廻りくる季節のために 山本徹の青春

佐藤万象

プロローグ

 山本徹十七歳、県立高校二年生。自称SF家志望は今日も街の古本屋をあさり、文庫本のSF小説を四・五冊ほど買い求めてきた。

 彼が初めてSFを読み出したのは、中学に入った頃からだった。山本が一番SFに魅かれたのは、現実社会ではまず起こるはずのない事象が、SF小説の中ではいとも簡単に具現化されてしまうという点だった。現実には起こるはずもないことが起きるのがSFの世界なのである。

 例えば、一九三八年にアメリカのラジオ番組で、H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』を放送した。ところが番組自体が実況風な構成だったこともあり、実際に火星人が地球侵略にやってきたと勘違いした、全米市民は大パニックに陥ったという話が、長い期間に渡って語り継がれていたという記録が残っている。

 さて、山本徹も御多分に洩れずこれら非日常的な現象が、自分たちの暮らしている平凡な日常と比較すると、とてつもなく波乱にとんだSF世界に没頭している時が一番の至福の時でもあった。そんな山本が小説を読むことだけでは飽き足らず、自ら書いてやろうと思い立ったのは高校生になってからのことだった。

 しかし、現実は山本が考えているほど甘くはなかった。書き出しては見たものの途中でストーリーが行き詰まり、書いては止め書いては止めの繰り返しだった。

「あーあ…、ダメだぁ…。やっぱりオレには才能がないのかな……」

 そんなボヤキを繰り返す日々を送っている山本だったが、彼には小説以外にも夢中になっているものがもうひとつあった。親友の佐々木耕平と同じ幼なじみで、やはり近所に住んでいる原田奈津実の存在だった。

 そんな山本が幼い頃から奈津実に対して、「ぼくが大人になったら、奈津実ちゃんのことをお嫁さんにもらうんだ」と、口ぐせのように言っていたくらいだから、『三つ子の魂百まで』の諺どおり高校二年になる現在まで、一途に思い込んでいたとしても決して可笑しくはない話だった。

「あー、くさくさする…。よし、奈津実を誘って公園にでも行って見っか…」

 すぐ近所に住んでいる奈津実を誘い出すと、山本はふたり連れ立って恵比寿公園にやってきた。公園には近くの子供たちがローラースケートや、サッカーをやっている姿が目についた。

「ねえ。徹ちゃん。最近、学校が終わるとまっすぐ家に帰るみたいだけど、相変わらず小説書いてるんでしょう。それで、できたの。できたら、あたしに一番に見せてくれるって約束よ。忘れないでよ」

「わかってるよ。そんなことは…、でもなあ、奈津実。オレ全然書けないんだよ。やっぱり、オレには才能なんてないんだよ。きっと…」

「そんなことないよ。ただのスランプだよ。きっと、前に書いた『蛆』っていうショートショートがあったじゃない。あれはちょっと気持ち悪かったけど、消去法が効いていてスッキリまとまっていて面白かったじゃない。だから、そんなに気落ちしないで頑張ってよ」

「そう言ってくれるのは奈津実だけだよ。うちの親父なんか『そんなくだらんSFばかり書いてると大学に落ちるぞ。もっと勉強せんか。バカ者が…』の、一点張りなんだから、イヤになっちゃうよ。ホント」

 そんな話をしているところに、耕平と河野がやってきた。

「おい、きみたち。きみたちはいつ見てもふたりでいるようだけど、しょっちゅうふたりっきりでいて、よく飽きたりしないもんだねぇ」

「あ、先輩しばらくです。べつに飽きたりもしないですよ。それにオレは子供の頃から、奈津実のことを嫁にもらうんだって決めていたし、そんなにそんなに飽きていたら一生付き合って行くなんてことはできないですよ。ところで、どうしたんですか。きょうはふたりお揃いで…」

