縁間骨董堂怪異奇譚

れれれの

黒きは煤

扉の先の黒き人々-1-

 F県F市の目抜き通りには県警御用達の骨董品店が存在する。

 株式会社繚乱舎のオカルト部門に今年から所属することになった前野恵一は編集長からそう聞き、愛車のT社のSUVを駆って教えてもらった住所へ向かった。

 恵一は件の骨董品店がある商店街近隣の無料な青空駐車場に車を停める。どうやらその店は今では廃れてしまった商店街の中で営業しているらしく、恵一はシャッターが下りてしまっている商店たちを一つ一つ確認しながら歩を進める。

 ジーンズ屋、靴屋、帽子屋、眼鏡屋にお茶屋。珍しいものではレコード屋の看板も見受けられた。

 それにしても下水が詰まっているのだろうか? 恵一の鼻には時折卵の腐った匂いが届き、それを我慢しつつも目的の店を探すがまったく見当たらない。

 これでは埒が明かないとちょうど商店街の中ほどに来た辺りで恵一は目についた店舗に尋ねることにした。

 大山精肉店と大きな看板を掲げているその店はシャッター街に似つかわしくないと言っては失礼だろうが清潔な店構えをしていた。

 少し物怖じするも、周りに営業している店舗はなく、他の営業している店に引き返すには距離があり進んでも開いている店があるかどうかわからない。

 意を決して恵一は精肉店の引き戸を開けた。


「すみません。お聞きしたいことがあるんですけど…」


 店の中にいたのは頭が白髪で覆われた顔がシミまみれの老女。

 背骨は曲がり切っており、見たところ八十歳から九十歳の彼女がまともに受け答えできるとは思えない。

 瞬間、恵一はやはり進むか引き返すかするべきだったと後悔した。


「はいぃ?」


 案の定彼女は耳が遠いようで、左手を耳に当てて恵一の声を聞き取ろうとする。

 恵一はこうなれば仕方ないと半ば諦めながらもドアから三歩進み、老女の耳元に口を近づけて大きくハッキリした声で喋りかけた。


「お婆さん! この商店街で! 縁間≪ふちま≫骨董堂! 知ってますか!」

「はいー? ポットなら商店街の入り口の木島さんのとこで売ってますよぉ?」


 やはりと内心頭を抱えつつも、恵一はもう一度物やさしく尋ねた。

 今度は大声ではなくゆっくりハッキリと聞き取りやすいように。


「お婆さん、縁間さん、ご存じですか?」

「んー? なんね、天≪そら≫ちゃんね。天ちゃんとこにはこの店ばグッと行って奄美さんとこを左のほうさ曲がってズッと歩けば右手に見えるよぉ」


 嬉しそうに笑う老女の訛り交じりの言葉を恵一は必死に覚えて店を後にする。

 なにも買わずに退店するのも憚られた恵一の手には、入店時には買うつもりのなかった大山精肉店特製コロッケが紙袋に入れられて三つ分握られている。

 この香ばしい腐乱臭の中で食べる気にはならないが、これから訪ねる縁間骨董店の店主はこれが好きだと老女が教えてくれたので、土産の一つでもあると印象が違うだろうと恵一は喜んで購入した。

 精肉店の老女の言葉通りに歩きつつキョロキョロと奄美の名を探すと、車が通れるよう店と店との感覚が空いている四辻に奄美古書店と書かれたシャッターを見つけた。

 残念ながらシャッターに書かれた定休日とかぶってしまい、閉店しているようだが、おそらくここがあの老女の言っていた奄美さんだろうと恵一は左手の道路になっている路地に入る。

