十 新たなる旅立ち

 小説や映画などのいいところは、その制作者の都合によってストーリーが、納得のいくまで何回でも、自由に書き換えることができるいう点である。

 従って、時間の経過や登場人物の設定まで、気の向くまま思ってもいなかった展開にまで、発展させることが出るのである。いわば作者というものは、天地万物を創造した神のような存在なのかも知れない、

 余談はさておいて、現在この物語の結末をどのように締め括るか、九章まではあらかじめ決めていために問題はなかった。ここから先は、まるで雲をつかむような話で、と、いうよりも、ストーリー的に十章まで繋いでいれば、スムーズに終わっいたのだがつい欲を出してしまって、もう二・三章増やすしか手はなくなってしまった。

いかにも、この物語にふさわしい終わり方には、やはり時間を戻す方法が一番ふさわしいのではないか。とも考えたが、果たして自分の思い通りに行くかといえば、まったく自信もなく、いささか加筆をして何とか辻褄を合わせるしか、方法がないという結論に達した次第ではあるが、結末は自分でも解からないというのが正直なところだろう。


 さて、それから三年の歳月が流れ去り、山本・耕平・奈津実ともに二十歳を迎えていた。山本徹は学へ通いながら、相変わらずヒマさえあれはSFを読み、自分でも創作活動に専念していた。そんなある日、山本の父親が会社から帰ってくるなり、ふたりを居間に呼び集めて、

「実はな…。今朝出勤すると、部長に呼ばれて来年早々にでも、ニューヨーク支社に出向するようにと内示があったんだ。それで、徹はどうしようかと迷ったんだが、大学には休学届けを出してお前もついてきなさい。多分出向期間は長くて、二・三年だろうと思うんだが、お前をひとり残して行くのは、やはり気がかりだからな…」

 山本と妻の顔を見ながら言った。

「ちょ…、ちょっと待ってくれよ。父さん、そんな急に云われたって…。オレ、行かないよ。アメリカなんてさ、それに休学届けを出すくらいなら、いっそ退学して働いてもいいから、日本に残るよ…」

「しかしぁ…。ひとりでは大変だぞ。何があるん知れんし、やっぱり母さん一緒についてこい」

「大丈夫だって…、奈津実もいるしさ。ふたりで力を合わせてやっていけるから、心配なんかいらないよ。父さん…」

「うーむ…、それではこうしよう。お前たち、行く行くは結婚するんだろうから、この際、時期を早やめてはどうだ。来春までにはまだ間があるから、誰かお仲人さんを頼んで式を挙げなさい。

 そうすれば、父さんたちも安心してアメリカに発てる。どうだ。そうしないか…。徹」

「そなこと云われたって、オレ困るよ。何の準備もしてないし…」

「何の準備だ…。男に何の準備もいるものか。女と違って、男はドーンと構えていればいいんだよ」

「で、でも、奈津実がなんて云うか…」

「女はな、徹。そんな時には、口には出さんかもしれんが、内心では喜んでいるに決まっとる。なあ、母さん。そうだろう…」

 と、母親に振ったので、

「まあ、いやらしいわね。お父さんったら…」

 母親はしかめっ面をして、父親の肩口をつねった。

 山本してみれば、突然降って湧いたような話だった。

 父親の転勤はどうでも、結婚などとはもっと先の話かと思っていた。それが父親の口から出てきたのだから、虚を衝かれたのに等しかった。

そんなこんなで山本と奈津実の縁組は、父親の友人である仲人を介してトントン拍子に進んで行った。

「と、いうわけで、年内の十二月に式を挙げることになったんだ。耕平、お前来てくれるだろう。オレの結婚式…」

「もちろん出るさ、親友の結婚式だもの。でもさ、昔から『結婚は人生の墓場なり』って、云うだろう…。あれって、どういう意味なんだろうな…」

「さあな…。そんなこと考えたこともないな。オレは…、でもよ。墓場でも何でも入って見なくちゃ分らんじゃないのかな…。入って見て初めてわかるのが、結婚ってヤツじゃないのか…」

