、あなた、私様に何か用なの?」
「理子先輩の練習、最初に会った時から見てたよ。今活躍してるどのアイドルにも引けを取らないくらい凄くて、私、いや、薫と心愛と美桜だって、理子先輩みたいに上手くなりたいって思ったよ」
「だ、だから何よ」
ふと何かに気づいて、理子はハッとする。そしてそれを確かめる為に、動揺を隠しながら言葉を発した。
「あなた、まさか何か聞いたの? 私様の事」
「うん。二虎から聞いたよ」
悪い予感が当たり、理子は酷く狼狽えた。だが狼狽えてるとは思われたくなかったから、すぐに無理やり強がって見せる。結構ボロが出ててバレバレだが、それでも貫こうと声を張り上げた。
「……っだから何よ。あなたには関係ない事でしょう? それとも自業自得だって笑いたいの?」
「そんなんじゃない。ただ勿体ないなって思っただけ」
「そんなの、余計なお世話よ」
「理子先輩はこんなところで立ち止まってはいけないんだよ」
「なんなのさっきから! 放っておいてよ‼」
「嫌だ!」
遥香は声を張り上げながら数歩歩いて理子との距離を詰め、理子の両肩を両手で強く掴んだ。
「ちょっ、痛いんだけど」
「理子先輩にはこんなところで立ち止まって欲しくない。私、ビビッっときたんだ。理子先輩は私たちと一緒にやれば絶対頂点を取れるって」
「は、ハァ⁉ な、何を言ってるのあなた。言ってる事わけわかんないし、そもそもどこにそんな根拠があんのよ」
「根拠は無いよ。でも感じたんだ。薫と、心愛と、美桜と、そして理子先輩となら、絶対良いって!」
遥香の、理子の肩を掴む手が強くなる。
「だから理子先輩を絶対に手に入れる」
「手に入れるって、どういう」
「私たちのグループに入って、デビューして、それでもって一緒に頂点まで駆け上がってもらう!」
「わ、訳がわからないわよ……」
遥香が突拍子もないことをあまりに自信満々に言うので、理子は引き気味だ。
理子はその性格から、酷いことを言われたり敬遠されたりすることは幾度もあったが、ここまで求められたのは初めてだった。別に嬉しくなかった訳ではないのだが以前の経験のせいで信じることが怖かった。それにほとんど会話したことの無い人間にここまで熱く勧誘されるというのも信じがたい要因で、理子は何かあった時いつでも逃げれるようにつま先の向きを変える。
「そんなこと軽く言わないでよ。大体あの三人は了解してるの?」
「それは後で説得するよ。きっと分かってくれると思うから」
「それって、良くないんじゃないの?」
「うぐっ。と、とにかく! 私は本気だから!」
「あっそ。けど嫌よ」
今まで圧倒されていた理子は、やっと自分のペースを取り戻した様で、力強い目で遥香を見る。
だが遥香は怯まない。理子がそう返す事をあらかじめ予想していた様な動じなさだ。そして先を見越して用意していた言葉を、理子にぶつけた。
「ならさ、夢叶仕合で決めようよ。アイドルは全部仕合で勝ち取るものみたいだしね」
遥香のした提案は理子にとって考えても無い事だったが、不思議と飲み込めた。自棄(やけ)になっていたのもあるし、普通に勝てると思っていたからだ。
「良いわ。その喧嘩、買ってやろうじゃないの。私様が勝ったら、二度と私様に関わらないで」
「そうこなくっちゃ。なら私が勝ったら私達とアイドルやってもらうからね」
この瞬間、理子の命運を賭けた夢叶仕合が決まった。お互い譲れない、本気の仕合だ。
「じゃあ、事務所に言ってセッティングしてもらいましょ」
「ううん。その必要は無いよ」
遥香は左後方を指差す。
「向こうに公園があるから、そこでやろうよ」
「ちょ、本気?」
「うん。元々この仕合は非公式だし、そこまで迷惑かけられない。それに二虎に言えば止められちゃうよ。でもそこなら邪魔は入らないと思うけど」
「……分かったわよ」
理子は遥香の申し出を承諾し、公園へ歩き出した。
事務所近くの小さな公園の真ん中で遥香の対面に立った理子は、少し後悔していた。こんなことしたくなかったのに、軽はずみで承諾してしまった事をだ。
また、理子の心には一つ迷いがあった。遥香の提示した条件は、孤独だった自分を仲間に招き入れ共に歩み出そうというもので、理子にとっては今の状況を打開できるチャンスであり、決して悪くない提案だった。だが遥香達もカシューナッツのメンバー達のように、最後は裏切るのではないかという不安があり、どうすればいいか分からないでいた。
