第4話 過疎化
翌日、その日の診療を終えた隆と彩は村役場を訪れた。村役場は村のほぼ中央、バス停からすぐのところにあった。村で唯一の鉄筋コンクリート造りの庁舎はわずか三階建てではあったが、この村の中では一際目立つ建造物であった。二人は役場の入口を入ると、すぐに二階の住民課に向った。
「あれー、彩ちゃんでねーの。どうしただ。」
二人が声を掛ける間もなく、受付の奥から声がした。ここの村では村人全員が多かれ少なかれ顔見知りである。特に、診療所の若い看護師ともなると、村の人気者であった。
「あのー、住民台帳と、それと出来れば人口動態……。」
彩はそう言いかけて言葉を詰まらせた。
「人口動態統計。」
傍らから隆がフォローする。
「そう、人口動態統計っていうのを見たいんですけど。」
男は彩の要求には答えず、眼鏡越しにじろりと隆を観察した。
「こつらは?」
「ああ、うちの診療所の新しい先生。」
「に、丹羽隆と言います。よろしく。」
隆は突然彩に紹介されて慌てて挨拶した。
「そりゃ、彩ちゃんの頼みとあらば何でも見せるけんど、でも一体そしたものどうすんだ。」
男は訝るように尋ねる。
「この村の人口の増減について詳しく知りたいんです。少し気になることがあるもので。」
隆は勢い込んで説明する。しかし、初めての相手に男はますます用心深くなった。
「部外者に見せるにゃ、村長の許可がいるでな…。」
「おじさん、そこを何とか。」
彩は口説き落とすように声を和らげる。しかし、男はなかなか首を縦に振らなかった。そうこうしているうちに、上の階から一人の白髪の男が下りてきた。
「彩ちゃんでねえの。どうすた。」
この人物も彩をよく知っているようであった。診療所の看護師であれば、少なくとも一度や二度誰もが見かけたことがあるのであろう。
「住民台帳と人口動態統計を見たいんですけど。」
彩は今度は間違わずにはっきりと言った。
「お願いします。」
傍らから隆も頭を下げる。
「こつらは?」
白髪の男は、ちらりと隆の方を一瞥すると、また同じ質問をした。
「うちの診療所の新しい先生です。」
彩は改めて隆を紹介する。
「丹羽隆といいます。」
隆は先程と同じように答える。ところが、その一言を聞いた途端、今度は男の表情がさっと変わった。
「それじゃ、こつらが大先生の後任の、新しい先生。」
「そうです。」
「いやいや失礼しました。先生、村長の村岡正造でございます。」
村長は満面の笑みを崩して挨拶した。それから、どうぞとばかりに自らが先に立って三階の村長室の方へと二人を誘導した。もう七十過ぎであろうか、少し腰が曲がり始め階段を上がるのも辛そうである。村長にしてはやけに威厳のない人の良さそうな好々爺であった。
村長室は三階の南側にあった。南に面した窓からは遠くまで山々が見渡せ、明るい陽射しが眩しかった。先に立って入った村長は、二人にソファに座るように促す。隆はゆっくりとソファに座ると、徐に部屋の中を観察した。
部屋の奥には黒光りのする村長の執務机が置かれ、その上当たりの壁には歴代の村長の写真が飾られていた。一番左端が村岡現村長の写真である。もう何期も勤めているのであろうか、写真の村長は随分と若く見えた。
さらに中を見回した隆は、壁際に置かれた書棚の中に「野辺山銀山百年史」という表題の付いた分厚い本を見つけた。長らく開かれた形跡のないその一冊の史実書が、この村のかつての繁栄の跡を一人寂しく物語っているようであった。
「それで、ご用の向きとは。」
村長はゆったりと二人の前に座ると、徐に尋ねた。
二人は昨日の診療所でのいきさつ、最近の若い夫婦の不妊の実態、そして人口推移の調査をしたいことなどを順序立てて説明した。一頻り頷きながら聞いていた村長は、聞き終わるとゆっくりと口を開いた。
「そうですか。わだすも前からちとは気になっておったんです。最近子供が出来ねえっていう家が増えて。だども、大先生は大丈夫だって言うし。」
そこで村長は一呼吸置くと、やがて意を決したように承諾した。
「折角ですから、調べてもらいましょう。何でも必要なものがあったらおっしゃって下せえ。」
村長の鶴の一声で、資料は隆と彩の目の前に山積みされた。二人には三階にある会議室が用意された。資料はダンボール箱で五箱。いつ頃から不妊の問題があったのか遡って調査する必要があったため、出来る限り古い資料まで全て閲覧することにした。
隆と彩は慎重に用意された資料を繰り始めた。最近の五年分は、流石にこのような田舎の村でも、パソコンによるデータ処理がなされていたが、それより古いものはまだ手書きの台帳であった。
