第十章
理子と瑠香が担架に乗せられ、運ばれていく。そしてステージからホール入口へ向かうで、美桜、葉月とすれ違った。葉月は観客に笑顔で手を振りながら、美桜はこれから始まる戦いへの覚悟を決めて、真剣な表情でリングに向かう。
両者、歓声と観衆の期待を受けながらリングに立ち、向かい合った。
美桜は、着古した道着の襟をつかんで引き、着崩れを正す。
「緊張してる?」
対面の葉月が言う。葉月は道着をゆるく着ているが、下にアンダーシャツを着ているため心配なかった。
「緊張しなくていいのよ? 肩の力を抜いて、気楽に行きましょ!」
葉月からは油断させようとかそういった意図は全く感じられず、本心で言っているように見えたので、美桜は不思議でならなかった。
「流石にそれは。私達、今から仕合をするんですから」
「だからよ。ほら、周りを見て」
葉月に言われ、美桜は周囲を見渡してみる。すると客席で見ている観衆から期待と熱狂が伝わり、否が応にも血が沸き立った。
「……凄いです」
「でしょ? みんな私達の夢叶仕合を楽しみにしてくれてるの。だから私達も笑って答えないと」
葉月は客席をちらっと見た後、会場の隅にいる観衆に届くくらいの大声で言う。
「だから私達でもりあげましょ。一発ずつ殴り合って、倒れたほうが負けってのはどう?」
「え、ちょっ」
美桜が異議申し立てしようとするが、既に会場は最高に盛り上がり、嫌だとは言いづらい雰囲気になってしまっていた。
「逃げないわよね?」
「え、えっと」
葉月は微笑み、優しく美桜の肩をたたいた。
「ほら、皆凄く盛り上がってる。これってアイドルには物凄く嬉しいものでしょ? 私達はこのためにアイドルを頑張って、その見返りで気持ちのいい歓声を貰うの」
葉月は美桜の肩を動かして、もう一度客席を見るよう促す。
「さ、私達で更に盛り上げていきましょ。アイドルとしての私達じゃなく、夢叶仕合の選手として応援してくれる人たちにも喜んでもらうの。だって私達はアイドル、エンターテイナーなんだから!」
ただの一般人でなく、何かしらの重役についているような人たちばかりにもかかわらず、大歓声を送ってくる観衆を目の当たりにして、美桜は体中の血液が沸騰するような熱さを感じた。そして、
「わかりました。受けて立ちます!」
葉月の口車に乗る覚悟を決めた。
「オーケー。じゃあやりあいましょ。一美さん、ゴングを鳴らして!」
「わっかりました! では皆様、東雲葉月と八重垣美桜による一発交代の殴り合いデスマッチ、開幕です!」
一美が思い切り叩いてゴングを鳴らす。そして第四仕合が始まった。
「ルールは簡単、お互い一発ずつお腹を殴り合って、蹲ってから十秒以上起き上がれなかったら負けってことで」
「わかりました。ですがいいんですか? 私、正拳突きは得意ですよ」
「見たらわかるわよ、美桜ちゃんが空手やってること。だって私もだもん。そして私も大得意なんだから」
葉月は拳を握り、美桜に差し出す。
「先攻後攻はじゃんけんで決めましょ。勝ったら先攻ってことで。ほら、じゃーんけーん」
急にじゃんけんが始まり、美桜は慌てて手を前に出す。
「ぽん!」
美桜が咄嗟に出したのはグー、対する葉月はチョキだった。
「あちゃー、後攻か。じゃあ美桜ちゃん」
葉月はすぐに切り替え、股を開いて軽く膝を曲げ重心を低くし、しっかりと受け止められる体勢を取る。美桜を見る葉月の目は先程までの優しさが溢れていたものから百戦錬磨の格闘家のような目に変わっていた。
「いつでもどうぞ」
そんな葉月に一瞬圧倒された美桜だったが、すぐに落ち着きを取り戻し、中段突きの構えを取る。そして、
「チェリャアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
渾身の一撃をぶち込んだ。
拳が葉月の腹に当たった瞬間、殴った時の音とは思えないほどの轟音が響いた。オーディションで見せたもの以上のクオリティだ。
「ぁっ……ぁ」
葉月は痛みで息が吸えず声になってない悲鳴を上げながら蹲る。
「カウント行きますよぉ! ワン! ツー!」
一美がカウントを始める。これがテンになったら美桜の勝ちだ。
美桜は立ち上がってくれるなと祈りながら、一美のカウントを待つ。だが、
「す、凄いわね美桜ちゃん。今までで一番効いたかも」
残り四カウントのところで、葉月は立ち上がってしまった。
「え、嘘」
「残念だったわね。立ち上がっちゃった。凄く効いたけどね」
葉月は腹を左手でさすり、右腕を回して肩をほぐす。
「じゃあ次は私ね。ほら美桜ちゃん。しっかり構えて」
いわれた通り、美桜は受け止められるよう、内股になって股を絞め、腹筋に力を入れる。
