第9話 秘薬

「何だって?」

 村長室の中に村岡村長の大声が響き渡った。

「下里の安部んちが山さ売ったらしい。」

「なして、また?。安部んちは、どうして山さ売っただ。」

「よくは分かんねども、安部んちの爺さんが株やってたっていう噂だべ。きっと株屋に騙されたに違いねえ。」

 下里の安部と言えば、野辺山村でも村長の村岡家に継ぐ山持ちであった。その旧家が先祖代代から受け継いできた山を売るというのは余程のことである。村長も心配の色を隠せなかった。しかし、助役の次の一言に村長の顔色が変わった。

「じゃが、安部んちの他にも、土地を売った者が何人かいるって噂だ。」

「他にも?」

 村長は腕組みをしたまま、訝るように眉をひそめた。

「そりで、買い手は一体どこの誰だ?。こんな山奥の土地を買うなんてそげな物好きな奴がいるのか。」

「例の会社だ。例の。ユニバーサル・プランニング…。」

「げっ?」

 ユニバーサル・プランニングと聞いて村長の顔色はさらに蒼ざめた。助役は額の汗を抑えながら説明を続ける。村長と助役は、登記所で取ってきたばかりの謄本をパラパラ繰りながら、新しい所有者を確認する。謄本に記された新しい所有者の名は間違いなくあの社名が記されてあった。そして所有権の移転登記の日付はわずか二週間前となっていた。

「約束が違う。当初の話じゃ、レジャーランドはあの鉱山跡地だけで十分だと…。」

「会社側からは何の説明も聞いてねえだ。」

 二人は膝を突き合わせたまま、顔を見合わせた。

「とにかく、一度見に行くべ。」

 村長は、よっこらしょとばかりに腰を押さえながら立ち上がった。村長と助役は大慌てで、役場を出ると村の道を下里へと急いだ。下里は村中から歩いて二十分くらいの距離で、銀山跡地とは山を挟んで反対側の谷にあった。


「あら、村長さん。どちらへ。」

「おんや、絹代さんでねえか。どうした?。」

 村長と助役は道の途中で松の屋の女将にばったりと出会った。

「いえ、下里の安部さんちが山を売られたとか聞いて、見に行って来たんです。」

 噂は既に村中にも広まっていた。村でも一、二を争う旧家が山を売ったとなると、噂はすぐにも広まる。

「そ、そうか。俺たちも今見に行くところだ。で、どうだった。」

「ええ、それが……。」

 女将は一瞬間を置いて、村長の顔色を慮りながら答えた。

「下里から奥の方はもうロープが張られてあって、「立入禁止」の立て札が……。」

「や、やっぱし。」

 村長は落胆の色を隠せずにつぶやいた。

「とにかく、一度安部んちの三郎と話をせにゃあ……。」

 村長は女将の話を最後まで聞かずに先を急いだ。助役も額の汗を拭きながら後に続く。

 安部家の本家は下里の谷の一番奥まった場所にあった。高く積まれた石垣が、古くは奥州三代の頃まで遡ると言われた名家を象徴するような威容を見せていた。村長と助役は急ぎ足で坂道を駆け上った。


「そうか、もうバレちまったのか。」

 安部三郎は村長たちを客間に通す間もなく切り出した。

「なして、相談してくれなかっただ。冷てえでねか。」

 村長は膝を進めて詰め寄った。三郎とは小学校時代からの同級生で、事あるごとに助け合ってきた。その親友に裏切られた思いであった。

「相談するって、何を?。」

「また、こやつすっ呆けたってダメだ。株で大損こいたんだろ。」

「株?、株なんかとっくの昔にやめただ。」

 村長は肩透かしを食わされたように拍子抜けした顔になった。株でないとしたら一体何で。

「んじゃ、なして。なして土地さ、売ったんだべか。」

 村長はさらに詰問調で追求するが、対する三郎は急に口を噤んでしまった。何かを隠すかのように村長の視線を逸らすと、両の手で膝頭を鷲づかみにした。しばらく重苦しい沈黙が流れた後、三郎は一言重い口を開いた。

「売ったんでねえ、寄付したんだ…。」

「寄付?、一体何のために…。」

 寄付と聞いて村長の顔色が変わった。自分の旧友が、先祖代代の土地を手放した。しかも村に来て半年も経っていない東京の新参会社にただでくれてやったとなると、もう気でも違ったとしか言いようがない。しかし、村長の矢継ぎ早の質問に、三郎の方は再び口をつぐんでしまった。見れば両膝に置いた手が、喉まで出掛かった声を抑え込むかのように小刻みに震えている。

