追章・黒き人々
「結局のところ、四人目とはどなただったのですか?」
事件が全て解決した日の夜のこと。
天が高村達と別れての夕食中、骨董堂の食堂でシアの作ったブフ・ブルギニヨン、通称牛肉の赤ワイン煮込みとフランスパンに舌鼓を打っていると、突然シアが口を開いた。
天しかいない食事の提供中に喋ることは滅多にない彼女が、自身に問いかけてきたことに驚きつつも、口元をナプキンで拭って天は答える。
「湯田という女性だった」
「その方は何者だったのです?」
「地縛霊だ。前野の手を借りて、霊子の肉体を得たと枕詞はつくがな」
そう、四人目のジャーナリストの湯田は既に死人であり、ある場所に居着いた地縛霊だった。
天は「これは本人から聞いた話をそのまま話すだけだが」と前置きをして。
「湯田、彼女は犬鳴の家が村人襲撃に遭ったとき、たまたま縁戚の家に宿泊していた犬鳴静香、その人だ。
彼女は宿泊先の親戚に実家で起こったことを聞き、そのままその家の養子となったらしい。七歳の子供が一人で生きていけるわけもないからな、当然だろう。
その後、特に何事もなく第二の人生を送っていた彼女だったが。二十五歳になった時のこと、彼女は交通事故でこの世を去った。その場所が」
「繚乱舎の社屋が建っている場所だったと」
天は「その通りだ」と付け合わせのカボチャのムニエルを齧りながら言う。
当然、シアははしたないですと注意した。
「霊になると生者の間では見えなかったものや声が聞こえるものだ。遠方からの助けを求める声、『でれない』『でれない』の呟きが日に日に強く耳に届くようになったらしい。
本来ならばそのような負の念を傍受し続けると悪霊化してしまいかねない、故に冥界の使いが迎えに来るものなのだが……」
心底腹立たしそうに、天はフランスパンをかじる。苛立った荒々しい咀嚼には、シアには決して向けない本物の憎悪が表情からにじみ出ていた。
「あの地区担当の死神が手を抜いていた! おかげで彷徨える魂が何年もの間も放置されていたのだ! 冥界の失態だ!
……今回は悪霊化しなかったからよかったものの、一歩間違えれば冥界の失態で現世に迷惑をかけるところだった。規律が緩んでいることを五道転輪に進言しておかねば」
「天様、話がわき道に逸れています」
天は大きく息を吐き、ブフ・ブルギニヨンを一口啜る。美味しい料理に冷静さを取り戻したのか、人差し指で自らの額を三度叩いて話を続けた。
「どこまで話したか……。ああ、静香に念が届いたところか。彼女は念を受け、それが家族のものだと気づくことに時間はかからなかったそうだ。
しかし、彼女は所詮木っ端の地縛霊。縛り付けられた因縁の地からは動けず、無為に時間を過ごすことしかできなかった。
そこに現れたのが前野だった」
「前野様がですか?」
「そうだ。奴は俺たちに明かさなかったが、特異な能力を持っていた。俗に言う霊が視える体質だったんだ。
奴は転職して繚乱舎に入社したが、初出社の日に静香と出会い、お互いに惹かれ合った」
「霊と生者の愛ですか…。報われるものではございませんね」
「正にその通り。二人は惹かれ合ったが触れ合うこともできず、会うことができるのも日中の社屋でのみ。おまけに前野と出会ってから、日を増すごとに静香が受け取る念が強くなり、霊体へのダメージが酷くなっていった。これは希薄だった静香の感情が前野との出会いで揺れ動くようになったからだろう。
そして、この骨董堂を訪れる前日、以前居酒屋での飲みの席でオカルト事件の詳細を漏らしてしまった高村へ相談を持ち掛けた。解決法は知らずとも手がかりだけでも手に入れたかったんだろうな。まさか、大当たりを引くとも思ってもみなかったんだろうが。
――――骨董堂にやってきた翌日、繚乱舎社屋で静香は実体化を果たした。霊子実体化など並大抵の力では行えない。一体どうやったと思う?」
「……申し訳ございません。それこそ生贄などの非人道的行為しか思い浮かびません」
「うむ、おおよそ合っている。オカルトにも精通していた奴は外法にて肉を創り出し、己が血を持って地縛霊である静香をその肉に憑りつけた。繋ぎにこれを使ってな」
天がシアに見覚えのある箱を投げ渡す。前野に渡したあの箱だ。
物を投げないで下さいとシアが再び天を注意して、箱を開く。そこには黒ずみ、錆びさえ浮かんでいる鍵があった。
「おかしいですね。天様が磨き上げていたはずですのに、何年も雨風に曝されたような錆び具合です」
「急激に宿った力を吸い取られたからな。物質としての劣化が激しい」
「吸い取られた…、ですか? しかし、この鍵に特異性はなかったはずでは?」
天はシアの問いに不敵に笑うと、自らを指差した。
「この俺、閻魔大王が触れた、これだけで神秘は帯びるだろう?」
「……なるほど、物としての特異性ではなく、この鍵に付随した神秘性を依り代にして……」
「偶然手に入ったとはいえ、前野も考えたものだ。それほどまでに静香を愛していたのか…。
そのせいで未来永劫彼女と触れ合えぬとは哀れだな」
「どういう意味ですか?」
「知れたこと。仮にとは言えども人の身で反魂を行ったのだ。六道輪廻の逆転など許されぬ禁忌。奴は輪廻転生の輪に入ることはできずに、地獄で永劫の奉仕を命じられるだろう」
「……なんだか少し可哀想ですね。愛する人を想っただけなのに」
「想うならば成仏させてやるべきだった。中途半端な手助けなどせずにな」
ブフ・ブルギニヨンの最後の一口を食べて、天は両手を合わせる。
「美味かった」
「お粗末様です。続きをお願いします」
「ああ、そうだったな。疑似的な反魂を行った前野と静香、誤魔化すために彼女は湯田と名乗っていたようだが、二人は静香に念を送る元凶を突き止めるべく色々と二人で探った。
結果として、俺の提案したNトンネルと目的地が合致してしまった。何十年も経っていることと、当時幼かったこともあって静香自身はそこが犬鳴の家があった場所だとは気づかなかったようだがな。
そのまま情報を集めて、取材と称して繚乱舎から人手を集めることに成功した。二人としては原因を突き止めるだけでよかったんだろう。
だが、犬鳴権蔵への恨みは五十八年で薄れるほどのものではなかった」
「例の黒人間が絡んでくるわけですね?」
「そうだ。うどん屋に居た黒人間の正体は、権蔵に無理に孕まされた村人だ。これは静香の調査結果から得た予測だが話を聞く限り筋が通る。
望まぬ子であったとしても、宿した命だ。夫と相談し産んで育てようとしたが、後継者が増えるのを嫌った権蔵が、妊婦の腹に良くないことをしてな。流産をした。それに今まで耐えてきた村人たちも怒りを抑えきれずに犬鳴の事件が起こった。
事が終わり、その妊婦は思った。全て権蔵が悪いのに、何故私たちが裁かれねばならないのか。夫が死刑を言い渡され、腹に抱えた子供が死に、共に憤ってくれた友人たちも村の出身と言えば後ろ指をさされる。何故だ、何故だ。憤懣が妊婦を化生に落とすのに時間はかからなかったろうな。
思考の果てに、どうあがいても自身に救いはないと辿り着き、せめて最初の目的を果たすことで地獄での犠牲にしてしまった夫らに顔向けができると、そう考えてしまった。
静香の件は報道で知っていたんだろう。恨みの全ては静香に向いたが消息はしれず、さらには村は合併されて消滅。化け物に居場所はなくなった、ならばどうしたか。
創ったんだよ、時層を歪めて故郷の村を」
シアがスッと、アッサムティーを差し出し。喋りすぎで声が枯れてきた天は、それを飲んで喉を潤す。
「創った後は簡単だ。自身を二つに分け、入り口となる緊急通用口の外と中で永遠と獲物がかかるまで待ち続けた。何年も何年もだ。
行方不明者たちは空間の維持を続けるための燃料だったんだろう、人の恐れや怒りの感情は化生のエネルギーになるからな。そうやって待ち続けていたが、やっとやってきた肝心の静香には気づかなかった。生前の肉体と違うからな、至極当たり前と言える。いつもと同じようにうどんのスープへ権蔵の血肉を混ぜてマーキングにした後にトンネルへ送り出した。
その後、他の連中と同じように前野たち生者三名は黒人間の仲間にされたが、静香だけは違った。取り込まれる前に仮初の肉体を殺し、地縛霊に戻ったんだ。
新たに縛り付けられた場所はあの扉の中の異界、黒人間たちは権蔵の肉片に反応していたからな、碌に攻撃もされずに彼女は犬鳴邸に侵入して家族を探した。
