第二章
一週間後のオーディション当日、赤城プロ―モーションの事務所前に遥香と二虎、そして見送りに来た友美がいた。
「凄いジャージだね……」
二虎は遥香が着ている金色の龍と背中に天上天下の文字が入った黒色のジャージを見て、顔を引きつらせる。
「これは私が大事な喧嘩をしに行くときに着る勝負服なんだよ、かっこいいでしょ」
「え、うん……」
「気持ちは分かりますよ、新垣さん。私も着てかない方が良いって止めたんですけど……」
二虎と友美は遥香の楽しそうな姿に、これ以上何も文句が出なかった。
「それにしても、ホントにオーディション受けるなんてねー、凄いよ遥香は」
「ん、そう? いやー照れるなぁ」
「すぐ調子に乗っちゃって。まだ受かってないんだから浮かれちゃだめだよ」
「そ、それもそうだね……」
二虎と友美はまったく同時にため息をついた。
二虎が腕時計で現味時刻をチェックする。時計の針はオーディション受付時間開始の四十分前の時刻を示していた。
「そろそろ行こうか。準備はいい?」
「もちろん!」
「頑張ってね、遥香」
「もちろん!」
そして遥香と二虎は車に乗り込んだ。そしてエンジンを始動させ、国立体育館へ向けて走らせる。友美は車が見えなくなるまで、事務所前で見送っていた。
国立体育館内にはすでに沢山の人がいた。皆遥香と同じくらいの年の少女ばかりで、スーツか動きやすい服装が多かった。また、皆緊張している様子だ。
「ここにいる人みんなライバルなんだよね」
「そうだね。でも前田さんなら大丈夫だよ。ってあまり緊張してないみたいだね」
「ワクワクしてるよ。こんな楽しそうなこと初めてだから」
「それはいいね。そろそろ社長が登壇されるんだけど、そこでオーディションの内容を詳しく話されるから、良く聞いておいてね。じゃあ僕がついていられるのはここまでだから、頑張って」
そう言って二虎がその場を放れるのと、社長が登壇するのが同時だった。社長は高そうな白いスーツに白いストローハットの、渋いおじさんといった見た目だ。
「えーこれより赤城プロモーションアイドルオーディションの説明を行う。皆心して聞け」
社長は見た目通りの渋い声だった。
「いよいよオーディションか……。頑張るぞ」
遥香はもの凄い意気込みで、鼻をフンフン鳴らして興奮している。
「まず始めに。このオーディションでは、君たちには仕合(ファイト)していただく」
だが社長の発言に、遥香は固まった。遥香だけでは無い、会場の志願者全員が唖然として開いた口が塞がらないでいた。
「もっとわかり安く言えば、今から殴り合いの戦いをして貰おうと言うことだ」
やっとなんとなく社長の言おうとしている事が理解だけは出来た志願者達は、今度はざわつき始めた。
「いきなり何を言っているのか分からないだろうが、アイドルには必要なのだ」
社長は部下に指示を出す。すると部下達が急いでプロジェクターの準備を始め、一分以内にパワーポイントのスライドが映し出された。
「まずアイドルという業界の説明だが、君たちはテレビやライブのステージ上のアイドルの姿しか見ていないだろう。だがそのステージに立つにも、テレビに出演するにも、全てアイドル達自身の拳によって勝ち取ってきたものだ。今はアイドルが増えすぎている、だがライブやテレビ出演の枠にも限りがある。最初こそ話し合いで解決出来ていたものの、十年前にはそれも不可能となった。そこで始まったのが、アイドル達がその拳で正々堂々奪い合い、勝った者が権利を手に入れるというやり方だ。このやり方を、夢を叶える仕合、夢(ドリー)叶(ム)仕合(ファイト)という。実際、このやり方で不満等出る事はほとんど無くなった。つまり、今のアイドル業界は、確かに歌やダンス、トークが出来なければ続かないが、そもそも夢叶仕合に勝てなければステージに立つことすら出来ない!」
誰も知らなかったアイドル界の裏側に、会場がどよめく。それもそうだろう、歌やダンスを見られると思ってオーディションに来たのに、いきなり殴り合えと言われたのだ、戸惑って然りである。
「以上がオーディションの説明だ。本日まで黙っていて悪かったが、これは外に出してはいけない事実なのだ。だから気に入らなければ帰って貰ってかまわない、強制もしない。だが今日聞いたことは絶対に外に漏らさないで欲しい、お互いのために」
だが、ここまで聞いて尚、誰も出て行こうとはしなかった。皆夢を叶える為に来ているのだ、それだけ覚悟が違った。
「……誰も外へ出ないという事は、皆オーディション参加希望という事でいいな。ではこれに沿って仕合を執り行うので、そのつもりで。以上で説明を終わる。皆、健闘を祈る」
社長が降壇すると、壇上が暗くなる。そして壇上の中央にスポットライトが集められ、その中心に、マジシャンが着ていそうな赤い派手な服を着たテンションがやけに高い一人の女性が姿を現した。
「皆さんこんにちは! 私は司会進行の一条一美です! これから仕合って貰うわけですが、いつもはトーナメントで行うんですが今日は人数が多いので、最後の一人になるまで戦うバトルロワイヤル形式にさせていただきます! では開始と言ったらその時点で始まるので、よろしくお願いします!」