「準備はいい? 理子先輩」
遥香は手首と足首を回して準備運動をしながら、理子にそう言う。挑発しようという様子ではなく、ただ単に楽しんでいる様子だ。
「……いつでも来なさい」
理子は足を前後に開いて膝を少し曲げて腰を落とし、構えた。
二人の位置関係は、大体五メートルほど間隔を開けて互いに正面を向けて立っている。まだ遥香の間合いには遠く、攻撃するにはほんの少しだけ時間が掛かった。
「うっし。じゃあ行くよ、理子先輩!」
遥香は体を急降下させて重心を落とし、突進する体勢になる。距離を一気に詰める気なのだ。
恐らくこれから物凄いスピードで突っ込んでくる遥香を目の前にして、理子は全く動じて無かった。ある一つの有利が理子にあったからだ。
「ッシッ‼」
遥香は短く息を吐くと、一歩前に踏み出した。
すかさず理子は地面を蹴って後ろに下がり、距離を保つ。この行動で、遥香の突進の計算が狂い、瞬発力が消えた。理子はこの瞬間を見逃さない。
だが依然二人の距離は遠い。この距離を詰めて殴るころには遥香も体勢を持ち直して向かってくるだろう。ここで理子の有利が生きる。
理子は大きく一歩を踏み出した。ここまでは普通と同じだ。理子はその踏み出した方とは逆の足を引きつけ、体を回しながらその足を更に前へ送った。
この一連の動作で、あれだけあった間合いを一瞬で詰めた。
「セアッ!」
あまりに急なことで対応できずにいた無防備な遥香の頬に拳を思いっきりぶつける。殴られた衝撃と思わぬ行動による対応の遅れで、遥香はバランスを崩して後方に倒れ転がった。すぐに立ち上がって構えた遥香の口から、口内を切ったのか血が垂れている。
「何今の……。一瞬で直ぐ近くに来た……?」
遥香は何が起きたのか分からず少しパニック気味だ。だがこれが理子の有利なのだ。
先程の二歩前に踏み出すあの動作を、流れるように高速で行うことで、他者が一歩踏み込むのとほぼ同じ速度で二倍以上の距離を移動できる。つまり理子の間合いは、他者の二倍以上ということになる。理子の小柄という弱点をカバーするどころか、敵を圧倒する強みなのだ。
「私様の間合いはあなたのをはるかに凌駕するほど広いの。ちょうど今もあなたは私の間合いの範疇、いつでもあなたを殴りに行けるのよ?」
遥香もやっと理解したようで、真剣な表情に戻る。
「今まで私、鉄パイプとか木刀とか、素手より長い間合いの相手を結構してきたけど、ここまで届くのは始めてだよ。同じ素手なのに、凄いね。でもそれだけならそこまで脅威にはならないかな。パンチもそんなに重くなかったし。理子先輩、こんなもんじゃないでしょ?」
「確かにまだまだ見せてないもの沢山あるわね。けどあなた、このアウトレンジを甘く見ているとこれだけで終わってしまうわよ?」
遥香は口の血を拭うと拳を握った。挑発まがいなことを言ったが、遥香は他に何も見えていないのでは無いかというほど理子に集中していた。
そんな遥香の本気の目が、理子に心を開かせそうになる。だが勇気が出ない。
この瞬間理子の心に迷いが生じ、遥香にとって大きな隙が出来た。理子のアウトレンジを生かすことも出来ず、遥香の攻撃が届く距離まで近づかれる。
それでもまだ脳内の思考から現実に帰ってこれなかった理子は、遥香に大きなモーションをさせるだけの時間を与えてしまった。
遥香は腰を回して理子に背を向け、その遠心力を最大限利用して後ろ回し蹴りを叩きこむ。理子は抵抗できず、後方に吹き飛ばされてしまった。
普通の少女となんら変わらない細い脚からは想像できないほど重い蹴りは、理子への身体的ダメージだけでなくメンタルへのダメージにも大きく影響を及ぼした。少しの油断を突かれたこと、そして思っていたよりも衝撃が大きかったことへのショックはいつでも、容赦なく心を折りにくるのだ。
「あ、あなた何処からそんな力が出てるのよ……」
「さあね。でも強いでしょ、私の蹴り」
遥香は自信たっぷりで蹴りの素振りをして見せる。
「まあまあ、ってところね」
理子は体についた土を叩くと、構え直した。まだまだ理子の心は折れていない。寧ろこれからだといった様子だ。
遥香は素早く理子に近づく。あのロングレンジを使わせない気だ。二倍以上の間合いがあるといえども、活用する前に詰められてしまえば意味を成さなくなる。
