第3章 手紙

第7話 秘密

 それからの一週間は特に何事もなく過ぎていった。どうやら、長峰ながみねさんが約束を守ってくれたらしい。――などと油断をしていたらこれだ。


 下駄箱の中に一枚の紙が入っていた。便箋びんせんなんて良い物ではなく、安っぽい印刷紙だ。そこにはパソコン特有の人間味のない字で、こう書かれていた。


《先輩と親しくするな。私はお前の秘密を知っている。バラされたくなかったら、精々大人しくする事だ。》


 読み終えた紙を丸め、ズボンのポケットに突っ込む。


 しょうもない。おそらく、こいつの言っている〝秘密〟とは、俺がきーねぇと一緒に住んでいる事だろう。だが、俺ときー姉は従姉弟いとこ同士、親戚だ。別に一緒に住んでいても何ら問題ない――いや、待てよ。問題はそんな一般論ではないのか。それを聞いた人、特に生徒達がどう思うかで……。


 脱いだ下履きを下駄箱に入れ、代わりに上履きを床にほうる。それに足を通すと、俺は教室へと歩き始めた。


 大体、親しくとはどういう事だ。俺ときー姉は確かに親しい。しかし、それは親戚の範囲内で説明が付く親しさだし、尚且なおかつ学校では他人を装おっている。現状に問題らしい問題はないように思えるが……。


「――君」

「うわ!」


 顔を覗き込むように声を掛けられ、思わずる。


「びっくりした」

「ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなくて」


 声を掛けてきた相手――宮本みやもとさんが申し訳なさそうに縮こまる。


「いや、俺の方こそごめん。少し考え事をしてて」

「そうなんだ……」


 そのまま、どちらともなく黙り込み、無言で肩を並べて二人で歩く。


「宮本さんは電車通学だっけ?」


 沈黙を打ち破るため、どうでもいい話題を振ってみる。


 通学手段については、話すようになって少しして宮本さん・田口たぐちさんとの会話の中で話題に出て、お互いに話していた。


「うん。毎日、片道一時間以上。結構、大変だよー。今日も電車遅れちゃって……。危うく、遅刻しちゃうところだったよー」


 先程までの沈黙も影響しているのだろう、宮本さんがおどけた調子で言う。


金城かねしろ君は居候いそうろう中だったよね?」

「そう。毎日、気ぃつかって本当に大変。親戚の家とはいえ、居候は肩身が狭いよ」

「家には誰が住んでるの?」

伯母おばさんと伯父おじさんと、後はイトコ」

「へぇー。女の子? 男の子?」

「女の子」


 別に隠す必要はないので正直に答える。


「美人?」

「まぁ、美人かな?」


 はたから見ても、俺から見ても。


「そっか……。金城君から見てもやっぱり美人なんだ……」

「やっぱり?」

「へ? いや、その、金城君のイトコなら、やっぱり美人なんだろうなって」

「え?」


 それって、どういう……?


「あっ。違くて。そういう意味じゃなくて。客観的な判断であって、私の主観とは関係ないというか。蛙の子は蛙とも言うし」

「落ち着け」


 軽い錯乱さくらん状態に陥っている様子の宮本さんの額を、弱くはたく。


「あう」


 妙な声を出し、宮本さんが後ろに一歩後ずさる。宮本さんの足が止まったので、俺も足を止める。


「落ち着いた?」

「はい……」


 額を押さえ、上目づかいで俺を見る宮本さん。


 もしかして、宮本さんって……。いや、確証はないし、今は止めておこう。


「行こうか」

「うん」


 宮本さんを促し、再び歩き始める。


 その後、教室に着くまでの間、宮本さんのテンションは異様に高く、また口数もいつも以上に多かった。




「――という感じなんですけど、どう思います?」


 放課後、ウチに来ていた柚希ゆずきさんが一人になったタイミングを見計らい、これまでの流れを軽く説明した。ちなみに、きー姉は今台所でお菓子作りに没頭している。余程大きな声で話さない限り、リビングの俺達の会話は聞こえないだろう。鼻唄混じりだし。


「その程度なら、まだ放っておいてもいいんじゃないか。相手がどのくらい本気かも分からないし」

「ですね」


 俺も元々はそうしようと思っていたので、柚希さんの意見には全面的に賛成だ。


「しかし、意外に早かったな。君と姫紗良きさらの関係がバレるのは、夏休み前くらいと踏んでたのだが」

「バレる事は前提だったんですね」

「それはそうだろう。いくら必死に他人を装おった所で、親戚同士、ましてや一緒に住んでいてはバレない方がおかしい」


 おっしゃる通りで。


「これから俺はどうすれば?」

「まぁ、開き直るかこれまで通り他人を装おうかどちらかだろう」


 それは今の状態が続く場合の対策法だろう。なら、


「もし大々的に俺達の関係がバレたら?」

「開き直るしかないな、その時は」

「そんなー……」


 殺生せっしょうな。


「うふふ。さて、どうなる事やら」


 他人事だと思って、楽しそうに笑う柚希さん。


「もういっそ、実際に付き合ってしまえばいいんじゃないか?」


 そして、突如、とんでもない事を言い出す。


「はい?」


 何言っているんだ、この人。


「だって、どうせ叩かれるなら、親戚としてではなく恋人としての方が君もまだ納得出来るだろ?」


 言わんとしている事は分かる。分かるが――


「俺ときー姉が付き合ったら、学校側から問題にされますよ」


 何せ、一緒に住んでいるんだから。


「ほら、その辺はうまく誤魔化してだな……」

「何の話?」


 お菓子作りが一段落したのか、きー姉が台所からこちらにやってきた。


雅秋まさあき君は、姫紗良にファンが多過ぎて気が気でないらしい」

「は?」


 突然向いた矛先に驚く俺に、柚希さんがウィンクをしてみせる。


「あら、ヤダ。まーくんってば、そんな事考えてたの?」

「いや、別に……」

「大丈夫。私の目にはまーくん以外映ってないから」

「……」


 そんな台詞せりふを満面の笑顔で言われて、俺はどう反応すればいいんだろう。


「お菓子はもういいの?」


 返答に困り、話題を換える。


「うん。後は焼き上がりを待つだけ」


 言いながら、俺の隣に腰を下ろすきー姉。相変わらず、距離が近い。


「お菓子も作れて、料理も出来る。掃除・洗濯もそつなくこなすし。こりゃ、姫紗良をお嫁さんにする男は幸せ者だな。なぁ、まーくん?」

「そうですね……」


 いちいち、俺に振らないで下さい。いいじゃないか、別に。――というような会話を、柚希さんと目線だけで交わす。


「結婚か……」


 しかし、思ったよりきー姉の食い付きは悪く、俺は内心でほっと胸を撫で下ろす。


「なんだ、姫紗良はあまり結婚願望がないのか?」


 柚希さんもこの反応は想定外だったらしく、少し拍子抜けの様子だった。


「そういうわけじゃないけど、まだ先の話でしょ? 最短でも二年後、就職やら何らやらを考えたら更に四年以上……」

「ん? 女性は十六で結婚出来るから、最短なら半年後じゃないか?」


 きー姉の誕生日は、十月。そして、今年きー姉は十六になる。


「え? 女性は十六だけど、男性は十八でしょ?」


 何を当たり前の事を、といった風にきー姉が言う。


「……なるほど。姫紗良には、もう具体的な結婚相手が頭に浮かんでいるわけだな」


 そう言う柚希さんの表情は、若干呆れ気味だった。


「あれ? そういう話の流れじゃなかったっけ?」


 きー姉は、柚希さんが何を問題視しているのか分かっていないようだ。


「いや、何でもない。雅秋君、大変だろうけど、頑張ってくれ」

「はー……」


 そう言われても、何をどう頑張ればいいものやら。

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