「あ、オレが解からないところがあったんで、河野さんに教えてもらいに行ってたんだよ」

 と、耕平が答えた。

「うん、それで今しがた終わったところなので、ぼくも散歩でもしようと出てきたところなんだよ」

「それじゃ、またな。山本」

「いや、きみのその一途なところは、ぼくも見習わなくちゃいけないな。それじゃ失敬するよ。山本くん」

 何かを話しながら去って行く、ふたりを見送りながら山本とが言った。

「ふん、どうせまた、オレたちのことを云っているんだろう…。チェ、どうでもいいじゃないか。他人のことなんて…」

「まあ、徹ちゃん。そんなにカリカリしないで、あたしは何とも思ってないから」

「チェ、お前は神経が図太いというか、のんきだからいいよな。仮にもお前は嫁入り前の若い娘なんだぞ。変な噂でも立てられたらどうするんだよ…」

「だってぇ…、どうせあたしのことは、徹ちゃんがお嫁にもらってくれるんでしょう。だったら、それでいいじゃない」

「だからって、それで平気なのか、お前は…」

「平気よ。だって、あたしには徹ちゃんがいるんだもん。それでいいじゃない」

「ああァ、羨ましいよ。オレは、奈津実のそういう物の考え方が……。そんじゃ、オレも帰ってもう一踏ん張りするかな…。じゃ、オレ帰るから一緒に帰ろうか、奈津実」

「うん、そうしようかな…」

 こうして、奈津実と連れだって公園を後にした山本だったが、依然としてくさくさとした気持ちは収まらなかった。

 家に帰ると、すぐに自室に籠もり小説を書き始めたが、どうしても途中で詰まってしまって、なかなか前に進むことができないで苦し紛れに、親に見つからないように机の引き出しに隠しておいたタバコを出して吸い始めた。

『やっぱり、オレには才能がねぇのかな…。だけど、誰だって最初からスラスラ書けるものでもないはずだな…。「ローマは一日にして成らず」かぁ、小説なんてものは一夜漬けで書けるものじゃないよなぁ…。才能と努力か…。才能と努力を秤にかけたら、どっちが重いんだろうか…。大体において才能ってヤツは、その人が持って生まれてくるものだろう…。やっぱり、努力のほうが重いよなぁ…。努力は人を裏切らないとも云うな…。よし、オレももう少し頑張ってみっか』 

 いろいろと悩んだ末に山本は吸っていたタバコと、吸い殻の入った空き缶を引き出しに仕舞うと、また原稿を書き出したがどうしても途中で行き詰まってしまうのだった。

『何故だぁ……。書きたいことは山ほどあるのに、言葉が全然追いついて行けない…。何故なんだぁ…。ここがこうなってて、ここはこうあるべきなんだけど、うーん……。オレは思いついた言葉を書いているだけなのに……。そうか、わかったぞ。オレはいままで思いついた言葉を、そのまま書き止めていたに過ぎなかったんだ。だからなんだ。だから、いくら書いても前に進まないし、途中でどうしようもなくなるんだ。小説ってのは行き当たりばったりで書いてちゃダメなんだな…。そうだ、思い出したぞ。小松左京が「日本沈没」を書くのに、七年だか八年もかけて構想を練ったって何かで読んだことがあるぞ。そうか、初めに構想をしっかりと考えておかないとダメなんだな』