「へい、へい。そういうものですかね。オレにはサッパリわかんないけどな…。でも、よかったよな。とにかく、おめでとう。山本」

「でもな。耕平、いざ、結婚ってことになると、いままでみたいに気楽に付き合って来たみたいには、行かなくなると思うんだ。

 一応、責任というものがこの俺の肩に、ズッシリと伸しかかってきてよ。それを考えるとちょっと不安になってさ…」

「お前でも、そんなこと考える時あるのか…、へえー」

「バカ、何云ってんだよ。オレだって人の子なんだぞ。それぐらい考えて当然だろうが…」

「それもそうだな。十二月か…、いいなあ…」

「それでな。お前には、友人代表としてあいさつを頼みたいんだ。いいだろう…」

「あいさつか…。友人代表と云ったって…、ちょっと待てよ。十二月と云ったら、あと二ヵ月ちょっとしかないじゃないか…」

「二ヵ月もあれば十分だろう…。どうせ、あいさつなんだから」

「そうはいかないよ。山本にとって一生に一度の晴れ舞台だからな。それなりにあいさつ文も考えないと、友人代表としてのプライドにも懸かってくるんだから、あと二ヵ月しかないんだ。これから原稿を書いて、毎日練習しなきゃならないな…。忙しくなるぞ。これからは…」

「そんなに気張ることないって、耕平よ。結婚式なんだから、お葬式の時と違って間違えても、それはそれで愛嬌ってものだよ。もっと気楽にいけよ」

 こんな感じで、のんびり構えている山本と、にわかに忙しくなった耕平と対照的なふたりではあった。

 それから、また一ヶ月ほど経って、山本が耕平のところに訪ねてきた。

「何だ…。山本、お前まだそんなにのんびりしてていいのかよ。結婚式まで、あとちょっとしかないのに、何かやることないのか…」

「いや、オレは男だし、やることなんて何もないさ…。ところが女はそうもいかないらしくて、奈津実のヤツ最近は全然逢ってくれないんだよ。だから、オレ毎日ヒマを待てあましちゃって、しょうがないからお前ンところに来たんだよ」

「どれ、ちょっと見せてみろ…」

「ダメだ…。式当日まで待ってろ。楽しみにな…」

「ちぇ、お前こそケチくさいこと云うなよ。大体だな、お前とオレも奈津実も幼馴染みじゃないか。しかも、オレとお前は親友だろう…。その親友の結婚式だぞ。前もって見せてくれたっていいじゃねえか」

「ダメだったら、ダメた…。お前も往生際の悪いヤツだな。当日まで待てっつったら、待っていればいいだろう…。ホントに、もう…」

「ああ、そうかい。そうかい、もう頼まねえよ。ドイツもコイツも、ケチくさいヤツばかりだなぁ…。まったく…」

 山本も、耕平がどうしても見せようとしないので、諦めて帰って行ってしまった。

 山本とは入れ違いに、奈津実が亜紀子を訪ねてきた。

「まあ、奈津実ちゃん、もうすぐね。結婚式…」

「はい、おばさんには、いろいろとご心配とかご迷惑をおやかけして、どうもすみませんでした。これであたしも、やっと徹さんのところに嫁ぐことができます。本当にありがとうございました…」

「そんなことはいいのよ。でも、奈津実ちゃんのことだから、きっと、いいお嫁さんになれるでしょう。徹ちゃんも幸せな人ね、ホントに羨ましいわ…。そこにいくとうちの耕平なんか、お嫁さんなんかいつになることやら…」

「ヘークション…」

『おふくろ、また奈津実ちゃんにオレの話をしてるな…』

 耕平は自分の部屋で、急に鼻がムズむずしてクシャミをしながら思った。

『どうせ、山本とオレを比較してるんだろう…。誰も好き好んで独身でいるわけじゃないって云うの…。クソゥ…』

 耕平は、そんなことを考えながら、ひとつ奈津実にイヤミでも言ってやろうと階下におりて行った。

「やあ、奈津実ちゃん来てたのかい…。なんか声がしたんで来てみたんだ…」

「あ…、耕平くん。お邪魔してます。今日はおばさんにも、いろいろご迷惑をかけたでしょう。だから、お礼にきてたの。それから耕平くんには、友人代表のあいさつもお願いしてるし、いろいろお世話になります」

「へぇ…、変われば変わるもんだな。奈津実ちゃんも…、それで結婚式の準備は進んでいるのかい…」

「それが大変なのよ…。貸衣装屋さんとの打ち合わせでしょう…。それから、結婚式場での手順の演習。そのほかにも諸々のことがあってね…」

 奈津実は細々としたことを説明し始めた。

「あたし結婚式が、こんなにもシンドイものとは、思ってもいなかったでしょう。だから、もうクタクタなのよ…」

 と、いうのが、奈津実の本音だろうと耕平は思った。

そして、いよいよ結婚披露宴の当日、「山本家下原家結婚披露宴会場」と、書かれた立札が掲げられた会場では、招待客でごった返しの会場では来賓客のあいさつも終わり、耕平の友人代表あいさつの番が廻ってきた。

