扉の先の黒き人々-8-

 天が扉をくぐりトンネルへ戻ってくると、高村が身体のところどころが黒人間から戻りつつある前野の肩を揺すっていた。既に顔だけが黒人間から通常の人間に帰ってきている前野の表情は虚空を見つめており、おおよそ生きているとは思えない。


「息はあるのか」

「ある! でも目だけが開いてなんも反応せん、閉じても目だけは開けよる。生きてはいるんやけど」

「そうか」


 口には出さないが、天は前野の意識が戻らないであろうと半ば確信している。

 一度でも黒人間のような化け物に堕ちてしまっては、人の精神であれば普通は擦り切れるものだ。

 懸命に呼びかける高村に一度車まで戻ろうと提案し、微動だにしない前野を天が背負ってトンネルの入り口まで歩いていく。

 天と高村の間の空気は信じられない程に重い。


「ウチが……、ウチが……、お前を紹介したから……。前野は……」


 物言わぬ前野の状態に高村はひたすらに自身を責めようとする。

 あまりにも見ていられない高村の精神状態に、天が一つ口を出した。


「無駄な考えだ。前野はお前の紹介がなくとも近い将来ここには訪れていただろう。県内の出版社に勤めているならいずれはあの血なまぐさい事件にたどり着くことは想像に難くない。

 結局のところ、俺もお前もコイツの意思決定に道を示しただけに過ぎない。下手な自己嫌悪はコイツに対する侮辱だ。ジャーナリストというのは真実を追い求めるものなのだろう?」


 目を合わせずに前だけを見据えながら天は歩き。半泣きの状態だった高村もスーツの袖口で涙を拭い、応と返す。

 二人の靴が奏でる瓦礫を踏む音だけが響き、それが数分続くと外からの明かりが見えた。出口だ。

 時間にするとわずかではあるが、体感では恐ろしく長く感じたトンネルの暗闇(と言っても天のおかげで明るくはあるのだが)を振り払うように高村は光に向かって走り出す。

 その光景に皮肉気な笑いをうかべて、天も出口に向かって少し歩く速度を上げた。



 トンネルの出入り口には何故か警官が数十人体制で待機していた。

 天が疑問に思っていると、警官の集団から見覚えのある茶髪のマッシュルームヘアが天の方へ歩いてきた。F県警の吉備警部補である。


「どうも、縁間さん。お疲れ様です」

「お疲れさん。お前が警官を連れてきてくれたのか、吉備」


 彼の名前は吉備。警察内の階級は警部補で、高村直属の部下に当たる人物だ。

 直情的な部分がある高村と違い、合理的な判断で現場を動かせるタイプなので、天が非常に気に入っている警察官の一人である。


「また縁間さん案件だと無線で伺いましてね。中での話も簡単に高村さんから聞きました。急いで所轄から人を引っ張ってきましたが、実際これで人数足りますか? 時間を掛ければ倍ぐらいまでなら行けそうですけど」

「いや、状況把握は出来た。残りは原因を探るだけだ、人手は要らない」

「そうですか。その、背負っている方は…」

「生きてはいる。だが…」

「……戻っては来れない、ですか?」


 天はゆっくりと頷き、肯定の意を返した。

 警察と一緒に待機していた救急隊員が天の元に駆けつけ、天の背中から前野を預かり彼を担架に載せ変えて救急車に運んでいく。

 それを見送り、天は吉備を連れて高村の車に向かう。そこでは高村が運転席のシートを限界まで倒して目をつぶっていた。スポーツカーなので対して後ろに倒れておらず寝苦しいであろうが本人の心情はそれでも目を瞑って休みたいのだろう。天はそう判断した。


「高村、お前はここで何があったかを残りの警官に説明しろ。俺は吉備と犯人にケリをつけに行く」


 瞬間、ガバッと高村は起き上がり車の天井に頭をぶつけ、両足をハンドルに叩きつけた。見るからに痛そうである。


「う、ウチも行く…!」

「アホ。前野掴んで走ったせいでヘロヘロだろうが。俺の推測が正しければ、ここでもう一悶着あるから頼んだぞ」


 天は高村の車のトランクからジュラルミンケースを引き出して、吉備に預け渡す。

 吉備はコクリと頷いて、少し離れた自らの車の方へ小走りで戻って行き、ここには天と高村の二人きりになる。


「はっきり言う。前野は死んだものと考えろ。あの扉の中の黒人間もだ。魔性や怪異の類に取り込まれた化け物の一部であり、明確な人類の敵だ。

 アイツらを作ったであろう原因に、俺は今から会いに行く。そいつがまだ隠し玉を持っていて、扉を開いて黒人間がこちらに出てきたら。その時は容赦なく銃を抜き、足止めしろ。間違いなく効きはしないだろうが、注目を集めてアイツらを絶対にこの周辺に逃がすな。できるな?」


 天の強い指示に、高村はスーツの袖で涙を拭って言い返す。


「任せーや。その代わり、黒幕をウチの分までぶちのめさんと承知せぇへんで!」

「……。ふん、俺を誰だと思っている。生まれてきたことを後悔させてやるよ」


 天と高村の右手が交差し、大きなハイタッチの音が鳴り響いた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る