扉の先の黒き人々-5-

「シア、朝食にシュニッツェルは重い」

「存じ上げております」


 眉を顰めて歯茎を剥き出しにしながら、縁間骨董堂の主、縁間天は従僕であるメイドのシアに対して朝食の文句をつけていた。傍から見ると縁間の言いがかりのように感じるが、朝食で欧州の牛カツともいえるシュニッツェルを、付け合わせのフライドポテトと一緒に朝食の食卓に上げられた天の怒りは日本に住まう人々ならば理解できた。

 もっともその怒りは、悪戯メイドであるシアの嗜虐心をくすぐるだけだが。

 偏屈店主とドSメイドが乳繰り合っていると、骨董堂邸内にインターホンの電子音が鳴り響いた。遊ぶのをやめたシアが食堂に備えてあるモニターの前まで行き、来客を確認する。

 高級スーツを身に纏う天とは対照的な安いメンズのビジネススーツを纏ったナチュラルマッシュヘアの女性。F県警の高村刑事だ。モニターから目を離して反転、シアは天にカーテシーをして、玄関に高村を迎えに行く。

 食堂、骨董品置き場兼店舗、玄関のドア三枚に阻まれているというのに、高村の怒鳴り声は食堂にいる天の元にまで届くのだからある意味感動ものだ。

 しばらくして食堂の扉が壊れる勢いで開かれる。怒髪天を衝いた高村が形容できない表情で扉を蹴とばしたのだ。


「オラァ! 陰険店主! オメェに聞きたいことがあるんじゃコラァ!」

「朝っぱらからうるさいぞ男女。マル暴のガサ入れでもあるまいに。あと扉が痛むから蹴りはやめろ」

「喧しいわ! このプリチー美女を捕まえて男女たぁ失礼やろ!」


 高村は天の対面の椅子にドカリと座ると、シアに対して「茶ァくれ!」と大声で要求した。

 シアが笑顔で食堂から退出すると、高村は右肘をテーブルの上に乗せてズイと身を乗り出す。


「前野が行方不明や」


 吐き出すように高村は呟く。その顔は後悔と慚悔が入り混じっており、瞳の中には天に対する怒りの炎が見て取れる。

 天は猫背を真っ直ぐにし、センターパートで分けたアッシュグレーのミディアムヘアを一度撫でて、高村に相対するように見下ろす。

 短い沈黙の中、口火を切ったのは天であった。


「どこでだ」

「GPSから最後に所在確認が取れたのはNトンネルの前。前野名義のSUV《スポーツ・ユーティリティー・ビークル》が放置されてた。車の中には画面がバキバキに割れたスマホがあって、鑑識に回したらウチへ電話してきた端末やった。スマホから採れた指紋は前野だけや」

「そうか。繚乱舎の人間だと言っていたな、確認はしたのか?」

「当たり前やろ。今から一週間前、人員を『二人』借りて取材に向かったそうや。行先はNトンネル。決まりやろ。

 アンタ、アイツになに売った」

「……。わかった、説明してやる。だから……」

「だから?」

「このクソ重い朝飯を食べるのを待て」


 高村は天の目の前に置いてあるシュニッツェルを見て、酷く顔を歪めた。




 ◇




「前野に渡したのは『鍵』だ」

「鍵ぃ? また訳のわからん効果付いたやつかいな」

「たわけが。ただのオカルトかぶれの雑誌記者にそんな危険な物を渡すわけないだろうが」


 シアの淹れたダージリンを飲みながら、悠然とした態度を崩さずに天は吐き捨てるように言う。決して朝食が胃にダメージを与えてイラついているわけではない。


「じゃあ、前野に渡した鍵はなんやねん」

「なにもクソもあるか。ただの鍵だ。東北から買い取りを依頼してきた御老人の細工箪笥のな。

 前野がやってきたときに、ちょうど買い取りが終わって整理していたんでな。アポも無しに来た面倒な奴に、適当な理由を付けてくれてやっただけだ。どうせ使い道もなかったしな」


「……はー。アンタ適当すぎやろ。

 ……やとしたら、なんで前野は失踪したんや? Nトンネルに変な噂なんてなかったやろ?」

「あるぞ。なかなかに厄介なものがな」


 天の左手の指を鳴らすと、食堂のカーテンは全て自動的に閉められて部屋内が真っ暗に。

 高村が「またカッコつけよってからに」などと思っていると、食堂の壁からプロジェクターが出現し、反対側の白い壁面に映像を映し出す。

 プロジェクターからはコードが伸びており、コードの先ではノートパソコンと繋がっていて、シアがそれを慣れた手つきで操作している。


「Nトンネル、いわゆる廃トンネルだな。西北部に利便性の高い新道と新トンネルが出来たことで相対的に往来が減り、追い打ちをかけるように六年前の崩落事故で通行が不可能になった。崩落事故の翌年には金がない行政によって復旧が差し止められた。これが始まりだ。