耕平は緊張せいか、マイクの前に上る時にけつまづいて、危うく転びそうになった。

「どうした、耕平。しっかりしろ…」

 と、誰かがヤジを飛ばした。それでも耕平は気を取り直して演台に登った。

 周りからは、パチパチパチパチと一斉に拍手が鳴った。

「山本徹くん、下原奈津実さん。本日は誠におめでとうございます。

 私とおふたりは幼馴染みでありまして、子供の頃からよく一緒に遊んだりもしたものでした…」

 耕平のあいさつは続いた。

「…………と、いうわけで、実は山本徹という男は器用なのか、不器用なのかさっぱりわからなところがありまして、いつだったのか、はっきりとした記憶はありませんが、確かお祭りの夜でした…」

 耕平のあいさつはしばらく続き、いよいよ締めにかかっていた。

「…昔話しに、つい花が咲きましたが、最後にふたりの前途を祈って乾杯をいたしたい思います。みなさん、準備が出来ましたようで…、乾杯―」

「乾杯…」

「カンパーイ」

「かんぱーい…」

 と、一斉に祝杯が掲げられ、山本と奈津実の結婚披露宴は幕を引いた。

『これより、新郎新婦は新婚旅行に旅立たれます。みなさま、盛大な拍手をもってお見送りください』

 館内のアナウンスが流れ、山本と奈津実は用意された車に乗って、新婚旅行へと出かけて行った。

「これからは寂しくなるね。耕平くん…」

 振り向くと二年先輩の河野が立っていた。

「これから、少し僕と付き合ってもらえないかね。奢るから…」

「はぁ…、すみません。でも、こんなに早い時間から、やってる店なんてあるんですか。河野さん…」

「それなら心配はいらないよ。この結婚式場はホテルだし、ホテルなら客専用のバーがあるはずだから、そこに行ってみよう」

河野と耕平はフロントに行って訊くと、地下にあるというバーに向かった。

「ほう…、ホテルのバーにしてはフランス風の、なかなか感じのいいところじゃないか…」

 ふたりがカウンターに腰を下ろすと、バーテンダーが近づいてきた。

「いらっしゃいませ、何にいたしましょうか…」

「水割りをダブルで二つ。耕平くんもそれでいいよね…」

「はあ、ボクは何でも…」

 水割りが運ばれてくると、河野はひとつを耕平に渡して、

「いや、まさか山本くんが、こんなに早く結婚するなんて、僕は夢にも考えていなかっから驚いてるんだ。僕も早かったんで、他人のことは云えないんだが、あの山本くんがねぇ…。しかし、あのふたりは子供の頃から仲が良かったから、僕なんんか羨ましかったねぇ。

 ところで、耕平くんは、まだ彼女いないのかい…」

「いませんよ。そんなもの…」

「そんなものってことはないだろう。人生は合縁奇縁って云うから、きっと耕平くんも、そのうちに素晴らしい女性に出逢えると思うよ…」

「はあ、そうだといいんですけど…」

「大丈夫だよ。きみは優秀なんだし、そのうち、きっと耕平くんにふさわしい女性が現れるさ」

「でも、よかったですよ。山本のヤツも、あんなセッカチで気の短いヤツは、結婚でもして落ち着けば、少しはマシになるんじゃないですかね…」

「うむ、さすがにきみは、山本くんの親友だけのことはあるね。彼のような男は一旦落ち着くと、それなりの力を発揮してくれると思うんだ。彼もまた、ただ者ではないと見ているんだが、果たしてどんな未来が待っているのかねぇ…。山本くんには…」

「どうせ、大したことないです。ああいうヤツですから…」

 耕平は軽く受け流した。

「だけど、アイツはマジで将来、SF作家になろうとしているみたいなんです。そんなに簡単になれるんだったら、みんななってるぞ。って云っても、『いや、これから勉強して知識を蓄えて、必ずなってみせる』つて、聞かないんですから、まいっちゃいますよ…」

