第七章

夢叶仕合前日。この日は仕合前に対戦グループの顔合わせの日だ。

 二虎に言われた通りの集合時間に事務所前に集合した遥香達は、未だ来ない二虎を待っていた。

「遅いですねー」

「遅刻じゃないの? しっかりして欲しいものね」

「理子先輩遅刻したこと無いもんね」

「当たり前じゃない!」

 遥香の背中を叩く理子は、手を振りぬいた直後に、走ってくる二虎に気づいた。

「痛ったあい!」

「うっさいわね。それよりも、あれマネージャーじゃない?」

「……ほんとだ。急いできてるね」

「切羽詰まってるって感じですね。やっぱり遅刻だからでしょうか」

「いや、そうでもなさそうだ。なんだか嫌な予感がするよ」

 そんな心愛の予感は、的中する。

「皆! まずいことになった!」

 そう叫びながら走り寄ってきたからだ。

「ほら」

「ほんとだ」

「心愛は超能力者だったのか」

「たまたまでしょ。それよりも、マネージャーの話を聞きましょ」

 二虎は遥香たちの前で立ち止まると、膝に手をついて息を整える。そしてある程度落ち着くと、抱えていたタブレットを皆に見せた。

「明日の夢叶仕合の相手、新人グループの子達が辞退して別の相手とすることになった!」

 そんな焦り散らかしている二虎と対照的に、遥香たちはまだ色々理解出来ておらず、キョトンとしていた。

「え、何か駄目なの?」

「えっと。大抵仕合を辞退するときってメンバーの体調不良か、仕合相手に勝てないと踏んで辞退することが多いんだ」

「てことは体調不良?」

「今回は勝てそうにないから辞退した方でしょ」

「そうなんだよ」

「じゃあ、相手って誰?」

 二虎はタブレットをスクロールながら、神妙そうに言う。

「……カシューナッツ」

「えっ」

 予想外の名前が出て、遥香は思わず声を漏らす。

「けどこれって、デビューライブを掛けた仕合ですよね」

「そうなんだけど、急に名乗りを上げたんだ。多分最近失速しているから、ななみのデビューした会場でライブして巻き返したいんだろう。ここで誰がライブするかは知らされてないけど、それでも世間はこのライブ会場でのライブに注目しているからね」

「一発逆転を狙った大勝負という訳だな」

「薫、感心している場合かい?」

「それよりも先輩は大丈夫ですか? その、過去の事がありますし」

 美桜は心配そうにして、理子を気遣う。だが当の理子は全然気にしてないどころか、瞳に炎が灯っていた。

「平気よ。それに丁度良い機会だわ、あいつらに勝って目にもの見せてやれるもの」

「理子先輩の言うとおりだよ」

 遥香は皆の顔を見ながら自信満々に言う。

「私達なら勝てるよ、確実に。だって私達だから」

「理由になってないわよ。けど、言いたいことは分かるわ」

「不思議と、遥香の言うとおりな気がしてきた。……うん、私達ならやれる」

「良い感じに燃えてきたね、薫。けどボクも同じ気持ちさ」

「こんなところでビビってられないですもんね」

「その通り! 二虎、そういうことだから、受けて立とうよ」

 遥香の言葉を皮切りに明らかに目の色が変わった五人を見て、二虎は深く頷いた。

「分かった。辞退せずこのまま行こう。さあ、車を止めてあるから乗って。仕合会場に向かうから」

「仕合会場?」

「うん。夢叶仕合はライブ会場を仕合会場として使うんだ。ドームや競技場とかなら真ん中に大きな特設リングを作られることが多いんだけど、今回は多目的ホールでやるから、舞台の上にリングが組まれることになる」

「何故別途で会場を設けないんですか?」

「それは夢叶仕合の数が多すぎるからさ。だから他に会場を設けるより元々ライブをする予定の場所でやる方が楽なんだよ。それに、アイドル達だけで仕合が行われるわけじゃ無いんだ」

「というと、どういうことだい?」

「仕合は業界の上層部や企業の社長クラスといった結構すごいVIPが来るんだよ。それは単に仕合を楽しみに来てるだけの人もいるし、CMやその他事業に起用する人材を探しに来ている事もあるんだ。企業はこの人が良いとなってもオーディションを設けなきゃいけなくて、必ず夢叶仕合を開催しなきゃならない。だからどんなにこの子が良いと思っても、夢叶仕合に勝てなきゃ起用出来ないから、夢叶仕合を見に行って良い子を探したり狙ってる子の調査をしたりするんだ」

