第11話 目覚めの――

「保健室で丸山先生とナニしてきたんだよ?」


 一時間目が終わるや否や、にやけ顔の利樹としきが俺の席にやってきた。


 どうやら、俺に何か言いたくて、授業中ずっとウズウズしていたらしく、利樹のテンションは気持ち悪いくらいに高い。


「ぶつかってこけさせちゃったから、保健室まで付き添っただけだ。お前の想像するような事は一切ない」

「ホントにー?」


 うざい。本当にうざい。


「いい加減、そういうゲスい妄想を人前で垂れ流すのは止めろ。教室には女の子もいるんだぞ」


 俺の視線を追って、利樹が振り返る。そこには、宮本みやもとさんが立っていた。


 幸いにも、俺達の会話は聞こえていなかったようで、宮本さんは不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「……さーて、次の授業の予習でもしようかな」


 さすがに、バツが悪かったらしく、利樹はそそくさと自分の席へと戻って行った。


「もしかして、邪魔しちゃった?」

「ううん。ちょうど、どうやって追い返そうか考えてた所だったから、むしろ、助かっちゃった」

「えー。ひどい」


 そう言いながらも、宮本さんの顔は笑顔だった。


 冗談と思われたのか、日頃から利樹に対して宮本さんも似たような事を考えているのか……。両方だな、きっと。


「保健室には、本当に丸山先生の付き添いで行ったの? また具合が悪くなったって事は……?」

「大丈夫。本当に付き添いで行っただけだから。考え事しながら歩いてたら、丸山先生とぶつかっちゃって。いやー、まいったよ」


 とはいえ、悪い事ばかりでもなかったが。


「もう。ダメだよ。相手に怪我させちゃったら大変だし、金城君自身も怪我するかもしれないんだから」

「うん。ホント、反省してる」

「なら、いいけど」


 俺の言葉が口先だけでない事が伝わったのだろう。宮本さんが微笑ほほえむ。


 しかし、その表情はすぐに真剣なものへと変わる。


「金城君、最近、周りで妙な事起きてない?」

「妙な事? 例えば?」

「分かんないけど、そのせいで悩んでるのかなって……」

「……」


 返答に困り、しばし思考を巡らす。


「宮本さんが何を心配してるかは分からないけど、きっとそれは宮本さんのせいじゃないよ」

「――!」


 宮本さんの体が一瞬びくりと震えた。


「金城君、全部知って……」

「知ってはないよ。何となく勘付いてるだけで」


 根拠も証拠もない、ただの予想だ。


「ごめんなさい、私……」

「言ったでしょ。宮本さんのせいじゃないって。いずれバレる予定だったのが、少し早まっただけだよ」

「でも……」

「ま、今後の展開次第じゃ、それどころじゃなくなるかもしれないしね」


 宮本さんの気を引くために、わざと小声で聞こえるように独り言を口にする。


「え? それって……?」

「さぁー」


 この話題はこれで終わりとばかりに、肩をすくめてみせる。


 あまり楽しい話題ではないし、その結果、どちらも損しかしないのなら、別に無理に続ける必要はないだろう。




 ――眠り姫は王子様のキスで目を覚ます。


 ……いや、きー姉はともかく俺が王子様というのは、さすがに無理が有り過ぎるか。


 放課後。いつもより遅く帰った俺が、自室に足を踏み入れると、制服姿のきー姉が俺のベッドで幸せそうに眠っていた。


 本当に無防備というか、警戒心が足りないというか……。


 クローゼットを開け、中からタオルケットを一枚取り出す。


 五月とはいえ、この時間はまだ肌寒い。何も掛けずに寝られて、風邪でも引かれたら大変だ。


 きー姉にタオルケットを掛け――ようとして思わず止まる。


 目の前には無防備に眠るきー姉。スカートから伸びる足。服の上からでも分かる二つのふくらみ。そして、微かな寝息を立てる小さな口。


 知らず知らず、生つばを飲む。


 今なら触れる。そんな邪な考えが頭を過る。


 それに、きー姉なら触っても怒らないかもしれない。


「いやいやいや……」


 落ち着け。落ち着け、俺。寝ている相手に何考えているんだ。最低だぞ。でも――

 一度芽生えた欲望は簡単には収まらず、俺の理性と良心を尚も揺さぶり続ける。


 ――もういっそ、実際に付き合ってしまえばいいじゃないか?

 ――じゃあ、したら?


 二人に言われた言葉が、甘い誘惑となって俺に襲い掛かる。


 自分の意思とは関係なく、体がきー姉に近付く。


 何かに吸い寄せられるように、お互いの顔が近付いていく。


 後、数センチ。

 後、数ミリ。

 後……。


姫紗良きさら―」

「――ッ!」


 階下からおばさんの声が聞こえてきて、反射的に後ろに飛び退く。


 ……俺は一体……。


「姫紗良―」

「……」


 仕方ない。


 部屋を出て、階段の上から顔を出す。


「あら、雅秋まさあき君。ねぇ、姫紗良、知らない? 少し頼みたい事があるんだけど」

「きー姉なら、俺の部屋で寝てますよ」

「……へぇー。なら、いいわ。……おばさん、少し買い物行ってくるから。後よろしくね」

「はい。分かりました」


 もしかして、これをきー姉に頼みたかったのかな?


「少なくとも、一時間は帰らないから」

「はい……」

「一時間は帰らないから」

「……」


 なぜ二回言う? 大事な事なのか?


「じゃあ、よろしくね」


 おばさんがリビングに引っ込んだので、俺も自室に戻る。


「うわ!」


 部屋に入ると、きー姉がベッドの上に体を起こしており、驚く。


 いつの間に起きたんだろう?


「お母さん、何だって?」

「買い物に行ってくるって」

「そう……」


 起き抜けのせいか、きー姉の反応はどこかにぶかった。


「ねぇ、これ、まーくん?」


 そう言って、自分の体の上に置かれたタオルケットを摘まんでみせるきー姉。


 さっき飛び退いた際に、とうやら落としていたらしい。


「うん。一応……」


 掛けようとしただけで、掛けたわけじゃないけど。


「ありがとね」


 タオルケットで顔を隠すようにし、きー姉がお礼を言う。その顔はなぜか赤い。まさか――


 大股で、きー姉に近付く。


「え? 何?」


 突然の俺の行動にきー姉は少し狼狽うろたえた様子をみせているが、そんな事に構う事なく自分の顔をきー姉の顔に近付ける。


「あ……」


 お互いの顔が触れる寸前、きー姉が吐息のような声をらし、強く目をつむる。それを同意と受け取り、俺は自分の額をきー姉の額とくっつけた。


「あれ?」

「熱はないみたいだね」


 ほっと胸を撫で下ろしながら、顔を離す。


「え? その……」

「どうかした?」

「な、何でもない!」


 言うが早いか、きー姉はベッドから飛び降りると、勢いよく部屋から出て行ってしまう。


「……どうしたんだ、ホント。あ!」


 もしかして、寝ているすきにキスしようとしたのがバレた。でも、その割にはすぐに部屋から立ち去ろうとしなかったし。


「うーん……」


 とりあえず、様子見かな? もし俺の予想が当たっていたその時は――


「土下座だな。うん」


 それしかない。

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