遥香の慢心か、それともそういうファイトスタイルなのか、初撃から顔面へのハイキックのモーションに入る。
遥香のハイキックが速い、初めからこれを選択できることが納得できるほどだ。遥香の足は理子の側頭部に向けて円を描きながら吸い込まれるように向かっていく。
「入ったッ!」
遥香は確信をもってそう叫んだ。
だが次の瞬間には、蹴りの軌道上に理子の姿は無く、それどころか遥香の視界から消えてしまった。
「っ‼」
勢いがついてしまっているので、足を戻して立ち直ることが出来ない。せめて早く次につなげようと、振りぬく足に力を込めようとしたその時、
「ッぐっ!」
突然遥香の顎に強烈な痛みと衝撃が走った。
そのころの理子はというと、遥香がハイキックのモーションに入る瞬間、素早く姿勢を低くする。そのまま体を捻って遥香に背を向け、地面に手をつき、遥香の蹴りの軌道から体を反らす。その体の落下と捻りの勢いを使い、遥香の腹に後ろ蹴りを食らわせていたのだ。
綺麗に蹴りが顎に入り、遥香は自分が地面に立っているという感覚を失いつつあった。膝から崩れるように落ちていく。だが、倒れない。視界が真っ暗になりつつある中、遥香は歯を食いしばって落ちまいと耐えている。
「っぶない危ない」
遥香は落ちずに戻ってきた。まだ気持ち悪そうだが、ファイティングポーズを取れる位には回復している様だ。
「なに呆けてんの、理子先輩」
「……あのまま倒れていれば楽になれたのに、なんで踏みとどまるのよ」
「そんなの当たり前じゃん」
遥香は一瞬で、パンチが届く範囲まで理子に近づく。そして右ストレートを理子に打ち込んだ。
「なっ⁈」
理子は抵抗できず遥香の拳を受け入れる。拳は理子の頬を打ち抜き、頭全体に衝撃が駆け抜け、視界が揺らぐ。それでも理子は歯を食いしばって体勢を崩さまいと耐える。
「っらぁ!」
理子は気持ち悪くなりながらも、力を振り絞って左拳を突き出した。
拳は遥香の左頬のすぐ横を通り、止まる。それをみた理子は、悔しいという感情が心の中一杯に溢れていることに気づいた。
「ほら、理子先輩も私のパンチを受けてそのまま倒れていれば楽になれたのに、踏ん張って耐えて、更に反撃までしてる。理子先輩も、解ってるはずだよ。私たち、勝ちたいんだ。だからしんどくても踏ん張るんだよ」
理子は遥香の言葉で、一つ心のモヤが晴れたように感じた。
「言っとくけどさ、理子先輩。カシューナッツの皆んなと違って、理子先輩がどれだけ天才で、とても難しい性格をしてるとしても、私達は負けるつもりないから。私、私や薫、心愛、美桜の誰も理子先輩に負けてるって思ってないし、受け止められないとも思ってないからね」
「私様は、それでも信じられないわ……」
「信じろって言ってんじゃない、舐めんなって言ってんの」
遥香は右拳を固める。
「絶対負かして理子先輩を引き込むからね。理子先輩のトラウマもなんもかんも、今ここでぶっ壊して、手を引っ張って、先へ進ませる!」
そして遥香は思い切り拳を突き出し、理子の顔面の中心を穿った。
「あれって遥香と先輩じゃないです?」
レッスン後、遥香の後に事務所を出た美桜、心愛、薫の三人は、コンビニの前で遥香と理子が話しているのを発見した。遠くて何を話しているのかまでは分からなかったが、理子は嫌そうな顔で、遥香リアクション大きめで何か訴えているような様子だ。
「本当だ。何を話しているんだろうか」
「遥香は凄く先輩が気になっている様だったし、たまたま会ったから今日の練習の事とかを話しているのかもしれないね」
「かもしれないですねー」
「いや。先輩もグループに入って欲しい、とかかもしれない」
「それは……、遥香なら無いとも言い切れないかもしれない。けど技術はともかく、あの性格は中々苦労すると思うけどね」
「心愛は先輩を敵視しすぎだと思う。確かにどうかと思う部分もあるが、心愛は少し気が短いぞ」
「へぇ。言うじゃないか薫」
「本当の事を言ったまで。ほら、今も」
「まあまあ二人とも落ち着いてください。まだ遥香がそう言ったわけじゃないですし、決まってないことで喧嘩しないでください。ですが、何を話しているのか気になりますね」
その時、理子と遥香がコンビニを離れ、移動し始めた。方向的に、近くにある公園へ向かっているようだ。だが二人の雰囲気的に、遊びに行く感じではなかった。
「あ、二人とも移動しますね」
「ついて行く?」
