扉の先の黒き人々-3-


 恵一は骨董品店での不思議な会合を終えた後、出版社の手が空いている人間に声をかけて取材を実行することに決めた。

 恵一が取材費と人員のおねだりを編集長にすると、彼曰く鍵から『ホンモノ』の匂いがするらしく、新人や手すきのベテラン三名を撮影補助要員として気持ちよく貸してもらえた。追加のガソリン代も手当で先払いと御大尽だ。

 恵一は金払いのよさを不思議に思いつつも、撮影班になった人たちを引き連れて件のNトンネルに車を向けた。恵一の駆るミドルサイズのSUVがNトンネルへと向かうための、もう幾年も舗装されていないであろうアスファルトをタイヤで削りながら突き進む。

 轍が刻まれ、何年も舗装されていないであろうガタガタの道で時折乗っている車が揺れる、その度に助手席に座っているこの道十八年のベテラン記者がうめき声を上げる。


「もうちっとまともな道はねーのか」

「まともな道作ったからこっちが荒れたんですよ」


 そりゃそうか、そうぼやいてベテランの男性こと『矢別』は懐から出発時にコンビニで購入した飴玉を取り出し、口に放り込む。

 それをぬっと後部座席から前に乗り出して煽る男が一人、社内の嫌われ者『又井』だ。


「あーあー、そうやって飴玉ばっか舐めてるから太るんですよ」


 確かに矢別はぽっちゃり系では済まない程の体型ではあるが、それを口に出すべきではない。又井は誰に対してもこの態度だから社内でも爪弾きにされているのだと恵一は知っていた。


「うるせぇな。揺れで舌噛み切って死ね」

「おーおー、パワハラですかぁ」

「危ないからちゃんと席に座ってましょうよ又井さん」


 又井の横に座るチーム唯一の女性である『湯田』が呆れながら着席を促す。彼女は新人だがオカルトに対して確かな見識を持っており、恵一が今回の取材への同行を頼むと、是非にと快諾してくれた好人物だ。

 Nトンネルに到着する前だが、恵一は既に協力してもらうのは彼女だけでよかったのではないかと考えるほどに車内の空気は最悪だった。


「そろそろ休憩で寄る食堂に着きますから落ち着いてください」

「お、メシか」


 矢別が朗らかな笑顔で、嬉しそうに声を半トーン上げる。それを見た又井が心底馬鹿にした表情でシートに深く座りなおし、湯田は面倒そうにウインドウに肘をついて外を眺めた。

 恵一はバックミラーや横目で状況を確認しながら、これから寄る食堂のことについて調べてきたことを思い返す。


(食堂は人通りが少なくなった今でも営業中。元々小さな店だったらしいから道楽半分でやっていたのだろう。その食堂からNトンネルまではおよそ千五百メートル。直線距離での話なのでもう少し移動には距離が出るが誤差の範囲。

 食堂の経営者は齢七十代の老婆。旦那との共同経営だったが早くに旦那が行方不明になり、一人で切り盛りしてきたそうだ。年数にして四十年以上も。つまり、確実にNトンネルに関して何か知っていることがあるはず、ここで記事にする情報の裏付けがまず欲しいところだな)


 頭の中で考えをまとめていると前方に件の休憩所が見えてきた。


「見えてきました」

「やけにボロボロだな……。まともな飯が出てくるのか?」

「情報収集がメインですから。味に関してはなんとも」

「味はともかく虫とか入ってそうだぜ」


 周囲が自然豊かなのでそれもあり得るかもしれないな。恵一はそんなことを思いつつ、数台分しかない店舗の駐車スペースに綺麗にバック駐車をして下車をする。

 出版社からここまで二時間近くかかっている。そんな状況で降車した人間がまず行うのは背伸びだった。


「うわ、背骨がバキバキいってる」

「これで空振りだったら許さねぇぞ前野」

「はいはい、わかってますよ」

「メシメシ~♪」


 固い車のシートから解放されたメンバーが思い思いの言葉を吐き出しつつ、田舎によくありがちな木造で建てられた小さな掘っ立て小屋に入っていく。

 中は裸電球が傘もなくぶら下がっており、地面はコンクリート打ちっぱなしの土間、その上に手作りのボロボロなテーブル一つとチェアが四脚で一セット、それが全部で四セットのかなり手狭なスペースになっている。

