第4話
寝苦しい夜だった。昨日の激しい雨の湿気が未だ残っており、肌にじっとりと絡みつく。闇の中から5日前にここに連れてこられた子供たちの小さな嗚咽が聞こえてくる。まだここの環境に慣れていないのだ。正常な神経では慣れることなどできないのかもしれない。
曹瑛は固い寝台に横になったまま、ただじっと冷たい岩肌を見つめていた。
子供たちの寝所に踏み込んでくる者の気配を感じた。大股で歩くブーツの足音が近づいてくる。誰かを探しているようだ。ボソボソと囁く声が聞こえる。不意に、寝具を剥ぎ取られ、腕を掴まれた。2人の男は曹瑛の顔を認識すると、頷き合った。
「こいつだ」
「ああ、上物だな」
男たちの言葉がどういう意味か、曹瑛には分からない。しかし、自分をモノとして扱っていることは間違いないと感じ取った。
「来い、騒ぐと殺す」
そう言って、黒シャツに迷彩パンツの男がサバイバルナイフを曹瑛の喉元に突きつけた。もう一人のカーキ色のジャンパーに長い髪を後ろにまとめた男がニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている。
曹瑛は黙って寝台から降りた。男たちに挟まれて歩きながら洞穴の外に出る。見上げた夜空には鋭いナイフのような月が浮かんでいる。
男たちの指示で、フルスモークの黒いバンに乗り込んだ。車は発進し、鉄のゲートが開く。四方を崖に囲まれたこの修練所はこのゲートが唯一の出入り口となる。
あまりにも過酷な訓練に耐えかねて逃げだす者が年に1人はいる。彼らはゲートを越えようと試みるが、いつも無慈悲な銃弾により命を落とした。そうした子は見せしめに朽ち果てるまでゲートに吊された。
ここで充分実戦に耐えうると判断された者は、昼間に迎えにくるトラックで出ていく。こんな深夜に迎えが来るのは特殊なケースだった。
曹瑛は薄々気がついていた。こうして夜中に連れ出された者は、朝にはここに何事も無かったかのように帰ってくる。しかし、彼らの目からは光が失われ、何日も口をきこうとしない。まるで魂を奪われた、抜け殻のようだった。
ゲートの番人に運転席の黒シャツが金の束を渡した。賄賂だ。やはり、組織の決定ではなく、この男たちの小遣い稼ぎのためにどこかへ連れて行かれるのだ。
曹瑛は呆然と足元を見つめている。これから自分の身に何が起きるのか、底知れぬ恐怖で全身の血が一気に下がる気がした。
バンは舗装の無い暗い林道を抜け、農道へ出た。街灯も無い夜道の両端に広がる畑をヘッドライトだけが照らしている。遠くに農村の明かりがぽつぽつと見えた。曹瑛は知っている。叫んでも助けてもらえないということを。
やがて、けばけばしいネオンが点滅する5階建ての建物の裏手でバンが停車した。黒シャツと長髪がバンを降り、曹瑛の乗る後部座席のドアを開けた。
「降りろ、逃げ出したら背中から撃つ」
長髪が背中に隠し持った銃を曹瑛にチラリと見せる。銃はよく知っている。撃たれたものがどうなるかも。曹瑛は抵抗せず、男たちの後をついて行く。
鉄製の重いドアを開くと中は薄暗く、くすんだ赤色の絨毯の廊下が続いてる。廊下の突き当たりに階段があった。3階へ上ると部屋が並んでいた。
「308、ここだ」
男がポケットから部屋番号のついた鍵を取り出し、部屋の鍵を開ける。
「入れ」
部屋の前で立ち止まって動かない曹瑛の背中を黒シャツが押した。部屋の明かりが点くと、広い部屋に2人がゆっくりと横になっても有り余るほどの大きなベッドが置かれている。
「綺麗にしてこい、念入りにな」
黒シャツが下卑た笑みを浮かべる。意味がわからず立ち尽くす曹瑛の腕を長髪が掴んだ。曹瑛は思わずその手を振りほどく。
「こいつ」
細身のわりに意外な腕力に長髪は目を見開く。しかし、すぐに曹瑛を殴ろうと拳を固めた。
「待て、商品に傷がつく。値切られたら面倒だ。殴るのは終わったあとにしろ」
「クソガキが、早く行け」
長髪がガラス扉を指さした。その先にはバスルームがある。男たちは曹瑛が妙な動きをしないか見張っている。
曹瑛は服を脱ぎ始めた。長い手足に白い肌。艶やかな黒髪のかかる首筋は背後から見れば劣情を催させるには充分だ。男たちはいらやしい笑いを漏らす。
「男じゃなきゃな」
「ああ、そう思うぜ」
曹瑛は服を脱ぎ捨て、バスルームに入る。どぎついピンク色の丸い形のバスタブに驚く。背伸びしてシャワーヘッドを手にした。どうやって湯を出すのか分からない。こんな設備の良い風呂を使うのは初めてだった。
「世話が焼けるやつだ」
背後から黒シャツの腕が伸びてきた。シャワーの水栓を捻ると水が噴き出した。勢いよく飛び出した水に曹瑛はヒッと声を上げる。
「驚いたか、そのうち湯になる。こいつを捻れば温度が調節できる。長居するなよ、さっさと済ませろ」
黒シャツはそう言ってガラス扉を閉めてバスルームを出て行った。男の言う通り、しばらくするとシャワーヘッドから湯が出てきた。
曹瑛は棚の上にあった石けんを手に取り、頭から足まで洗う。誰にも急かされることなく、充分な湯で体を流すことは初めてだった。体が温まるほど湯を浴びて、バスルームを出ると、白いバスタオルが用意されている。手に取れば、驚くほどふかふかだった。これまで崖の内側では、雑巾のようなボロ布で体を拭いていた。
籐の篭にダークレッドの艶のあるシルクのパジャマが置かれている。それを着ろということだ。曹瑛はパジャマに手を通す。つるつるとした肌触りがひんやりと心地良かった。
「見違えたな」
長髪が驚く。窓際でタバコを吸っていた黒シャツも思わず口に加えたタバコを床に落とし、慌てて拾い上げた。曹瑛の濡れた黒髪から雫が流れ落ちた。憂いを湛えた漆黒の瞳に、湯上がりに上気した肌。曹瑛の姿は少年ながら大人びた美しさがあった。
「ああ、勿体ないぜ」
「仕方ねえ、しかしこれはボーナスでも弾んでもらわなきゃな」
「そろそろ来るころだ」
長髪が腕時計を確認する。すると、部屋のドアがノックされた。
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