「もちろん。遥香の事だ、また何かやるのかもしれない。だから一応見に行ってあげた方が良いだろう」
「ただ気になるだけでしょ」
「それもあるね。じゃあ、行って見ようか」
心愛達は、遥香との距離を保ちながら尾行を始めた。しかしながらこの尾行はすぐに終わった。目的地がすぐ近くの公園だったからだ。三人は公園の入り口付近で二人を観察していた。
遥香と理子は五メートル位の間隔を開けて正対し、今にも決闘が始まりそうな雰囲気を出す。
「これ、大丈夫なんですか?」
「分からない」
「今にも殴り合いになりそうな雰囲気だよね」
急に理子が構えを取る。ダンスの振り付けなどではなく、闘気を感じさせる武道の構えだ。コレに合わせて遥香も硬く拳をにぎり、備える。リングの上や道場ならともかく、女の子二人が公園の真ん中でやることではない。
「ど、どうしましょう!」
「二人ともやる気みたいだ。止めに行くか?」
「いや、多分もう始まってしまっているよ。二人の目、多分いつ飛び出すかタイミングを探ってるんだろう」
そして睨み合っていた二人は、ついに衝突した。
決着は体感的に割と早く着いた、遥香の勝利という形でだ。遥香が理子を殴り飛ばした直後、三人は遥香に向かって走り出していた。
理子は数十秒の昏倒の後、目を覚ました。理子には自分がどれだけ寝ていたのか分からなかったが、立ち上がって戦おうという気にもなれなかった。
「一体何があったんだい、遥香」
誰かが話している声が理子はまだハッキリしない意識の中で聞こえてくる。
「いや、これには訳があって……」
少し感覚も戻ってきて、理子は自分の周りで誰が話しているのか理解した。大きめの声で何か話し合っている様で、頭に響いて五月蠅く思う。
「あ。ほら、理子先輩気が付いたみたいだよ」
遥香が覗き込んでくる。だらりと力を抜いている右手についた血は、きっと自分のものだろうと理子は思った。
「ねえ。私様は、どのくらい寝ていたの?」
「うーん、そんなに長くは。二~三十秒くらいじゃないかな」
「そう……」
理子は全身の力を抜いて起き上がろうとせず、代わりにため息をついた。それだけ長い間意識が無い状態であれば遥香はいくらでもやりたい放題出来る、つまりは敗北したのだ。理子はそれを理解し、諦めた。
「私の勝ち、でいいよね?」
「……それは言いたくない。ただ私様はあなた達と一緒のグループに入らなきゃならなくなったってこと」
「え。どういうことだい?」
この話に途中参加した心愛たちは、当然ながら話の全貌など分かるはずもない。心愛は遥香に説明を求めるべく、遥香の瞳を見つめた。
「あーっと、その」
「……全く、あとでいくらでも説得するとか言ってたのに、そんな調子で大丈夫なのかしら」
理子は遥香が少し心配になった。全く心愛たちが状況を知らないことやいま遥香が言い淀んでいる様子から、本気で思い付きだけで突っ走っていたことが予想できたからだ。理子は、そういった思い付きは大事だし、それのおかげで自分に声をかけてくれたと思っているが、突っ走ってどこかへ飛んでしまうのは避けなければならないとも考えているので遥香がそんな心配要素を含んでいる人なことが不安だった。
「先輩は何か知っているのかな。なんで先輩がボク達のグループに入ることになったのか」
「当たり前じゃない当事者なんだから。この子がこの調子だから、私様が代わりに説明してあげる」
理子は事の経緯を一から説明した。遥香の突っ走りが招いたことだから行動の意図を三人が理解することは無かったが、とりあえず何があって、これからどうなるかだけは分かってくれた様子だ。
だが理解するのと納得することは違うもので、特に心愛は、はいそうですかというわけにはいかない様子だった。
「なんでいきなりそういう話になってるか分からないけど、そこは触れないでおくよ。ただボクとしてはハイどうぞとはすぐには言えないかな」
「それはそうだと思うけど。でも、理子先輩とやれたら絶対凄いことになると思うんだよ!」
「根拠は?」
「それは。勘?」
心愛は大きなため息をつく。そしてまるで間違ったことをした子供を諭すように遥香の瞳を覗きこんだ。
「いいかい遥香。まずはこういうことはボク達に相談してからにして欲しかったかな。分かるよね?」
「それは、ごめん」
