扉の先の黒き人々-2-
薄暗い穴倉店舗から、陽光の差し込む乗用されているであろう小ぶりの食堂に移動した恵一と男は、そこで既にアフタヌーンティーの準備を終えていたメイドのカーテシーを受けた。
恵一はその所作に少しドキリとしたが、なんでもないように席に座る男の後を追うように席に着く。
座る際にお邪魔しますと言ってしまうのは恵一が小市民故の悲しき習性であろうか。
「それでだ。お前はどの手のオカルト話が聞きたいんだ?」
三段のティースタンドから何も言わず、サンドイッチを配膳するメイドにありがとうと声をかける男は、自己紹介もせずにいきなり本題を恵一に持ち掛けた。
男をなんと呼べばいいかもわからない、厳密には名前を知ってはいるのだが、本人かわからない状況で、サンドイッチを食べる気にもならず、恵一は男に自己紹介をすることを決めた。
「その前にもう一度名乗らせていただきます。繚乱舎でオカルト雑誌のライターをやってます前野恵一と申します。高村警部の紹介で訪問させていただきました。アナタは縁間天様で間違いないですか?」
「名を呼ぶな」
恵一の目の前に座る偉丈夫の強い眼光が恵一を貫く。
あまりの剣幕に恵一の身体は縮み上がった。なにか無作法があっただろうか、頭の中を謝罪の言葉が高速でグルグルと回る。
「名を知れば、怪異はそこを媒介にし接触してくる。お前もこの世界に関わるつもりなら、その程度の知識は頭に入れておけ」
ふっ、と目を伏せ、偉丈夫の男こと縁間はメイドによって注がれたアイリッシュティーの満ちたカップを持ち上げる。
「俺のことは名字である縁間を文字ってエンマ、俺のメイドのことはシアと呼べ。お前も名前を文字るなりなんなりして偽名をつけることだ」
パクリと縁間はサンドイッチに口をつける。瞬間、整った顔の表情が険しく歪んだ。彼はシアと呼んだメイドの方に目を見やり、苦々しい口元の表情で睨みつける。
「シア、胡瓜だ」
「存じ上げております。調理したのは私≪わたくし≫ですので」
「俺は胡瓜のサンドイッチが嫌いだと知っているだろう?」
「本日はお客様がいらっしゃいましたので」
縁間は苛立ったのか自身の切り揃えられたアッシュグレーの髪をガリガリと掻き散らす。シアはそれを見て笑みを浮かべており、二人の力関係が会ったばかりの恵一でも見て取れた。
恵一は先程までは遠い存在だと思っていた縁間のそのような姿を見て、少し心に余裕ができ、いただきますと手を合わせて、配膳されたサンドイッチを食べた。
中身は縁間が言った通り、確かに胡瓜が入っている。否、胡瓜しか入っていない。
昔のアフタヌーンティーのサンドイッチの定番は白パンに胡瓜を挟んだだけの物だったはずだが、豊かな食文化に慣れた日本人の舌にこれは辛いものがある。
恵一は我慢してサンドイッチを飲み込むと、口の感触をアイリッシュティーで書き換える。
好きな人はいるだろうが、もう食べたくはないなと恵一は思った。
そろそろ本題に入ろう、恵一が口火を切ろうとすると、今度はスコーンが目の前に置かれる。チョコチップが点在するそれは焼きたてのようで、先程のサンドイッチとは異なり大層美味しそうに見えた。
紅茶のおかわりも貰い、スコーンを口に含む。美味い、思わず恵一の頬が緩む。
「スコーンは美味いだろう?」
実に厭味ったらしく、縁間は吐き捨てるように言った。よほど先ほどの胡瓜入りサンドイッチがお気に召さなかったようで、口の中が気になるのか既に三杯目の紅茶を飲み干している。
縁間とシア、どちらも敵に回したくない恵一は苦笑を浮かべることしかできず、話題を逸らすように、いよいよもってここを訪れた理由の本題を切り出した。
「私は縁間さんに何か話題になるようなものを提供していただけないかと伺った次第でして。なんでもいいんです、面白い話はありませんか?」
眉間に皺を寄せて無言の圧をシアにぶつけていた縁間は、その言葉で顔を恵一の方へ向け戻す。
口角を仄かにあげ、もったいぶるように口にした言葉は店主に相応しいものであった。
「物事には対価が必要だ。高村は俺に協力するときは必ず便宜を図る、アイツは世の渡り方を知っているからな。
俺は無償では働かん、骨董品店を営むだけで生活は出来るんだ。ワザワザ厄介ごとを引き込む意味もない。
もう一度聞くぞ。お前は俺に、いや、縁間骨董堂に何を提供できる?」
いきなりの要求に狼狽する恵一。ただ話を聞くだけのつもりだったので謝礼の金銭も持ってきていないし、欲しがるかもしれないお値打ちな情報も当然持ち合わせていない。
しまったな、このままでは追い返されてしまうかも知れない。恵一がそう思ったとき、先刻買った物を思い出した。
コロッケだ。
大山精肉店特製コロッケが三つ、食べずにおいていたものがある。気持ちとして渡しておけば誠意だけは見せられるのではないか? 恵一の頭に甘い考えがよぎる。
ないよりマシかと意を決して、恵一はティースタンドの載った高価に違いない清潔感溢れる白いテーブルクロスの上にビニール袋に入ったコロッケを置く。