一美は大きな銅鑼を持ってきて、数回素振りを始める。
「では、いきますよ! 始めッ!」
一美の手によって、銅鑼が鳴らされ、バトルロワイヤルが始まった。だが、誰も動こうとはしない。誰もが状況を把握出来ていなかったからだ。
「ど、どうしました? もう始まっていますよ?」
一美は一向に動こうとしない志願者達を見てオロオロしている。しきりに壇上から下や後ろにいるスタッフを見ている所から、どうしていいか分からないといった様子だった。
遥香はあたりを見渡す。周りの志願者達も、周りを見て様子をうかがっていて、皆何をしたら良いか分からないという感じだ。
「皆どうして良いか分からないから固まってるんだ。……いや、迷ってる場合じゃ無いよ。もう戦いは始まってる。他人を蹴落としてでも勝ち残れって事なんだろうし、だったらこっちからやってやる!」
遥香はそう意気込むと、隣にいた志願者の鳩尾にブローを叩き込んだ。
「……ぁ、え…………?」
その志願者は何がなんだか分からないまま、沈んでいった。
「みんないつまでそうやってるつもり! もう始まってるんだよ。そうやってウジウジしてるなら私が全部持ってっちゃうよ!」
遥香は声を張り上げた。その声に、志願者達はスイッチを押されたかのように目の色が変わる。
「わ、私だって! 夢叶えるために来たんだ、負けるもんか!」
「そ、そうだ、私も!」
次々に志願者達から声が上がり、遂に殴り合いに発展する。遥香は嬉しそうに笑うと、戦いの中に入っていった。
結局この硬直状態を破ったのは遥香を含めた四人で、四カ所からほぼ同時に殴る蹴るの潰し合いが始まった。
その四人の強さは軍を抜いており、もの凄い勢いで周りの志願者を潰していく。そして遥香が他の三人と戦う事になるのも時間の問題で、遥香もなんとなくそう思っていた。
そして人数が半分に減った頃、遥香はその三人の内の一人とかち合うことになる。
順調に志願者に勝っていた遥香は、後方の異変に気づいた。背後に人の気配が無かったのだ。人数が減っているとはいえ、背後に必ず誰かは襲いに来ていたはずだったのだが、いつの間にかいなくなっていた。
遥香は後ろへ振り返る。そこにはあちこちに倒れた志願者達、そして遥香の方をじっと見ている一人の志願者がいた。その志願者は、サラサラと綺麗な長い黒髪、キリッとした目に筋の通った鼻、形の良い唇、そして高めの身長とパンツスーツという、凜とした雰囲気の美女といった見た目で、周りの志願者とは全く格の違う雰囲気を漂わせていた。
「……強そうだね。名前は?」
「……聖薫」
「薫ね。私は前田遥香」
「もう良い? 良いなら潰す」
「いいねそれ、でも勝つのは私」
この時、二人に襲いかかる志願者はいなかった。敵わなそうな二人がつぶし合ってくれるのを待つため、というのもあるが、単に二人がぶつけ合う闘争心の圧が、他を寄せ付けなかった。
「行くよ、薫」
「言われなくても」
遥香は一歩踏み込んで間合いを詰める。その速さはさっきまでの志願者と戦っていた時の日では無い。本気でいっている証拠だ。
「顔面貰った!」
遥香は渾身の右ストレートで顔面を狙う。
「甘い」
だが、薫は一瞬で遥香の有本に潜り、しゃがむ。そして背中を遥香の足に当てて押し、足を狩りにかかった。
「うわっ⁉」
遥香からしてみれば、思い切り殴りかかっている最中に、いきなり出来た障害物に躓いた様なもので、勢いよく転ける。このまま顔面から転かすのが薫の技だった。だが、遥香はそのまま大きく前転、上手く受け身を取って着地した。
「あ、危な」
「上手いな、受け身」
「そういう感じの技を使う訳ね、中々やるね、薫」
薫は腰を低く構える。遥香を見る目も鋭く力強いものに変わり、本気になった。
「本気になったみたいだね、そうこなくちゃ」
遥香は、今度は左ジャブを入れる。対する薫は、遥香が仕掛けるのを待ち構えていたように反応して、ぴったり動きを合わせ、技を掛ける。
薫は遥香の左ジャブの力を利用して、少ない力と動きで遥香を投げた。遥香は体育館の床に強くたたきつけられるが、床を叩いてしっかりと受け身を取る。そして技を掛けた遥香の左腕の関節を極めた。
「痛たたたたたたた!」
「降参してほしい。じゃないと折る」
薫は、今までの志願者達を、関節を極めて、降参しないと骨を折ると脅して勝ってきていた。
「こ、降参? す、するわけ無いじゃん痛たたたたた!」
だが遥香はそうはいかなかった。
「い、いや。本当に折るぞ?」
「折るなら折りなよっ。言っとくけど、骨折ったくらいじゃ私は倒せないよ」
「お、折るぞ!」
「折れって言ってるでしょ!」
薫はためらった。人の骨など折ったことは無く、そんな度胸も持っていなかったからだ。だがそのためらいが、隙となった。
遥香はその隙を突いて何とか技から抜け出す。そして転んでいる状態から、呆気にとられている薫を、蹴飛ばした。薫はとっさに腕で庇うも、大きく体勢を崩して尻餅をついてしまう。
