第十一章
「遥香、皆さん。私、勝ちましたー」
ほんの数分前まであれだけ激しい戦いを繰り広げていたとは思えない位穏やかな柔らかい笑顔でリングから帰ってきた。
「おめでとう美桜!」
「とりあえずこれでボク達の勝利だ。今は三対一でボクらが勝っていて、残る仕合はあと薫の一仕合だけだからね」
「でも気をつけなさいよ。負けが確定したチームの相手って少しでも爪痕残そうと必死になるものなんだから」
「分かった。気を付けよう」
そう言って薫は袴の紐をきつく縛り直した。薫は理子と同じく袴を履く方の道着を着ていた。道着は所々傷んでおり、努力が見える。
「まあ怪我をせず気楽に行きなよ。どうせ勝ってるんだから」
「甘い」
控室から出てきた奈央は、ヘラヘラ笑っている遥香にそう喝を入れた。
奈央はアンダーシャツに軍の戦闘服のような迷彩のズボンを履いていて、軍人だと言われても信じてしまう位の見た目と貫禄だ。
「な、奈央ちゃん……じゃなかった奈央先輩」
「呼び方は何でもいい。それより聖薫、こういう勝利が確定してる時こそ油断するな。手を抜いてるとか、夢叶仕合で強いアイドルなのか、客席の偉い人達はしっかり見ているぞ。だから気を抜くな」
「分かった。だが私と先輩は敵同士、なのに何故私に助言をする?」
まっすぐな目で尋ねてくる薫に、奈央はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「どうせ負けだが仕合は私にとって大事なものだ。だからそんな腑抜けた状態で来られても腹が立つ、そう思っただけだ」
「そうか。だがありがとう、先輩」
奈央は反応せず、ただ薫に背を向けて入り口の前で名前が呼ばれるのを待った。
「さーて、勝敗も決しまして残すところあと一仕合! ですが見どころ満点です! カシューナッツ一番の実力者酒井奈央に、世界的大企業HIJIRIのご令嬢である聖薫が挑みます! これは見逃せません!」
一美のハイテンションなアナウンスが聞こえてきた。いよいよ仕合が始まる。
「聖薫。リングで待ってる。いい仕合をしよう」
そう言うと奈央は入り口の扉をけ破り、リングへ走り出した。
「では私も、行ってくる」
そう言って遥香達に手を振ると、薫も走った。
「それでは第五仕合を始めます。両者、すでに勝敗はついていますが、全力を尽くしてください!」
一美がゴングを鳴らす。そして夢叶仕合の最終仕合が始まった。
薫は左足を引き、脱力して構える。対する奈央は脇を絞めてコンパクトに構え、リズミカルにステップを踏み始めた。
「先輩は総合格闘技を使うのか?」
相手の隙を伺いながら、薫は尋ねる。
「いや、ただの徒手格闘術、軍が使っている奴だ。そう言う聖薫は古流武術だろ。聖家が門外不出で伝え続けた護身用の格闘術、聖流古流武術だったか」
「なんで知ってる。私は一言でも何か言ったのだろうか」
「聖程のビッグネームだ、すぐに分かる。それよりも当然ながら聖流と手合わせできるとは。これほど珍しい経験もないだろう」
奈央はステップを踏みながら、右手首を前後に曲げて誘いをかける。
「だが負ける気はしない。来い、聖薫」
「言われずとも」
薫が一歩踏み込む。袴の利点を最大限利用し、膝がどの向きを向いているのか、足の先はどの向きでどこにあるのかといった情報をすべて相手に見せずに距離を詰めた。
「上手いな、だが」
拳を縦に構え、薫は奈央の胸部ど真ん中に突きを打ち込んだ。だがそれが実際に当たる前に、奈央の手で軌道を変えられ、受け流されてしまう。それだけではない。薫の突いた方の手の手首を握られ、横腹あたりにパンチを貰った。パンチが軽かったのか、薫は怯むだけだったが、大きく隙を作ることになる。それを逃さず、奈央は殴った方の手を薫の首に巻き付け、その手を軸に薫の足を裏から蹴り上げて倒れさせた。
「ぅっ!」
上手く受け身を取り、頭を打つと言った致命的なダメージは避けたが、立ち上がろうとするよりも先に奈央が薫の上を取っていた。
寝転がる薫に組み付き、腕を首元に滑らせて巻きつけ、絞めにかかる。
「ぅっぁああっ!」
必死の抵抗を見せるも、ここまでしっかりと決められてしまえば逃げるのは不可能だ。
「いいか聖薫。今は全然経験が足りないんだ。だからこうやってまんまとしてやられる」
意識が薄れていく中、奈央の言葉がぼんやりと頭の中に響いた。