 シア、続きを」


 続いてプロジェクターから映し出された映像は、今から半年前の地元新聞の記事だった。そこには作業員大量失踪の見出しが書いてある。その見出しの事件に高村は心当たりがあった。


「お、これなら知っとる。行政に委託された人材センターの職員が全員失踪したやつやろ。なんやNトンネルの近くなんかいな」

「それだけじゃない。記事にはなっていないが、警察への行方不明者届はF県内ではNトンネル付近の市区町村がズバ抜けて多い。妙だと思わないか?」

「なんや、縁間は原因がNトンネルにあるっちゅうんか」

「それだけじゃない、『影浸盤』はNトンネルの付近で重度の濁りを観測した」


 影浸盤とは縁間の所持する骨董品の一つで、なんらかの特異な性質を持った物質や環境を感知すると黒く濁る針のない羅針盤である。

 高村は以前、この影浸盤の力で迷宮入り事件を解決したことがあるので、その能力に関しては疑うことはできない。

 つまり、Nトンネル付近ではなんらか超常的な現象が巻き起こっているのは間違いないのだ。


「俺はこの現象について半年前、つまり人材センターの職員失踪から継続して調べていた。人も雇い、Nトンネルに向かわせた。掻い摘んで説明してやる。シア」


 はい、そう言ってプロジェクターの映像が次に移る。映し出された物はNトンネル周辺を上空から撮影した写真だ。


「まず、セーフゾーンが確定している。トンネルの入り口が境界線だ」


 シアがパソコンを操作し、画像のトンネルと道路の境目に赤いラインが引かれる。


「境界線を越えるとどうなるんや」

「さて。帰ってきた奴がいないんで何とも言えんな。車の確認に行ったときにトンネルの中に入ったやつはいなかったのか?」

「所轄の警官も県警の刑事もウチがトンネルには入るなって止めたからな」


 暗い中、プロジェクターからの光が天のニヒルな笑みを高村に見せた。


「見事だな、高村警部。おそらく誰かが踏み入れていればお前はここに来なかった」

「……。そんなにやばいんか」


 天は無言で指を鳴らし、シアはそれに呼応してパソコンの画面を切り替える。

 映し出されたのは五十八年前の事件について書かれている新聞の記事だった。


「五十八年前の師走、F県では痛ましい事件が起こった。世間では犬鳴家炎上火災事件と呼ばれている。

 当時の犬鳴家は地主の一族で、村の中ではかなり裕福な部類だった。当主の犬鳴権蔵はなかなかに腐ったやつらしくてな、村の既婚女を脅して孕ませたりだとか、そのことに反発し逆らう者を村八分にしたりだとか、まぁ、恨まれる土壌は十分にある男だった。

 五十八年前の十二月十七日深夜二時頃、村の男たちが権蔵の所業に耐え切れずに凶行に走る。当時では珍しかった二階建ての洋館である犬鳴邸の出入口を全て木材で塞ぎ、油と共に火を放った。

 乾燥している冬場だ、火は瞬く間に燃え広がり中にいた権蔵含む家人七名は逃げられずに死亡した」

「ん? ちょい待ちや。二階建てなんやろ? 一階からはともかく、二階からは窓で逃げられるやんか」

「実際に逃げ出そうとはしたらしい。権蔵の息子である権一が二階から外に出ようと窓から身を乗り出したところを、火を放った村人たちが薪割り用の斧を投げつけて外へ出さないように押し込んだと当時の調書には書かれている。

 一階は物理的に塞いで、二階からは暴力をもって逃走を許さなかったわけだな」

「えっぐぅ。どんだけ恨まれとんねん」

「権力は人を狂わせる。到底恨まれているなどと思いもしなかったんだろう。

 一階から広がった火はドンドンと勢いを増し、午前七時には完全に鎮火した。犬鳴邸は村の離れた小高い丘に位置していたから延焼等は起こらなかったようだ。

 その後、犯人たちは日が昇ってから警察に出頭、放火殺人の罪で死刑判決。二人は獄中死、残る三人は三年前に刑が執行されている」

「そうかい。で? それ今回の話にどう繋がるんや?」

「当時の航空写真と現在の航空写真を比べて縮尺等を計算しなおし、当時の犬鳴邸周辺を割り出した。見てみろ」


 三度、天が指を鳴らし、映像がさらに変わる。

 その映像を見た高村の目が限界まで見開かれた。


「見えてきたと思わないか?」

「ああ、そういうことかいな…」


 壁に映し出された地図は犬鳴邸とNトンネルの中心が一致することを示していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る