扉の先の黒き人々-9-
高村にこの場を託し、天は吉備の運転する普通車に乗り込む。
無言で吉備はエンジンをスタートし、トンネルとは逆の方向へ車を走らせる。黒幕の元に向かうとなると、開いている車窓から入り込んでくる森の空気がいやに身体に纏わりつく感覚がするものだと吉備は感じた。
「行先は言ってないが、目的地はわかっているのか?」
「ここに来るまでにあった、あのうどん屋。ですよね?」
見事だ、そう言って嵌めている指輪を丁寧に撫でる天。吉備が口にした答えは、彼の満足感を得ることに成功したようだ。
「何故わかった?」
「前野さんの失踪状況はトンネルに入った後に、緊急通用口の扉の前で襲われた。これは前野さんの車の状態と扉の前のフラッシュライトの破損具合から間違いないでしょう。
しかし、高村さんと縁間さんはトンネルに進入しても扉の前に立っても襲われませんでした。不思議です、この違いは何か。高村さんの話を聞く限り、前野さんたちがトンネル前についたのは十四時過ぎです。ならば食事をしてトンネルに向かったと考えるのが自然です。ここらで食事ができるのは…」
「そう、あの通り道のうどん屋だけだ。
他の要因もあるかも知れんが、少なくとも人材センターの職員は昼食代が出るホワイト企業だったそうでな。当時の通話記録にあのうどん屋で全員が食事をとっていると、会社と連絡のやり取りがあったそうだ」
「前野さんたちは食事はしていないかもしれないですが、人材センターの職員が立ち寄っている以上怪しいですね」
飛ばします、と吉備はアクセルを強く踏む。
グンッと身体を後ろに持っていかれる感覚と受けつつ、天は吉備に問う。
「それにしてもあの短時間でよく高村から聴取できたな」
「彼女は感覚でしゃべりますからね、掻い摘んで要約すれば簡単に要点を掴めます」
「だから高村係って言われるんだよお前」
「ははっ、縁間係の高村係の吉備です。これからもよろしくお願いいたしますね」
「好き好んで怪異事件に巻き込まれようとするのはお前だけだ」
ゲンナリとした表情で天が前方を眺めていると、視界にボロボロに朽ちて営業しているとは思えないような掘っ立て小屋が見えた。
緊張してきたのであろう、吉備が自然と生唾を飲み込む。
吉備はスピードを落とし、右折で駐車場に進入してそのまま前向きに駐車をして、ゆっくりと二人は車から降りる。無言のまま、天は吉備の車のトランクから先程のジュラルミンケースを引き出す。
針のない羅針盤、蜘蛛の巣状にレンズの割れたモノクル、十二センチほどの銅鐸。それらをケースから取り出して全て吉備に渡す。こなれたように吉備は羅針盤を物の入っていないトランクに設置し、モノクルを鼻に掛け左目を瞑り、銅鐸を右手に握りこんだ。
針のない羅針盤の盤面に黒い靄が集まり、矢の形となったそれはうどん屋を指し示す。
「……黒ですね」
「もはや確信に近かったけどな。『影浸盤』はもういらん、ケースに入れといてくれ」
了解ですと吉備が影浸盤と呼ばれた針のない羅針盤をジュラルミンケースに収納し、トランクを閉める。
影浸盤は定命のもの以外を指し示す道具であり、今回の犯人ではない可能性はあるが、掘っ立て小屋でうどんを提供している何かは間違いなく人外であると確定した。
「『古泡鈴』は以前使ったことがあるな?」
「ええ、マッハで走る虎を撃退するときに一度」
「ならよし、『性捕鏡』で視認するのが辛ければ、古泡鈴を使いつつ外に逃げろ」
「はい、行きましょう!」
二人は駐車場からうどん屋に向かって歩く。こんなにも自然に囲まれているのに鳥の鳴き声が一つも聞こえない、不自然なほどに静かだ。
天が堂々とうどん屋の店舗に入り、吉備もそれに続く。中では笑みを浮かべ割烹着を着用している老婆が、入店してきた二人を出迎える。
「いらっしゃい、若い人が来るなんて久しぶりだねぇ。うどんしかないけどいいかい? 好きなところに座っておくれ」
柔和な笑みを浮かべた老婆が着席を促す。二人は顔を見合わせ、吉備は左目のモノクルを指差し、天はそれを見て軽く頷いた。
「すみません、食事に来たわけではなく我々はこういうものでして」
吉備は胸ポケットから警察手帳を取り出し、老婆に見せるために近づく。
老婆と吉備の距離が一メートルにまで近づいた時、吉備は右目を閉じ、左目を開いた。性捕鏡とは本性を捕らえるモノクルである。左目に填めた性捕鏡を通して吉備が老婆を視認する。見開いたその左目には先程までの老婆ではなく、腰の曲がった真っ黒い人型の異形が映る。吉備はおぞましい老婆の本性を視て、反射的に一歩後ろに跳び。
「縁間さん! 真っ黒です!」
吉備は大声を上げながら、古泡鈴と呼ばれる右手の銅鐸を手帳を持ったままの左手で叩く、瞬時に吉備の体表には薄く青い幕が形成され、そのまま吉備は外に逃げ出した。
店舗内に残されたのは、口が半月状になるほどの笑みを見せる老婆と、対照的に無表情の天だけだった。
「あらあら、あの子は何を言ってるんだろうねぇ? ささ、アンタはうどんを食べていくだろう?」
「見苦しいぞババア。正体は割れてんだ、さっさと本性を現したらどうだ」
