第四章

理子が加わってから数日。事務所のスタジオで、 

「そこはそうじゃないだろう? もっと大きく、激しく表現しないとだめだ!」

「いや、違う。ここはもっと優雅さを意識した方が良いと思う」

 心愛と薫が激しく言い争っていた。

 レッスン開始からちょうどひと月、ダンスや歌の基礎をしっかりと身に付けた遥香たちはすでにデビューライブで披露する曲の練習に取り掛かっていた。だがダンスに関しての知恵が付き、且つある程度自分達でアレンジ等するよう言われていた為、どこをどう表現するかという論争が頻繁に起こる。特に心愛と薫は激しくぶつかり、毎日のように火花を散らしていた。

「はぁ……。二人ともいつもこうね」

「先輩、二人を止めて下さいよ」

「はぁ? なんで私様がそんなことしなきゃならないのよ」

「まあまあ。こういうのはぶつかるほどいいものになるだろうし、させてあげたらいいんじゃない?」

「もー、遥香まで。確かにこういう話題でぶつかり合うのはいいですけど、全く関係ない所でもいつも喧嘩してるじゃないですか」

「それはまあ、そうかも」

「放っておきなさいよ。直に満足するでしょ」

 この間にも、二人は絶えず言い争っている。実際に燃えているわけではないが、二人から炎が見えるほどだ。

「薫は分かってないね。ここはこうじゃなきゃ駄目だ」

 心愛は薫に自分の思うダンスを見せる。大きく体を動かし、情熱を表現した激しいものだった。キレも良いので、見ていた遥香達から「おー」が湧く。

「心愛こそ分かっていない。どうしたらそんな発想になるんだ。ここはもっと淑やかに優美にした方がいい。こんな感じで」

 薫は心愛に対抗して、優美さ溢れる綺麗なダンスを披露する。こちらもとてもうまく、遥香たちの歓声を貰った。

「二人とも上手いねえ」

「もちろんです。だって私たちの中でもナンバーワンツーの上手さですからね。先輩が教えてくれたこともあって凄くよくなってますし」

「けど価値観が真逆なのが問題よ。だからこうやっていつも喧嘩ばっかりしてるんだから」

「良いライバル関係ってことだとね」

「……よく言えば、そうね」

 蚊帳の外で話している遥香たちに向かって、心愛と薫が同時に体を向ける。そして、

「「皆はどう思う」かな」

 と声を揃えて言う。ここまでがいつもの流れで、レッスンの度にくり返すのだ。

「うーん、えっと」

 何度もあったので遥香もこの光景を見慣れてきてはいるが、返事には今でも困っていた。どちらかの味方をするのもなんだか気まずく思っているのもあるが、何よりもダンスや歌に関する対立の時は両者捨てがたく、迷う二択ばかり提示してくるからだ。