「うん、僕もいつだったか、中学の時かな…。学級新聞に載ってた詩を読んで、彼の持っている文才みたいなものを、見たような気がするんだ…」

それからふたりは、山本徹の昔話に花を咲かせて、夕方近くまで飲んで散会した。

帰宅すると亜紀子はいなかった。買い物にでも行っているのだろうと、自分の部屋で着替えを済ませて階下に降りると、買い物カゴを手に亜紀子が帰ってきた。

「あら、お帰り。耕平、どうだったの。徹ちゃんと奈津実ちゃんの結婚式は…」

「うん、思ってたより盛大だったよ。帰りに河野さんに誘われて、ちょっと飲んできたから、遅くなっちゃった」

「そう…、でも、よかったわね。奈津実ちゃんの花嫁姿きれいだったんでしょうね…」

「うん…。まあ、普通じゃないのかな…。花嫁衣装を着ると、誰でもきれいに見えるっていうから…」

「まあ、この子ったら、そんな憎まれ口を聞くもんじゃありませんよ」

「でもさ。母さん、馬子にも衣裳。って云うけど、山本の紋付き袴姿、お世辞にも似合ってるなんて云えたもんじゃなかったよ。全然似合わないんだから…、ククク…」

「また、そんなことを云って…、あなたもね。早くいい女を見つけなさいよ」

「また、それを云う…。いくら山本が結婚したからって、いちいち引き合いに出さないでくれないかなぁ…」

「あら、誰も引き合いになんか出していませんよ。母さんはね。耕平が一日も早く結婚をして、孫の顔を見たいと思っているだけですよ。ただそれだけです…」

 亜紀子の言葉に耕平は何も言えなかった。山本は活発で、存在そのものが目立っていた。そこにいくと、耕平はどちらかと言えば物静かで、控えめの性格で山本と比べても、あまり目立たないほうだった。だから、どこに行っても山本は目立つが、耕平はどうしても影の薄い存在になっていた。

「まあ、そのうち何とかなるでしょう…。母さんも気長に待っててよ」

 亜紀子と耕平の会話は、いつもここで止まってしまうのだった。

 それから五日目の夕方近く、山本と奈津実が佐々木家を訪れていた。

「まあ、徹ちゃんも奈津実ちゃんも、この度はおめでとうございます。新婚旅行は楽しかった…」

「ええ、まあ、それなりに楽しかったです。それよりも、おばさんからはあんなにご祝儀を頂いちゃって、ホントにありがとうございました。これは少ないんですけど、心ばかりのお土産です。あ、それからこれは耕平の分な…。はい」

「ありがとう…。ところでお前らはどこに行ってきたんだ。新婚旅行は…」

「ああ、長崎とか高知のほうを周ってきた。特に長崎の原爆資料館はすごかったぞ。爆心地の真下の樹木は、表面が真っ黒に焼け焦げているのに、夏になるとちゃんと葉っぱが茂るっつうんだから、植物の生命力は大したものだよ。ホント…」

 あと資料館に展示されていた、サイダーの瓶にめり込んで溶けたまま、残されている人間の指の話とか、ふたりで見てきた様々なものを、身振り手振りを交えて細かく語った。

「とにかく、アメリカも酷いことをしたもんだよな…。いくら日本がしぶといからと云って、何も原子爆弾を使うことないと思うんだけどよ。おかげで何万人という人たちが一瞬で、焼け焦げて死んじまったんだから…」

 と、いうのが、長崎の原爆資料館を視てきた、山本徹の率直な弁であった。

「ところで、お前らもこれから大変だな。お父さんたちがアメリカに行っちゃうんだろう…。大丈夫なのか、たったふたりでやって行けるのか…」

 耕平が心配して聞くと、

「それがね、耕平くん。お義父さんが、アメリカに行く置き土産だと云って、あたしたちのために部屋を増築してくれているの。もうすぐ完成するって云ってたわ。だからね、あたし楽しみにしているの…」

 と、奈津実が眼を輝かせながら言った。

「そういうわけなんだ。だから、あと少しで完成するらしいから、出来上がったら遊びに来てくださいよ。ぜひ、おばさんも…」

「まあ、それは楽しみね。ぜひお邪魔するわ。まあ、それは楽しみだこと…」

 亜紀子も心から、ふたりの結婚を祝福しているようだった。

「奈津実ちゃん、あなたも子供ができないなんて云われても、そんなことは気にしないで頑張りなさいよ。こればかりは天からの授かりものだから、ちゃんと努力しなくちゃダメよ。うちの耕平は結婚する気もないみたいだから、あなたたちが早く子供を造ってちょうだい。そうしたら、あたしも自分の孫のつもりで可愛がってあげるから…」

「そう云っていただけるのは、とてもありがたいんですけど、たぶんあたしは無理ですよ…。おばさん…」

「あら、ダメよ。奈津実ちゃん、最初からそんなに悲観的になっては…」

「ありがとうございます。でも、それはもういいんです。おばさん、オレは奈津実さえいてくれたら、それで充分ですから…」

 亜紀子が奈津実を慰めていると、山本が横から口をはさんできた。

「いろいろありがとうございました。おばさん、それじゃ、オレたち帰ってみますから…。耕平、たまには飲みに来いよな…。それじゃ、失礼しましました」

 山本と奈津実は帰って行った。もう師走十二月も、半ばに差し掛かろうとしている時期でもあった。

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