 山本は、ようやく自分に欠けていたものを知ったように、最初から自分の書いている物語のストーリー構成に着手して行った。

 そんなこんなでたちまち一週間が過ぎ、授業が終わって校門を出ようとしていると奈津実が呼び止めた。

「徹ちゃん。またまっすぐ家に帰るの……」

「何だ。奈津実、お前オレのこと待っていたのか…」

「うん。だってさ、徹ちゃん。いつもひとりで帰っちゃうから、つまないんだもん。だから、きょうは一緒に帰りましょう」

「ああ、いいよ。じゃあ、行こうか」

「わあー、うれしい。だから、徹ちゃん大好きなんだぁ。あたし」

「あのなぁ、奈津実。どうでもいいけど、いい加減にその徹ちゃんって云うの止めてくれないかな…。いつまでも四才や五才の子供じゃないんだからさ」

「じゃあ、なんて呼べばいいの…。あたし」

「徹さんとか、徹くんとか何でもいいから、徹ちゃんだけは止めろよな」

「徹さん…か。うわあ、恥ずかしい。どうしよう、あたし」

「バーカ、あんまり大きな声出すなよ。他人が見てるぞ…」

 山本に言われて辺りを見た奈津実は、行き交う人がふたりのほうを振り向いて見ていくのに気がつき、顔を両手で覆うと急に走り出した。

「ごめん、あたし先に帰るわ。うわぁ…」

「おい、奈津実待てよ。奈津実ってばー」

 山本もつられて走り出していた。いやはや、とんでもない青春一コマであった。

 そんなことがあってから、また一週間ほど過ぎ去った日曜日。山本はじっくり時間をかけて、ストーリーを練り直した短編小説に取りかかっていた。

「よし、これなら行けそうだ。やっぱり物事は基礎が大事なんだなぁ…。こんなにスムーズにいくとは思わなかったぜ。ヘヘーンだ…」

 山本は独り言を言いながら、初めての短編小説執筆に没頭して行った。それから三日ほどかけて、時間が許す限り山本は原稿を書き綴り、三日目の夜にはついに初めての短編小説『ぼくたちの季節』が完成した。

「やったー。出来たぞ。オレの処女作が…、ヤッホー。これを明日さっそく奈津実に見せてやらなくちゃ」

 翌日の午後、山本は授業も終わって校門のところで待っていると、ようやく奈津実が校舎から出てくるのが見えた。奈津実も山本を見つけて小走りに駆けてきた。

「あら、めずらしいのね。今日はまだ帰らなかったの。徹ちゃん」

「ほら、また言った。その徹ちゃんは止めろって言ったろう。まったく…」

「あ、ごめんなさい。つい口癖になっちゃってて、だって、仕方ないわよ。子供の頃から、ずっとそう呼んできたんだもん。それに急に徹さんなんて呼ぶのも、ちょっと恥ずかしいしさぁ…」

「何が恥ずかしいんだよ。子供じゃあるまいし、もう高校二年と言えばれっきとした大人なんだぞ。それなりの自覚をもって生きなきゃダメなんだぞ。奈津実」

「そんなこと言ったってさ…、じゃあ、徹ちゃんはどうなのよ。あなたホントに自分のことを自信を持って大人だと言い切れるの……」

「ああ、言えるよ。少なくても奈津実よりは大人だと思っているよ。だいたいお前は自分が大人になるのを怖がってるんじゃないのか…」

「なに言ってるのよ。あたしだって大人になるのなんか怖くないわよ。もうあたしだって充分子供だって生める年齢に達しているんですからね。バカにしないでよ」

「こ、子供って……、お前…」

 山本は言葉が出なかった。まだまだ子供だとばかり思っていた奈津実が、いつの間にか子供を産む話をするようになっていたという驚きと、自分はそんなことなど考えもしていなかったという虚しさが山本を襲った。男と比べたら女のほうが肉体的精神的に成長が早いのかも知れないと思った。

結局のところ山本は自分の書いた短編小説を、奈津実に見せるつもりでいたのだが言い出すきっかけもなく、奈津実とはそのまま別れて帰宅したのだった。学校からの帰路の途中でも、山本は虚しさが込み上げてくるのをどうすることもできなかった。山本自身は中学の頃からSFにかまけていて、恋愛とか結婚などは奈津実と付き合ってはいたものの、明けても暮れてもSF三昧の生活を送っていたから、恋愛や結婚のことなどはほぼ眼中になかった。その点、女という生き物はある一定の年齢に達すると、意識的か無意識に関わらず恋愛・結婚といった、将来に対する願望のようなものを抱くようになるのだろう。

 家に帰ってからも、山本はふて腐れ気味に部屋に籠って文庫本を読み始めた。

 しかし、いくら読書に熱中しようとしても、山本の苛立ちは一向に収まらず、目で文字を追っているだけで、ストーリーがまるで頭に入らなかった。奈津実は目に見えないが、どんどん成長していくのに対して、自分はまだまだ子供だという意識が交差して、山本は居ても立ってもいられない心境だった。