「孫の義彦のためだ。」

 三郎は視線をそらすと小声でボソリとつぶやいた。

「義彦君の?」

「ああ、あいつ結婚して五年も赤子さ出来ないんで、おらもちとおかしいとは思ってた。したら、あいつ例の集会で話を聞いてきて…。」

「集会?」

 村長は何のことかわからず、困惑した表情をして見せた。

「何だ、おめえ知らねえのか。あの集会のこと。」

「集会って、何だ。」

「いつも日曜日の夜、銀山跡地でやってるでねえか。最近村の若いもんが大勢参加しよる。おめんとこの健三もだ。」

 銀山跡地、健三、と聞いて、村長の目は釣り上がった。

「げっ、健三が?。しかも銀山跡地でか。一体何の話だ。」

「おめえ、本当に知らねえのか。村の若い衆に子供さ出来ないのは、この村にはびこる病気が原因だって話だ。」

「病気?」

「ああ、何でも、こん村みたいな過疎地ではよくあるそうだ。血の繋がりの濃い者同士が何代にも渡って結婚を繰り返してると、デーエヌ何とか言ったかの、わしらには難しことはようわからんが、要は子供が出来んのは遺伝の所為だとか。」

 釣り上がった村長の目は、今度は驚きの目へと変わっていく。これ以上開かないという程にギョロリと大目を剥いた村長は、更に勢い込んで尋ねる。

「それが、なして土地を寄付する話になるべか。」

 三郎は、すぐには村長の質問に答えず、静かに立ち上がると床の間の脇に置かれた古めかしい文箱を手にした。

「開けてみろ。」

 村長は促されるまま、恐る恐る文箱の蓋を取る。中から、薬袋に入れられた白い粉末の束が出てきた。一見すると胃腸薬か風邪薬のようにも見える。何の変哲もない白い粉薬である。透明な頓服袋に包まれた薬は、約百袋程あった。

「これを毎日三回、半年ほど続ければ、精子の数が増えて子供が出来やすくなるとか。」

 村長は、頓服薬の袋を手にとってしげしげと観察していたが、次の三郎の一言にまたしても仰天の声を上げた。

「この薬、これだけで三百万円だそうだ。」

「な、何と。なして、そんなに高いんだべ。」

「ようは分からん。向こうの話じゃ、何でも舎利子様とかいう偉い薬の先生が特別に調合されたとかで。」

「舎利子…?、誰だべ、そいつは。」

 村長は怪訝そうな顔で再び眉をひそめた。

「わしも直接は会っていないで、どんなやつかは…。んじゃが、義彦の話じゃ、インドで長年修行された偉い偉いお方だそうだ。」

「ほう、インドでの?」

 村長は半信半疑で相槌を打った。三郎はようやく普段の口調に戻ってさらに説明を続けた。

「これで一ヶ月分じゃから、半年分で二千万円位になるかの。」

「に、二千万?。」

「ああ、そんな金なんかねえって言ったら、代わりに土地を寄付しねえかって話になって、それで…。」

 村長はようやく安部家が土地を手放した理由を知った。このような因習深い村では、跡継ぎが出来ないということは家の恥ともなりうる。その一番の弱みを衝かれた恰好となった。安部家にとって、後継者問題はもはや銭金の問題ではなくなりつつあった。

「じゃが、この薬本当に効くのか。おめえ達、騙されてんでねえか。その舎利何とかというやつに。」

 村長は訝るように尋ね返した。

「うんにゃ。そりが、川上の源治んち、五年も子供が出来なんだが、あの薬を始めて二ヶ月目に、嫁っこがこりでさ。」

 三郎はまるで自分に孫が出来たかのように、お腹が大きくなった仕草をして見せた。

「本当か?」

 村長は信じられないという素振りをして見せた。

「ようは分からんが確かに効き目はあるみてえだぞ。義彦も薬を始めて一週間でムスコの固さが違ってきたとか言って喜んでるべ。正造、おめえん家の健三も跡取りまだだろが。試してみろや。」

 村岡家にも子供が出来ないことを知っていて、三郎は今度は村長に矛先を向けた。

「バ、バカな。おらは嫌だね。大体あいつら信用できねえ。勝手に土地を買い漁ったり、怪しげな集会なんぞ開いたり。」

「何言うだか。レジャーランドの建設を誘致したのはおめえだろが。」

 一番気にしていたところを突かれて村長の怒りは頂点に達した。

「うーん、もういい、おら帰る。」

 村長は出された茶に口も付けず、安部家の玄関口に立つと、靴のかかとを踏んづけたまま表に出た。助役も慌てて後を追った。


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