奈央が首を絞めていた手を離した時、薫はすでに落ちていた。
「し、勝者。酒井奈央!」
一美が勝敗を告げる。だがあまりに一瞬の出来事で、観衆は沈黙していた。
意識を失って動かなくなった薫を奈央は見下ろす。薫を見る奈央は、薫を見下しているような様子ではなく、戦い方を教える師匠のような厳しい目をしていた。
「聖薫が弱かったわけではない。今日負けたからといって自分の実力を見誤るなよ」
そう言って、リングを去ろうとするが、何か思い出したように一瞬体をビクッとさせ、一美の方へ振り返る。
「あ、一美さん。多分さっきの聖薫は眠ってて聞いてないだろうから、起きたら伝えておいてくれ。先輩からのアドバイスだとな」
奈央はよろしくと一美に一礼すると、今度こそリングを去った。
薫が目を覚ましたのは、仕合が終わってから数分後だった。慌ててあたりを見渡すと、両チーム無事なメンバーがリングに集まっていた。
「あ、起きた?」
薫に気づいた遥香が薫の目線までしゃがみ、笑顔を向ける。
「仕合は……終わったのか」
「あー、うん」
「負けたのか、私は」
「えっと、そうだね」
「そうか……」
あからさまに落ち込んだ顔をして今にも泣きだしそうになる薫に、一美が伝言を伝える為に寄ってきた。
「薫さん、奈央さんから伝言が、って本人いるんですから、ちゃんと本人の口から言ってあげてくださいよ」
「二度は言わん」
「えぇ……。仕方ないですね。えっと、負けたのは薫さんが弱いせいじゃないので実力を見誤るな、だそうですよ」
はっとして、薫は奈央の方へ顔を向ける。奈央はチームメンバーと話をしているが、薫と目が合うとすぐに目を反らした。
「ありがとう、次は勝つ」
奈央の返事を求めず、薫は立ち上がった。
「それでは皆さん。今回の夢叶仕合は遥香さん達の勝利です。おめでとうございます! ですので仕合の条件通り、明日皆さんにはここでライブをやってもらいます。デビューライブ、頑張ってくださいね!」
遥香、心愛、美桜、薫の四人は互いに顔を見合わせる。そして勝った事実を実感し、跳んで喜ぼうと膝を曲げる。
「待て。喜ぶのは早い」
だがステージ脇から誰かがそれを止めた。
「あ、社長!」
一美が慌てて礼するので、この場の全員がその方向へ意識を向ける。
「社長? なんだってここに」
「いや、君達はデビュー前に大事なことを忘れているから、それを伝えに来たのだよ」
「大事なこと?」
「ああ。君達、名前が無いだろ」
「あ」
全く考えもしなかった一番大事なことに気づき、遥香は口をぽっかり空けて素っ頓狂な声を漏らした。
「い、言われてみればそうかも」
「今まで練習と仕合に勝つことしか考えてこなかったからね」
「忘れていた」
「けど何も考えて無いですよ私達」
「それなら大丈夫だ。もう考えてある。一美、奥に布をかけたボードがあるだろう。あれを持ってきてくれ」
社長に命令され、一美は走って取りに行った。ステージ脇に入っていった時、「でっか!」という大声が聞こえてくる。そして出てくるときは奥にいたスタッフと一緒だった。
「大きすぎません? しかもホワイトボードみたいに車輪とかついてないから持ち上げて持ってこないといけなかったじゃないですか。スタッフさんが手伝ってくれなきゃ無理でしたよ」
「まあまあ、持ってこれたからいいじゃないか。さて君達、これが君たちの新しい名前だ。この名前を背負って、これからアイドルを頑張ってくれ」
社長が一美に合図を送って、かけてあって布を剥がさせる。
布をすべて取り、ボードがあらわになる。そしてそこにはREALISERと可愛らしいフォントで書いてあった。
「レアリゼ。夢を叶えるという意味だ」
会場から拍手が沸く。レアリゼという新しいアイドルが生まれた歴史的瞬間を、この場にいる全員が心から祝った。
「レアリゼ。私達の名前……」
「夢を叶える、か」
「良いですね、私達らしくて」
「気に入った」
予想より好評だったのか、社長は満足そうにうんうん頷く。
「今病院にいる黒崎君も、ダメージが少なかったみたいで明日のライブに出れるそうだ。だからレアリゼの諸君、明日を良いライブにしなさい」
「「「「はい!」」」」
四人は揃えて元気な返事を返す。そして明日のライブやこれからの事に、期待で胸を膨らませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます