エピローグ

 師走も半ばが近づくと街のあちこちからは、クリスマスメロディが聞こえてくる頃、山本夫妻のスイートホームがついに完成した。

 山本は奈津実と連れ立って、耕平と亜紀子のもとに完成の報告にきていた。

「…と、いうわけで、やっと完成に漕ぎつけることができました。大工さんも、年内には何とか終わらせるんだ。ってんで、朝早くから夜遅くまで突貫工事でやったらしくて、どうにか出来あがりました。それで、明日引き渡しなんですが、荷物を移したり片づけをしなくちゃならないんで、一応片付け方が終わったら、おばさんもぜひ見に来てください」

「まあ、それは楽しみだわ…」

「それじゃ、オレも手伝おうか…。いつやるんだ。その引っ越し…」

「ああ…、明日から始めようと思ってたんだけど、耕平が手伝ってくれるんなら助かるよ。小物類はどうにでもなるが、ダブルベッドは奈津実とふたりじゃ、大変だなと思っていたんだ。ホント、助かるよ」

 翌朝、朝食を終えると耕平は、さっそく山本の引っ越し手伝いに出掛けて行った。

「さて、何をどこから運ぶのか、ちゃんと指示してくれよ。山本」

「そうだな…。まず一番ん厄介なのは、やっぱりこのダブルベッドだろう…。耕平、お前はそっち側を持ってくれよ」

「ちょっと待てよ。山本、ベッドつうのはな。このマットレスを外したほうが、ずっと運びやすいんだぞ。そんなことも知らないのか…」

「そ、そりゃあ、知ってるさ…。知ってはいるが、そんなことをいちいちやってたら、日が暮れちまうぞ。いいから、早いとこ運んじまおうぜ」

「バカ、まだ朝になったばかりじゃないか」

「いいから、いいから。硬いこと云わないで、早く運べよ」

「ちぇ。どうせ、自分ン家じゃないから、どうでもいいけど…。さあ、次はどれを運ぶんだ。山本」

 耕平はブツブツ言いながらも、次々と荷物を新居のほうに運び出して行った。

 山本と耕平の運んでくる荷物を、奈津実が手際よく整理整頓して、お昼近くにはほぼ片づけは終わりかけていた。

「こんにちは…。まあ、だいぶ片付いたのね」

 風呂敷包みを手にした、亜紀子が訪ねてきた。

「あ、おばさん。いらっしゃい」

「何だい。母さん、片付けならもう終わったよ。何しに来たの…」

「何しに来たのとは、ごあいさつね。耕平、あなたたちがお腹を空かしているだろうと思って、お弁当を作ってきてあげたのに…、持って帰ろうかしら…」

「あ…、すみません。おばさん、頂きます。奈津実、お茶でも入れてくれ…」

「まあ…、それにしても、なんて素敵なお部屋かしら…。いかにも新婚さんって云う感じがして、真新しい木の香りがとっても素敵だわ」

 そんな話をしながら昼食をとっていると、二・三台のNNNと書かれた車が山本の家の前で止まり、マイクやカメラといった放送用機材を担いだ、男たち十人あまりがバラバラと降りてきて、山本の部屋のドアをノックした。

「やあ、みなさん。こんにちは、私はこの番組の司会をやっております。山科幸太郎と申します。さて、この番組では当事者の方には、前もって一切連絡もアクセスもなく、突然お邪魔をしまして、ありのままご夫婦の生活を紹介しようという、業界でも類を見ない画期的な『新婚さん突撃隊!』という番組であります。選ばれました新婚ご夫妻には、こちらが贈呈されます。今回は無作為に選ばれた、山本徹さん奈津実さんご夫妻を紹介したいと思います」

 最後にやってきたトレーラーが開かれ、中には数々の電化製品が収まっていた。

「何なんですか…。あんた方は、突然やって来て頼みもしないことを、ペラペラと喋くって迷惑千万じゃないか。これって犯罪にも等しい行為だぞ。うちは関係ないから早く帰ってくれ…。帰らないと警察を呼ぶぞ…。帰れ!」

 山本のもの凄い剣幕に恐れをなしたのか、司会の男はディレクターらしい男と、ふた言三言話をしていたがやがて戻ってきた。

「いや、どうも失礼いたしました。どうも、今回の企画ですが、山本さんには即わなかったということで、撤回させていただくことになりました。いづれ何かの機会がありましたら、ご協力を仰ぐということもありますので、今日のところはこれにて失礼いたします」

 この名前も知らない撮影隊は、まるで蜘蛛の子を散らしたように、這う這うの体で車に乗り込み引き揚げて行った。

「ち…、なんてヤツらだい…。『新婚さん突撃隊!』だってよ。そんな番組、見たことも聞いたこともないぞ。お前らあるか…」

「いや、オレもないぞ。そんな番組…」

「まあ、いろんなことがあるわよ。世の中ですもの…」

 耕平も亜紀子も知らないらしかった。

「でも、あたしは欲しかったな…。あの電化製品、買ったら相当な額よ…」

 奈津実だけが物欲しそうな顔でつぶやいた。

「ちぇ、何だい。ただひたすら生きるって云ったのに、あれはウソだったのかよ…」

「まあ、まあ、徹ちゃんもそんなこと云わないの…。でも、ホントにお邪魔虫だったわね。あの人たちも…、虫の季節は終わったはずなのにねぇ。そして、もうすぐ本格的な冬がやってくるんだわ…」

 しばらく雑談を交わしてから、耕平と亜紀子は山本夫妻のスイートホームを辞した。

 外に出ると空は晴れてはいても、肌を突き刺すような冷たい風が吹いていた。

「ねえ、母さん。ちょっと公園に寄ってかない…。いま頃の時間だと、ちょうど焼き芋屋が来てるんだ…」

「焼き芋…、いいわね。行きましょうか…」

 亜紀子も即座に賛成して、ふたりは枯葉の舞い散る公園通りを歩いて行った。

 公園に着くと、お目当ての焼き芋屋を探した。

「あっちのほうだよ。母さん、いつもいる場所が決まっているんだ」

 耕平が焼き芋屋のいる辺りまで、亜紀子を案内して行った。

「ほら、いた。あそこだよ。母さん、早く行こう…」

「そんなに慌てなくたって、焼き芋屋さんは逃げやしないわよ」

『いしやーきいもー、おいもー。早く来ないと、行っちゃうよー』

 と、いう、レコーダーを流しながら、おなじみの石焼き芋屋の軽トラックが止まっていた。

「すみません。ください…」

 亜紀子が声をかけると、

「へい、毎度ありー、いかほど差し上げましょうか…」

 と、石焼き芋屋のオヤジの声。

 石焼き芋の入った紙袋を手に、ベンチに掛けてふたりは白い湯気が立つ、石焼き芋を食べ始めた。

「もう少しで、今年も終わりね…。早いものだわ…」

 亜紀子が焼き芋をふたつに割りながら、独り言のようにポツリと言った。

「そろそろ帰ろうか。母さん、オレも少しは気を入れて頑張らないと、山本にも負けそうだからな。あーあ、誰かいい女いないかなぁ…」

「何でしょう…。この子ったら、急にどうしたのよ…」

「いや、何でもないよ。ただの独り言だよ。気にしなくていいよ。母さん…」

「変な子ねぇ…。あなた、本当にそう思っているのなら、お見合いでもしてみたら、どうなの…」

「お見合い…、いやだよ。そんなの、大体ね。お見合いなんてのは、知らない人同士が写真を見たくらいで、初めて会うんだろう…」

「あら、だったら恋愛だってそうじゃない…。世の中は親兄弟以外は、みんな最初は知らない人ばかりなのよ。あなた少し考え方がおかしいんじゃないの…」

「そうかなぁ…。オレは違うと思うんだけどな。おかしいかなぁ…」

「もういいわ。帰りましょう…。今晩でも寝ながら、ゆっくり考えてみるといいわ。さあ、帰りましょう…」

 それから五日ほどして、山本が耕平のところにやってきた。

「いやぁ、この前はすっかり手伝わせちまって悪かったな。おかげでオレたちもやっと落ち着いたよ。しかしまあ、今年もいろんなことがあったけど、いよいよ終わりだなぁ…」

「ああ、しかし、お前ンとこも大変だな…。年明け早々にでも、お父さんたちがアメリカに発つんだろう…」

「そうなんだよ。それで、母さんもワタワタしてるだろう。だから、こっちなんかも落ち着かなくてさ。まいっちまうよ…」

「大変だな…。お前も、せっかく新婚なのにさ…」

「仕方ねえよ。親父も仕事なんだしな…。んでも、奈津実なんかはいくらかホッとしてるんじゃないのかな…。舅(しゅうと)たちがいなくなるんだからよ」

「ふーん…、そういうもんなのかなぁ。女の人って…」

「そりゃ、そうだろう。いくら近所同士とは云ってもよ。もともとは赤の他人なんだから仕方ねえよな…」

「だけどよ、奈津実ちゃんだって子供の頃から、お前ン家にしょっちゅう出入りしてたじゃないか。それでもやっぱり違うのかなぁ…」

「オレたち男には解からないけど、やっぱり違うんだろうなぁ…」

「でも、すぐ慣れるんじゃないの。奈津実ちゃんは明るい性格だし、それにお父さんたちは来年早々にアメリカへ行っちゃうんだから、あとはお前らふたりだけでゆっくりやればいいじゃないか…」