「お気持ちばかりですが」
場が凍り付く。それはそうだ、見知らぬ人を訪ねて情報の対価にコロッケを差し出したのだから。恵一は一気に胃が千切れそうになる感覚に陥った。
しかし、恵一の耳に届いたのは怒号でも罵声でもなく噛み殺しても漏れ出す笑いだった。
「初対面の人間にコロッケを買ってくるか普通」
右手をグーにして口元に当てる縁間。シアも表情こそあまり変わっては見えないが肩が震えている。
「いいだろう、お前のユーモラスな土産に免じて今回は無料で情報をくれてやる。
とはいってもここはただの骨董品店だ。多くは期待するな」
未だに笑いを堪えつつ、縁間は席を立ち上がり食堂にある、先程の店舗の入り口まで歩いていき中に入った。
どうやら第一関門を突破したようだと恵一は安心し、ふぅと肩の力を抜き、椅子に身を任せた。
「アナタ様のことがお気に召したようです」
シアは柔らかい笑みを浮かべて、恵一の空になった皿にフルーツタルトを一切れ置く。これまた美味しそうだと、ありがとうございますの言葉を返してフォークで一口分切り分けて口に運ぶ。
美味しい、今まで食べたフルーツタルトの中で一番かもしれない。恵一が考えるころには既に口内からタルトは消えていた。
恵一は無意識に笑顔を作りながら二口目を頬張る。そんなとき、扉の向こうから木製の簡素な箱を持った縁間が戻ってくる。
彼は再び席に座りなおして紅茶を一口飲むと、その箱をテーブルクロスの上で滑らせた。
「それを貴様にやる」
箱の蓋をパカリと開ける恵一。そこには身の丈七寸ほどの大きな銀色の鍵が、高価そうな赤い緩衝材の中に鎮座していた。
「これは一体?」
普段使わないような大きさの鍵に、恵一は疑問を一つ投げかける。
「なんでも聞かず少しは自分で考えるべきだな。記者なら特にだ」
シアが空いた皿に置いたフルーツタルトを素手で掴み大口を開けて一飲みにする縁間。それを見てシアは眦を吊り上げる。
「お客様の前で子供のような真似はおやめください」
「胡瓜が死ぬほどマズかったんでな、早く口直しをしたかったんだ」
「スコーンをお食べになったではありませんか」
おおよそ大人の言い争いではない口喧嘩をする主従に恵一は苦笑する。喧嘩するのは仲がいいというがあまりにも内容が幼稚で程度が低すぎる。
ギャーギャーといまだ収まりそうにないそれを無視して、恵一は箱の中の鍵を手に取る。それはキーヘッドの部分が菱形になっていて、ヘッドにはNトンネルとシールが貼られている。Nトンネルといえば崩落事故で現在閉鎖されているはずのトンネルだ。確か、五年前から復旧のめどが立ってなく、トンネルの入り口は開けっ広げになっており、このようなアンティークな大振りの鍵が必要だとは思えない。
Nトンネルの事務所かどこかのカギだろう、恵一はそう結論付けた。
答えを尋ねようと鍵を見つめていた視線を上げると、天とシアは喧嘩を止め恵一の方を静かに見つめていた。
その様子にドキリとしたが怯まずに恵一は言葉を紡いだ。
「これはNトンネルの事務所のカギですか?」
言葉尻が掠れていく。
恵一がじっと天の目を見つめていると、彼はふっと表情を緩める。
「惜しい。事務所じゃない、トンネル内にある緊急通用口の鍵だ」
縁間は視点を落とし、両手の指に嵌めてある指輪を一つ一つ撫でていく。なぜか右手の小指だけ指輪がないのが恵一の目についた。
だが、今は鍵の情報が欲しい恵一はそのことより緊急通用口について更なる情報を求めた。
「緊急通用口ですか?」
「そうだ、Nトンネルは旧道で今は誰も使用していない。何故使われていないと思う? 新しいトンネルは便利だが旧道を通ったほうが近い市区町村も多い、使わない理由もないよな?」
オウム返しは質問の常套手段であり、相手から情報を引き出すにはかなり有効だ。
天は恵一の思惑通りNトンネルに対してかなりの情報を恵一に教えてくれた。
一つ、Nトンネルは旧道である。恵一はNトンネルについて詳しくないがこの情報は知っていた。新トンネルが十八年前に工事が完了して旧道は使われなくなったはずだ。
二つ、旧道も移動に便利だが使われていない。これについては皆目見当がつかない。今なお使われている旧道なんて日本全国どこにでもあるし、Nトンネルが封鎖されていても、周りの迂回路が通れないなんて聞いたこともない。使われていないその特殊な理由が自身の求めるものなのだろうと恵一は半ば確信した。
「Nトンネルの通用口には幽霊が出る、違いますか?」
「違う」
自信満々に答えた恵一をばっさり切り捨てる天。
目を見開き驚愕する恵一に天は溜息をつく。
「幽霊なら通用口程度すり抜けるだろうよ」
それもそうだ、恵一は恥ずかしく思いながらも納得した。
誤魔化すように紅茶を飲むと縁間が続ける。
「Nトンネルの通用口は異界に繋がっている。どうだ、お前は信じるか」
恵一には目の前の偉丈夫が突然、得体の知れないものに見えてしょうがなかった。
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