「夢叶仕合での個人の勝敗も重要ってことだな」

「その通り、薫。だからチーム戦ではすでに勝敗が決していても全試合する決まりになっているんだ」

 説明していた二虎はふと思い出して時計を見る。そして少し慌ててあたふたしだした。

「しまった! もうこんな時間だ。さ、皆早く乗って。開始時刻に遅れるから!」

 二虎に急かされて、五人は急いで事務所のすぐ近くに用意されていたバンに乗り込む。五人が席についてシートベルトを絞めると、二虎が運転席に跳び乗りすぐにエンジンを掛け、サイドブレーキを引いてシフトレバーをドライブに入れる。

「行くよ!」

 そしてエンジンを噴かし、車を走らせた。


 仕合会場の多目的ホールの中は、大道具が設置され、すでにライブステージが完成していた。だからこそ、ステージの上に異色を放って鎮座している特設リングがよく目立つ。

 すでにカシューナッツの面々は到着しており、ステージとリングの下見をしていた。リングはボクシングやプロレスで使われるような正方形のリングで、ロープやマットの具合を入念に調べながら仕合のシミュレーションをしている。

「ここがステージですか……」

「思ってたより大きいね」

「これくらい普通でしょ。遥香、あなたライブ来たこと無いわけ?」

「そういう先輩もビビってるんだろう? 少し震えているようだよ」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 理子が心愛に向かって声をはりあげると、ホール内を声が心地よく感じるくらい響く。

「お、おもったより響くわね」

「それだけ設計が素晴らしいと言うことだろう。小さい頃ここでオーケストラのコンサートを聞いたことがあるが、とても良い音の響きだった」

「流石金持ち……、育ちが違うわね」

 ホールの入り口で騒いでいると、リングのチェックをしていたカシューナーッツのメンバー達が到着した遥香達に気づいた。そしてリーダーとおぼしき少女がメンバーに声を掛け、五人揃って遥香達の方へ歩いてくる。

「やっと来た! 君たちが挑戦者だね? 私はカシューナッツでリーダーをやらせてもらってる、小野沙奈江。よろしくね」

 そう言って笑顔を向ける佐奈江は、ショートボブが似合う活発そうな雰囲気の子で、遥香と同じくらいの身長と体格だ。雰囲気や立っているときの佇まいからアイドルとしてのプロ感を十分感じさせた。

 沙奈江は右手を差し出し、遥香に握手を求める。仕合相手として、スポーツマンシップに乗っ取ってお互いの健闘を讃えたかった。

 だが遥香はそうは思っていなかった。最初は遥香も爽やかで友好的にやりたかったのだが、沙奈江が発した言葉のあるフレーズが引っかかって、どうしてもそう思えない。

「ねえ、心愛」

「なんだい? 遥香」

「沙奈江ちゃん、私たちのこと挑戦者だって」

「それは引っかかるね。最近低迷してるから、注目されてるライブに出て巻き返しを狙うために後輩の新人潰しにきてる心の狡い人達が、よくもまあボク達を挑戦者なんて上から目線に言えたものだね」

 心愛も遥香と同じ事を思っていた。こうなると、根っからのキレ症な心愛と番長として下に見られるのが我慢ならならい遥香は、最悪今から夢叶仕合が始まってしまうくらいに沙奈江達に噛み付くだろう。

