剣を握る理由に貴賤はなく、理由を見つけた者が機先を制する。

『克己心』という言葉があります。剣道をやっていた人ならば、ほぼ例外なく手拭に書かれたこの文字を目にしたことがあるでしょう。
文字通り、己に打ち克つ心を磨けという教えです。
現代において、武道は自己の鍛錬の道とされています。つまり、自らのために剣を取り、自らのために稽古をし、自らのために剣の道を修めろということです。

……しかし、時に思うのです。剣とは、誰かを守るためにこそ振るうものではないのかと。
もちろん、「誰かのために!」と声高に叫んだり、力を振りかざすことを目的にするのはただのエゴであり、褒められたことではありません。
けれど、幾多の物語でも語られるように『守るもの』や『背負うもの』がなければ、それもまたエゴではないかと思います。

「剣道は一人でも稽古が出来る」といわれる一方で、「剣道は二人いないとできない」という風にも言われます。
これは二律背反でしょうか。否、たとえば恋と愛のような両輪だと私は考えます。
自分の中にしか軸のない片輪の剣は、それ以上先には進めないのです。

たとえそれが、下心からはじまるものであっても。
学び、反省し、改めていくことで、いつしか轍は重く強く刻まれていく。
故に、武は道なのだと思います。


作者様が剣道未経験者と知り、おどろきました。
ただでさえ剣道の試合は、初心者が見るとちんぷんかんぷんです。大会の応援に来た保護者の方は、まず自分の子供が一本取ったのか取られたのかがわからないくらいです。
そんな小難しくて面倒な剣道を題材に選ぶなんて……(笑)

ありがとうございます。一人の剣士として、光栄に思います。

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