最終話 梅雨の空の下
それにしても、さすが防犯意識の高い2丁目。
近隣住宅からの音漏れも勿論無く、今はポポイの声すらしない。2丁目にある蕎麦屋の前にいる熟年夫婦も穏やかな表情を浮かべている。
真吾は次に3丁目に向かった。この辺りはアルバイトや塾帰りの学生が多い。
駅が近いからか夜だと言うのに煌々としており、電柱に貼られたクリーニング店の水色のチラシもハッキリと読める
次第に屋外に粗大ゴミが幾つも出ているゴミ屋敷が見えてくる。
ここには夫人に先立たれた高齢男性が住んでいる。ゴミを捨てる金と手間を惜しみ、こんな城を築き上げている。
この前を通る度、法律上警察はゴミ屋敷に介入出来ない事を歯痒く思う。前を通った時、生ゴミの不快な臭いがぷうんと漂って来て眉を顰めた。ここ数日隣の家は留守のようで、ある意味良かったかもしれない。
この家の隣が圭の家だ。『加藤』という標識がぶら下がっている建売住宅は、明かりがまだ点いていた。空の犬小屋が静かに街灯に照らされている。
それからは仮眠を挟み、朝また立番を行った。
「おはよう、松永」
「あ、おはようございます」
ニッコリ笑いかけてくる宮林が丁度出勤してきた。
(後2時間もしたら時間か)
自分達と交代する同僚は、今日は引き継ぎを終えたらすぐに橘家に赴くらしい。自分達も2丁目経由で帰宅するよう言われている。
思い出すのは今日1日の事。
「あ」
物忘れを思い出した時のように、不意に頭の中でパズルのピースがハマった。思わず目を見開く。
「そうか……!」
どうして橘家にあんな予告状が送られて来たかが分かった。自分の思った通りならすぐに動いた方が良い。
「部長! 部長! 一瞬替わって下さい……!」
交番の中を覗き先程すれ違った上司の姿を探した。
道を歩く登校中の男子小学生が、ピピピピッ! と防犯ブザーを引っ張って遊んでいる中、交代した真吾は早速受話器を持ち上げた。
午前9時。
今日、由良の父親は仕事を休み、娘と一緒に数人の警察官とパトロールの多い中家で空き巣に備えているという。
皺の多い私服になった真吾は1人、静まり返ったゴミ屋敷の前に居た。
ゴミ屋敷の庭に入り、窓ガラスにガラスカッターを当てている人影を認める。どうやら読みは合っていたようで、口元に笑みが浮かぶ。
「こんにちは、加藤さん。ガラスカッターでどうされるおつもりで? 駅前のホームセンターで売っていますよね、それ」
そう黒色のTシャツを着た青年――加藤圭に声を掛けると、圭はビクリと大きく肩を震わせてこちらを見る。その瞳には恐怖の色が滲んでいた。
「あ、お、お巡りさん、こんにちは……。これ、は、違うんです……どうしてここに?」
「私は帰宅中です。それより、橘家の予告状の事で私1つの仮説を思い付いたんです。加藤さん、聞いて頂けますか?」
「あ、いえ、俺は!」
目線を逸した圭が、ガラスカッターを下ろし逃げるように数歩後ずさる。
「まあ聞いて下さいませんか。私の仮説では、貴方が橘さんに予告状を送った犯人なのですから」
自分の言葉に圭が「うっ」と唸る。
「派出所の人間はみんな不思議に思っていました。どうして空き巣をするのに予告なんて真似をするんだ、って。でもそれこそが犯人である貴方の狙いだったんです。貴方は最初から橘家に空き巣に入る気なんて無かったのですから」
「お、お巡りさん……何を言っているんですか?」
目を泳がす圭の質問には答えず続ける。
「予告状を送ったのは、警察の注意を橘家に集めたかったからだったんです。そんな事をする理由は1つ、貴方には他に空き巣に入りたい家があったから」
午前この道に人気は少ない。今も自分と圭だけで、鳥の囀りが良く聞こえる。
「加藤さん、貴方の家の隣――この家の隣でもありますね。ここにはゴミ屋敷があります。ゴミ屋敷は犯罪を呼ぶんですよ。例えばゴミに隠れて隣家に侵入する、といった具合にね。実際ゴミ屋敷を侵入ルートに利用する犯罪は多いんです。2軒隣の家なんて、住民がいつ留守にするか簡単に分かった事でしょう。私もさっき電話で確認しました。どうもここは今夜まで旅行しているらしいじゃないですか」
何も言わない圭は、わなわなと唇を震わせながらこちらを見ている。圭の顔からどんどん血の気が引いていく。
「それに予告状にあった午前9時と言うのは、巡査が夜勤明けの警官から前日の引き継ぎを行う時間帯であり、パトロールに出ている人は何時もよりも少ない。橘家に集中しているのなら尚の事でしょう。貴方は安全に空き巣を行う為に、ネットで容易に調べられる派出所のタイムスケジュールも利用したんです」
青い顔の圭は首を横に振る。