「へ、へぇ。言うねぇ。面白い後輩達だ」

 笑って言っているが、沙奈江の拳は震えていた。

「いやいや、めっちゃ怒るの堪えてるじゃん。先輩なのに、後輩に言われた事を一々真に受けてるわけ?」

「いや遥香。きっと図星を突かれたんだろう。そんな先輩のする事とは思えないズルい手がバレてさぞかし恥ずかしいんだろうねぇ」

「言わせておけばっっ‼︎」

 沙奈江が、爆発した怒りに任せて殴りかかろうとするが、それを仲間が羽交絞めにして止めた。

「ちょっ! 離して! 離せ!」

「落ち着きなよ沙奈江! まだ仕合始まってないんだから」

「でもっ! でもっ!」

 沙奈江は悔しそうに、半泣きになりながら暴れ狂う。

 それを満足そうな顔をして見ていた心愛と遥香に、背後にいた理子のローキックが一発ずつ飛んだ。

「っ痛たぁ!」

「な、なにをするんだ!」

 急に蹴られた事への文句を言おうと、二人は後ろを振り返る。だが理子は自分たちよりも怒っている様子で、薫は険のある目で心愛を見ていた。だから怒りのボルテージが一瞬で消え、逆に怯えが強くなり、心愛と遥香の二人は一目散に視線をあさっての方へ向ける。

「遥香。あなた仕合前から喧嘩してんじゃ無いわよ!」

「やはり心愛はそのすぐ頭に血が上るのを治した方が良いと思う」

 そんな二人に、理子と薫は一歩前に出て詰める。

「いや、だってあいつら私達のこと下に見てきたし。私舐められるのは我慢ならなくて」

「ボクは彼女が鼻につく表情をしていたから、つい」

「もうチンピラじゃないの……」

 理子は大きなため息をついて、喧嘩っ早い子が二人もいるこのチームを憂えた。

 必死の説得の末に落ち着きを取り戻した佐奈江は、改めて遥香達をホールの奥へ行くよう促し、自分たちはその前を歩いた。遥香は前に出て歩くという行動も癪に障っていたようだが、理子が窘めた。

 リングのあるステージの下の、客席最前列とステージの間のスペースにパイプ椅子が五つずつ、向かい合うように置かれていた。佐奈江はその片側に座るように言ってから、反対側の椅子に他メンバーと一緒に座った。

「じゃあ顔合わせ始めよっか。けど初めてで良く分かんないよね。だからどういう流れか軽く説明するよ」

「めちゃくちゃ先輩感出してくるじゃん、佐奈江ちゃん」

「ほんとだね。少しイタいと思わないのかな」

 まだ煽る遥香と心愛を、飛びかかるのを耐えながら無視して続ける。

「まずは、まあ軽い自己紹介と挨拶。そしてルールの紹介と、ルールによってはレフェリーの紹介。あとは対戦相手を決めて、最後に握手を交して終わり、ってとこかな」

「ルールによってはというのは、どういうことですか?」

 美桜の質問に、佐奈江はよくぞ聞いてくれたと急にテンションを高くする。

「そっちにも君のようなまともな子がいるなんて感激だよ。それで質問の答えなんだけど、夢叶仕合のルールは取り合うステージや番組が大きいほどルールが少なく何でもありになっていくってのは知ってるよね?」

「はい。前に聞きましたね」

「ねえ、最初のはどういう意味だよ佐奈江ちゃん」

 キレる遥香を無視して、佐奈江は真剣に話を聞く美桜に笑顔で続ける。

「だからある程度ルールすが設けられると、それに違反してないか判断する人が必要でしょ? だからそういうときにレフェリーがつくんだよ」

「なるほどですね~」

 嬉しそうに手をぽんと叩く美桜の眩しさに、佐奈江は目頭が熱くなった。

「分かってくれた様でなによりだよ。じゃあ早速自己紹介から。さっきも言ったけど、私は小野佐奈江、よろしくね。じゃあ次奈央! 自己紹介して」

 佐奈江は右隣に座っているメンバーにそう促した。

「私は酒井奈央。よろしく」

 短く淡泊に自己紹介を済ませる奈央は、艶のある長い黒髪と可愛いより美しい寄りな顔立ち、そして少し高めの身長とスラッとした体格が話し方と同じ凜とした雰囲気を感じさせる高嶺の花と言われていそうな少女だ。

「うわ、本物の奈央ちゃんもの凄く綺麗」

 雑誌かテレビでしか見たこと無かった遥香は、感動で呆けながら奈央をぼうっと見ていた。

「私は彼女を知らないが、凄い人なのか? 確かにとても綺麗な方だとは思うが」

「え、薫知らないの? 奈央ちゃんモデルと女優もやってて、テレビで見ない日はないってくらい売れてるんだよね。ほんと最近勢いのないカシューナッツにいるのが勿体無いくらい」