「いくわよぉ」
葉月が中段突きの構えを取ると、美桜は葉月の気迫の圧力に恐怖し、顔がこわばり食いしば
る力が強くなる。
そしてついにその時が来た。
「セリャァッ!」
道着から鳴る音より速いのではないかと思うほどの高速で拳が美桜の腹めがけて突っ込んだ。
当たる寸前、美桜は足の親指に力を入れ踏ん張ろうとする。でも受け止めきれず、美桜は一メートル程後方に飛ばされた。
「がっ……、ふっぁ」
腹を押さえ、美桜は膝をつき蹲る。そして唇を噛んで意識が飛ばないように必死に耐えた。
「カウント! ワン! ツー!」
一美のカウントが始まった。カウントを遅くするといった優遇は当然してくれるはずもなく、公平に同じ間隔で数を数えていく。
あまりの痛みで、美桜の目から涙がボロボロと溢れる。吐きそうにもなっている。
「この感じじゃ、もう終わりかしらね」
痛みと苦しみで頭がいっぱいな中、ふとそんな声が聞こえてきて、美桜は顔を上げる。すると葉月が美桜に背を向け、観衆に手を振っている姿が目に入った。
瞬間、腹の痛みが消え去り、体の中心から熱く煮えたぎるような感覚を覚えた。
「エイト! お、立ち上がりました!」
葉月が少し驚いた様子で振り返る。
「何してるんですか」
美桜の目は血走り、相当頭にきていることが分かる。
「何私に背を向けてるんですか。勝ったつもりですか」
「あら、怒ってるの? ごめんね。けどあれだけ痛がってたし、もう無理かなって、ね?」
笑っている葉月に更に腹が立ち、美桜は葉月の胸ぐらを掴み、睨む。
「舐めないでください」
葉月は強くつかんでいる美桜の手の手首を握り、手を下すよう力づくで促そうとする。対して美桜はそれに抗おうと反対に力を入れた。
「おーけー。落ち着いて。ほら、次は美桜ちゃんの番でしょ?」
美桜が手を離すと、葉月はまた受ける構えを取り、手で腹を叩いて煽る。
「さ、どーんと来なさい!」
「言われなくても」
そう言うと美桜は大きく股を開きグッと腰を下げて四股立ちの姿勢を取る。そして右手を引き、左手を少し前に出して構えた。
「チェリャアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!」
今日一番の大声とともに、美桜の一撃が放たれた。
突きの威力も過去最高で、直撃後も拳が進み、腹を深く抉る。葉月も踏ん張っていたが、一メートル半もの距離を後方に滑った。
葉月は一回目とは比にならないほどの痛がり方でマットに沈む。
「もう終わりですかねー」
葉月がマットに這いつくばりながら美桜のほうを見上げると、さっき自分がしたことと同じように、美桜も葉月に背中を向けて観衆に向かって右拳を掲げていた。
ふと美桜が葉月のほうに振り返る。そして目が合った。その時の美桜は心配と同情が伝わってくるような表情をしており、それが葉月にとってダイレクトに刺さる煽りとなった。
「ま、待って待ってよ」
苦痛に顔を歪ませながら、葉月が立ち上がった。
「あれ、起き上がれたんですね~。まあ、満身創痍って感じですけど」
美桜が笑う。だが目は全く笑ってなかった。
「美桜ちゃんて、怒ると結構、怖いのね」
「そうですか? まあ弟達にも言われるので、そうかもしれないですね」
「や、やっぱりよね。それで、次は私の番ね」
立っているのがやっとといった状態だが、葉月はそれでも構える。だが美桜は内股で踏ん張る姿勢を取るものの、どこか余裕そうに脱力して構えていた。
「セイッリャァ!」
葉月が拳を突いた。しかしその拳には一発目のようなキレが無く、当たっても美桜は涼しい顔で立っている。
「もうさっきまでの強さがないですよ、先輩」
葉月が美桜の腹から顔に目線を上げる。そして美桜の目を見たとき、葉月は全身の力が抜け、尻もちをついた。
「美桜ちゃん。あなた、本当凄いわ……」
葉月は立ち上がり、微笑んだ。
「美桜ちゃん。私もう勝てそうにないわ。あなたの勝ちよ」
この後の一発を受けないまま負けようとする葉月に、美桜は少し残念そうにため息をついた。
「じゃあ、私の勝ちってことですね?」
「もちろん。けどこのまま私が参った! で終わるのは盛り上がりに欠けるでしょ? だから最後、あなたの全力の更に全力を頂戴。そうして最っ高に盛り上げて終わりましょ?」
そう言って葉月はまた構える。その姿は、美桜にはとても大きく映った。
「先輩、いきます!」
「どーんと来なさい!」
美桜が構え、突く。そして今日一番の轟音がホール中に響き渡った。
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