とうとう山本は読んでいた文庫本を投げ出してしまった。

「ごめんください」

 その時、玄関のほうで誰かが訪ねてきたようだった。母親とふた言三言話しているのが聞こえた。

『奈津実だ…』

 山本はとっさに起き上がっていた。廊下を奈津実の足音が近づいてきた。

「徹ちゃんいる…」

 入口のドアが開いて奈津実が入ってきた。

「徹ちゃん…。あ、ごめんなさい。徹さん…、また言っちゃった…」

「何だよ。お前、あのまま帰ったんじゃなかったのか…

「ううん。あたし、徹さんの様子がおかしかったから、気になって見にきたの。それに何かあたしに用があったから、待ってたんじゃなかったの…」

 山本は奈津実に自分を見透かされているような気がした。

「いや、何でもねえよ。とにかく、きょうは誰とも逢いたくねえんだ。お前も用がないんならさっさと帰れよ」

「まあ、ひどい、いいわよ。帰るわよ。せっかく心配して見にきてやったのに何さ。さよなら」

「あ、ちょっと待て、これを持ってって読んでみてくれ…。読みたくなかったら、破いて捨てろ」

 奈津実は、山本から数枚の紙を受け取ると、そのまま山本の部屋を出ていった。

 山本はさっき投げ出した本を拾うと、続きを読み始めたがどうしても集中できなかった。

「うう…、ダメだ。……、耕平のところにでも行ってみるか…」

 それから十分くらい後に、山本の姿は佐々木耕平の部屋にあった。

「とにかく、女ってのはよ。オレたち男と違って肉体的にも精神的にも、成長するのが比べものにならないぐらい早いと思わないか。耕平」

「何だい。急に…、どうしたんだ。一体…」

「だってよ。オレたちは十歳の頃と比べても大差はないと思うんだ。そりゃあ、少しは違いはあるよ。変声期があったり毛が生え出したりしてさ」

「一体、何が云いたいんだ。山本…」

「だから、女は解からないって云ってんだよ。オレは」

「きょうのお前は、ちょっと変だぞ。何がどうしたんだよ。云いたいことがあるんなら、ちゃんと云ってみろよ。聞いてやるから」

「もう、いい。オレは帰る」

 耕平が止める間もなく、山本は帰ってしまった。

「何だ。アイツ、やっぱりきょうは少し変だよなぁ…」

 山本は家に帰ってふて寝をしていると、居間のほうから母親の声が聞こえてきた。

「徹、奈津実ちゃんから電話よ」

 不機嫌を絵に描いたような顔をして居間に行くと、母親が山本に受話器を手渡した。

「ほら、奈津ちゃんだよ。早く出なさい」

「何だ。何か用か…」

「あ、徹ちゃん…、じゃない徹さん。さっきはごめんね。それでね。さっき預かってきた小説、あれって徹さんが書いたの…。すごく面白かったわ。あたし驚いちゃった」

「そ、そうかぁ…、そんなに面白かったか…」

山本は、いままで不機嫌だったのが、ウソのようにニンマリとした顔になった。

「ねえ、どうしたらあんな面白いお話が書けるの…」

「どうしてって云われてもなぁ…。ただ頭に浮かんだイメージを、そのまま書いただけだし、オレにも判んねえよ」

「そう…、でもすごいわ。未来の大小説家さまね」

「こら、そんなにひとのことをおだてるな」

「でも、よかったわ。普通の徹さんに戻って、あたしホントに心配してたんだからね。きょうの徹さん、なんかすごく変だったから…。でも、だいじょうぶね。よかったぁ。じゃあ、また明日ね。さよなら」

「ああ…」

 すっかり元の山本に戻ったのを感じ取った奈津実は、ホッとしたように受話器を切ったようだった。

「奈津実のヤツ、ホントにオレのことを心配してたんだなぁ…。ちょっと悪いことしちゃったかな……」

 奈津実が本当に自分のことを気にかけて、わざわざ電話をくれたことが山本は素直に嬉しいと思った。奈津実は山本に対して、いつも従順で純粋に付き合ってくれていた。それなのに自分はいつだって奈津実に反発ばかりしてきた。それは自分のほうが奈津実より大人なんだと思わせたいだけではないのか。そう感じた時、山本は非常に気恥ずかしさを覚えた。

「やっぱり奈津実のほうが、オレなんかより大人なんだろうか…」

 そう考えると、山本は口先だけで偉そうなことばかり言っている自分が、奈津実の足元にも及ばない小さな存在に思えて、消え入りたいような気持に駆られていた。

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