このチャンスを遥香は逃さない。素早く立ち上がって、地面に尻をつけている薫の顔面に、ボレーシュートのように回し蹴りを叩き込んだ。
「……ぅあッ‼」
薫は顔面に蹴りを受けた後、その勢いのまま倒れ後頭部を打ち付けた。脳への衝撃と強烈な痛みに体が痙攣する。
そんな薫に、遥香は馬乗りになってマウンティングポジションを取り、一発殴った。薫はその痛みで目を覚ます。そして今まさに殴ろうとしている遥香と目があった。
「薫、躊躇ったでしょ。でもそれが隙になった。普通人の骨なんて折れないよ、薫は普通の思考の持ち主だよ。でも今はそれじゃ駄目だ」
「っ、遥香……」
「オーディションでここまでさせるって事は、アイドルの世界はこれの比じゃ無いはず。薫、私達はアイドルになるためなら他人を蹴落としてでも勝ち残らなきゃならないんだよ、じゃなきゃアイドルにはなれないし、その先も無いんだよ。このオーディションは、きっとそういうことが言いたいんだと思う」
遥香が離している間、薫は目がうつろだった。だが遥香は自分の声が薫に届いている確信があった。
「遥香の言う通りだ」
やがて薫のうつろな目に輝きが戻っていく。意識を取り戻しただけでは無く、士気や覚悟といったものの高まりも感じさせられる熱い目になっていった。
「今日、親の反対を押し切ってここに来た。音楽が好きで、アイドルに憧れて、夢だったから。……負けられない、なりふり構ってられない。だから」
薫は突然遥香の襟首を掴み、左側方に投げた。遥香はしっかりと受け身をとって立ち上がり、薫との距離をとる。
「次はその腕をへし折る。そして私が先に進む!」
遥香は、薫からいつになく激しい闘争の炎を感じ取り、鳥肌が立つ。
「私も、次で決める!」
遥香は間合いを詰め、右拳を薫めがけて振り抜いた。薫はまたも綺麗に遥香の攻撃に合わせて技を掛けようとする。手で拳を受けながら遥香の左手の方へ踏み込む、そして背中を遥香の胴に合わせ、腰で遥香を浮かせ、投げた。
「決まった!」
遥香はまた背中から落ちそうになる。しかしその前に両足で地面をつき、着地した。
そこから遥香は地面を蹴ってジャンプした。遥香の体勢と薫の位置関係からして、ジャンプの軌道は薫の顎に直撃している。そしてその軌道をそのまま通り、遥香の頭は薫の顎を打ち抜いた。
薫にとっては予測していなかった不意打ちで、思わず遥香の手を離してのけぞる。そうやって体勢を崩した時、遥香は逆に両足をしっかり地面につけて次の行動が出来る状態だった。この二人の状態の差が、勝敗を分けた。
「うらあああああああ!」
遥香は左足を軸に回転し方向転換、回転の勢いそのままに、後ろにいた薫の側頭部めがけてハイキックで蹴り抜いた。
この時点で薫の意識は途切れたようで、力なく倒れた。
遥香は息切れを落ち着かせながら、倒れた薫をただ見ていた。強敵を倒した後の余韻に浸っている遥香を、誰も襲わなかった。それどころか、周りで戦っていた他の志願者達で生き残っている者は戦うのを止めて、食い入る様に遥香と薫を見ていた。
その場に立ち尽くす遥香と倒れる薫の間に流れていた余韻と静寂は、すぐに打ち破られた。
「そこのキミ! ボクと戦って貰おう!」
そんな大きく張りのある声を聞いて、遥香はハッと我に返る。そして声の主を探すため、周りを見渡してみた。周りには志願者が五分の一以下まで減っており、体育館の見通しが良くなっていた。だから、遥香を指差してどや顔で宣戦布告してくる、声の主を見つけるのは簡単だった。
その子は百五十八センチある遥香と同じくらいか少し小さい背丈の子で、ブロンドのショートヘアー、ハッキリした大きな瞳が特徴的で、可愛らしい顔だが、本人が漂わせる雰囲気や仕草は可愛いというよりも、格好いい。白いカッターシャツと黒いスラックスの着こなしも良く、もしも男だったらイケメンと持て囃されるだろう、男の場合、身長がネックになるが。
「……次もやばそうだね」
「ボクは富樫心愛。キミ、中々腕が立ちそうだね。名前は?」
「前田遥香だけど」
「いいね、遥香!」
このイケメン風な少女、心愛の目に、遥香は見覚えがあった。遥香がまだ番長になる前、様々な場所でいろんな人と喧嘩してきた。それほど色々な人との修羅場をくぐってきた遥香だが、心愛と同じ目をしている奴も何人か見てきていた。喧嘩や、戦う事に対し、中毒レベルでのめり込んでいるバトルジャンキーの目だ。そしてこういう目をしている人間の相手は厄介だった。
「遥香ァ!」
心愛は重心を低くして、タックルするような構えで突進してくる。
「っし!」
気合を入れ直すと、遥香も前に踏み出して心愛を迎え討つ。
両者、間合いに入る。だが心愛は尚も走るのを止めなかった。拳を打ち込むのに最適な距離を外れ、更に距離が短くなる。
遥香は、心愛がパンチを打ってくると思っていた。そのために心愛の左右の手両方を警戒しながら、突進にブレーキがかかる瞬間を狙っていた。だから心愛の行動は遥香にとってみれば意表を突く形となった。そしてここまで近づかれたら、ほぼタックルの選択肢しか残っていない。だが遥香には速度が無く、タックル対決では分が悪すぎた。そこで、遥香は重心を前に傾け、心愛のタックルを耐えるという防御の選択を取らざるを得なかった。
「ふっん!」
「シェァア‼」
二人ともが熱い気合のこもった声と共に、激しくぶつかり合った。力に負けて後ろに押し倒されそうになるのを、遥香はド根性で耐える。結果、二人は互いの肩に手をかけた組合いの形を取った。
「良いね、その打たれ強さ!」
「な、なんのぉ……!」
両者譲らず、力を入れ続ける。必死に耐える遥香だが、心愛は全然余裕そうで、笑っている。
この組合は、十秒も続かなかった。だがそれでも遥香はばててきていた。
心愛は遥香の力が弱まるのを狙いすましているかのように、遥香の気が抜ける一瞬を絶妙なタイミングで突いた。心愛は重心を低く落とし、遥香の懐から、押し上げるように力を入れる。
「わっ⁉」
遥香はのけぞるような体勢になるが、これがまずかった。重心を上げられ、力が入らない状態の遥香は、もう成す術なく押し倒されるしかなかった。
「ぐっ!」
「まだまだいくよ遥香ァ!」
床に倒された遥香に対し、心愛はマウントポジションを取らなかった。心愛が馬乗りにならなければ、遥香はすぐにでも立ち上がれたはずだが、息が上がって立ち上がるのに通常よりも時間が掛かった。だから心愛には技を掛けるだけの時間が余裕であった。
心愛は遥香の左腕を取り、十字固めを極めた。
「痛ったああ!」
「ウォラァ!」
遥香は焦っていた。酷い痛みがするから、また一度極まれば抜け出すのが困難だから、そういう理由だけではない、心愛の技に遠慮がなく、腕を折ることも辞さないという気概が感じられたからだ。
「ほら、どうする? 遥香ァ」
心愛はジワジワと力を加えていく。それにより、遥香の腕の痛みは強さを増していき、肘の限界まで腕が撓っていった。
「どうだい? ほら、折っちゃうよ? ほら、ほら!」
心愛はキマった目で狂った様に笑う。
「痛ってぁぁぁぁ! こ、こんにゃろ!」
遥香はキレた。そして腕が伸ばされる方向と逆の方向に全力で力を入れる。
「抵抗か、良いね! でもあんまりヤンチャすると折れるよ!」
「骨折が怖くて番長なんかやってない! 見てなよ心愛、これがど根性ダァ!」
遥香は左腕から何かが外れたような感触を受ける。だがそんなのはお構いなしに力を全力で注ぎ込む。
「お? お? お?」
その火事場の馬鹿力は心愛の目を丸くさせた。今まで遥香の抵抗に抗うため力を入れていたが、遥香は心愛ごと持ち上げる程の力があった。心愛は尻に接地感を感じなくなっていた。たった数ミリだが、すでに心愛は持ち上げられていたのだ。
「すごい、凄いよ遥香!」
心愛は、遥香に上をとられることを避け、十字固めを解いて距離を置く。
遥香も左腕を庇いながら立ち上がり、両者睨み合った。
「十字固めから抜けるどころか、持ち上げる人初めて見たよ。やっぱり遥香はボクを楽しませてくれる!」
「ハァ……ハァ……っどうよ、これが根性ってやつよ」
心愛の前で強がる遥香だが、左腕は相変わらずの激痛で、とても動かせそうになかった。
「いいね! じゃあもっと根性ってのを魅せてよ!」
心愛はすぐに距離を詰めてくる。
「もうタックルは通じないよ!」
「さっきのはもうしないさ!」
遥香はとっさに重心を低く構えたが、またも意表を突かれた。心愛の重心は、先程のタックルと比べると明らかに高く、構えはボクシングのそれだった。
「そっちも出来るの⁉」
遥香の反応が遅れる。遥香が右腕でガードする前に、心愛の左ジャブが遥香の顔面をついた。
遥香は遅れて、逃げるように後ずさる。そこに、更に心愛が一歩を踏み込み、がら空きとなった遥香の顎向けて右フックを叩き込んだ。
「入った! 立ってられるかな遥香ァ!」
心愛の右フックは遥香の脳を揺らす。完璧に決まったことで生じる脳震盪は、ブラックアウト不可避だ。だが、
「ッふんぬ!」
遥香は倒れそうになる体を、右足を踏み込んで耐えた。
「な? 嘘だろ⁉」
遥香は、グチャグチャになった視界の中で、驚いて口をぽっかり開けている心愛を見ていた。
遥香は、自分の目の焦点があっていないことも、真っ直ぐ歩くことも困難なことも分かっていた。だが、心愛は動きが止まっており、大チャンスだった。だから遥香は、望みを掛けて左足を一歩踏み出した。
遥香が番長になる前、今のように顎に貰ってフラフラの状態で戦っていた事があった。ルールの無い喧嘩では、相手は視界が正常になるまで待ってはくれない。だから遥香は賭けで拳を打ち込むことにした。
そこで初めて露呈した遥香の才能の一つ、それが天性の当て感だ。普通は避ける相手に対し、万全の状態で拳を打ち込むとき、相手を読んで拳を当てるのを当て感が良いと言われるのだが、遥香のは違った。嗅覚とでも言うのだろうか、遥香のそれは、一般のものとは違う力が働いている様に思えるほど正確で、条件を選ばなかった。
グニャグニャになった視界の中で、我に返って避けようとする心愛の顔面に遥香の右拳が、吸い込まれるように向かい、貫いた。
「っらぁ!」
「ぶっグ…………!」
顔面に拳を振り抜かれた心愛は、大きく後方に吹き飛ばされ、遥香から数メートル離れたところで尻餅をついた。