「うん。それと、先輩がカシューナッツに裏切られたのは、まあ向こうのやり方も悪いと思うけど、先輩に大きな原因があると思うのが普通だと思う。いいかな遥香、ボク達は二か月後までに歌やダンスを仕上げてデビューしなきゃならない。あまり余裕は無いんだ」
「だからこそだよ。先輩は必ず私たちの力になってくれると思ってる。根拠は無いけど、自信はあるよ」
「いや、だから」
言い返そうとした心愛だったが、遥香のまっすぐな目から意見を曲げる気は無いのだと感じて言うのを止めた。かといって譲れるわけでも無く、困り果てて頭を掻く。
「やはり心愛は先輩の事を嫌いすぎている風に思う。確かに今日の事は驚いたが、そういう人もいる。それだけだろう」
「それだけでは済まないんだよ、薫。他人ならそれでいいかもしれない。だが一緒に夢を追うということなら話は別だ、関わりが強くなるからね」
「私は、先輩が仲間に加わってくれるの良いと思います。先輩歌もダンスも凄いですし」
「それはそうだけど、グループ活動というのは技術力だけの問題じゃなくなるんだよ。複数の人間が関わりあうのだから、人間関係も重要になってくる」
理子は心愛の言い分も理解できたし、反対されるだろうことも重々承知していた。そもそも期待すらしていなかった。反対されてこの話が無しになってもまた一人に戻るだけだ。理子はそう思って諦め、外の音を心から遮断しようとした。
「心愛、もしかしてビビってる?」
だが遥香の一言で強引に引きつけられた。
「え? なんだって?」
心愛の声色が変わる。表情は先程と変わらないが怒りは十分伝わってきた。それでも遥香は怯まず話を続ける。
「心愛さ。確かに二か月切っててやばいってのも分かるけど、ちょっとビビりすぎだよ。むしろ理子先輩の力は私たちがデビューするのに絶対必要だし。それに、私達あのオーディションを勝ち抜いてきて、これから最速でデビューして、勢いそのままアイドルの頂点に君臨するんだよ? そんな私たちが、ちょっと気難しい先輩が加入したくらいで騒いでちゃダメでしょ。私は、心愛や薫、そして美桜はこれくらい訳ないくらいに懐の大きい人たちだってわかってるから」
心愛、薫、美桜の三人は顔を見合わせ、少し恥ずかしそうにソワソワする。
「ひ、一人で突っ走っちゃったのは棚に上げて、そういう事言っちゃうんだね」
「それはごめん。けど私のそういう所も受け止めてくれるって信じてる」
「出会ってたった数週間程度なのに、どうしてそこまで信じられるんだい? よほどお人よしなのかな。まあ、信頼してくれているというのは悪い気はしないけどね」
心愛は照れくさそうに顔を反らす。
「私は先輩が加わるの、賛成です。先輩面白いですし、なんだか楽しそうじゃないですか」
美桜は朗らかな笑顔を理子に向ける。こんな優しい顔を久しく向けられてこなかった理子は思わず目を反らした。それが美桜には照れた様に映ったらしく、「ほら、可愛いです」と、また笑った。
まだ少し微妙そうな表情をしている心愛の肩を薫が叩く。相変わらずの無表情だが眼差しは真剣で、心愛は少し身構えて薫の声に耳を傾けた。
「心愛。ここは了承してもいいと思う。しかし心愛の言っていることも分かる。だから正式に加わるかどうかは保留、しばらくは共に練習するだけにして、様子を見るというのはどうだろうか」
「なるほどね。まあそれが妥協点かな。遥香にああまで言われてしまったし、頭ごなしに駄目だと言うのもなんだか馬鹿らしい」
心愛は理子に目を向けた。
「先輩。そういう事だから、これからよろしく頼むよ。だけどボク達に合わないと思えば、この話は無しという事で」
「まあそこが落としどころね。いいわ、それで」
「いやったぁ!」
話がまとまり、遥香は飛んで喜んだ。
そんな遥香に聞こえないように、理子は心愛たちに言う。
「先輩として言っておくけど、遥香は見ての通り勝手に飛んで行っちゃう子よ。あなた達、しっかりと遥香の事見ておきなさい」
「そんなことは分かってる。気をつけなきゃいけないこともね。けど先輩、ボク達のグループに入るんなら、先輩もしっかり見てあげて、支えてあげないと。チームなんだからさ」
「えっ。……まあ、そうね」
理子は面倒くさく感じた。絶対なにか起こるという嫌な予感がしていたからだ。そして今まで他人に無頓着だった自分が遥香を心配しているという変化に少し驚き、戸惑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます