第2話 姫とナイト

 如月姫紗良きさらの事を知らない人間は、ウチの生徒・教師にはまずいないだろう。


 成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群、品行方正、スタイル抜群。で、尚且つ男性の〝だ〟の字もチラつかない、まさに非の打ち所のない完璧超人だ。


 だからといって、近寄りがたいというわけでもなく、如月先輩の周りには大抵人の輪が出来ており、その中心は言うまでもなく彼女だ。その上、二年生ながら生徒会長まで勤めているというのだから、いやはや関心を通り越して呆れすら覚える完璧ぶりだ。


 自室――として与えられた部屋で、ベッドに寝転び漫画を読んでいると、階下で何やら大きな音とおばさんの大声が聞こえ、続いて階段を勢いよく駆け上る足音が聞こえてきた。そして、その足音は二階に上がりきると、俺の部屋の前で止まり、これまた勢いよく扉が開いた。


「まーくん」


 突然、何かが俺目掛けて飛び込んできた。


 一瞬、避けるという選択肢が頭に浮かんだが、すぐに体を反転させて受け止める方に選択を変えた。多分、あの勢いでベッドに突っ込んだら怪我をする。


「うわ!」


 飛び込んできた人物を何とか勢いを殺しながら受け止め、俺はほっと胸をで下ろす。


 まったく、乙女の柔肌やわはだが傷付いたらどうするんだ。容姿端麗が泣くぞ。


「まーくん、集会中に倒れたって。大丈夫?」


 俺の胸から顔を上げ、きーねぇが心配そうな表情で聞く。


「大丈夫だって。そんな大した事じゃないし、すぐに授業にも戻ったし」

「本当? 嘘いてない?」

「本当。こんな事で嘘吐いてどうするの」

「えへへ。そっか。良かった」


 安堵したのか、まるで子供のように顔を崩して笑うきー姉。とてもこれがあの〝草蓮そうれんの姫君〟と同一人物とは思えない。とはいえ、俺にとってはこっちがきー姉こと如月姫紗良であり、学校の彼女の方が俺には違和感たっぷりだった。特に成績優秀、品行方正という辺りに。


 きー姉と俺は所謂いわゆる従姉弟いとこという間柄である。昔からウチの家族ときー姉の家族は家族ぐるみの付き合いがあり、物心つく前からきー姉と俺はよく一緒に遊んでいた。


 高校を選ぶ時相談に乗ってくれたのも実はきー姉で、登校が楽になるからと自分の家への居候いそうろうも叔父さん叔母さんに自ら頼み込んでくれた。……今思えば全て俺を自分の側に置いておきたいが為の作戦にも思えるが、今更過ぎてしまった事に文句を言っても始まらないし、進学先にも居候先にも不満はないのでよしとしよう。ただ――


「俺は大丈夫だからさ、離れてくれない?」

「なんで?」

「〝なんで?〟って。俺達、もうお互いいい年だし、こういうのは良くないと思うんだよね」


 世間的にも、見た目的にも、後、俺の精神的にも。


「えー。まーくんはお姉ちゃんの事嫌い?」

「うっ!」


 下から上目遣い気味で見ながらの、その質問は反則だ。破壊力が半端ない。


「嫌いじゃない……」

「え?」


 本当は聞こえているはずなのに、きー姉が嬉々とした表情で聞いてくる。


「嫌いじゃありません」

「じゃあ、好き?」


 きー姉の問い掛けに、俺はこくりと頷いた。


「わー。お姉ちゃんも大好きだよ」


 そう言って、きー姉はぎゅっと俺に抱き着いた。その様子を部屋の外から覗く人影が……。


「おばさん!?」


 俺の声を聞いても、きー姉はびくともしない。


「これは、その……」

「ごめんなさいね」


 この状況に対して言い訳しようとした俺に、おばさんが謝罪の言葉を述べる。その表情は本当に申し訳なさそうだ。


「この子、凄い人見知りで、学校ではずっと猫かぶってきたから、そのストレスが半端ないのよね。だから、まーくんにこうやって甘えるんだと思うの。ストレス発散のために」

「はぁー」


 それは高校でのきー姉の姿を初めて見た時に、何となく気付いた。


「もう。お母さん。本人のいる前で人の行動を分析しないの。後、邪魔もしないで」

「はいはい。じゃあ、ごゆっくり」


 おばさんのファイトという声を残し、扉が閉まる。この状況を普通に見過ごすなんて、おばさんも大概たいがい変わっているよな……。


「では、邪魔者もいなくなった所で」


 邪魔者って。この人、今、自分の母親の事、邪魔者って言った?