心愛は最初何が起きたのか分からなかった様子だったが、足下の血を見て、鼻を触り、手についた大量の鼻血を確認すると、目を輝かせて笑った。
「遥香ァ!」
この時、遥香の視界はほとんど元に戻っており、真っ直ぐ走れる確信が遥香にあった。だから心愛が立ち上がって向かってくる前に、遥香は走り出した。
「心愛ッ!」
床に座っている心愛の顔面に向かって、飛び膝蹴りを入れた。
心愛は血をまき散らす。だが倒れなかった。寧ろ前のめりになり、立ち上がりさえしていた。
「っな⁉」
遥香は吃驚した。助走をつけた飛び膝蹴りを喰らえば、普通は後方に倒れるはずなのだ。
「いいねぇ遥香ァ!」
腰を浮かせて立ち上がった心愛は、遥香の隙を突いて背後に回り、遥香の脇の下に両手を入れてがっちりホールドした。
そして心愛は思い切り力を入れ、遥香を持ち上げる。そのまま心愛はのけぞり、遥香を地面にッたきつけた、所謂ジャーマンスープレックスだ。
「ソゥイヤァア!」
遥香は後頭部から地面に落ち、視界がチカチカした。だが目をひんむいて、意識が飛ばないように懸命に耐える。だから技を掛けられた後、遥香はすぐに立ち上がることが出来た。
そしてまたグチャグチャになった視界の中で、技を掛けた後の油断した心愛を見つけた。
遥香は無意識に心愛の腹に拳を叩き込んでいた。遥香が立ち上がると思っておらず、丁度油断していた心愛の腹筋は緩みきっており、なんの抵抗もなく遥香の拳が食い込んだ。
流石に今度は、心愛は白目をむいて沈んだ。それを遥香は、ぐるぐるする視界の中で見届ける。
「か、勝った。……っし! …………っぷ」
勝利を喜んだ飲も束の間、遥香は急に強い酔いに襲われ、朝食を床にリバースした。
「ハァ……ハァ……、気持ち悪っ」
一通り致した遥香は、次に来る志願者を見つけるためあたりを見渡した。
「あらあら、大丈夫ですか?」
だが結局周りには、目の前に立っている一人の志願者以外誰もいなかった。その子は、心配した様子で遥香を見ていた。
「っ大丈夫。それより、あなたが最後?」
「そうみたいですねえ」
その志願者は、遥香が今まで戦ってきた中で一番背が高かった。ロングカールの髪型に、おっとりした目もとが特徴の整った容姿、そしてスーツの上からでも分かるほど抜群のスタイルと、なんとも包容力のある優しいお姉さんのような印象を受ける人だ。
「私、八重垣美桜っていいます。最後ですが、よろしくお願いいたしますね」
「私は、前田遥香。こんなボロボロだけど、甘く見ないでね。全力で行かせてもらうから」
「ふふふ。負けませんよー」
美桜は、左足を引いて腰を落とし、構える。
「っ⁉」
遥香は構えた美桜を目の前にして、緊張して唾を呑んだ。あんなにフワフワしていた美桜の雰囲気が変わったからだ。ずっしりと重い、強敵を前にした時のような緊張が走る。
「遥香さん、構えないんですか? それとももう拳を握る力が残っていませんか?」
ハッと我に返った遥香は、膝を軽く曲げ重心を少し低くし、臨戦態勢をとった。
「なんのなんの! まだまだ私はやれる! 美桜を倒して、私がアイドルになるんだ!」
遥香は走りだす。美桜との距離をどんどん詰める。それを美桜は、静かに待っていた。
遥香が、あと一歩踏み込めば当たるという所まで近づいた。そして右拳を振りかぶり、第一撃目を繰り出すモーションに入る。
その時美桜は、右拳を腰に構えていた。空手のような構え方だ。
そしてその右拳は遥香に向かって放たれた、
「チェリァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
その優しそうな見た目からはほど遠い雄叫びと共に。
美桜の拳は、遥香の鳩尾に命中した。ただ、美桜の恵まれた体躯と洗練された中段突きによって生まれた突きの威力はすさまじいもので、遥香は四メートルも後方へ吹き飛んだ。遥香はロクに受け身も取れず、床に色々な所をぶつけながら転がっていった。
「ッがぁあッ……ギっ…………ぁッガァ! うッッゲェェェェェェェ!」
遥香は息が出来なくなるほど強烈な痛みに、腹を押さえてのたうち回り、まだ腹に残っていたものを全て床にぶちまけた。
遥香はすぐに起き上がろうとする。一度、地面の吐しゃ物に滑って顔をぶつけるも、再度起き上がることを試みた。そこで、遥香は足に力が入らないことに気づいた。遥香が思っているよりも、足にきているのだ。
「あら、大丈夫ですか? 少し強くやりすぎましたか」
そう言いながら遥香を見つめる美桜の心配そうな眼は、遥香からは煽っているように感じ、良い気付けとなった。
「ゆ、言うじゃん。でも残念だけど、そんな効いてないからね……」
そんなわけはない。遥香は立つのもギリギリなほど追い詰められている。だが遥香は今少し頭に血が上っていた。鳩尾の痛みを忘れるくらい、キレたのだ。
「そうですか。それはそれで残念です」
「そんな軽口言ってられるのも今の内だからね」
なんとか遥香は立ち上がり、ファイティングポーズをとった。
「また倒せば良いだけです。このオーディションを勝ち抜いて、アイドルになるのは私です!」
