第九章
担架で運ばれる夢を見送りながら、理子は仕合に向けて準備運動をする。雰囲気は静かで安定しており、とても集中していた。
理子は道着と袴という、剣道や合気道の様なスタイルだ。道着は新調したようで、とても綺麗だった。
「次は理子先輩の番だね。……あれ? おーい」
遥香が呼びかけるが、周りの音を遮断しているみたいに反応しない。
「理子先輩!」
強く何度も肩を叩かれ、やっと理子は遥香がいることに気づいた。
「あら、いたの」
「いたのじゃなくって。大丈夫?」
不安そうな顔で見てくる遥香に、理子は微笑する。
「心配しないでいいから」
「けど、過去に色々あった相手だし。変に意識とかしてないかなって」
「私様を誰だと思っているの? あんなのなんでも無いわよ」
急に、理子の目が変わった。
「今日の相手も私様の過去も全部、ぶっとばしてやるわよ!」
理子のその強い目と自信に溢れた声色、そしてそんななかでも、凪のように落ち着いた様子は、遥香を安心させた。
控え室から、瑠香がけだるそうに出てくる。とても今から仕合をする人間とは思えないだらけぶりだ。着ている服も学校の体操服で、勝負へのこだわりが無く、仕合が心底どうでもよさそうな様子だ。
「はあ、めんどくさ……」
そうつぶやくと、瑠香は理子を一瞥した。そして大きなため息をつく。
「瑠香、去年から変わらないわね」
「あたりまえじゃん。めんどくさいのはずっと変わらないんだから」
一美のナレーションが聞こえてきた。入場の時間が近い。
「そういう理子は、去年のことがあっても懲りずにここまできたんだね。なんでそこまでするのか、理解出来ないな」
「分からなくて良いわよ、別に。私様はあなた達を踏み越えていくんだからもう関係無いんだし」
「……ふーん」
一美が瑠香の名を叫んだ。同時に入り口の扉が開く。
「ま、どうでもいいや」
瑠香はポケットに手を入れ、フラフラとリングへ向かった。
「先輩、頑張れ」
心愛達はグーサインで理子を送り出す。
「見てなさい。私様が最強だってとこ」
一美が理子の名を呼ぶと同時に、理子はリングに向け走り出した。
リングの上で、両者が向かい合う。だが今までの対戦よりも、理子と瑠香の距離は離れていた。理子のファイティングスタイル的に、その間合いが丁度いいからだ。
「……早く終わらせよ」
瑠香がだるそうにつぶやく。
「心配しなくてもすぐに終わるわよ」
「それはいいや。今日眠いんだよね」
理子は挑発の意味で言ったのだが、瑠香には効いてなかった。そのままの意味で受け取ったようなリアクションだった。だが挑発が失敗に終わった理子も全く気にした様子はない。
「それでは、第三仕合。始め!」
ゴングの音と同時に理子は構えを取り、瑠香との一定の距離を保ちながら左右に動いて様子をうかがう。
対する瑠香は腕を上げてガードを取る事すらせず、フリーハンドで突っ立っている。
一見最初から戦意喪失しているように見えるが、理子は去年のオーディションの時からこの行動の意味を知っていた。
「瑠香のスタイルは特殊。夢叶仕合で一番多いのはボクシングや総合格闘技スタイルのアイドル。次に空手とかの世間的にメジャーな武道。私様や薫みたいなあまり知られていない武道を使うアイドルは結構少ない」
理子が左右に素早く動き揺さぶりをかけるが、瑠香は首だけ動かして理子を追うばかりで何もアクションを起こしてこない。
「けど瑠香はそれよりも特殊なケース。私様が知る限りでは、この戦い方をするのはななみと遥香しかいない」
理子が先に仕掛ける。瑠香との距離は、3歩は踏み込まないと届かない遠さ。一歩大きく踏み込んで、後方の足を引きつけ、手で顎を守りながら体を捻る。そしてそこから更にもう一歩踏み込む。これがロングレンジで攻撃を打ち込む、体の小さな理子の戦い方だ。
理子はそのまま瑠香に突きを打ち込む。最適な距離感で最高のタイミング。防ごうとすらしない瑠香には確実に一撃で沈められるような一撃だ。だが、
「瑠香の戦い方は型が無い。センスと才能に物を言わせて戦う完全フリースタイル!」
瑠香は体をほんの半身分後ろに下げ、最小限の動きで理子の突きの射程から逃れていた。
「去年と同じ。理子の手の内は知ってる」
瑠香は拳を握ると、至近距離から理子の顔面目掛けパンチを繰り出した。
辛うじて反応が追いついた理子は、上半身を頭がマットをこするぐらい下げて拳を躱し、上半身を下げた時の勢いを使って足を上げ、蹴りを入れる。見事なカウンターだ。足の軌道は確実に瑠香の喉元を叩くルートで、決まればそのままダウンを取れる。
だがその蹴りも不発弾となる。瑠香が少し上体を前に出して、向かってくる足の内側に入った。蹴りも一番威力の出るポイントで蹴らなければ意味が無い。
