第6話

 店を出るとき、財布を出そうとした曹瑛を竜二は目線で制した。

「この間もあんたが支払った。次は俺が支払う」

 曹瑛は今回の仕事は長期戦だからとコーディネーターの楊からいくらか現金を持たされている。それは曹瑛のこれまでの仕事の成功報酬の一部だ。


 報酬の大部分が組織の利益となっているが、本人の取り分もある。未成年の場合、コーディネーターがそれを管理する。

 いつぞや悪徳なコーディネーターが使い込みをしたのがバレて組織は暗殺者本人に始末をつけさせた。当然の報いだ、と楊は言う。


「お前とは親子ってことになってるだろうが、未成年のガキに払わせる親がいるか」

 竜二は偽の身分証のためだけの設定を真面目に遂行するつもりのようだ。いや、きっと本当に親子ほどに歳の離れた曹瑛に払わせる気はないのだろう。妙に律儀な男だ、と曹瑛は思う。


 路地からメタセコイアの並木通りに出ると、スモークガラスの黒いセダンが停めてある。曹瑛は警戒するが、竜二はナンバーを確認して車に近づいていく。

 運転席のドアが開き、人相の悪い黒いジャケットの男が出てきた。上下黒ずくめ、首には金のゴツいネックレスを下げている。

 

「吃了吗?兄弟」

 竜二と男は固い握手を交わした。男は竜二の指示で車を手配したのだ。事情を察して曹瑛は安堵する。

 男は車のキーを竜二に手渡した。竜二はポケットから吸いかけのタバコの箱を取り出し、男に持たせた。おそらく中身は報酬だ。男はにんまり笑い、前に停めていた埃まみれのタクシーに乗って去っていった。


「乗れよ」

 竜二は曹瑛に助手席に乗るよう促し、運転席に乗り込む。座席を後ろにスライドさせ、キーをハンドル下のイグニッションに差し込む。キーを捻るとエンジンが始動した。

「勉強熱心だな、帰りは運転させてやるよ」

 曹瑛が真剣に車の操作を見ていることに気づき、竜二は意地悪そうな笑みを浮かべる。


 曹瑛は少年時代から暗殺者の養成所で鍛錬を重ね、人体の仕組みや武器についての知識を叩き込まれてきた。

 しかし、乗り物の運転に関しては経験がない。コーディネーターの楊がいつもターゲットの居場所まで連れていくから必要性を感じなかった。

 若者に足を与えたら逃走されるという懸念があるのかもしれない。


「やっぱり車はトヨタが良い」

 ハンドルを握る竜二は上機嫌だ。そういえば、車体後部に丰田汽车と書いた銀色のプレートがついていた。

「トヨタは日本の自動車メーカーだ。大陸こっちの気質や飯は好きだが、やっぱり車は日本車だ」

 祖国のことをあまり話さない竜二がだが、珍しく口数が多い。エンジンから内装までうんちくを並べ始めた。


「言っておくが、好みでこの車を選んだんじゃねぇからな」

「違うのか」

 竜二が突然真剣な顔で振り向く。別に言い訳するようなこともないのに、曹瑛は眉根を顰めた。

「これから行く工場地帯には第一汽車、つまり中国トヨタの工場があるんだよ」

 出入りしても目立ちにくい、というのが理由のようだ。

 車は貧民窟を通り、市街地の渋滞を抜けて高速道路へ入っていく。


 高速道路はほぼ直線で信号がない。背後からRV車が猛スピードで追い抜いていく。

「俺は安全運転だ。下手に目立てば監視カメラに映るからな」

 竜二が無事にあるカメラを示す。

「スピードが早い方が明瞭に写らないんじゃないのか」

「公安のカメラは馬鹿にできないぞ。200キロでもしっかりナンバーと顔を認識してる」


 高速道路を降りるとそこは全く違う雰囲気の街だった。灰色のトタン屋根の工場が立ち並び、大型トラックが往来している。竜二の言うトヨタの他、フォルクスワーゲンやBMWも多くすれ違った。

 湾岸に近づくと見上げるほどの大型クレーンが並び、コンテナを堆く積み上げた大型船が停泊している。


「ハルビンとはまた違った雰囲気だろう」

 竜二に声をかけられ、曹瑛は心ここに在らずだったことに気がついた。

「中国は広い。街によって随分雰囲気が違うよ。俺もいつも驚かされる」

 ハルビンも大都市だが、中国全土にはもっと大きな街があり違う風景がある。曹瑛は自分のまだ見ぬ広い世界が無限に感じられて鳥肌が立つ。


 曹瑛はハルビン郊外の寒村に生まれ、山岳地帯の農場、岩山の養成所で過ごした。一人前に仕事を任されるようになって宿舎の環境は改善され、仕事で都会に連れ出されることも増えてきた。

 都会の建物を見た時は圧倒された。光を反射する高層ビル、古代の神殿のように美しい彫刻を施されたエントランス、煌びやかなネオンサインには目が眩むようだった。


 楽しそうに行き交う同年代の子たちは華やかに着飾って青春を謳歌していた。

 自分は特殊なのだ、ということを思い知らされた。住む世界が違うんだ、と楊は言った。お前はあっちに戻ることはできない。陽の光を見るな、陽の光は強すぎて目が眩む。お前は影の中を歩くんだと。


 車が停止して、曹瑛は我に帰る。

「覇火の秘密工場はこの辺りだ。精製前の麻薬を運び込み、袋詰めにして商品に仕上げる」

 竜二はタバコに火をつける。

「覇火を捕らえて夜叉のことを聞き出すのか」

「まずは繋がりを調べたい。工場の稼働やブツの納品先の指示は夜叉が直接出しているはずだ」

 今日の目的は工場の特定だ。工場の管理室に覇火の手がかりがあるかもしれない、と続けた。


「奴ら用心深いからな、俺たちが嗅ぎ回っていることを知れば工場を閉鎖させてすぐに移転させるくらいのことはするだろう。そうなるとまた調べるには骨だ」

 つまり、軽率な行動を取るな、ということだ。竜二は窓からタバコを投げ捨てる。


「まずは探偵ごっこだ、殺しはしばらく忘れろ」

「わかった」

 曹瑛は竜二を見据えて頷いた。

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