まだフラフラしている遥香に、美桜はすり足で少しずつ近づいてくる。その立ち姿に隙は無く、攻め込む余地はなさそうだった。
ここまでの戦いで、遥香はほぼ限界まで体力を消耗し、立っていられるのが不思議なほどダメージを喰らっている。だから遥香の勝ち筋は早期決着しか残っていなかった。
しかし美桜は、相当強いのか、はたまた運が良かったのか、いずれにしてもほとんど消耗せずピンピンしていた。遥香からすれば、それは圧倒的に不利であり、勝利は絶望的に思える。
遥香自身も、そのことは重々承知していた。だが、だからといって引くわけにはいかない。遥香は策を練ろうと、美桜を観察しながら、過去の経験をたどる。
「どうしました? 遥香。あなたから来ないのであればこちらから参りますよ!」
何もしてこない遥香を焦れったく思ったのか、美桜が声を張り上げる。美桜の構える拳にも力が入り、突きの発射準備が整う。
「行くよ!」
だがそのとき、遥香が動いた。急に一歩を踏み出し、美桜の突きの射程圏内へ入る。
「ッ⁉」
一瞬、美桜の反応が遅れる。
「チェリァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッ!」
雄叫びを上げて正拳突きを放つも、一瞬の反応の遅れが、遥香に避ける隙を与えた。
遥香は、正拳突きを髪がかする程ギリギリで躱すと、美桜の右側に飛び込む。
「もらったっ!」
遥香は右足で地面を踏むと、美桜の頭めがけて後ろ回し蹴りをかました。
「っく⁉」
遥香の蹴りは見事にヒット。あまり良い体勢では無かった為威力は低かったが、攻撃直後の隙を突かれた美桜には十分な効果があり、少しよろけた。
遥香の攻撃はまだ終わらない。振り上げた左足を下ろし、一歩前に出す。ここで、遥香は美桜の斜め後ろに位置する。今、いが背中を向けた状態なの、お互いが背後を取ったとも言える。そして、先程の遥香の蹴りによって美桜に隙が生まれているので、遥香は美桜よりも先に攻撃を加えられる。よって、遥香のみが美桜の背後を取れたと言える。つまるところ絶好の好機だ。
遥香は攻勢に出る前、昔を思い出していた。一度、自分よりも大きく力の強い相手と喧嘩した時のことだ。当時、誰も遥香が勝つとは思っていなかった。当然、相手も思っていた。だが遥香は、それでも勝てると信じていた。
何度か殴り殴られを繰り返している内に、遥香はある事に気づいた。相手の巨大な体躯と筋力から繰り出される攻撃は、圧倒的な破壊力だったが、攻撃に転じるまでの速度が遅く、攻撃も大ぶりだったのだ。遥香はステップワークを変え、動きを速くし、速さで相手を攪乱させ、足を狙う戦法に切り替え、どんでん返しの勝利を収めた。
この経験が、遥香に逆転のチャンスを与えた。美桜の背後に立った遥香は、美桜の膝裏に思いっきり蹴りを入れたのだ。それも膝の真裏では無く、力を加えると骨にダメージがいくよう、斜めに蹴った。
「ッグっ!」
遥香の狙いは見事に当たり、美桜は大きく体勢を崩した。
「っし!」
遥香は心の中でガッツポーズした。このまま美桜が倒れてくれれば、馬乗りになって殴るだけだ。そこまでいけば、勝ちは目前だった。だが、
「っぎッ」
美桜は倒れなかった。足の痛みに耐え、体が倒れるのを堪えきったのだ。
すかさず遥香も追撃するが、空しく空を切り、距離を取られた。
遥香から離れた美桜は構え直す。だが、遥香に蹴られた足が痛いようで、庇うように立っている。
「う、上手いですね。遥香」
「た、倒れないなんて……」
一方の遥香は、今までの疲れもあって、すでに息が上がっていた。だが闘志は尽きておらず、まだまだやる気だ。
「足は痛みますが、まだ戦えます。この程度で倒せると思わないでくださいね」
「そんなことちょっとも思ってないよ。まだまだ行くよ!」
遥香は拳を握り、美桜に向かって走り出す。対する美桜は構えを崩さず、遥香を待ち構えた。
「っらぁ!」
遥香はかけ声と共に、美桜の腹部に向けボディーブローを打ち込みにいく。だが美桜は全く避けようとしない。それどころか腹を自分からさらけ出す様な行動に出た。手は拳を握って、上に曲げて脇を絞める。足は少し内股になって軽く膝を曲げた。
遥香のパンチがクリーンヒット。大きな鈍い音を立てて腹と拳がぶつかった。
「入った!」
遥香は渾身の一撃に震えるほどの喜びと、今度こそ勝利の確信を持った。だが、すぐに異変に気づいた。拳を振り抜いたはずで、本来なら相手は倒れるか吹っ飛ばされ、拳には余韻以外の感触は残らないはずだ。だが実際は、壁に拳を当てている様な感触が拳にはあった。
そう、美桜は耐え抜いていたのだ。それもびくともしていない。足も先程と位置を変えず、姿勢も微動だにしていなかった。内股で股を絞め、腹筋に力を入れて耐えたのだ。
更にこの瞬間、美桜の位置は遥香に突きを叩きこむためには最高だった。
「チェリァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