「まだ言うかコイツ!」

「本当のことじゃんか!」

 また喧嘩に発展しそうになる遥香と沙奈江を周りが囲んで抑える。

「遥香、何回同じ事やれば気が済むのよ!」

「いやだって本当のことじゃん。ファンの皆んなも同じこと言ってるんだから」

「けど言ったらいけない事もあるの!」

 だってと言い訳する遥香を諭している理子だが、ふとした拍子に、奈央の左隣に座っているツーサイドアップの可愛らしい子と目が合った。その子は地雷系ほどまではいかないがなんとなく危なっかしく見えるメイクや見た目をしているが、他の子よりガタイが良かった。今は来ている服の露出が多いのですぐ分かるが、アイドルをしていて何も指摘されていないということは上手く隠しているのだろう。

 理子は反射的に目を逸らす。そしてできればそのまま気づかないで欲しかった。だがそんな理子の淡い期待を裏切るように、その子は嬉しそうに笑う。

「理子、久しぶりだね」

 理子の体がビクッと震え、固まる。

「去年ぶりだよね」

「ゆ、夢」

 事務所前で見せていた自信に満ちた様子が嘘だったかのように、今の理子は酷く動揺していた。周りの誰が見ても様子がおかしいとハッキリわかるくらいだ。遥香は、理子は強がっていたが、やはり会うのは辛かったのだろうと思い、どうにかフォローできないかと声を掛けようとする。

「ねえ、こっち向きなよ」

 だが夢に先を越された。

「理子、後輩のグループに入ったんだ」

 夢はアイドルらしい可愛らしい見た目をしているが、椅子の座り方は汚く、浅く座って背もたれにもたれかかり大股を広げ、とても態度が大きかった。

「色々あったけど、元気そうでよかった」

「どの口が言ってんのよ」

 理子を無視して、夢は遥香に目視線を移す。

「私達と理子の関係は聞いてる?」

「ま、まあ」

「そうなんだ。じゃあ言っておくと、私達はね、理子にしたことについては全く悪かったとは思って無いんだよね」

 夢はさらっと言った。様子や声色にも動揺が無く、本気でそう思っていることが分かる。だから遥香は突っかかることが出来ず、黙って続きを聞くことしか出来ずにいた。

「確かにあのころから理子の才能とか、そういうのには皆尊敬というか、凄いって思ってたんだよ。けど六人の中で完全に浮いちゃう位に協調性が無かったんだよね、性格の面でも、歌やダンスみたいなアイドルとしての活動でも。特にダンスは酷かった。理子の才能に私達が付いていけなかったのもあるけど、理子も歩調を合わすことをしなかった。いい? グループアイドルは個々のスキルよりも連携が大事なの。だから一人を切って五人で表に出た方が伸びるって判断したわけ」

「だから理子に黙って五人でデビューしたってこと?」

「そう」

 夢は椅子にもたれかかった上体を起こし、そのまま前のめりな姿勢になる。

「私達は全く悪いと思って無いし過去の事だと割り切った。けど理子がまだ引きずってるなら、丁度いいし夢叶仕合で因縁果たそうよ」

「……夢叶仕合の相手は私達で決められないって、知ってるでしょ?」

「はは。そうだったね、理子」

「夢。そろそろ自己紹介しなよ」

 砂奈江に言われ、夢は立ち上がる。立ち姿も片足に重心を寄せてだらしなく立ち、ファンが見れば、イメージがすべて損なわれ大変なことになるだろう。

「私は嗣永夢。よろしくね」

 それだけ言って、また行儀悪く座る夢と入れ替わりで、夢の左隣に座っていた子が立ち上がった。

「さなえちゃん。順番的に次は私で良かったかしら?」

「あってるよー」

「おっけー! 私は東雲葉月。カシューナッツの中では一番年が上のお姉さんなの。よろしくね!」

 そう言って葉月は笑顔を振りまく。葉月はメンバーの中で一番身長が高く、出る所は出て締まるところは締まった体形、茶髪のロングカールに大人びて見える整った顔立ち、そして漂う年長者の余裕が綺麗なお姉さんの印象を与える。カシューナッツ内で頼りになるお姉さんという立場でいそうなのが想像できる。