「卍蹴り、だっけ。それもオーディションの時見た」
すぐに足を引き戻し、距離を取ろうと後ろに向かって走った。
また離れて向き合う二人。だが様子は全く違う。理子はすでに少し汗ばんで息が乱れており、対して瑠香は試合前と全く変わって無かった。
去年のオーディションで出会い、カシューナッツがデビューするまで共に活動してきた二人は、お互い手の内を知っているので条件的には互角である。しかし今現在押されているのは理子の方だ。
理子の使う武道の技は、応用があるもののある程度は型が決まっており、研究し尽くせば動きを読み切ることも可能だろう。至難の業であるためそうそう有るはずも無い話ではあるが。
一方の瑠香は基礎が無い。だから型が定着することもない。大抵の人間では、ある程度しっかりした基本が備わっていなければただの素人で終わる。しかし才能があれば話は別だ。天から与えられた、常人では理解すら出来ないような超人的なセンスは、例え以前から知っていたとしても予測が出来ない。それが今の理子と瑠香の間に生じている差だった。
「……顔狙ったでしょ。顔面は反則だって、忘れたわけ?」
「そうだっけ。あ、そうだった。ハァ、めんどくさいな」
「めんどくさい?」
会話をしながら、理子は次を考えていた。
「いつもはこんなルール無いから、顎に一発当ててラクに倒せるんだけど」
この感じだと、恐らく理子の持つどんな技を使っても結果は同じであり、理子はそれを前提に考えなくてはならない。
「それよりさ、理子はやっぱり昔と比べて変わったような気がする」
「私様だって一年経てば変わるわよ」
加えて瑠香は才能で殴ってくるタイプで予測不可、完全に苦戦を強いられる状態。だが理子は諦めるなどという考えは微塵も無かった。
「そうじゃなくて。なんていうか、前と違ってなんか落ち着いてるよね。我儘で周りを寄せ付けない感じで、なんか急いでるみたいなイメージだったけど」
「昔も今もそんなつもり無いけど。まあいい方向には向かい始めたとは思うわ」
「うん。理子が柔らかくなって良かった。けど同時に面倒にもなった」
瑠香の表情にイラつきが混じる。
「このままやっても面倒なだけなんだけど、理子は降参しないでしょ? そういう目をしてる」
「当たり前じゃない」
「理子は仲間の事を考えないから、勝てなそうな相手には自分が怪我をしないことを優先して降参してくれると思ってた。だからすぐ終われるはずだったのに、なんで変わったの」
「そんなの簡単よ。私様よりやばい奴が現れた。そうなったら私様は自分勝手する暇なんてないじゃない」
理子と瑠香に動きが無いからか比較的会場は静かだったので、外から微かに遥香の豪快なくしゃみが聞こえてきた。
「答えになって無い。けどもういいよ。面倒だけどダウンさせればいいだけだし」
初めて瑠香が構えた。といっても拳を握って半身になっただけだが。しっかりと脱力し、すぐにアクションを起こせそうで隙が無い。
「終わらせる」
一瞬、瑠香の姿勢が少し低くなる。そして次の一瞬には踏み込んで理子を間合いに捉えた。
瑠香が攻撃に選んだのは右ストレート。顔は当てられないので首から胸を狙った一撃で、これをきっかけにして連続攻撃を仕掛ける意図があった。右拳は胸に添え、腰を捻って腕を伸ばしてインパクトする瞬間まで動かさない。とてもコンパクトで、速く予測し辛いパンチだった。
これをしっかり見ていた理子は、パンチが発射されるのと同時に、頭を下げつつ体を捻って上体を低くしながら後ろを向く。そしてその捻りと上体を避けた時の勢いを使って、瑠香の腹目掛けてかかとを突いた。
結果、瑠香の一撃を躱し、瑠香の懐からノーガードの腹に蹴りが刺さった。見事に理子のカウンターが決まったのだ。
理子は手ごたえを感じ、ゆっくりと突き出した足を引こうとする。
足が戻らない。何者かによって足を強く掴まれているように足が戻ってこない。これは比喩ではない。実際、理子は足首に掴まれているような感覚があった。となれば考えられることは一つだが、理子はあの手ごたえがあったので信じるに信じられなかった。
「捕まえた」
瑠香は理子の蹴りが効いたのか少し表情を歪ませている。だがそれでダウンするどころか怯みもせず、しっかりと足を抱えていた。
「凄く痛かった。いつもは上手く避けるんだけど、さっきのは出来なかった。理子の技にしてやられた」
理子は体の内側から全身へ冷たい感覚が走り抜ける感覚に襲われた。
「痛いって凄く久しぶりに感じたけど、そうだった。痛いって、物凄く腹が立つんだ。してきた相手に何倍にもして返してやりたいってなるんだった」