美桜の、三度目の正拳突きが炸裂する。拳は正確に遥香の顔面を捉え、シャツが奏でる銃声のような破裂音と共に、拘束で遥香を突いた。
美桜のこの突きは、初撃以上の威力だった。だが、
「シャァアアアアアアアアアアア!」
遥香は吹っ飛ばされず、耐えきった。顔面は顔面でも、一番耐久力の高い額で美桜の拳を受けたのだ。ただそれだけでは、美桜の突きを耐えきるのは難しく、あとは遥香の身体能力と根性が耐えさせたとしか言えなかった。
ともあれ、遥香は両の足で地面を捉え、立っている。
「セァッ!」
遥香は、がら空きになった美桜の顎に一発ぶち込んだ。
「グッ」
と喉から音を出しながら、美桜は顎にモロに受ける。
脳が揺れフラフラしながらも、美桜は目の前の遥香に、三日月蹴りを喰らわせ、そのまま倒れた。
遥香は無防備な腹に、急所を突いた。蹴りの衝撃は内臓に響き渡り、五臓六腑それぞれから強烈な痛みを発生させる。
遥香は声も出せず息も出来ないほどの痛みに悶絶し、ゆっくりと膝をつき、倒れ、動かなくなった。
この時、ほんの少し、遥香の方が遅く地面に倒れた。
「け、決着がついたみたいです!」
戦いの一部始終を見ていた一美が、バトルロイヤルの終了を告げようと声を張り上げた。
だが一美は、立っている二人の志願者を見た。立っている者が二人なら、まだ決着はついていないことになる。
「ま、まだふたり残っていましたか。あとはあなた達だけです。戦ってください」
「いや、そのつもりはない。遥香に負けてるから」
「ボクもさ。確かに今はチャンスかも知れないけど、ここで勝っても後味が悪い」
立っていた二人は、薫と心愛だった。二人はゆっくりと遥香に近づき、肩を叩いた。
「っぁ……」
遥香は流す予定の無かったが痛みのせいで出た涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「立てるか」
「ほら、ボク達が肩を貸すから」
遥香は二人に助けられ、支えられながら何とか立ち上がる。
「ま、まだ痛いんだけど……」
「ごめんごめん、でもやらせてよ」
心愛は遥香に微笑みかけた。
そのとき、美桜は目を覚ました。慌てて起き上がって、遥香の前で構え、困惑した顔をしていた。
「あ、あなた達はなんです? 何で遥香に肩を貸しているのですか?」
「それは勿論、ボク達に勝って、一番になった遥香を称えるためさ」
「遥香は貴方より長く立ってた。そして気絶もしてない。あなたは負けた」
薫の話を聞いて、美桜は急に体の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「私、負けた……」
「それとも、キミも立ち上がったことだし、まだやるのかい? まあボクらはボクらに勝った遥香を一番に立たせてやりたいから、相手はボクだけどね」
「私もやろう」
遥香の前に立ちふさがると宣言した二人に、美桜は涙をこぼしながら、悔しそうに拳を固く握る。
「……悔しくないんですか? これに負ければ、私達の夢は終わるんですよ?」
「悔しいさ。けどボクは、そんなことより一人の格闘家として、負けはしっかり認めたいし相手を蹴落としても生き残る真似はしたくない」
「私も」
「二人とも……。私も空手という道を歩んできた武人です、弱っている相手を倒すのは泥を塗ることになりますか。わ、私の負けです。ぅうっ……うっ……」
美桜はうずくまると、色んな感情すべてを吐き出すように泣いた。
一美は今まで空気を読んで黙っていたが、タイミングを見計らってマイクを握る。
「あ、あの。では決着がついたって事でいいですか?」
一美の質問に、薫と心愛、そして美桜も同じ肯定の解答をした。
「で、ではこのバトルロワイヤル、前田遥香さんの勝利です!」
一美の宣言で、バトルロワイヤルは終了した。美桜は滝のように沢山涙を流して泣き、薫と心愛も目に涙を浮かべていた。遥香はまだ痛いようで、色々な液でグシャグシャな顔をさらにグロッキーにしていた。
「アイドルになれなかったのは悔しいけど、悔いは無いよ。おめでとう、遥香」
「……おめでとう」
「おめでどうございまずぅぅ」
この四人の雰囲気が、一美には理解出来なかった。
「あ、あの。皆さんもう諦めてるんですか?」
「何を言ってるんだい? ボク達はバトルロワイヤルで負けたじゃないか」
心愛は何を言っているんだこいつはと言わんばかりの目で一美を見る。だが、一美には浮やっぱり理解出来なかった。
「いや、バトルロワイヤルはあくまで選考の手段ですし。私も社長も、バトルロワイヤルで勝ち残らなきゃ駄目なんて言ってませんよ? そもそもこのバトルロワイヤルは、この先アイドルになって、夢叶仕合に勝てるポテンシャルがあるかを見るものなんですから」
「その通りだ」
四人の背後から声がする。オーディションの最初に聞いた渋いその声の主は、あちこちで倒れている志願者達をまたいで、一直線に遥香達の方へ歩いてきた。
「オーディションは終わりだ。一美、倒れている志願者に病院の手配をしなさい。俺はこの四人に話がある」
一美は社長に一礼すると、走ってどこかへ行ってしまった。