「ほら、るかちゃんも自己紹介!」

「あっ、はい。西森瑠香でーす」

 瑠香は座ったまま、気だるげに言う。

「もう! ちゃんと立って、言いなさい!」

 葉月に叱られ、ゆっくりと重い腰を持ち上げた。

 立ち上がっても覇気が全く無い。しっかり立てば背も高いのだろうが、猫背なせいで小さく見える。手や顔の肌は色白で透明感があるものの、大きく綺麗な目の下にはクマがあった。髪も短くして丁寧に手入れしているのが見てとれるが、アイドルとして維持しなければならない必要最小限の部分を維持しているだけのようだ。

「西森瑠香、よろしく」

「機嫌悪そうにしない!」

「葉月、声大きい」

 険悪だったり、喧嘩に発展しそうになるほどヒートアップしたりしていた空気にいあわせていたとは思えないほどマイペースに無気力な瑠香は、立ち上がる時の速度からは考えられないほど速く着席した。

「瑠香、いつもそうだけどもう少しちゃんとしなよ……。えっと、カシューナッツの自己紹介はこれで全部だよ。じゃあそっちもリーダーから、よろしく」

 砂奈江にバトンを渡され、遥香は立ち上がる。そしてカシューナッツの面々を見渡し、自分に注目が集まっているのを確認した。

「私は……」

 この時、遥香は困っていた。名乗らなくてはならない自分たちのグループ名がまだ無かったからだ。オーディションに合格してから今まで、ステージに立てるようになるためのレッスンしかしてこなかったので、全く考えてもいなかった。