隆は用意してきたノート型パソコンを使って集めたデータを入力していく。一枚繰っては書き、また一枚繰る。そんな作業か丸二日間延々と続いた。最も古い資料は終戦後間もない頃にまで遡ることが出来た。物持ちがいいのはさすが役所である。
隆は人口統計を見て驚いた。女将が言っていたことは嘘ではなかった。銀山が閉鎖される前、昭和三十年頃までは、この村の人口は約二万人もあった。最近のところは二千人と少しであるから、その十倍近い人がこの村に住んでいたのである。恐らくほとんどは銀山の関係者とその家族であったのだろう。隆は改めて過疎の進み具合が凄まじいものであったことを実感した。しかし……。
「やっぱり思った通りだった。」
隆は嘆息交じりに呟いた。傍らから彩もパソコン画面を覗き込む。画面には人口の減少を二つの要因に分解したグラフが描かれていた。一つは人の転出入による増減、今一つは人の生死による増減である。銀山が閉鎖されたのは昭和三十二年、それから高度成長時代の昭和四十年代にかけては人の転出による人口減少か大きかった。銀山関係者の離職、新たな職を求めて都会に出て行った者も多かったのであろう。データは典型的な過疎の実態を示していた。
「ほら、この辺りからだ。」
隆はパソコン画面を指差しながら、彩を手招きした。
「問題は昭和五十年代の中頃からだ。人の流出による人口減少は止まったけれど、その後も人口の減少が続いている。明らかに出生数の減少が原因だ。それまでは人口流出の影響が大きかったためカムフラージュされてしまって、誰にも実態が分からなかったんだ。でも、こうやって転出者数が減るとはっきりしてくる。少子化による過疎への影響は予想以上に大きいかもしれない。ほら、昭和五十一年以降は、出生数が傾向的に死亡者数を下回り始めている。」
彩は俄かには隆の言うことが信じられなかった。しかし、言われてみれば思い当たる節がないわけではなかった。自分には弟がいたため、それほど不自然さを抱いたことはなかったが、同級生の中には一人っ子の家も少なくはなかった。そして最近では、子供のいない世帯も……。
「でも、出生数が減ったのは、村の若い人の数が減ったからでしょう。」
彩は尋ねた。なるほど道理である。新しいカップルが生まれなければ子供も生まれない。しかし、隆は彩の問いにも答えを用意していた。
「確かにその通りともいえるかもしれない。でも、出生者の数を婚姻数と比較してみるとよりはっきりする。三十年以上前までは出生者の数は婚姻数の約三倍あった。つまり一組の夫婦が平均して三人の子供を生んでいたことになる。ところが、昭和四十年代以降その数は急激に減り始め、五十年より後は一倍を切っている。つまり一組の夫婦に平均して一人以下の子供しか出来ていない。この出生率は全国平均すら下回ってる。」
合計特殊出生率は一組の夫婦が一生の間に生む子供の数であり、二以上であれば人口の減少は起こらない。最近は全国的にも出生率の低下が問題となっており、厚生労働省の人口統計では直近の合計特殊出生率は一・三となっていた。しかし、この村の出生率は一をも切ろうかという低いレベルであった。未だに多産が良しとされる寒村において、この水準はやはり異常である。
「やはり何かおかしい。もっと徹底的に調べた方がいいかもしれない。」
隆は大きくため息をついた。彩は黒雲のように沸き上がる不安に駆られて、無言のままパソコンの画面を凝視していた。
翌日午後、その日の診療を終えた隆と彩は調査の結果を村長に報告するために村役場を訪ねた。
「あれ、あれは誰かしら。」
役場の少し手前で、二人は黒塗りのハイヤーに乗り込む人影を見かけた。このような過疎地の村でハイヤーを見掛けること自体が大変珍しいことであったが、二人がさらに驚いたのは走り去るハイヤーに向って深々と頭を下げる村長の姿であった。村長の傍らでは助役も並んで頭を下げている。余程のVIPなのであろうか。二人は村長に近付くと声を掛けた。
「こんにちは、村長さん。今のは?」
その声に頭を上げた村長は、隆の顔を見るなり笑顔で答えた。
「あ、これは先生。いや、先程の方は東京のベンチャー企業のユニバー……。」
と言いかけて、村長は言葉に詰まってしまった。傍らから助役が助け船を出す。
「ユニバーサル・プランニング社です。」
「そうそう、そのユニバーサル何とかの専務さんで、あの銀山の廃坑跡にレジャーランドを建設するとかいう話で、わざわざ東京から来られただ。」