「まーくんタイムの続きを続行します」


 続きを続行って何? まず、まーくんタイムって何? 何だか、突っ込み所が満載過ぎて頭が痛くなってきた。


「まーくんタイムとは私がまーくんに甘える時間であって、まーくんが私を好きにしてもいい時間ではないんだよ」

「はぁー」


 もうどうにでもしてくれ。


 そして、数分後――


「すみません。取り乱しました」


 反省してベッドの上に正座をする制服姿の女生徒が誕生した。


「気は済みましたか?」

「はい……」


 いつものきー姉にもほとほと困っているけど、今日のきー姉はその更に上を行く暴走具合だった。俺の理性がもったからまだいいものの。


「スキンシップを取るなとは言わないけどさ、何事にも限度ってものがあるよね?」

「はい。おっしゃる通りで」

「今日みたいな事が続くようなら、俺も考えないといけなくなるからね」

「な、何を?」

「引っ越し」


 余分なお金は掛かるが、最終的にはやむを得ないだろう。


「え? そんなー」

「そうならないためにも、きー姉には節度ある甘えをしてもらわないと」

「はーい……」


 肯定の返事をしながらも、先程からちらちらとうかがう視線をこちらに向けるきー姉。


「待て」

「犬!?」


 驚きの声を挙げつつ、きー姉は素直に俺の言葉に従う。視線は相変わらずだが。


 苦笑を浮かべながら。きー姉に近付く。何かされると思ったのか、きー姉は目をぎゅっとつむった。そんな彼女の頭を俺は優しく撫でた。


「きー姉が頑張ってるのは俺知ってるから。ちゃんと、いつも見てるから」

「うん……」


 されるがままのきー姉を、俺は少しの間撫で続けた。




 翌日の休み時間、理科室から教室に帰る際に廊下の反対側からこちらに向かって歩いてくる如月先輩を見つけた。今日はちゃんと隣には内藤ないとう先輩が控えている。


 あちらも俺を認識したらしく、二人の表情が微かに変わる。しかし、その変化もほんの一瞬の事、すぐに何事もなかったかのように二人は談笑を再開した。


 擦れ違いざま会釈をすると、如月先輩は俺にだけ見えるように小さく下の方で手を振ってきた。バレたらどうする気だ、まったく。


「あの二人が並ぶと、さすがに凄い迫力だよな」


 俺の隣を歩く利樹が、振り返りながら言う。

 幸い、利樹に今の遣り取りを気にした様子はなかった。どうやら、バレてはいないようだ。


「まぁ、この学校のナンバーワン、ナンバーツーだからな」


 内心で安堵の溜め息を吐きながら、何食わぬ顔で会話を続ける。


 噂に寄ると、去年非公式に女子の人気投票が有志の間で行われ、見事先輩達を押さえてあの二人が一位と二位になったらしい。今年はまだ行われていないようだが、おそらく結果は変わらないだろう。


「如月先輩は当然のように綺麗だけど、内藤先輩も美人だよな」


 ようやく視線を前方に戻し、利樹が呟くように言う。


 如月先輩には華やかさや可憐さがあるが、内藤先輩にはこう言っては何だがそれがない。如月先輩が花だとすると、内藤先輩は差し詰め刀剣だろうか。研ぎ澄まされた刀のような美しさが彼女にはあった。そんな印象もあってか、内藤先輩は一部からこう呼ばれている。姫を守る騎士――ナイト様、と。


 教室等では如月先輩の周りにたくさんの人が集まっているが、移動中や食事中はその例に漏れる。なぜなら、内藤先輩が近寄りがたい空気を意識的に出しているからだ。二人だけの世界とでも言うべき空気を、切り裂いてまでそこに割って入る強者は今の所いない。というか、周りの人間もその空気を壊したくないのだ。むしろ、遠くから二人の遣り取りをいつまでも見つめていたい。そんな雰囲気があの二人の間にはあった。


「あーあ。もう一年早く生まれてたら、あの二人とクラスメイトになれたかもしれなかったのにな」

「クラスメイトだからってお近づきにはなれんだろ?」

「別にいいんだよ、同じ教室で過ごせるだけで」

「……左様か」


 まぁ、どんなに些細なものでも夢は夢。利樹の夢が叶う事は決してない。


「……そう言えば、お前の居候先に一つ年上のお姉さんがいるんだよな」


 まるで偶然にも今思い出したかのように、利樹が言う。この話題、この流れ、嫌な予感しかしない。


「今度泊まりに行っていいか?」


 やはりか。


「ダメだ、絶対」


 何考えてやがる、こいつ。


「さっきまでの謙虚さはどうした」

「これとそれとは別だ。俺にだって、不可能な事とそうじゃない事の区別はつく」


 俺の従姉いとこと如月先輩が同一人物だという事には、全然気付けていないけどな。


「とにかくダメだ。居候として、ただでさえ肩身の狭い思いしてるんだ。これ以上、俺の気苦労を増やすんじゃない」

「なんだよ、その俺が確実に問題起こすみたいな言い方は」


 そりゃ、起こすだろ。俺の居候先を訪れて、そこに如月先輩が普通にいたら。


「くそー。どうせ、その美人な従姉さんとイチャコラしてるんだろ。まったく。これだからリアじゅうは」


 そう言いながら、利樹はこれ見よがしに肩をすくめてみせる。


「勝手に言ってろ」

「でも、結局、いい思いしてるんだろ?」

「いい思い? そんなわけ――」


 いや、待てよ。


 反射的に否定しようとして思い留まる。


 きー姉には苦労させられ通しだが、はたから見たらその苦労さえも苦労ではないのかもしれない。むしろ、ご褒美と捉える奴の方が多いだろう。


「……さて、早く教室に戻って次の授業の準備するか」


 俺は利樹からのこれ以上の追及を避けるため、無く歩みを速めた。


「おまっ! さては、俺に内緒で一足お先に、大人の階段登りやがったな」

「登ってないわ! ……まだ」

「〝まだ〟だと。それは時間の問題って意味か?」

「利樹。うるさい」

「これが騒がずにいられるか」


 結局、利樹は教室に着くまで騒ぎ続けた。利樹との関係を、見直すべきか考えさせられる休み時間だった。

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