 困り果てている遥香を見て、砂奈江は笑う。

「グループ名はいいよ。社長、デビューが確定しないと名前くれないから。懐かしいなあ、私も最初、君みたいに困ったんだよね」

 馬鹿にするでもなく、優しい口調で言う佐奈江の余裕ぶりに少し悔しく思いながら、言うとおりにグループ名を省略することにした。

「私は前田遥香。グループの名前はまだ無いけど、この五人で佐奈江ちゃん達ぶっ飛ばしてデビューするんで、よろしく」

 遥香はこういうので下手に出たり行儀良くしたりするのは舐められるので悪手だと思っているので、出来るだけガンを飛ばし、態度を大きくして威嚇する。

「威勢がいいけど、怖いのを取り繕ってるみたいに見えて可愛いよ」

「私、舐められるのは嫌いなんだよね」

 佐奈江の挑発を軽く無視して、遥香は心愛に目配せした。

 心愛の番になったが、立ち上がらない。浅く椅子に座り、今まで行儀よく閉じていた股をがっつり開き、腕を組んでふてぶてしくどっしり構える。

「ボクは富樫心愛。ボクの相手になったやつ、覚悟しておくんだね」

 心愛の目は、この暴力的な空気に中てられてかキマっていた。心愛が暴力をふるうときの目だ。

「ねえ。心愛はちゃんと立って行儀よく挨拶出来ないのかなぁ」

 夢が心愛を煽る。対して心愛は鼻で笑って返してやった。それが夢の癪に障り、立ち上がっり、心愛の目の前まで来ると顔を心愛の顔に近づけ、胸ぐらを掴んで凄む。

「立てっていってんの」

「ふん」

 心愛は全く動じず、ただ口をもごもご動かしている。

 心愛の口の中で、固いものが割れたような音が小さく鳴った。目の前に居る夢ですら聞き取れるかどうかの小さな音だ。だから頭に血が上っている夢は、この音を聞き逃した。

 結果、心愛の吐く緑色の霧を避けることが出来なかった。

「っわっ⁉」

 夢は霧をもろに受ける。目を瞑る猶予もなく、小さな液体の粒は容赦なく夢の瞳に直撃した。

「はっはっは。引っかかったね」

 染みる目を押さえ悶絶している夢を見て、心愛はドヤ顔した。口元が汚くなっているがお構いなしだ。

「ど、毒霧……。心愛、一体いつ仕込んだのよ」

 理子がドン引きしながら尋ねる。

「使えるかなと思って、カプセルをポケットに入れておいたんだけど、良い使い方が出来たよ」

「えぇ……」

 ようやく目の痛みがマシになってきた夢は、目を赤く腫らして涙を流しながら、親の仇を見るかのように睨む。

「こ、このっ……」

「油断する方が悪いって、分からないかな」

「殺す!」

 完全にブチ切れて掴みかかろうとしてくる夢を、周りが必死に抑え込む。

「やれやれ、さっきの態度のでかさがまるでないね。その余裕のない感じの方が鼻につかなくていいと思うけど。さて、薫。次はキミの番だよ」

「この状況で振るんじゃない……」

 夢達が騒いでいる横で、薫は静かに立ち上がり、場が落ち着くのを待つ。頭に血が上っていた夢も、直立したままずっと待っている薫を見て少し落ち着きを取り戻した。

 そして喋れるくらいに場が静かさを取り戻したのを見計らって、薫は口を開いた。

「私は聖薫だ。よろしくお願いする」

 それだけ言うと、薫は静かに椅子に座った。

「薫。それだけですか? なんかこう、意気込みとか」

「心愛が少し騒ぎ過ぎたから、私はこれくらいでいいだろう。それより次は美桜の番だ」

「わ、分かりました」

 美桜は立ち上がり、深く一礼した。

「八重垣美桜です。よろしくお願いします。先輩方、私達負けませんから。良い仕合にしましょうね」

「他の子と違って凄く落ち着きのある子ね。いいわね、貴方」

 葉月がウインクしながらグーサインを突き出すので、美桜はもう一度礼した。

「私様はいいでしょ。皆知ってるでしょうし」

「だね。さて、自己紹介も終わったし、一美さんよろしくお願いします!」

「かっしこまりましたぁ!」

 佐奈江が呼びかけるように言う。するとステージ裏から誰かが勢いよく飛び出してきた。

「あ! オーディションの時にいた」

「前田さん、覚えていて下さりありがとうございます! 今回の夢叶仕合の仕切りと実況を担当する、一条一美でございます! それでは早速、ルール説明から参りましょう!」

 一美はステージ上にある特設リングを手で指した。

「あのリングで仕合をしていただきます。ルールはキックボクシングルールとのことでしたが、変更いたします!」

「え、元々キックボクシングルールだったの?」

「はい。しかし新人同士のデビューを掛けた仕合でしたが、相手がカシューナッツに変更されたため、ルールも変更になったのです。そしてそのルールは、顔面打撃以外ルール無用とさせていただきます!」

「が、顔面以外ルール無用⁉ ど、どういうこと?」

「はい! ルールの名前の通り、顔面への打撃以外はルール一切ナシ! 降参するか気を失うまで勝敗を決しません! 夢叶仕合のすぐ次の日がライブという過密スケジュールのため、隠すことの出来ない顔は傷つけないようにお願いします。また、服装は突起物など危険な者がついていなければ何でも良いとします」

 遥香達がざわつく一方で、カシューナッツはこうなることを予想していたかのように落ち着いていた。

「よって審判はナシ! それでは早速、対戦相手の発表に参りましょう!」

 一美が指を鳴らすと、スタッフ二人が大きな模造紙が張り付けてあるホワイトボードを持ってきた。模造紙には達筆で対戦相手の組み合わせが掛かれている。

「第一試合、小野佐奈江対前田遥香。第二試合、嗣永夢対富樫心愛。第三試合、西森瑠香対黒崎理子。第四試合、東雲葉月対八重垣美桜。第五試合、酒井奈央対聖薫。以上全五仕合です。三勝した方の勝利ですが、勝敗関係無く五仕合全て行います。双方、よろしいですね?」

 一美の確認に、全員が首を縦に振って返す。

「それでは皆さん、明日の仕合、健闘を祈ります。リーダー、握手を交してください」

 佐奈江は遥香に手を差し出し、手を握るようアイコンタクトで合図する。遥香も迷うこと無くすぐに佐奈江の手を握り、力を込めた。

「私達、負けないよ。遥香」

「私達は絶対勝つんで。そこんとこよろしく、先輩」

 一美は遥香と佐奈江が握手を交したことを確認すると、「それでは明日、よろしくお願いします!」と大きな声を出し、ステージ裏へ引っ込んでいった。

 互いに握っている手を離し、仲間の元へ戻る遥香と佐奈江だが、両者共に、すでに仕合が始まっているかの如く空気が張り詰めていた。明日の夢叶仕合は壮絶なものになるだろうと、この場にいる全員が予感し、緊張と闘争心で胸を高鳴らせながら、明日を迎えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る