数秒の沈黙が場を支配し、ゆっくり、本当にゆっくりと老婆は弓なりに曲がった背筋を伸ばしながら身体が黒くなっていく。
『いやだねぇ……。どこでバレたんだい?』
幼児の、老婆の、男の、女の、青年の、壮年の、様々な声色が混ざった声で老婆だった黒い人間が疑問を口にする。
天はそれを冷めた目で見つめて、ひとつ嘆息。
「あれだけ人が消えて調べないわけないだろうが。
襲う人間へのマーキングはここで出してるうどんだな?」
『そうさ! 我々は権蔵の野郎の血肉をほんの少しだけ混ぜた汁で目印をつけ、あちら側の我々に襲わせた! あちら側の我々は過激だからねぇ、目の前の犬鳴の家人以外は興味がないからこうして誘導するしかないのさ!』
「なるほど、前野は仲間になったから襲われなくなり、高村に連れられて逃げ出そうとしたから襲われたのか…。
ひとつ、聞かせろ。仲間になった黒い人間は『お前ら』の中にいるのか?」
『ああ! もうあちらの我々の一部だろうよ! ハハハハハ! 大事な人間でも巻き込まれたかぁ!?』
言い切るか切らないかのタイミングで、黒人間の右手が天を目掛けて振り降ろされる。それを天は涼しい顔をして皮一枚でかわす。
「何故、無関係な人間を襲う」
『決まってるさ! 逃がさないためだよ! 犬鳴の血筋は根絶やしにする! そう覚悟したのに! あの日邸内にいたのは六人だった! 小娘の静香がいなかったんだよ!』
店の損壊など考えず、元老婆の黒人間は力任せに拳を振るい天を襲う。
その全てを呆れた表情でかわしながら、天はなおも問う。
「その娘の静香は当時七歳だったそうだな。生きているとしたら、今では六十五歳だ。放っておいてもそのうち死ぬだろう、何故未だにしつこく付きまとう」
『うるさいねぇ! あの犬鳴の家で焼き殺さないと! 我々がァ! 安心できないだろうが!』
黒人間の振るった一撃が掘っ立て小屋の支柱に激突し、メギィっと致命的な音を出した。それに連動するように小屋全体が悲鳴を上げ始める。
天は素早く小屋外に駆け出し、それを黒人間も追いかけるが、既の所で小屋の崩壊に巻き込まれた。
車の近くで待機していた吉備がそれを見て天に駆け寄ろうとするが。
「来るな!」
天の一喝で吉備は硬直する。直後、ゆらゆらと黒い靄が倒壊した小屋の中から現れ、再び黒人間を成形した。
『あーあ、壊れちまったよぉ! 責任取ってお前も仲間になってもらわなきゃなぁ!』
「最後に一つ聞かせろ。記者がここに来たとき、いったい何人だった」
『はっはぁ! 四人だよぉっ!』
全長が三メートル近くまで伸びている黒人間の大振りの右拳が、天を捉えた。
「縁間さん!」
吉備が叫び、顔のない黒人間が笑うように頭を震わせる。
しかし、黒人間の余裕は長くはもたず。笑みを感じさせた頭の震えは、ガタガタと恐怖を思わせるものに変化していく。
ミシリ、ミシリ。何かを握りつぶす音が静寂に包まれたこの場に響く。
「四人か。おかしい」
天の冷静な声と共に、黒人間の黒い拳が割れ砕け散る。
吉備と黒人間、両者の驚愕なぞ露知らず。疑問を口にしながら平然と天は佇む。
『な、なんだ貴様は…』
「お前はあちらの黒人間とリンクはしていないんだな?」
『お、おおおおおおおおおおおお!?』
黒人間の砕けた右拳が再生し、黒人間は両の拳で天を殴り続けるが。
『おお、おおおおおおおおおおォ!!』
その度に拳は砕け、再生していく。渾身の力を込めて殴っても微動だにしない目の前の人間に、異形である黒人間は化生と生まれて初めて恐怖を覚えた。
「もう答える余裕もなし。そろそろ幕引きか」
『はぁ……! よせ! 来るな! 我々は犬鳴を絶やさねば! 私が犬鳴を滅ぼさねば我々の死が報われぬ! 我々を死なせるな人間がァ!』
黒人間は両の拳を互いに握りこみ打ち下ろす。常人が受ければ絶命必須のその一撃を天は軽くいなす。勢いのつきすぎた黒人間は大地を揺らし転倒した。
「もういいだろう。審判の時間だ、黒人間。今まで貴様が重ねた罪を裁く」
転倒した黒人間めがけて、天の指に嵌めている十指王環が輝きだす。
「秦広、初江、宋帝、五官、閻魔、変成、泰山、平等、都市、五道転輪! 我ら十王、汝の罪を見極める! 汝、己が欲のために無辜の衆生を害し、なおも現世の獄を求める姿は厳罰に値する! 汝は三悪道に還ることさえ許さぬ。
我ら十王! 略式判決、六道輪廻より流刑! 理の輪より消え去れ!」
まばゆい光の奔流と共に、黒人間の目の前の空間に裂け目が現れる。
足元の砂利を掴みながらも逃げ出そうとする黒人間を、空間の吸引は逃がさない。
『わ、我々は犬鳴を根絶やしに!』
「絶やされるのはお前らの方だったな」
じわりじわりと、空間に引き寄せられた黒人間は徐々に抵抗できなくなっていき。
『我々はぁあああああああああ!!』
身体が完全に空間に飲み込まれ、ゆっくりゆっくり裂け目が閉じていく。抵抗むなしく、頭部だけを残して裂け目は閉じ切った。
頭だけがこちら側に残った黒人間は、裂け目によって切断された頭さえも黒い粒子となり、この世から消え去る。
「大慶至極、もう六道に戻ってくるな」
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