一美が走り去るの見ると、社長は突然、ボロボロになった四人に、ゆっくりと音の大きい拍手を送った。
「おめでとう。君たち四人は合格だ」
心愛、薫、美桜の三人は戸惑ったようにお互いの顔を見合わせる。
「え……えっと」
「本当か、それは」
「そ、そうさ。ボクらは一度ぶっ倒れているんだ」
「一美の説明を聞いてなかったのか? これはあくまで選考、勝敗は直接的には関係無い」
もう一度三人はお互いの顔を見合う。そして三人の顔はどんどん明るく、嬉しさに満ちた表情になっていった。
「やっと分かってくれたか。改めて、おめでとう」
社長は、うれし涙を流す三人に、もう一度拍手を送った。
「う、受かったのか」
「ああ。ボク達、四人皆合格したんだ」
「良かった。良かったです!」
「ああ、本当に! 遥香も喜んだらどうだい? ……遥香?」
「…………」
心愛と薫に支えられていた遥香は、飛んで喜ぶ二人の間で白目をむいて揺れていた。
「遥香!」
心愛と薫は慌てて遥香を床に寝かせた。
遥香は目を覚ました。体の外も内もそこら中が痛く、気分が悪かった。なんとか気力を出して状態を起こす。
「あれ、皆どしたの?」
遥香の目の前には、薫、心愛、美桜、社長、そして肩で息をしている二虎がいた。
「やっと起きた。大丈夫?」
薫が遥香の顔をのぞき込む。
「だ、大丈夫、だと思う」
「遥香。ボク達四人、オーディションに合格したんだ!」
「え? あ、おめでとう。四人ていうと、見たところ心愛と薫、美桜と、後は私か。…………え、私?」
「そうですよ。私達四人です!」
「そ、そうなの?」
遥香は、社長の顔を伺うと、社長は一度深くうなずいた。次に二虎に目を向けると、一言おめでとうと言って微笑んだ。
そんな二人の反応を見た遥香は実感が湧き、体の底から歓喜が溢れてきた。感動で体が小刻みに震え、今にも叫んでしまいそうだ。
「おめでとう。遥香、薫、心愛、美桜。だが喜ぶのはそれくらいにしてもらおう」
だが社長の気になる一言で遥香は我に返った。
「え、どういうこと?」
「すぐ次のステップに移行するからだ。君たちはオーディションに合格したが、まだアイドルになった訳ではない。これからダンスや歌のレッスンを受け、それぞれソロデビューなりグループに加入するなりして、アイドルデビューしてもらうことになる。君たちは夢叶仕合で生き残れる実力は持っているが、歌やダンスの才能が無ければアイドルになることは出来ても、続けるのは無理だ。更に、まだデビュー前の子達は君たちの他にいくらでもいて、また子達から仕合でデビューの座を勝ち取らなきゃならない。だから早くレッスンに参加してスキルを積んで、いつでもステージに立てる様にしなくてはならない」
薫、心愛、美桜の三人が社長の言葉にウンウンうなずいて、これから始まる戦いの壮大さに震えて居る中、遥香は社長に質問するべく、手を上げた。
「質問か? 遥香」
「うん。えっと、社長の言う感じだと、私達別々になっちゃうの? 私、薫と心愛と美桜の三人となら良いだろうなーって思ってたんだけど」
「……ほう?」
社長は少し驚いた、だが凄く嬉しそうな顔をして遥香を見る。
「もしかして、オーディションで残ったメンバーでグループって言うのは無い感じ?」
「いや、そんなことは無い」
「だったら私達四人でグループ作れば良いじゃん。きっとそれがいいよ。ね?」
遥香は、同意を求めて三人の顔を見る。三人とも、否定する気は全く無さそうな顔だ。
「私は賛成」
「ボクも、遥香となら楽しくやれそうだと思っていたんだ。是非一緒に組ませて欲しい」
「私もそれがいいと思います。やっぱり拳と拳で語り合った仲ですし、良いチームになると思います」
「じゃあ決まり!」
「ま、待って!」
勝手に話が進みそうになるのを、慌てて二虎が止めた。
「勝手に決めないで! 確かにそういうルールは無いけど、全部社長が決めるから!」
「いや、止めなくて結構だ、新垣マネージャー。遥香、君たちのグループ結成を認めよう」
「本当?」
「ただし、条件がある。今から二ヶ月後、うちの事務所から一つのグループをデビューさせる。そのデビューするグループの座を夢叶仕合でつかみ取り、歌とダンスのレッスンを間に合わせ、デビューしろ。それが出来なければ即解散だ」
「社長! それはあんまりにも……」
無謀だ、そう二虎が口に出そうとする。だが、遥香は二虎にその先を言わせなかった。
「社長。私やるよ。みんなと一緒に、デビューするよ!」
自信に満ちた目と声で、そう遥香は宣言した。これに無理だと反論するものは無く、薫達三人も同じ意志とやる気があった。
「私達で、デビュー。うん、やってみたい」
「私、皆となら出来そうな気がします」
「ボク達なら出来るさ、必ずね。でしょ? 遥香」
「もちろん!」
四人は円になり、手を重ねた。
「絶対夢を掴んで、アイドルになるよ!」
「「「おー!」」」
まだ志願者達が転がる体育館に、四人の声が響いた。
オーディションは幕を閉じたが、遥香達の夢は、今始まったばかりだ。
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