中は酷いもんだったらしい。数分ごとに長男の権一は斧が食い込み、長女のシホは何度も階段から落ちて首を折る音が響き、一階の四人は酸欠で永遠に苦しみ続ける。
全員の魂が叫んでいたそうだ。『でれない』『でれない』ってな。
だが、新たに得た肉体も失った、自身には何もできないと落ち込んでいた静香だが。ふと気づいたそうだ。
この空間を抑えている黒人間以外は全然強くないはないことにな。それは当前、なんの特異性もないただの人間が黒人間によって支配されているだけなのだから。
一筋の希望を見出した静香は、自身の霊としての力を核にして六名の魂を寄り集めて一体にして機会を窺った。だれかが何かを起こしてくれることに。
その何かはすぐに訪れる。俺が外側の黒人間を消滅させた。あの黒人間たちは内外で完全にリンクしていたらしく、外の黒人間が消滅すると共に中の黒人間は力を失った。
好機と見た静香は犬鳴家を寄せ集めた魂の塊と邸の外に逃げ出した。二階の窓からビュンと飛び出してな。
しかし、誤算だったのは邸の外に出た瞬間、寄せ集めた家族の制御が効かなくなり、身体が黒ずんでいった。行方不明者たちの成った黒人間をなぎ倒しながら、制御の効かない家族をどうにか救うために静香は残された力を振るった。
賭けだったろう。力が及ばなければ自身が消滅するだけでなく家族も救えない。だが、賭けに勝った。俺の渡した鍵にこびりついた神秘と彼女のなけなしの力と扉の中の異空間の特異性が集まり、何の変哲もない鍵が空間を開けるマスターキーになった。
そのマスターキーを持って空間の扉をこじ開けて家族を外、つまり現世に連れ戻し、あの長い長いトンネルから陽の当たる元へと静香は救った」
天は紅茶を一気に飲み干し、宙を見上げる。全力で家族を救った静香を想うようであった。
「流石です、天様」
シアが紅茶を注ぎなおす。天は満足そうにシアの横顔を眺めた。
「その後はシアも知っているだろう? 改めて黒人間たちを人間に戻し、事後処理を警察に任せた。
そして、クソ激辛カレーを食ったあの日に、俺は高村達と再びトンネルを訪れた。
扉の中は綺麗なものだったよ。傷一つついていない洋館、それを囲う咲き誇ったマーガレットの花畑。事件が起こるまではあのような美しい邸宅だったんだろうな。
邸宅内の和室では静香がそこで名前の通り、静かに眠っていたよ。空間を開いたことで力を使い果たしたんだろうな。核となる魂はボロボロで、俺たちにはもうどうすることもできない状態だった」
区切るように、天はゆっくりと紅茶を啜る。
シアはそれをもどかしそうに見て、天に話の続きを強請った。
「それで? 静香さんはどうなったんですか?」
「俺が中で何が起こったか知っていることが答えだ。
彼女の魂の記憶を俺が読み取り、彼女の半生を聞き取って、その場で冥界の裁判官である十王に略式裁判を要請した。十王達はすぐに駆けつけてくれたよ。おかげでギリギリだったが彼女を輪廻の輪に乗せることができた」
「よかった…。静香さんは無事に次生へと向かわれたのですね」
「あの魂の傷つきからして来世は虫あたりだろうがな」
最後の最後に嫌なことを言った天に対して、シアは非常に白けた表情を向ける。
そんな彼女の表情を見て、天はカレーの恨みを晴らしたと溜飲を下げたのだった。
「しかし、黒人間となった村人には同情をしないこともないですね。
被害者だったのに、抵抗したら全てを失うなんて…」
「だからと言って息子や娘、使用人たちを手にかけてよいわけではない。
権蔵を殺しただけならば黒人間へ変生しなかったろう。結局、化生へと落ちたならば救いはない」
「でも彼女は直接的には殺害に加担していませんよ?」
天は、シアのその言葉にピタリと止まり。じろりとシアを見つめる。
「罪を犯そうとする者を止めぬ時点でその者も同罪よ。
忘れるな、人は生まれながらに咎人であり。一生をもってその罪を贖っているだけにすぎぬ。
正道に生きねば、その罪科は溜まるのみだとな」
天は少し冷めた紅茶をグイと飲み干した。
縁間骨董堂怪異奇譚 れれれの @rerereno0706
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