 困りに困って、遥香は美桜に目配せして助けを求める。だが美桜は目を泳がせるばかりで頼れそうにはない。

 次に最後の頼みである理子に目を向ける。理子は凄く面倒くさそうな顔をして、遥香の耳元に顔を近づけてきた。

「いや、あなたが何とかしなさいよ。リーダーはあなたでしょ?」

「え、リーダー? 何の話?」

 理子と遥香が小声で話しているのをよく思わなかったのか、心愛は少しムッとした表情で遥香に詰め寄る。

「何を話しているのかな。ボクと薫のどっちが正解か聞いてるんだけど、関係あるのかい?」

「内緒話は良くない。先輩と何を話してたの、遥香」

 薫も、無表情で遥香の目を覗いてくる。

「何って、リーダーが誰かって話だけど」

「全く関係ないじゃないか……」

「けどその話はそう簡単に決められないし。心愛の言うことも薫の言うこともどっちもいいんだから」

 煮え切らない遥香に、心愛は不機嫌に、大きなため息をついた。

「心愛、そんなに不機嫌になっても仕方がないですよ。判断が難しいことを言ってるのは本当なんですから」

「そうだ心愛。心愛はいつも気が短いから、もう少し落ち着いた方が良い」

「いつも怒らせているのは誰かな」

「そう言うところだ。心愛はいつも血の気が多い」

「確かにね。育ちの良い金持ちには少し刺激が強かったかな」

「何?」

「おっと、これもマズかったかな? ボンボンには」

しかし今日はいつもより雰囲気が険悪になってきている。大抵はただただ言い合いになって終わるのだが、喧嘩するまでに発展するのは今まで無かった。

「あなた達、それまでにしておきなさい。今喧嘩なんかしたって仕方ないでしょう」

「先輩、今度ばかりはそうはいかないね。薫は挑発が上手いな。ボク、久しぶりにキレちゃったよ」

「キレてるのはいつものこと。それに挑発してるつもりはない。思ったことを言っているだけ」

「だから良い加減に……、ってなんで私様が止めてるのよ。ほら、リーダー。なんとかしなさいよ」

 理子は遥香の背中を思いっきり叩いて催促する。遥香はしっくりきてない顔をしながらも、心愛と薫の間に立った。

「だからそんなんじゃないって。……二人とも、それまでにしよう。ね?」

「邪魔しないでくれるかな、遥香」

「そういうわけにはいかないよ。今日はちょっと行き過ぎてる」

「その通りだぞ、心愛」

「薫もだよ。言いすぎ」

「ぉうっ……」

 遥香は両隣に居る心愛と薫に睨みを利かせる。目でこれ以上は許さないという意思を示した。

「ダンスの表現とか、そういうことについて意見をぶつけ合うのは良いと思うよ。けど今日みたいに喧嘩にまでなるくらいならしない方がマシだ」

 二人とも気まずそうに互いの顔を見る。冷静になって、どちらも少し言い過ぎたという自覚が出てきていたが、自分から悪かったと謝ることを渋っていた。

「ほら、喧嘩はお終い。それでいいね?」

 遥香が仲直りを促す。

「……分かった」

「そうだね。この話はもう止めようか」

 二人は目を合わせないままに言う。話は終わったが、二人の間の空気は最悪だ。

 この気まずさをそのまま放置して、心愛はスタジオの壁に寄りかかって携帯を弄り始め、薫はトイレに行ってしまった。

「……遥香。このチーム、今からこんな感じで大丈夫なのかしら。あとひと月で本番なのでしょう?」

 理子は心配そうに言う。遥香の方から誘ってきておいて、このような体たらくでは不安にもなろうというものだ。

「なにそれ。先輩、ボクと薫への当てつけかい?」

 心愛が携帯を触りながら、棘のある声色で言う。

「そういう喧嘩っ早い所とか特に心配になるのよ。私様は遥香が絶対上に行けるからって自信満々に言うから信じてみようと思ったのに、これじゃあデビュー以前の問題じゃない。あなた達、あんまりこんなだと空中分解しちゃうわよ?」

 理子の心配には心愛も自覚があるのか、何も言い返せずにいた。ただ腹が立つのは変わらないので、潰すくらいの勢いで携帯を握っている。

「まあまあ。そういうところも心愛の強みだし魅力だよ。それに心愛も薫もみんなのことを思っての行動なんだから悪く言っちゃいけない。今はこんなだけど、良いチームになるはずだよ。だって皆が同じ目標持って、そのことを第一に考えてるんだから」

 遥香は結構良いことを言ったという自信があったので、少し得意げな顔をした。

「……そのドヤ顔さえ無ければ格好良いこと言ってて良かったのに、もったいないわね」

「ええっ!」

 ジト目で見てくる理子に向かって、遥香は素っ頓狂な声を出す。その声に釣られてスタジオに笑いが起きて、雰囲気が柔らかくなっていった。

「……やっぱり遥香には敵わないな。うん。ボクも少し言い過ぎたと思うし、薫が帰ってきたら一言謝らないとね」

「それが良いよ」

 心愛は怒りが抜けた、いつも通りの余裕を感じさせる優しい表情でスタジオのドアを見つめ、薫が来るのを待った。

 だが、何時まで経っても薫は帰ってこなかった。


 一方、スタジオを飛び出した薫は、手洗い場で顔を洗い、頭を冷やしていた。

「心愛は少し怒りすぎだと思う」

 そう鏡の前の自分に向かってつぶやく。だがそんな言葉とは裏腹に、薫の心には後ろめたさが重さを持って圧し掛かっていた。

 譲れない部分はあるが、薫も少し言葉に棘があったという自覚はあった。謝れば良いという事も分かっていたが、自分の方が正しいという思いもあるせいでそれはしたくない。これがモヤモヤする原因だった。

「私も、少し言い過ぎた、のだろうか」

 鏡の向こうの自分は変わらずの無表情だが、少し寂しそうな感情が滲み出ていた。

「……やはり、謝ろう」

 薫は腹を括って、心愛の居るスタジオへと向かおうとする。だが、足元を向いたまま歩いて行こうとしていて、トイレを出たところに居る人物に気が付かずに衝突してしまった。

「っ痛」

 薫は謝る為、ぶつかった相手の顔を見ようとして顔を上げる。そしてみるみる顔色が悪くなっていった。

「おっとと、申し訳ありません。お怪我はありませんか………………。おっと、あなたは」

 その相手が絶対に会いたくない人物だったからだ。

「探しましたよ、薫お嬢様」

「服部。なんで」

「お久しぶりです。お嬢様」

 服部という男は、薫に綺麗な一礼をする。服部は黒くパリッとしたスーツの似合う高身長のイケメンで、ジェルでオールバックに固めた髪型や爽やかな容姿が仕事のできる男というイメージを与える、そんな青年だ。こんな執事がいるなら皆欲しがるだろう。

「なんでここに居る」

「それはお嬢様を連れ帰るためです」

「っ、もう放っておいて欲しい」

「そういうわけには参りません。お父様も心配していらっしゃいましたよ? お嬢様、急に家を飛び出してしまって、そのままだったのですから」

「それはお父様が反対するから。私は私のやりたい事があるのに駄目だ駄目だと否定ばかり。だから家を飛び出した。服部だって私の言っている事が分かるはずだ」

 薫は服部に、帰る気はないという意思表示の睨みを向ける。

「そんな目をしても駄目です。さあ、行きましょうか。お父様がお待ちですよ」

 服部は微笑み、薫に手を差し伸べる。

「えっ、誰です? あなた」

 そんな服部の背後から、たまたま通りかかった二虎が気の抜けた顔で声をかけてきた。全くあ頼りにできなさそうだが、薫は俺をチャンスと捉えた。

「そちらこそ、どなたですか?」

「え。僕はここの職員ですけど、あ、薫。その子のマネージャーをしてます。まあグループなんで他にも担当の子は居るんですけどね」

 状況を知らない二虎は、雰囲気も無視してヘラヘラと笑う。

「で、あなたは? 外部の方ですよね、見た事ない人なんで。許可証持ってます? ほら、入り口で貰ってません? これくらいの、小さな紙なんですけど」

 両手で許可証の大きさをジェスチャーしながらベラベラ一方的に喋る二虎に、服部は許可証と名刺を差し出した。

「これですよね、許可証。あ、私、こういう者です」

「これはこれはご丁寧に。……てここってHHJIRIじゃないですか! ええっと、何してましたっけ。クルマもそうですし……」

「あとは家電や着物等ですね」

「そうですそうです! んーでもなんでまた服部さんの様な方がこんなところに?」

「それは薫お嬢様に用がありまして」

「マネージャー! この人は、その、わ、悪い人だ!」

 咄嗟に嘘をついて二虎に守ってもらおうという作戦だったが、結果的に抽象的で嘘っぽくなってしまった。話の流れ的にもこの嘘は間違いなく信じてもらえない。薫心の中でしくじったという言葉がこだまし、冷や汗が噴き出る。

「え、そうなんですか⁉︎」

 だが二虎には通じた様だ。薫は今日ばかりは二虎が色々抜けている人で助かったと思った。

「そ、その様なことは。薫お嬢様、なんて事を」

「その許可証はうちのアイドルに何かするためにお出ししているものじゃないんですよ! お引き取りください」

「そういう訳にも行かないんですよ、私も仕事なんで」

 服部は薫の腕を掴むと、強引に引き寄せた。薫は痛そうに顔を歪ませていることから、相当強い力だという事が見て取れる。

「自分の所のお嬢様をそんな乱暴に扱っても良いんですかね」

「ご心配なく。多少強引にでも連れてこいと言われているので。さ、行きますよ」

 薫は引っ張られ、連れて行かれる。

「か、薫!」

 二虎が止めようと足を一歩踏み出す。そのとき二虎は気づいた。服部は薫の腕を掴む手で、薫の手首、または肘関節を極めているのだ。二虎は格闘技に関して素人だが、掴んで引っ張っているにしては不自然な手の形と薫の反応は異常さが一目瞭然だった。

 無理矢理引き離すと薫が怪我をしかねないし、そもそも自然に関節を極められるような相手には何も出来ないと悟った二虎は、伸ばしかけた手を止めた。

そしてそのまま連れて行かれる薫を見ているしか出来なかった。


 手首を極められ、薫は為す術無く事務所の外まで引っ張られていた。

 服部は事務所の前に車を止めていたようで、黒いセダンの高級車が目の前に見えた。昔からこれに乗って服部に送迎されていたから、薫にとっては見覚えのある車だ。

 車に近づくにつれ、薫は周りが暗くなっていくように感じた。一歩進むごとにより暗く、よりモノクロに見えるのだ。

 そしてこの後起こるであろう色々な事を想像して呼吸が浅く速くなる。

「お嬢様、大丈夫です。お父様はきっと許してくださいます」

 服部が様子のおかしい薫を気遣ってそう声を掛ける。だが薫は恐怖で一杯一杯だ、全く声が届いてない。

 車の前まで来て、後部座席のドアを開けようと服部が手を離す。そこで逃げれば良いのだが薫はそれすら出来ないほど心的な余裕が無かった。

「さ、お嬢様」

 服部は綺麗な所作で後部座席を空け、薫に乗るよう促す。

「乗ってください」

 薫は前進を震えさせながら車に乗る。真っ青な顔でずっと足下を凝視して、顎からしたたり落ちるほど脂汗をかいていた。

 瞬間、車が大きな衝撃で揺れ、轟音が響いた。薫は反射的にその音の方向、すなわち事務所の方向へ顔を向ける。

「シャァゴラァ!」

 そこには車にめり込んでいる服部と、その服部の前で倒れている心愛の姿があった。

「心愛!」

 心愛はゆっくりと立ち上がり、服部に向かって勝ち誇った様な顔をする。

「どうだいボクのドロップキックは! 見た目強そうだけど、キミって案外そんなもんなんだねぇ!」

 今の心愛のテンションはオーディションで見せた、スイッチが入った状態のようだ。

 だが心愛は薫の方を見るといつも通りの感じに戻り、手を差し伸べる。

「薫、帰ろう」

 薫が心愛の手を掴もうと手を伸ばす。だが先に心愛の手を掴んだのは服部だった。

「危ないですね。車もめちゃくちゃだ」

 服部は立ち上がりながら心愛を睨む。

「立った。そうこなくちゃね!」

 対する心愛は、臆するどころかまたスイッチが入った状態に戻り、ヤバい目をしている。

 服部はドアを勢いよく閉めると、心愛に正対し、構えた。ドアが歪み窓も割れているので外の声や音は十分聞こえる。

「どういうつもりですか? そもそも貴方は何者ですか。全く関係無いのだから首を突っ込まないでいただきたい」

「関係無いことはないさ。ボクは心愛。薫の友人でありライバルであり、そして同じアイドルグループでもあるのだから」

「ほう。それで、どうする気です? 私に暴力を振るってでもお嬢様を連れ戻しますか?」

「わかってるじゃないか。その通り、いまからキミをぶっ飛ばすのさ!」

 心愛は誘うように、ノーガードでゆっくり近づく。

「さぁ。やり合おうか!」

 今、服部と心愛は手を伸ばせば当たる距離、服部は手を下ろしている心愛のどこにでも突きを入れられる。だが何もしなかった。

「なんでなにもしてこないんだい?」

 心愛は至近距離から煮えたぎるような怒りを目に乗せて服部を睨んだ。

「任務でも無いのに、女性に手は出せないですよ」

 服部のその言葉を聞いて、心愛は完全にプッツンきたようだ。

「女性だから手を出さない? ボクを舐めているのか!」

 心愛はノーモーションから、服部の脛めがけてローキックを叩き込む。

「ッぐッ……」

 痛みに耐えきれず、服部は脛を押さえようと少し前屈みになる。

 一方の心愛は、前屈みになって低く掴みやすくなった服部の首に左手を回し、右手を左太ももに巻き付け、うなじを脇腹に当て、そのまま持ち上げ担いだ。

「なっ⁉」

 自分よりも体の小さい女の子に担ぎ上げられるという状況に、服部は驚愕の表情を浮かべる。

 瞬間、服部の脳内にある記憶が蘇った。スマホの配信アプリで見たプロレスの中継だ。相手を担いだ男は、そのままマットに倒れるようにして、相手を頭から地面に叩きつけていた。それが今の状況と重なったのだ。

「ま、まさかとは思いますが、このまま私を頭から落とす気ですか? いや、下アスファルトですよ?」

「そのまさかさ」

 心愛が膝を軽く曲げて跳躍する姿勢を取りだして、服部はこれから来るだろう強烈な痛みに耐えるため覚悟を決めた。

「このまま地面に沈めてやる!」

 心愛は腹筋、尻、そして太ももに力を込め、歯を食いしばる。そして曲げた膝をばねが元に戻るような要領で伸ばし、服部を担いだ状態で十センチ飛んだ。あとは服部の頭が先に地面につくように倒れるだけだ。

「ストォ――――ップ‼」

 心愛は、事務所から走ってきた心愛が張り上げた声を聞いて、倒れるのを辞めて両足で立った。

「遥香!」

「待って心愛! こんな公の場で暴れるのはマズいって!」

「止めないでくれ、遥香。……いや、待った」

 心愛は服部を担いだまま、一旦考える。そして考えるうちに冷静さを取り戻したようで、ゆっくりと服部を降ろした。

「心愛」

 歪んで開きにくくなった車のドアをなんとか開けて出てきた薫に、心愛は気まずそうに苦笑する。

「いやぁ、ついカッとなってしまった。ははは」

「心愛……」

「ぼ、ボクは悪くないぞ? こいつが薫を連れて行こうとしてるって言うから悪いのさ」

 着崩れたスーツを直している服部に、心愛はガンを飛ばす。

「私はお嬢様を連れて帰るように申し付けられていますので」

「服部、私は戻るつもりはない」

「……聞いてくださいお嬢様。私はお嬢様を心配しておりました。何も言わず家を出られて、探してみればこんなところでアイドルなど……。確かにアイドルはお嬢様の昔からの夢でございましたが、危ない事も沢山ございます、人間関係も厳しいと伺っております。ですからお嬢様が心配なのです」

 服部は真剣な表情で必死に薫に訴えかける。服部も善意で連れ戻しに来ており、発言も本気が感じられるので、薫は突っぱねることが出来なかった。

 しかし諦める気は毛頭無いのも確かで、諦めたく無いが服部を無下にもできないという葛藤が薫を苦しめる。

「服部、私は……」

「それでも諦める気はないのですか」

 薫は一度だけゆっくり頷いた。

 服部は、今度は遥香と心愛に顔を向ける。

「あなた達からも諦めるよう言ってくれませんか」

「いや、やるわけないでしょ」

「お嬢様は将来会社を継いで、日本の未来を背負って立つお方です」 

「薫は会社を継がない。私達とアイドルの頂点に立つから」

 遥香はハッキリとした声で強く言う。声色には自信と、それ以上の確信が感じ取れた。

「……無理矢理にでもお嬢様を連れて帰ると、言ったらどうします?」

「ここじゃダメだけど、事務所の中なら大丈夫だから。続きやってもいいよ?」

「私たちと問題を起こすと、あなたのアイドル生命に関わるかもしれませんよ」

「私達は五人でアイドルになるから。薫が抜けるなら私はアイドルを辞めるし。だからそもそも手放す気はない」

 曇りのない本気の目と声、そして態度が、遥香の覚悟を表した。服部はふぅっと溜め息をついた。だが表情は安心してホッとした、優しい表情をしていた。

「どうやら心配しなくても良さそうですね」

「どういう意味?」

「いや。正直のところ、私はお嬢様の夢を応援したいのです。ですがお父様の事や、そもそも茨の道を進むような夢をお持ちで、心配もありました。お嬢様、良き友人を見つけられたのですね。あなた達ならば、任せられそうな気がします。」

 服部は薫に深く頭を下げた。

「お嬢様。お父様には私から言っておきます。ですから、夢をお掴みください」

「服部……」

「ですが、危ない目に遭うようなことがあればすぐに連れ戻します。心配は心配ですから。それと、努力はしますがお父様は反対し続けるでしょう。ですからどこかで一度お戻りになって、しっかりお父様とお話になってください」

「分かった。ありがとう、服部」

 服部はそれ以上何も言わず、凹んだ高級車に乗り込み、エンジンをかけ、行ってしまった。

「びっくりしたけど、なんだかんだ良い人じゃないか、服部さん」

「うん」

「心愛が飛び出していった時はどうなるかと思ったけどね」

「あれは服部さんがそういう人だとは思わなかったから」

「けど私の為にしてくれたのは分かっている。ありがとう、心愛」

「ま、まあ」

 心愛は照れくさそうにそっぽを向く。そして目を反らしたまま、

「……今日は悪かった。謝るよ。言い過ぎた」

 今日一番伝えたかったことを伝えた。

 薫は一瞬目を丸くした。だがその驚きもすぐに消えて心から、

「私の方も悪かったと思っている。謝ろう」

 謝罪の言葉がすんなりと出てきた。

 頭を下げる薫に、心愛はクスッと笑う。

「でもあそこはやっぱり情熱的に行かなきゃ」

「何? あそこは優美さを重視した方が良いと思う」

「分かってないね」

「分かってない」

 そこまで言って、心愛は笑う。薫も無表情が崩れ少し口角が上がっており、心から笑っていた。

「ボクらはこうで無くちゃね」

「同感だ」

 二人が笑いあっているのを見て、遥香が安堵してため息をこぼした。

 事務所の方から声がする。遅れて理子と美桜がやってきたのだ。遥香はすぐに気づき、笑顔で手を振る。

「もう終わったの? 一体何事だったのよ」

「薫と心愛が仲直りしたんだ!」

「遥香、先輩が聞きたいのってそれじゃないと思うよ……」

 またいつも通りの仲の良い雰囲気が薫の回りに流れる。いつかはちゃんと話し合わないといけない、そう思いながら、今はこの日常を大切にしようと薫は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る