第11話 村長選挙

「うーむ、そげなことに……。」

 村長は渋い表情で頭を抱えた。隆は集会に参加した結果を村長に報告に来ていた。

「ええ、参加していた村の若い人たちは凡そ五十人位でした。」

 隆は集会所の様子を思い出しながら説明を続ける。

「話の内容は馬鹿げてはいますが、DNAだの遺伝だの専門的な用語を使って、巧みに村の人たちを騙しています。舎利子と呼ばれている男は年格好は五十過ぎで、話している様子からしてかなり薬学か医学の知識があるようです。それと人心を操る術も心得ているようです。」

「うーむ。」

 村長はますます表情を険しくして呻き声を上げた。

「でもこの男の話に根拠はありません。不妊が遺伝やDNAの欠陥によって起こるなどという学説は聞いたこともありません。」

 隆は胸を張って否定するが、村長の不安は収まらなかった。

「だども、あの男が調合した薬を飲んで赤子さ出来た家もあるで…。」

「それは偶然です。村の人たちの精子の数は平均より少ないというだけで、全く子供が出来ないという状況ではありません。たまたま薬を飲んだ時期と、運よく子供が出来た時期が重なっただけです。あいつらはそれを単に宣伝に利用しているだけです。薬のおかげで子供が出来たと信じ込ませているだけです。」

 隆は何とか村長の不安を払拭しようとするが、村長の顔から陰は消えなかった。そこへ助役が血相を変えて駆け込んできた。

「そ、村長、大変だ。」

「な、何だべ。今先生と大事な話をしてるだ。」

「だども、村長、これ。」

 助役は、今封を切られたばかりの一通の封書を差出した。怪訝そうな顔つきで封書を手にした村長の傍らから、助役が説明を続ける。

「ユニバーサルプランニング社が解散した。」

「解散?」

「ああ、わだすも少し気にはなったんで、東京の司法書士事務所を通じてあの会社の登記簿謄本を取り寄せたんだが、二週間前に会社を解散しておった。」

 村長はプルプル震える手で謄本を繰る。登記事項の欄には間違いなく「登録抹消」の字が躍っていた。日付は八月十日、二週間前である。

「解散って、だども工事が始まってまだ半年も経っていないだ。そりがなして…。」

 と言いかけて、村長はあっという小声を上げた。

「ま、まさか。」

「そう、そのまさかだ。俺たち騙されたんだべ。最初からマインランドの計画なんかなかったんだべ。」

「だども、誘致計画の承認の折にはきちんと調査もして…。」

 村長はまだ信じられいという表情で、助役から色よい返事を待った。しかし、助役の口から出てきた言葉は冷たいものであった。

「確かに書類は揃ってたさ。会社の登記簿謄本、開発計画書、資金計画書…。だども、誰一人として裏付けの調査はしていなかったでねえか。過疎対策になるって、村長の鶴の一声で全部が決まって…。」

「ええい、全部わしのせいにするのか。おめえだってたいそう喜んでたでねか。」

 二人は掴み合いを始めんばかりに睨み合った。

 マインランドの計画と称して銀山跡地に多くの人足が移り住み、やがては村の若い人を集めては不妊治療の集会を開いたり、物事は全く予期せぬ方向へと動き出していた。隆は何やらとてつもない謀計に巻き込まれていくような嫌な予感に襲われた。


 二週間後、その隆の不安は的中した。

「り、立候補だと。」

 村長室に素っ頓狂な村長の声が響き渡った。今日は野辺山村村長選挙の公示日であった。村役場の一階に設けられた選挙管理委員会の窓口にはほんの申し訳程度の貼り紙がなされ、朝から立候補者の受付が行われていた。

 といっても従来、立候補者はいつも一人、村長は代々村の盟主である村岡家と安部家のどちらかの人間が勤めるというのは半ば常識となっていた。村長選挙はいつも無風。そもそも立候補者が一人しかいないため、選挙自体がいつも無投票で決していた。

「一体誰だべ、その福山真とかいうやつは。」

 村長は不快感を露わにして尋ねた。

「詳しくは今調べさせているだが、届け出の住所は山里になっているだに、恐らくはあの銀山跡地じゃねえかと。」

「銀山跡?」

 村長は眉をひそめてじろりと助役を睨み返した。助役は目のやり場に困って一瞬戸惑ったが、タイミングを見計らったように村長室のドアをノックする音が聞こえた。ドアがガチャリと開く音がしたかと思うと、選挙管理委員の女性職員の顔がひょいとドアの隙間から覗いた。

「ああ、ご苦労さん。」

 助役はその職員から一枚の紙を受取ると、そそくさと村長の前に戻った。

「福山真、五十歳。住所は静岡県西伊豆郡新島村となってるだ。」

「人足の一人だべか。だども、なして静岡の人間がわざわざこんな山奥の村の村長選挙に立候補しなきゃなんねえんだ。さっぱし解らん。」

 村長はひたすら小首を傾げる。助役も押し黙ったまま、村長と膝を突き合わせて立候補の届出書に見入っていた。

「どんなやつかは知らんが、大勢に影響はないべ。そんな新参者が勝つわけがない。」

 村長はソファに仰け反るように、自信たっぷりに言い放った。

「そ、それが、そうも簡単には…。」

 助役は村長の言に水を差すのを恐れるかのように小声で何かを言いかけた。

「ど、どういうことだ。」

「銀山跡に移り住んだ人足たちの数は凡そ千二百、いずれももう選挙権が発効してるだ。」

「げっ、そげにか。なしてそんなにポンポンと…。」

 村長はそんな話は今初めて聞いたとばかりに、目を丸くして驚いた。

「だって、レジャーランドの誘致をしたのは村長だべ。村長も初めは人口が増えた、過疎が止まるって喜んでいたでねえか。」

「そりとこりは、話が違う。今は村長選挙の話をしてるだ。そんでも、まだおらの方に分があるだ。村側の有効票は一千五百、村の人間がきちんと投票すれば負けることはねえ。」

 村長は蒼ざめた顔で、何とか色よい相づちを助役から引き出そうするが、助役の返事はさらに冷たいものであった。

「そう簡単でねえだ。川上から奥は昔から反村長派だ。あすこの百票は期待出来ねえ。いやむしろ敵票になるだ。それに、例の集会のことも気になるし。」

 「集会」と聞いて、村長は安部家での話を思い出した。毎週日曜日になると、子供の出来ない村の若者たちを集めて、集会が開かれている。一体、そこでどんな話がなされているのか。そして何人の村人が安部家のようになってしまったのか。

 次第に旗色が悪くなっていくのを感じて、村長のイライラは頂点に達してきた。既に灰皿の上には煙草の吸い殻が山積みになり、村長室の中は目が痛いほどに煙草の煙が充満していた。村長は思い出したようにがばりと立ち上がると、大慌てでドアの方へと向った。

「そ、村長。どこへ行かれるだ。」

「決まってるべ。票固めだ。」

 村長は一言言い残すと、階段を駆け降りて行った。


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