第6話 いざこざ

「何も隠してないわよ!」


 トイレからの帰り道、廊下の曲がり角の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 壁に張り付くようにして、曲がり角の向こうを覗き込む。

 昨日会った長峰さんと男子生徒が顔を付き合わせて話していた。ここからでは背中しか見えないが、男子生徒はおそらく佐々木先輩だろう。


 佐々木先輩は、常に落ち着いた物腰と変わらない表情、冷たい物言いが特徴的な長身で細身な男子生徒だ。黒くスリムな眼鏡を掛けている。


「では、なぜそんなにムキになる? 何も隠してないなら、堂々と否定すればいい」

「それは……アンタが言い掛かりを付けてくるからでしょ!」

「言い掛かり、ね」


 どんどんヒートアップする長峰さんとは対照的に、佐々木先輩は冷静な態度を崩さない。むしろ、どんどん冷たさが増していっている感じだ。


「まぁ、いい。証拠はないし、今日の所は引こう。だが、もし君の隠してる――」

「隠してないって言ってるでしょ!」

「もし君が如月さんに害を及ぼす可能性のある情報を隠してた場合、その時は――」

「罰でも何でも受けるわよ」

「その言葉、忘れるんじゃないぞ」


 そう言い捨てるように言うと、佐々木先輩は俺のいる方とは逆の曲がり角に消えて行った。その後ろ姿を、長峰さんはべーっと舌を出して見送る。


「なんで隠すんです?」

「わっ! びっくりした」


 佐々木先輩の姿が完全に見えなくなるのを待ってから、長峰さんの前に姿を現す。


「なんだ、雅秋か」


 声を掛けてきた相手が俺と分かり、ほっと胸を撫で下ろす長峰さん。


「なんで隠すんです?」

「見てたの?」

「はい」


 覗き見した事は後ろめたかったが、ここで隠すと話が進まなくなるので素直に認める。


「私があなたの事を姫紗良様の害にならないと判断したからよ」

「他のメンバーと対立する事になってもですか?」


 親衛隊内部の事はよく分からないが、今のり取りを見ていた限りでは長峰さんはそれなりのリスクを負って俺の事を他のメンバーに隠しているように思えた。


「言い方を変えるわ。私があなたの事を姫紗良様に必要な存在だと感じたから隠したの」

「昨日も説明したと思いますが、俺達、付き合ってるわけじゃありませんよ」

「だから? それとこれとは話が別でしょ?」


 別、なのか……?


「それに、付き合ってないなら、尚更知らす必要ないじゃない。違う?」

「そう……なんですか?」

「そうよ」


 断言されてしまった。


「大体、私、あいつ嫌いなのよね。いつも偉そうだし」


 それこそ、これとそれは話が別なのでは、と思う。もしかしたら、俺の事を話さなかった理由の中には、少なからず佐々木先輩への反感も含まれていたのかもしれない。


「アンタ、さっきの遣り取り見ててどう思った?」

「どう、って……」

「正直に言ってみなさい。只の一生徒のファンクラブ如きが、何をオーバーなって」

「……」


 思わなかったと言えば嘘になる。

 きー姉は確かに美人ではあるが、所詮は素人。アイドルではない。もしアイドルのファンクラブだったとしてもこの熱さはどうかと思うのに、その対象が素人となれば不可解さは倍増どころの話ではない。


「大丈夫。ほとんどのメンバーがアンタと同じ思いだから」

「だったら、どうして?」

「創設者であるトップがあの調子だからね。同調せざるを得ないんでしょ」


 心底嫌そうな顔をする長峰さん。


「なら、なんで長峰さんは親衛隊に所属してるんですか?」


 そんなに嫌なら辞めればいいと思うのだが。


「……他の女子メンバーのため、かな。私は別にツルむのとか好きじゃないんだけど、親衛隊所属っていう肩書が欲しい子は結構いるから。でも、男ばかりの団体には入りづらいし行きづらい。そこで私に白羽の矢が立ったってわけ。女子メンバーのトップっていうね」


 そう言って、長峰さんは肩をすくめる。その仕草は、まるで自分を卑下するかのようだった。


「優しいんですね」

「なっ!?」


 長峰さんの顔が真っ赤になる。


「だって、自分が好きじゃない事、やりたくない事を他人のためにやり続けるなんて、凄いですよ。俺には到底真似出来ません」

「……さい」

「へ?」


 長峰さんの発した言葉は、小さ過ぎてよく聞き取れなかった。


「うるさいって言ったの! あー。もう。アンタといると、本当調子狂うわ」


 言うが早いか、長峰さんはきびすを返し、俺がやってきた方に歩いていってしまう。


 おそらく、今のは怒ったというより、照れ隠しだろう。その証拠に、若干口元が緩んでいた。


「あ、そうだ」


 長峰さんが足を止め、振り返る。


「なんでしょう?」

「アンタ気をつけなさいよ。アンタの細かい表情の変化に気付いて、姫紗良様とアンタの関係に勘付く奴も中にはいるんだからね」

「え? それって、どういう……?」

「アンタの事をずっと見てる物好きもいるって事よ」


 その顔に不敵な笑みを浮かべ、今度こそ長峰さんは俺の元から去っていった。


「なんだって言うんだ、一体」


 一人廊下に取り残された俺は、長峰さんの消えた方向をわずかの間茫然ぼうぜんと見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る