如月先輩

みゅう

第1章 如月姫紗良

第1話 目覚めるとそこは――

「――ここは……」


 ぼやけた視界に映るのは、見慣れないやけに白く高い天井とこれまた白いカーテンと銀色のカーテンレール。ほのかに薬品のにおいもしてくる。つまり、ここは――


「あら、気がついた?」


 開けるわよ、という声がしてカーテンが開く気配がする。そして、女性が俺の顔をのぞき込む。


 綺麗きれいな人だった。髪はショート。顔の輪郭りんかく辺りで切りそろえられた後ろ髪が、女性の動きに合わせて揺れる。目は大きい。ぱっちりと開いた瞳が、俺より大分年は上なのにどこか子供っぽさを感じさせる。


「気分はどう?」

「よく分かりません」

「いいか悪いか?」

「いえ、なぜ自分がここに寝ているか、がです」

「もしかして頭ぶった?」

「さぁ……」


 ここに至った経緯けいいが思い出せないので、それは何とも言えない。

 少なくとも今現在頭に痛みは感じないが、だからと言って頭を打っていない証明にはならないだろう。


「私の事は分かる?」

「養護教諭の丸山まるやま先生……です」

「良かった。分かってくれて」


 そう言うと、丸山先生はにこりと微笑ほほえんだ。その笑顔に、そういう場合ではない事は重々分かっていながら思わず見惚みとれてしまう。


 噂話に耳聡みみざとい奴曰く、丸山先生のファンは生徒教師問わずそれなりにいるらしい。ただ、彼らにも見栄みえがあるようで、丸山先生に変な奴だと思われたくないという思いから、用もないのに保健室を積極的に訪れる等の直接的な行動に及ぶ者は今のところいないという。

 ウチの学校にいる男性諸君が、理性のあるジェントルマンばかりで本当に良かった。


「あなた、倒れたのよ。集会中に」

「倒れた? 俺が?」


 丸山先生の言葉を助けに、記憶を思考の底からサルベージする。……言われてみれば、そんなような気もしてきた。本当にしてきた程度の淡い記憶だが。


「周りの子の話に寄ると、頭は打たなかったっていう話だったけど……いっぺん病院で検査してみる?」

「いえ、大丈夫です。起き抜けで頭が少し混乱しただけですから」

「そう?」

「それより、体起こしたいんですが、いいですか?」

「ああ。ごめんなさい」


 俺に言われ、丸山先生が慌てて俺の上から自分の体を退かす。それを待ち、ゆっくりと上半身をベッドに上に起こした。若干頭がくらっとしたが、一時的なものだろう。


「どう?」

「問題ないです。心配とお手数を掛けて申し訳ありません」

「……」

「何か?」


 丸山先生が見つめてきたため、俺はそう尋ねる。


「え? いや、君っていつもそういう感じなのかなって……。やけに礼儀正しいというか、学生にしちゃ礼儀正し過ぎというか」

「すみません」

「いや、そんな。謝る事じゃ全然なく。むしろ、感心したって感じ? 少なくとも、私はそこまでの振る舞い、君と同じ年代の時には出来なかったもの」

「同級生からは年寄りくさいとよく言われます」

「大人っぽいって事よ」


 そう言って、再び微笑む丸山先生。その笑顔はやはり綺麗だった。


「どうかした?」


 自分を見つめていた俺に、今度は丸山先生がたずねてくる。


「いえ、すみません。あまりに綺麗な笑顔だったもので、見惚れてました」


 俺が正直にそう述べると、丸山先生はそれこそ火が出るんじゃないかという勢いで顔を赤く染めた。


「な、何言ってるの。お、大人をからかうものじゃありません」

「うろたえ過ぎです、先生」

「これがうろたえずにいられますか!」


 なぜか怒られた。


「ですが、これくらいの事なら、先生程の容姿では言われ慣れてるんじゃないですか?」

「そうだけど……。いや、私の容姿が優れてるっていう話じゃ全然なく。なんかずるいわ」

「ずるい?」


 正直に感想を述べただけで、尚且なおかけなしたわけじゃないのに、訳が分からない。


「もういいです。君のそれはきっと無意識でしょうから。それより、これからどうする? もう少し寝てく?」

「いえ、もう大丈夫ですから、行きます」

「そう」


 ベッドから出て、上履うわばきをき、カーテンで囲われた空間から出る。ふと壁の掛け時計に目をやった。十時十分。二時間目の途中だ。


「俺、いつここに来ました?」

「集会のちょうど真ん中くらいかしら? 時間は九時半頃」

「ここに俺を運んでくれたのは?」

「担任の牧田まきた先生が一人でおぶってきたわ。後、女の子が一人付き添いで。確か、保健委員の……」

宮本みやもとさん」

「そう。宮本さん。可愛かわいらしい子よね、あの子。大人しそうで」


 確かに、宮本さんは大人しそうで可愛らしい人だ。保護欲をくすぐられるというか、周りが助けてあげたくなるようなタイプだ。実際、あたふたしている事が多いし。


「じゃあ、俺はこれで。ありがとうございました」

「どういたしまして。また何かあったら来て頂戴ちょうだい。その時はバンバン治療してあげるから。まぁ、保健室にお世話になる事なんてないに越した事はないんだけどね」

「では、今度は丸山先生に会うために保健室に来ます」


 もちろん、そんな事をしたら、学校中のジェントルマンからタコなぐりにいそうなので、挨拶あいざつ代わりの冗句じょうく軽口かるぐちだ。


「本来、保健室はそういう目的で訪れちゃダメな場所なんだけど……。うーん。拒否はしづらいわね」


 丸山先生が困ったように片手を頬にえて首を傾ける。


 いや、教師なら普通に断らなければいけないところだろう。しっかりしていそうで、意外と天然なのか、この先生。


「じゃあ、今度こそ俺は」

「え? あ、うん。気をつけてね。具合が悪くなったら、すぐに戻ってくるのよ」

「はい」


 うなずくと、俺は保健室を後にした。




 二時間目が終わり、休み時間に入る。何人かのクラスメイトが俺の席を囲み、心配をしたというような声を掛けてくれた。それらに俺が笑顔で礼を返すと、騒動は一段落した。


 クラスメイト数名が俺の席から離れ、二人の女生徒だけが残る。


「本当に大丈夫なの?」


 長い髪を頭の後ろで一つに縛った女の子――田口たぐちさんが、改めて俺にそう尋ねてくる。


「うん。もう何とも。心配掛けてゴメンね」

「本当よ。奈緒子なおこなんて、心配過ぎてさっきまでずっと上の空状態だったんだから」

「ちょっと、美弥みやちゃん」


 友人に話の矛先をいきなり向けられ、宮本さんが小さな声で抗議する。宮本さんの髪はセミロング。肩先まで伸びた髪は、少し内向きにカールしている。


「だって、本当の事じゃない。このまま金城かねしろ君が戻ってこなかったら、どうせ休み時間に覗きに行く気だったんでしょ?」

「それは! 保健委員だし、倒れたクラスメイトの様子を確認するのは当然というか……」

「小さっ。声小さっ。ほら、ちゃんと金城君と向き合って」

「え? ちょっと……」


 田口さんに押され、宮本さんが俺のすぐ近くまで来る。


「あの、その、元気そうで何よりです。でも、無理はしないで下さいね」

「うん。ありがとう」


 お礼を言い、俺が笑顔を向けると、なぜか宮本さんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「どうしたの?」

「いえ、あの、失礼します」


 言うが早いか、宮本さんはきびすを返して逃げるように去っていってしまう。


「何か不味まずい事言ったかな?」

「うーん。というか、奈緒子には刺激が強過ぎた、かな?」


 今の一連の流れの、どこに刺激があったというんだろう?


「まぁ、とにかくあんま無理しないように」


 そう言い残し、田口さんも俺の席から去っていく。彼女達と入れ替わるようにして、一人の男子生徒が寄ってきた。


「よぅ。モテモテだな」

「みんな、心配してくれてるだけだよ」

「約一名を除いては、な」


 そう言って、ウィンクをする利樹としき。普通の人がすると滑稽こっけいにしか映らないその動作も、彼がやるとお洒落しゃれに見えるから不思議だ。


 利樹と俺は同じ中学出身で、二年の時は同級生だった。彼との交流は三年になってクラスが変わった後も続き、地元から遠いという事もあり、今ではこの学校で唯一の中学時代から関係が続く友人となった。


「にしても、なんで倒れたんだ? お前、特別貧弱ってわけでもないだろ?」


 利樹の言うように、俺の体の強さは平均並。年に数回風邪を引くぐらいで、それも軽く済む事がほとんどだ。ましてや倒れた事なんて今まで一度もない。


「急な環境の変化に、自分でも知らず知らずの内に疲労が蓄積されてたんだろう」


 疲労の蓄積も意識していればある程度気をつけようがあるが、無意識化のそれは本当にどうしようもない。


「あー。色々と大変そうだもんな、お前」


 うんうん、とまるで同情するかのように利樹が俺の肩を叩く。


 まぁ、確かに今の俺は大変だ。色々な意味で。


 その時だった。窓の外、廊下の真ん中を堂々と歩く女生徒の姿が俺の視界に飛び込んできた。珍しく今日は一人のようだ。


 腰先まで伸びた長い黒髪。これでもかと言わんばかりに伸びた背筋。袖口とスカートから伸びる長い手足。白い肌。整った顔立ち。引き締まった体。見間違えようがない。彼女は――


如月きさらぎ先輩」


 利樹が呟く。その声には若干の疑問が混じっていた。


「珍しいな、あの人が一年の教室しかないこの辺に来るなんて」


 そう。二年生で尚且なおかつつ部活動に所属していない彼女に、この廊下を通る理由はないはず。なのに、なぜ……?


「――!」


 一瞬、如月先輩の視線がこちらに向いた気かした。だが、それもほんの瞬間の事、如月先輩はすぐに視線を前方に戻して何事もなかったかのように、颯爽さっそうと教室の外を横切っていった。


「何だったんだ、今の?」

「さぁー」


 利樹の疑問に、当然俺が答えられるはずもなく、曖昧あいまいな答えを返すのが精一杯だった。

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