第10話 洗脳集会

 翌日、村の診療所。

「先生、お願いしますだ。」

 村長は、深々と隆に向って頭を下げた。

「そうですか、そんなことが…。」

 隆は一通り村長の話を聞き終わると、腕組みをして考え込んでしまった。隆の調査では不妊の原因はどうやら村人の飲料水と関係がありそうなことが判明した。しかし、その結論が出ないうちに、何やら怪しげな薬が村人たちの間に広まり始めているという。

 隆は、赴任後これまでに起きた一連の出来事を一つ一つ思い出してみた。村の若者たちの間に広まる不妊の現状、銀山跡地で起きたあの怪しげな落盤事故、そして銀山跡地での集会や不妊治療の薬…。

 隆には、これらの一連の出来事が全く無関係ではないように思えた。何よりもレジャーランドの建設会社がなぜ不妊治療の薬など売ったりするのか。しかも法外な値段でである。さらには村の土地を買い漁っているという。一体あの土地をどう使おうというのか。謎は深まるばかりであった。

 日曜日の午後六時、村の若者たちが三々五々銀山跡地のゲートを潜り抜けていく。隆は人目をはばかるように受付の前に立った。

「ご苦労様です。こちらに名前と連絡先をお願いします。」

 受付には、この山奥の廃坑には相応しくない若い女性が二人立っていた。しかも隆が驚いたことには、いずれも一見して異国の人と思われた。顔つきや骨格からするとアジア系のように見える。言葉の抑揚がおかしいのですぐにそれと分かった。しかし、一体なぜこんな場所に。

 受付を済ませた隆は、集会所のある事務所の建物に向った。隆にとってここへ来るのは二度目であった。この前は落盤事故の騒動の最中でよくは観察できなかったが、改めてゆっくりと銀山跡地を見回してみると、なるほどその広大さが改めて実感された。事務所建物の奥行きは百メートルはあろうか。山裾に沿って長々と建てられた建物の奥にはさらに別の棟が見える。古びた煙突は恐らく精錬所の跡であろう、巨大な矩形の建物の上にニョッキリと煙突がそびえ立っていた。さらにその奥の方には、工事人足のための住まいであろうか、新しく建てられたプレハブ住宅が数十棟、レンガ造りの建物に威圧されるような格好で並んでいた。

 なるほどこれは一つの街である。高い塀に囲まれたこの場所は、一万人からの人間が自給自足できる要塞のようであった。ただ、工事の方はこの前来た時に比べてさして進んでいるようには見えなかった。銀山への入口前は同じように高い鉄製の扉で封鎖され、工事用の車両が出入りしている様子もない。無気味な静けさに支配されていた。

 隆は案内されるままに事務所の建物の裏手に回り、集会所の中へと入った。集会所は昔使われていたものに少し内装の手入れをした程度の簡素なものであった。百人は入れると思われる講堂は、板張りの壁と床がところどころ継ぎ接ぎになっていた。唯一照明器具だけが新しいものに取り替えられ、古ぼけた部屋の中で浮き上がって見えた。

 隆は真ん中より少し後ろの席を取ると、ゆっくりと正面の演台を観察した。公聴席より少し高くなった演台の上には、マイクがしつらえられ、ミネラルウォーターの瓶とグラスが並べて置かれていた。開講までまだ少し時間があったが、既に二十名ほどの村の若者たちがめいめいの席を占めていた。約半数が隆の精液調査に参加した若者たちであった。

「おんや、先生でねか。先生もややさできねえんで。」

 その時、隆は不意に後ろから声を掛けられた。見れば、隆の初診療の日に診察を受けに来た男が隆の斜め後ろの席に座っていた。

「いや、その。特にそういう訳ではないんですが、一度どんな話をされるのか聞いてみたいと思いましてね。」

 隆は突然声を掛けられたので少し答えに窮して、口から出まかせの答えをした。村長の依頼で調査をしているとは到底言えるような雰囲気ではなかった。

「いや、そりはありがてーお話だそうだ。こん前は聞いている半分近くのやつが涙さ流してたとか。」

 男は、講義が始まるのを待ち切れないとばかりに身を乗り出して、隆の耳元でつぶやいた。隆は、ああ、と思った。これは一種の洗脳かもしれない。若者たちを集めては、巧みな話術で人の気を引きつけ、自らの思想を植付けてゆく。

 人という動物は不思議なものである。一人で話を聞いているとどうということのないことでも、大勢の中で聞いていると全然違って聞こえてくる。周囲の人間が頷き、鉛筆を走らせると、自分もその気になる。隣の人間が涙すれば、自分までが悲しくなる。恐らく講演者は集団心理を操る術を心得ているのであろう。

「舎利子様のご入場です。」

 その時、後ろの方で大きな声がした。一瞬にして場内は水を打ったようにシーンと静まり返った。隆はチラリと後ろを見やった。「舎利子様」、以前廃坑の中で聞いた名である。あの時、あの男たちは確かに舎利子様に逆らったら只では済まないと言っていた。舎利子とは一体何者なのか。

 その答えはすぐにやってきた。講堂の後ろの扉が開き、一人の男が入ってきた。年格好は五十過ぎか、少し白髪の混じった髪に、立派な顎鬚をおいている。紺色の作務衣を身にまとった姿恰好は、どこかの山寺の修行僧を思わせる。

 男は聴衆の方を顧みることもなく、ゆっくりと演台へと向かう。まるで周囲から隔絶された自分だけの空間を突き進むかのように、滑らかに足音も立てずに歩く。不思議なことに、演台が近付くにつれ男の姿がだんだんと大きくなっていくように感じられた。やがて演台の上に立った男は、ゆっくりと聴衆の顔を見渡すと、徐に口を開いた。

「皆さん、ご苦労様です。ようこそお越しになられました。」

 声は五十とは思えないほど張りがあり、人を説得する力に満ちていた。聴衆は、この男の声を一言一句聞き漏らすまいと身構えた。

「今日は、皆さんを取り巻く輪廻転生の法則についてお話したいと思います。」

 隆はやはりと思った。「輪廻転生」は仏教用語である。この集会は初手から宗教の匂いがする。この男は何か怪しげな宗教講話で村の若者たちを洗脳しているに違いない。科学が発達した現代社会においても、未だに神秘性に満ちた新手の新興宗教が隆盛である。特に、このような山奥の村では神掛かり的な話は受け容れられやすい。

 しかし、そうした隆の予想は間もなく裏切られた。

「皆さんは輪廻転生とは一旦死んだ人が生まれ変わることだと思ってはいませんか。でもそれは大きな間違いです。一旦死んだ人が生き返るなどという非科学的なことは起こり得ません。誤解のないように最初に申し上げておきますが、これからお話することは全て科学的根拠に基づく事実です。宗教とかそういう類の話ではありませんから、もしそういう話を期待している方がおられれば今すぐご退場ください。」

 科学的根拠に基づく話と聞いて、隆の好奇心は一気に高まった。一体、この男は何をどう説明しようというのか。

「皆さんは、ご自分がどこから来て、そしてどこへ行こうとしていると思われますか。なぜ自分が今ここに存在し、そして生きているのか。」

 男は、ここで聴衆に考える時間を与えるかのように、巧みに間を置いた。

「そうした単純な疑問に対する答えが見つからないために、人は都合よく輪廻転生などという言葉を生み出したのです。つまり自分の生まれ出る前には前世があり、そして死んだ後には後世がある。自分は前世からの生まれ変わりであり、そして後の世にも姿形を変えて存在し続けると、人は考えたのです。その方が無知なる人間を納得させるのに都合がよかったから、そういう言葉が編み出されたのです。宗教とは所詮そういうものです。私は宗教者でも、指導者でも、教祖様でもありません。純粋に科学的に真実を皆さんにご説明しましょう。」

 隆は自分がとんだ思い違いをしていたのではないかと感じた。どうせ怪しげな説法で村の若い者をだまし、高額のお金を巻き上げたに違いないと思っていた。それがどうも少し様子が違う。今目の前にいる相手は、少なくとも自分が思っていたよりも手強そうである。隆は黙って話者の次の言葉を待った。

「輪廻転生するのはあなた自身ではなく、あなたのDNAなのです。」

 男はずばり主題に切り込んだ。

「あなた方は今のご両親から生まれました。つまりあなたの前にあるのはあなた自身ではなく、あなたのご両親なのです。ご両親のそのまた前にはおじいさん、おばあさんがいます。そしてさらにその前にはご先祖様が……。これらを全てつないでいるものはDNAなのです。DNAは遠い遠い大昔から、そう何億年という昔から延々と生命というものをつないで来ました。最初はごく小さいバクテリアのような生き物でした。それがだんだんと進化し、複雑化して今日の私たちの体を造り上げたのです。神様が創ったとか、他の何かから生まれ変わったなどという話は全く馬鹿げています。全てはDNAにより造られているのです。そう、輪廻転生するのはあなた自身ではなく、DNAなのです。」

 隆はなるほどと思った。全くその通りである。人の体はゲノムという設計図から造られる。このゲノムとはDNAを総称したものである。この男の話は極めて科学的であり、嘘偽りのない真実であった。

 しかし…。隆はそっと周囲の聴衆を見回してみた。隆が予想した通り、村の若者たちは一様に理解しているようには見えなかった。ポカンと口を開けている者、しかめっ面で小首を傾げている者、皆めいめいの顔でボーッと話者の顔を見詰めていた。この者たちにとっては、生命科学の話も難解な宗教講話もさして変わらなかった。頭の中を混乱させるには十分てあった。

「人の体は約六十兆もの細胞から出来ています。皆さんの体も細かく分解していくと、目にも見えないごく小さい細胞に過ぎません。この細胞の一つ一つにDNAが入っています。DNAは自らを複製することで増えていきます。あなた方の体をどんどん昔に遡っていくと、赤ん坊になり、そして母親のお腹の中の胎児となり、さらに遡っていくとたった一個の受精卵に行き着きます。顕微鏡でしか見る事の出来ない小さい小さい一粒の細胞から皆さんは生まれてきたのです。」

 隆のように医学の心得のある者にとっては基礎中の基礎の話であったが、素人の頭を混乱させるには十分であった。そして、この後男の話は意外な方向に展開していくことになる。

「ところがこのDNAに欠陥があると、受精自体がうまくゆきません。全く変わらないはずのDNAも長い長い年月の間に少しずつ傷つき、そして変化してゆきます。この変化が小さいうちは問題はないのですが、やがてそれが修復不能なほどに拡大すると受精にも支障を来たすようになります。皆さん、なかなか子供が出来ない方、それはあなた自身のDNAに問題があるからなのです。」

 この一言で場内は急にザワザワという声に包まれ始めた。不妊の原因がDNAにある。もっともらしい説明であったが、隆にはすぐにそれが嘘だと分かった。不妊の原因はこの村の男性の精子数が少ないからであり、DNAの欠陥が原因ではない。DNAの欠陥を原因とする不妊があるという報告は聞いたことすらない。しかし、無知な若者たちを騙すには十分すぎるほど効果があった。

「皆さんのDNAがどのようにして傷ついたかは定かではありません。ただ、こうした山奥の過疎地の村ではよくあることですが、DNAの近しい者同士が長年にわたって結婚を繰り返していると、DNA欠陥を生じやすいことがわかっています。皆さんの周囲を見回して見てください。ご親戚やお友達の中にいとこやはとこで結婚されている方はいませんか。いえ、別にいとこでなくても構わないのです。お互い全くの赤の他人と思っていても、江戸時代くらいまで遡れば近しい血縁だったかもしれません。そう、皆さんは知らず知らずのうちに近親結婚を繰り返し、そして自らのDNAを傷つけ続けてきたのです。」