村長は、二人を役場の中へと案内しながら説明した。
「レジャーランド?、ですか。」
隆は思わず聞き返した。このような山奥に一体何を作ろうというのか。一昔前のバブルの頃であれば、日本全国でそういう華やかな話もあった。しかし、バブルがはじけた今、一体どこの誰がそんな物好きな計画を立てるのであろうか。
二人は村長に促されながら村長室へと入る。隆はそこで応接セットの上に散らかされたままになっていた計画書を見つけた。つい先ほどまでその専務さんとやらが、ここで村長に新しい計画の説明をしていたのであろう。飲みかけの湯茶が湯飲みの中で冷たくなっていた。
「これですか、そのレジャーランドというのは。」
隆は計画書を手に取ってパラパラと繰ってみた。鮮やかにイラストされた説明書には、「野辺山銀山マインランド(仮称)」というタイトルとともに、計画の全容が記されてあった。
鉱山の廃坑を利用した鉱山博物館に始まり、ホテル、レストラン、コンサートホールまで坑内に建設するという内容であった。銀山の廃坑は総延長は百キロメートルに及び、深さは地上百メートル、地下二百メートルにまで達する。坑内の気温は一年を通じて八度前後で変わらず、まさに天然の空調を利用した壮大なレジャー施設である。夏はキャンプ、冬はスキーと組み合わせれば、一年を通じて多くの人が遊べる施設になると思われた。
「そうそう。本当にありがでー話だ。こんな見捨てられた廃坑、もうどうにもなんねえと思ってただが、頭は使いようだで。これでたくさんの観光客が来てくれれば、過疎の対策にもなる。こん村が生まれ変わるんだべ。」
村長は満面の笑みを浮かべて、自慢気に話す。鉱山の廃坑を利用したレジャー施設は全国にも数多く存在する。栃木の足尾銅山、兵庫の生野銀山などは、今でも廃坑跡を利用した観光施設となっている。かつて山の男たちが一攫千金を狙って、命を懸けて働いた鉱山の跡地というのは人々のロマンを掻き立てるらしい。
なるほど舞台は揃っていた。しかし、なぜ廃坑になって四十年も経った今になって、しかも全く見も知らぬ東京のベンチャー企業が、である。隆は一抹の不安を禁じ得ないでいた。
「村長さん、こんな時に済みませんが、例の調査の結果なんですが、何やらとんでもないことがこの村で起きているらしいんです。」
隆は一週間かけて調べ上げた村の人口動態についての所見を披露した。あまりに突然の話で、村長は今一つ事の次第がよく飲み込めない風であった。隆はさらに話を続ける。
「村長さん、この件、もっとよく調べさせて欲しいんですが。」
「もっと調べる?」
「ええ、村の若い人に協力してもらって精液の検査をするんです。もしそれで異常があれば、その原因をさらに調査することになるかもしれません。水質、土壌など環境汚染物質がないかどうかを調べるんです。」
しかし、それを聞いた途端、村長の顔色が変わった。
「そ、そりゃあ、だめだ。」
「えっ?」
隆は思わず聞き返した。
「だめ、絶対だめだ。こんな大事な時に、そんな変てこりんな噂が立ったら、レジャー施設の計画は破談になっちまうべ。」
村長が言うのも道理であった。原因不明の病気が村に蔓延していると分かると、レジャー施設の誘致どころではなくなる。金の卵はたちまち腐った卵に変わりうるのである。
「でも村長、そんな悠長なこと言ってていいんですか。村の将来にとっても大変なことが起きてるかもしれないんですよ。」
「だめだったら、だめだ。」
そんな隆の説得にも聞く耳持たぬという風で村長は首を横に振る。隆は、これ以上どう話をしていいやら分からず、途方に暮れてしまった。その時、やにわに彩が口を開いた。
「村長さん。健三さんのことだけど、この前診療所に来られたんです。」
「えっ、健三が。何でだ。あの子どこか悪いのかえ。」
村長は急に真顔になって聞き返した。
「健三さん、結婚して三年まだ子供が出来ないって、お嫁さんと二人で…。」
それを聞いた村長は、跳び上がらんばかりに驚いた表情をして見せた。
「知らねかった。あの子が。おらずっとひ孫さ出来るの楽しみにしてて、いつもまだかまだかと聞いてただ。それが、こんなことになるだなんて。」
村長は腕組みをしたまましばらく考え込んでしまった。自分の孫の不妊と村のレジャー施設と、どちらが大事が天秤にかけているようであった。どれほど時間が経ったであろうか。村長は放心状態のままポツリとつぶやいた。
「先生、お願いしますだ。」
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