瑠香はもう片方の手を引き、拳を固く握る。理子の足を抱えている腕の力も強くなり、これからとてつもない一撃が来ることを予感させられる。
「一発は一発だから、お返しするよ」
短く呼吸すると共に、瑠香は無防備な理子の腹めがけて下から上へ拳を振り上げた。そして深く鳩尾に刺さり、理子は衝撃で一瞬体が浮く。瑠香が手を離すと、理子はそのままの場所で腹を抱えて蹲ってしまった。
息が吸えないほど酷く腹が痛み、目や鼻、口から液体を垂れ流しながら、理子は必死に耐える。
理子はなんとか首を動かして瑠香を見る。そして気だるそうに見下ろしてくる瑠香の姿に悔しさがわき、強く食いしばる。
武道という型を身に付け、どれだけ練習を重ねたところで、瑠香のような天賦の才を持つ人間には敵わない、そういわれているようなもので、アイドルになる前の自分の努力、そしてオーディションに受かってからの何倍もの努力を否定されたような気になる。それが堪らなく悔しかった。
だがそれで心折られ、諦めるほど理子は利口でもなかった。ゆっくりと立ち上がりながら、頭をフル回転させて勝ち筋を模索する。
「まだ立ち上がるの。鬱陶しいんだけど」
まだ痛むが動けるまでに回復した理子は、構えをとった。
「鬱陶しくて悪かったわね。けど私様はまだまだあなたに噛みつくから、覚悟しておくことね」
理子が一歩踏み込んだ。何が作用したのかわからないが、今日一番の集中力で瑠香の一挙手一投足を注視している。
「何度やっても同じだ」
瑠香の拳が打ち出され、理子めがけて突っ込む。だが勝負を決めるような鋭さはなく、誘っているようなパンチだ。
理子は体を捻り、頭を地面スレスレまで下げてパンチを躱す。
「その動き、さっきと同じでしょ。一度目もそこまでだったのに、二度も効くわけないじゃんか」
瑠香は拳を出し切る前に止めた。そして、蹴りが飛んでくると予想して備える。
理子が奥の足を引き寄せる動きを見せた。それに反応して瑠香はもう一度蹴りを掴もうと両手を構える。
「やっぱ蹴りじゃん。何度やってもおなじ」
「ちゃんと見なさいよ」
しっかりつかもうと少し前のめりになったところで、瑠香は理子の引きつけた足が蹴りに向かわず、自分のほうへ地面を滑っていることに気づいた。
「な、なにそれ」
慌てて何かしようとするも、重心を戻して対策を講じるまでの時間は一瞬の間にはできない。その間、理子は更に体を捻り体の面の向きを変える。そしてその回転を生かして、引きつけたほうとは反対の足で真上に蹴り上げた。理子の踵がガラ空きになった瑠香の脇腹に直撃した。
「これは見せたこと無かったわよね。練習の軽いスパークリングくらいじゃやらないもの」
理子は姿勢をもとに戻すため、素早く体を捻る。
「あと、見たことあるからとか、今さっき防いだからって油断しすぎ。だから追撃も食らうのよ、こんなふうにッ!」
元に戻るための捻りを使い、理子は更に蹴りを加える。これも瑠香の腹のいいところにヒットした。
それからは一方的だった。完全に理子の術中にはまった瑠香は、いくらパンチやキックを繰り出しても理子には当たらず、ただ蹴りや突きを足や胴体に食らい続けるだけ。何度もいろいろな箇所に食らい、痛みが蓄積されていく。そしていつしか瑠香は反撃できなくなるほど消耗していた。
「勝機!」
そう思った理子は、瑠香のパンチを避け、蹴りを繰り出す。蹴りは横腹にヒット、内部にも振動を伝え、いいのが入ったと確信した。
そこで気づく。また足を掴まれていることに。理子が驚いて瑠香を見ると、先ほどまで目の焦点が合っていなかった瑠香の目に、消える寸前の蠟燭のような炎が灯っていた。
「しまっ」
「油断……大、敵……」
瑠香はなんの障害もない無防備な理子の腹に、渾身の蹴りを入れる。蹴る直前に意識を失ったのか、インパクト前に瑠香は理子の足を離していた。そのため理子は宙を舞い、一メートルほど吹っ飛んだ。
リングの上には力尽きて白目をむいて倒れる瑠香と、何か吐きながら痙攣している理子。両方倒れているので判定が微妙だが、まだ理子はぎりぎり意識を保っていた。そして一美がリングに駆け寄り、両者の意識の有無を確認するまで、理子は耐えた。
しっかりと確認して勝敗を決めた一美は、マイクを手に持った。
「え、ええ。ほんの数秒の差ですが、黒崎理子のほうがほんの少しだけ気絶が遅かったため、勝者、黒崎理子!」
一美が宣言すると、会場に拍手が溢れた。互いのギリギリの戦いを称えた拍手だ。
その拍手が聞こえていたのか、リングの上では両者苦しみながらもどこか満足そうに倒れていた。
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