 先程のざわつきは一層大きくなり、マイクを通した話者の声もよく聞こえないほどになった。ざわつきの高まりに合わせるかのように、隆のテンションも高まっていった。この男は、こうした小賢しい嘘を並べて村人たちを騙しては、高い薬を売りつけていた。これは詐欺ではないか。隆が思わず立ち上がろうとしたその時、若者の一人がれを遮った。

「舎利子様、わしたちどうすればいいんで。もう直らないんですかえ、そのぶっ壊れたデーエヌエーとかいうやつ…。」

 聴取の一人が突然立ち上がって興奮気味に声を上げた。他の者も同調して頷いた。

「いえ、そんなことはありません。傷ついたDNAを修復するお薬があります。古代インドから不妊の治療薬として使われてきた薬草の中のある成分がDNAを修復する作用があることが分かりました。この薬を特別にここにおられる皆さんのために…。」

 その瞬間、隆の堪忍袋の緒が切れた。

「ちょっと待って下さい。」

 隆は立ち上がると、場内のざわめきを抑えるかのように、一際高い声で叫んだ。場内は一瞬にして静まり返り、聴衆全員の視線が一斉に隆の方に注がれた。

「皆さん、騙されないで下さい。皆さんに子供が出来ないのはDNAが悪いからではありません。皆さんの精子の数が少なすぎるのが原因なのです。今、その原因を調べていますからもう少し待って下さい。」

 隆は場所柄も忘れて、全員の前で自説をぶちまけた。

「誰ですか、あなたは。」

 演台の男は鋭い視線を隆の方に向けると、詰問調で尋ねた。

「せ、先生。なして先生がこげなとこに?」

 隆が返答する前に、村人の一人が声を上げた。

「先生?、それじゃ、あなたが村の診療所のお医者様。」

 男は「先生」と聞いて、すぐに村の診療所の医者と気付いたようであった。その瞬間、入口近くに控えていた男どもが二~三人隆の方に駆け寄ろうと身構える。

「待て。」

 演台の男は片手を上げて、男どもを制した。

「私の言うことが正しいか、先生のおっしゃることが正しいか、どうですか村の人たちに聞いてみませんか。」

 男は自身たっぷりに不遜な笑みを浮かべた。二人はにらみ合ったまま対峙した。緊張の時間が刻一刻と過ぎていく。隆が再び口を開こうとしたその瞬間、村人の一人が拳を上げた。

「先生、出てってくれ。おれたち、あんたには用はねえ。こん前、精子の数を調べるとか何とか言って協力させられたども、あれっ切りだべ。嫁っこや親の前で恥かかされて。だども一向にややさ出来そうにもねえ。な、皆な。」

 その若者は大声で隆に不満をぶちまけた。

「そうだ、そうだ。」

 何人かの若者が同調して声を張り上げた。

「皆さん聞いて下さい。きちんと原因を調べて、治療すれば必ず…。」

 隆は必死になって態勢を挽回しようとするが、後は大崩れとなった。今度は別の若者が立ち上がった。

「黙れや。舎利子様の悪口を言うのは。舎利子様の薬を飲んで赤子さ出来た家もあるに…。先生こそ、怪しいんでねか。わしらの精子を盗んで何に使ったんだ。」

「そうだ、帰れ帰れ。」

 今度は村の若者たちが一斉に立ち上がった。隆は何かを叫ぼうとしたが、声が掻き消され、そのまま講堂の外へと押し出された。唯一人、演台の上の男だけが勝ち誇ったように不気味な笑みを浮かべていた。

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