 そこは吹き抜けてはいるが木々の深緑の旺盛が激しく、表面に蔦を巻いた店舗も多く商店街の中と同様に既に閉業してしまっている商店も多いようだった。

 恵一はこれもショッピングモールが流行った弊害かと思いつつ歩を進める。道沿いにあるのは革用品店、時計屋に玩具屋。

 やはりどれもこれもが閉まっているようだが、ある種のノスタルジーを感じると共に非日常を演出してくれるこの景色が恵一は嫌いではなかった。


 奄美古書店を曲がってから歩き始めて数分、恵一はようやく道の終端に辿り着く。

 やっとか、そう思い足場の悪い道ばかりを見て進んでいた恵一の目には一際大きな平屋の洋館が映った。

 外観は煉瓦を長い段、小さい段と一段おきに積んでおり俗に言うイギリス積み、スケールダウンしているが五島列島野崎島の旧野首教会を髣髴とさせる様相である。

 屋敷の前には大きな門扉があり、横にはおおよそ景観に相応しくない最新式のインターフォンが備えられていた。

 恵一はあまりに現実感の薄い、まるでファンタジーの世界に来たような錯覚に陥ったが数瞬の躊躇いの後にインターフォンのボタンを押す。

 安っぽいピンポーンの音が誰もいない通りに響いた。


「何者だ」


 しばらくして、インターフォンを通して低い声が恵一の耳に飛び込んでくる。

 しわがれているわけでもなく、しかし決して若いわけでもない、そんな声に恵一は言葉を返す。


「繚乱舎の前野恵一と申します。高村警部の紹介で訪ねさせていただきました。お話だけでも聞いていただけませんか?」


 無言。電子機械から言葉が返ってくることはなく、門扉からガチャリと音が鳴り一人でに開き始めた。

 それを入れと言っていると受け取った恵一は恐る恐る門扉の内へ踏み込む。

 玄関までに見える庭には美しい青紫の花が咲いており、決して近くはない距離にいる恵一の鼻にいい匂いが届いていた。

 いったい何の花だったか。

 思わず立ち止まり悩む恵一に背後から声がかかった。


「風信子、通称ヒヤシンスでございます」


 声にならない声が喉から飛び出す。恵一は前に崩れ落ち、身体をひっくり返して背後にいた人物を見やる。

 そこにはドレス丈こそ少し短いが見事な美しいヴィクトリアンメイドが立っていた。


「キジカクシ科ツルボ亜科ヒヤシンス属の球根性多年草で園芸種になると白や桃、赤、黄などの色も存在する花でございます」

「ご、御親切にどうも」


 銀糸の髪を備えた、目鼻立ちの整った美しい妙齢の女性も状況によってこうも恐ろしくなるものかと、恵一は未だに激しい動悸のする心臓を右手で抑えながら立ち上がる。


「天様がお待ちです。お花を愛でるのは後にした方がよろしいかと」

「ええ、そうさせていただきます」


 その言葉にメイド服の女性はニコリと笑うと、彼女は道を先行してスッと玄関のドアを開けた。

 違和感のない所作に恵一はこれが本物かと思いつつ軽く会釈して店の中に入った。


 店の中は薄暗く電灯の類は一切なく、陽の光だけが天窓からささやかに降り注がれているだけで、雑多に骨董品であろう品が混在している店内では、真っすぐ歩くだけで気を遣うさまであった。

 玄関から目の前にあるドアに向かって進み、様々なものが積み上げられた部屋の中へ入ると、ゆっくりと背後のドアが閉じられる音がした。

 恵一はハッとなり後ろを確認するがやはり閉まっている。

 雰囲気も相まって半ば狂乱気味になって両頬に手を当ててムンクの叫びのような表情を取っていると、入り口から逆の、つまり店の奥から先程聞いた声が聞こえてきた。


「落ち着け、獲って食いはせぬ」


 入り口からの光もなくなり天窓の光しかなくなった室内で響く。

 恵一は雰囲気で声の主である彼が骨董堂の主だと本能で察した。ワタワタと懐をまさぐりながら名刺を探しつつ、微妙に上擦った声色で名乗る。


「あ、俺。いや私は繚乱舎のオカルト部門に配属されまして、えー。高村警部、えっと地元の先輩なんですけど彼女からこのお店を紹介してもらって」

「落ち着け。その下りは先ほど聞いた」


 若干の苛立ちを含んだ諫める言葉が恵一に届く。その言葉通りに落ち着くために息を一つ吸い、大きく吐く。空間に漂う陰鬱な空気が心を動揺させるのだと冷静になり、周囲を見渡す。 目が暗さに慣れるに従って、段々と会話の相手の正体がわかってきた。

 百八十センチほどの背の高い大柄の男性。しかし、身は実に引き締まっており、そこらのアスリートと見比べても遜色ないものだ。

 下半身こそ骨董品の山に埋もれているが、深紅色のオーダーメイドであろうスーツを身に纏った偉丈夫は、椅子に腰かけて高そうなテーブルに片肘をつき、こちらを見定めるように睨んでいる。


「高村から聞いたのか」

「はい。先輩から記事に困ったらここを訪ねるといいと」


 偉丈夫は嘆息し、椅子に深く座り込む。

 椅子がギィーッと悲鳴を上げるが男は気にすることもなく口を開いた。


「高村には借りがある。その記事のネタとやらを探すのに手を貸してやってもいい」

「本当ですか!?」


 断られそうな状況だったため、OKを貰った恵一は飛び上がって喜びたい気分になった。

 男の雰囲気、室内の空気、これだけ怪しいのだきっと特ダネがあるに違いないと、入店したときに感じていた不安は既に吹き飛び、来月のネタに困らないと確信した恵一の脳内は数十人に分身した恵一のラインダンスでいっぱいだった。


「しかし、オカルトか」


 ボソリと呟く男の声は恵一に届かず。


「どんなつもりで高村は俺を紹介したのやら」


 その様子を見て男は忌々しく眉を顰めるのだった。


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