「まあ、それもそうだな…。あっと…、オレもこうしちゃおれないんだった。奈津実に頼まれことで、まだしなくちゃいけないことが残っていたんだっけ…。そんじゃ、オレは行ってみるから…。あ、そうそう、奈津実に云われたことがあったんだっけ。耕平とおばさんにも大晦日の晩に遊びに来てくださいって、料理を作って待っいるってよ。そんじゃ、またな…」

 と、山本はバタバタと帰って行った。

「まったく、相変わらず忙しいヤツだな。アイツも…」

 耕平は山本が帰ると、その話を亜紀子にしてみた。

「あら、まあ、そう…。でも、いいのかしらね。徹ちゃんたちも、まだ結婚したばかりで初めての大晦日よ…。

 それに徹ちゃんのお父さんたちだって、間もなくアメリカに行かれるんでしょう…。それなのに、あたしたちがお邪魔しちゃ、悪いんじゃないのかしらね…」

「ん…、でも、奈津実ちゃんのたっての頼みだからって、山本も云ってたし大丈夫じゃないのかな…」

「そう…、でもね。耕平、いくらご近所とは云っても他人さまのお宅ですよ。しかも、年に一度の大晦日なのに、ホントにお邪魔してもいいのかしらね…」

「大丈夫だと思うよ。山本もその辺はちゃんと了解を取ってあるはずだから、行こうよ。母さん、行って山本と奈津実ちゃんの結婚を、改めて祝ってあげようよ」

「それでは、そうしようかしらね…。大晦日と云ったら、あと二日しかないじゃないの…。他人さまのお宅に伺うのに、手ぶらでは行かれないし、何を持って行こうかしら…」

「あーあ…、大人ってめんどくさいんだね…」

 耕平は母親たちの仕来りに、煩わしそうな口調で言った。

「何を云っているんですか。耕平、あなただって二十歳を過ぎたんですもの。もう立派な大人なんだから、もっと大人にならなくちゃダメでしょう…」

「へい、へい。わかりました…」

 これ以上、口うるさく言われちゃかなわんと、耕平も諦めたようにおとなしく引き下がった。

 そして、大晦日の当日の夕方になり、手土産を持った亜紀子と耕平は増築された、山本夫婦の住む山本家の離れへと出掛けて行った。

「やあ、おばさんに耕平、いらっしゃい…」

「おばさん、いらっしゃい。待ってたのよ」

 山本も奈津実もそろって出迎えてくれた。

「でも、本当に良かったのかしら…。お父さんやお母さんたちは、どうしていらっしゃるの…」

「親父は親しい友だちを呼んで、最後のお別れにみんなで飲んでますから、別に気にしなくてもいいですよ。さあ、こっちに座ってオレたちもやりましょう。どうぞ…」

 こうして、耕平親子を迎えて山本と奈津実の、大晦日大パーティーは始まったのだった。

「いやぁ…、耕平にもおばさんにも、今年はすっすりお世話になりまして、ホントにありがとうございました。オレたちにとっても今年一年は、一生忘れることのできない年になりました。

 それでも、どうにか元どおりになりました。今夜は大晦日と云うこともありますので、そういう嫌なことは忘れて大いに飲み、大いに語らい新しい年を迎えましょう…。それでは、まず乾杯から行きたいと思います。耕平、お前乾杯の音頭を取ってくれ…」

 指名された耕平は、グラスを手に取るとおもむろに差し上げた。

「山本から指名されましたので、おれが音頭を取らせていただきます。みなさん準備はいいいですね。それでは、新しい年を迎えるために、乾杯…」

「乾杯…」

「カンパーイ」

「かんぱい…」

 山本一家の年忘れ大パーティーは、盛大に始まり大いに盛り上がって行った。

「よし、オレは今日は徹底的飲むぞ。耕平、お前も途中でへたばらないように、しっかりついて来いよな。それから、奈津実もおばさんもじゃんじゃん飲んでくださいよ」

「あたしお酒はあまり飲めないから、おビールを少しだけ頂いて、あとはおジュースでも頂くわ…」

 この年忘れ大パーティーは、それからも続いて耕平もかなり酔いが回ったようだった。「今日はちょっと飲みすぎたかな…。少し外に出て風に当たってくるか…」

「何だ。耕平だらしないぞ。こらー、もっと飲め…」

 山本の声を後ろに聞いて、 耕平はひとりで外に出た。ちょうど除夜の鐘が鳴り始めた時だった。除夜の鐘は人間の持つ百八つの煩悩や、邪気を払うために行われる年中行事のひとつである。

 耕平にとっても山本にとっても、様々なことのあった一年だった。その一年もいま終わりを告げて新しい年を迎えようとしていた。

 そして新しい年には、また新しい季節が廻ってくる。そんな季節の中で自分たちを待ち受けているのは、果たしてどのような出逢いなのだろうか、耕平は冷たい風に吹かれながらひとり考えていた。    

                           完  

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

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