 出入り口に一番近い席に全員で座ると、奥にあるキッチンスペースから柔らかい笑みを浮かべた割烹着を着用した老婆が現れた。


「いらっしゃい、アナタたちみたいに若い人たちは珍しいねぇ。うどんしかないんだけどいいかね?」

「はい、うどんを四つお願いします」


 はいはいと、ゆっくり頷きながら奥のキッチンに戻っていく老婆を見やり、四人は顔を突き合わせる。


「おい、うどんだけじゃ足りないぞ俺」

「そこじゃないでしょ」


 関係のない話をした矢別に毒づく又井。流石に矢別の能天気さに恵一も湯田も眉が少し動いた。


「如何にもな雰囲気、飯に薬盛られて老女が包丁で襲い掛かってきても不思議じゃない空気だぜ」

「流石に失礼すぎますよ又井さん。確かに怪しいですけど」

「今日は曇りだから猶更にそう感じるだけです。とにかくあのお婆さんが唯一の現地情報源なんだ、失礼をしてへそ曲げられるのだけは勘弁してくださいよ」

「わかってるって」


 小声で話し合っていると大きな盆に載ったうどんを二杯抱えた老婆が歩いてきた。歩くたびにふらついていて明らかに危ない。


「おいおい……」


 困惑したように矢別が手伝うかどうかで悩み、腰を半分あげたところで。


「おまたせねぇー。すぐに残りを持ってくるからねぇー」


 老婆は手近に居た矢別と湯田の目の前に素うどんの入った器を置いてキッチンに戻る。

 よくこの手の店にある天かすやネギなどのセルフサービス等の追加はなく、ただの素うどんだ。値段を確認すると、これで四百五十円。決して安くはない。


「これだけか……」


 言外におにぎりでも食べたかったと言いたげな矢別が文句を垂れる。湯田がまぁまぁと宥めるが宥めた本人も少々不満気だ。

 

「おまちどぉさま、残りのうどんよー」


 語尾を伸ばし、またしても腕を震えわせてうどんをトレーに載せて運んでくる老婆にハラハラとしたが、極めて冷静に四人は座して待つ。

 老婆が溢すこと無く配膳を終えると、口々に安堵の息を吐いた。


「ごゆっくりー」

「あ、お婆さん。ちょっとお話いいですか?」

「ワタシとかい? ご指名なんて照れるねぇー」


 他のテーブルから椅子を一つ動かし、四人が掛けている席の近くで座る老婆。おぼんを抱え込んで柔和な笑みで恵一の顔を見て、問う。


「何が聞きたいんだね?」

「Nトンネルの開かずの扉って知ってます?」


 老婆はその言葉を聞いて、柔和な笑みから細目の無表情になり。


「やめときな」


 酷く重い声色で静止の言葉を紡いだ。

 先ほどまでの柔和な笑みからは想像のつかない厳しい表情に、その場にいた全員が凍り付く。

 鋭い目つきで恵一たちを睨む老婆に、湯田がゆっくりと丁寧に質問する。


「お婆さんはあのトンネルについて何かご存じなのですか?」

「知っているさね。じゃけん行ったらあかんよ、人ばよう消えるけんね」


 老婆の発言に一同は色めき立つ、求めていた情報がここで得られるかもしれない。逸る気持ちを抑えて、恵一は重要なことを問いただす。


「やはり消えた人がいるのですか?」


 老婆はいらぬことを言ったといわんばかりの表情を浮かべ、首を大きく振り。


「アタシからは何も言えないよぉ、うどんさ食べたら街に帰りなね」


 これ以上は老婆から何も聞きだすことはできなさそうだった。

 とはいえ、噂が本物の可能性があることをまじまじと感じさせられる情報を得た一同は顔を見合わせて、うどんを味わうこともなく腹に入れるのだった。



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