「そ、そんなのお巡りさんの妄想ですよ。俺はただこの家のガスが心配になって――」
「そんな理由でガラスカッターを持ち出す人が居ますか。橘さんにポポイを貸したのは、恋人を心配して……と言うよりも、貴方を見たら嬉しくて吠える犬に近くに居てほしくなかったからですよね?」
仮説を話し終えると、物の多い庭はしんと静まり返った。
「……」
圭はすっかり俯いてしまった。遠くで救急車のサイレンの音が鳴り出しては聞こえなくなったくらい、時間が経過した――その時。
「う、うううー!!」
圭が急に、自暴自棄になったような叫び声を上げたのだ。次の瞬間、圭が体当りを仕掛けようとこちらに向かって突っ込んできた。
「っ!」
自分を振り払って逃亡を図ろうとしているのだろう。しかし、そんな事が許されるわけが無い。
警察官は警察官になってからも、頻繁に柔道の指導を受けている。なので自然と腰を落とし衝撃に備える事が出来た。
「たあっ!!」
突進の力を利用し腕を掴んで圭を背中に乗せ、体勢を変えてそのまま地面に叩き落とす。
「うわっ!?」
どんっ! という音と共に砂埃が舞い、背中から落ちた痛みに圭が悶える。絵に描いたように綺麗な背負い投げを決められた。
地面に叩きつけられた圭は呆然と晴天を見上げていたが、暫くして一度泣きそうに顔を顰め、観念したように続ける。
「……お巡りさんの言う通りです。由良に予告状を送ったのは俺で、ゴミに隠れてこの家に空き巣に入ろうとしてました。留学費用が、金が欲しくて……お巡りさん、俺は、少年院に入るのでしょうか……?」
悪意のない弱々しい声。その瞳は今も空を映したたままだ。
「貴方がした犯罪は窓ガラスを割った事だけ……書類送検にはなるでしょうが、それで少年院には入りませんよ。まあ町の人や橘さんが貴方をどう思うかは分かりませんけれど」
起き上がる気配のない圭を見下ろしながら続ける。両親にも橘にも近隣住民にも、圭がした事はあっという間に広まってしまうだろう。
「そっか、そうですよね……。俺、馬鹿したなあ……俺……っ」
ホッとした表情を浮かべたのも一瞬。
圭は自分が失った物の大きさに気が付いたように呟き、寝返りを打って横向きになるとボロボロと涙を流し始め、やがて大きな声でわんわんと泣き出した。
幼児のように泣く圭の横で一度目を伏せる。少ししてスマートフォンを取り出し、部長と連絡を取り始めた。
この仕事をしていると良く、犯罪はどこに転がっているか分からないな、と感じる。
今回もそうだ。だからこそ、犯罪を未然に防げる事が出来て良かった。
1日休みを挟んだ日曜日の朝、曇り空の下真吾は派出所に出勤した。
「お早う、松永。金曜日はお手柄だったな。まさかあの予告状にあんな意味があったとは……」
デスクで事務仕事をしていた宮林にそう言われはにかむ。
照れ臭くてお辞儀だけで返し、「そう謙遜するな!」と笑う宮林から事件のその後を聞いた。
圭は書類送検となったそうだ。由良からは別れを切り出され、噂から逃げるように隣の市で独り暮らしを始めたという。
引き継ぎを終わらせ、赤い自転車に乗って午前のパトロールに出るべく外に出た。
今日も快晴で蒸し暑い。なのに午後から雨らしくて憂鬱だ。
――と。
交番の外に、白い紙袋を持った白髪の老紳士が居たのだ。
「こんにちは」
目が合ったので挨拶をする。老紳士は自分を見た後、にこっと笑いかけてきた。
「眼鏡の青年……って事は松永さんかい?」
「そうですが、どうかされましたか?」
「ゴミ屋敷の隣の家に住んでいる者です。貴方がうちへの空き巣を未然に防いでくれたと聞きました。そのお礼がしたくて」
小ざっぱりしている老紳士はこちらに近付き、手に持っていた紙袋を自分に押し付けて来る。
「これ、差し入れです。どうか貰って下さい。……こうなったからには無理矢理にでもあの家を片付けさせないと。では」
老紳士は最後にもう一度笑って颯爽と交差点へと歩いていく。
紙袋の中には百貨店によく入っている高級和菓子屋の24個入りの水羊羹が入っていた。赤・緑・白・黒と鮮やかで、喉越しが良さそうだ。
「あっ……有り難うございます!!」
離れていく背中に向かって声を張る。
この仕事をしていると良く、善意もどこに転がっているか分からない、と感じる。何時の間にか笑みを浮かべていた。
自分がした事がこの町の治安維持に繋がっている事が嬉しかった。
――今日もこの町の為に働こう。
日が高くなり蒸し暑くなり始めた午前、真吾は改めてそう決意した。
空き巣犯からの予告状 上津英 @kodukodu
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