第5話

 警戒しながら黒シャツがドアを開ける。そこにはダークグレーのスーツ姿の男が立っていた。整えた眉に下がり気味の目尻はゆるい笑みを湛えている。黒シャツと長髪がドアから出て行く。すれ違いざまに男から金の束を受け取ったのを見た。

 自分は売られたのだ。曹瑛は唇を噛む。


 男は上品な身のこなしでスーツの上着を脱ぎ、クローゼットのハンガーにかけた。ベッドに座り、部屋の端に佇む曹瑛をじっと見つめる。その目は優しく細められているように見えたが、男が自分を値踏みしていることに曹瑛は気が付き、嫌悪感を覚える。

「綺麗な子だ、こっちへおいで」

 男が猫撫で声で曹瑛に話しかけた。曹瑛は警戒して立ち尽くしたままだ。

「優しくしているうちに言うことを聞いた方がいい」

 男は苛立ったらしく、唇を歪ませた。曹瑛は表情を変えず、男の側に近づいていく。


 曹瑛を意のままにできると思い込んでいる男は満足げに笑う。腕を伸ばし、その体を引き寄せ、ベッドに放り投げる。クッションの良いベッドに、曹瑛の体は弾んだ。男が曹瑛の細い体にのしかかる。その顔は獣よりも醜かった。

「怖がらないのか」

 曹瑛は男から顔を逸らし、ルームランプの明かりを見つめている。

「俺を見ろ」

 男は曹瑛の顎を掴み、強引に上を向かせた。その黒い瞳はただ冷ややかに男を見つめている。


 男は曹瑛のパジャマの上着を捲り、手を差入れる。大きな骨張った手が肌に触れ、曹瑛は思わず表情を歪めた。

「その顔だ、いいぞ。堪らない」

 男にとって、生意気な少年の自尊心を粉々に打ち砕くことは快感だった。大人の女を抱くよりも興奮した。男の目が劣情に染まり、呼吸がだんだんと荒くなる。


 きっと、夜中ひそかに連れ出された少年たちは同じ目に遭っていたのだ。自尊心を打ち砕かれ、体に傷を負い、日の光の下へ帰ってくる。中には訓練中に突然自分の喉にナイフを突き立てたものもいた。耐えがたい屈辱に、そのまま生き延びるよりも命を絶つことを選んだのだ。


 男の手に肌を犯されながら、曹瑛は身動きもせず男の隙をじっと覗っていた。男は興奮極まり、半身を起こしてシャツのボタンを外し始める。曹瑛は男の太ももの間から脚を引き抜き、その首に両脚を絡めた。

「ぐっ・・・このガキ・・・離せ・・・ッ」

 突然首を絞められた男がもがく。細身の少年の脚だが、大人の腕ほどの力を出すには充分だ。しかも、曹瑛は効率的な人体破壊の術を学んでいる。曹瑛は渾身の力を込め、男の頸動脈に太ももを食い込ませた。


 男が白目を剥いて脱力した。そのままベッドに突っ伏した。

「はあ・・・はあ・・・」

 曹瑛は男から距離を取る。男が意識を失ったことを確認し、部屋の隅に蹲った。遅れて恐怖が襲ってきた。自分が自分で無くなりそうな恐怖だ。

 殺された兄のために復讐を誓った。どんな目に遭っても生き抜くと心に決めた。しかし、男に組み敷かれ、死への恐怖とは別のものに吐き気がするほど目眩を覚えた。涙が滲んだ。それを乱暴に拭い去った。


 部屋の中には壁にかけられた時計の音だけが響いている。曹瑛は足を抱えたまま、思いを巡らせていた。この男は2人組の客に違いない。この部屋に戻ったときに男が気絶していたら一体どんな目に遭わされるか、想像に難くない。

 ここから逃げ出すこと、それが生き延びる手段だ。曹瑛は窓の方を見た。すると、ゴブラン織りのカーテンが膨らんでいることに気がついた。思わず身を固くする。


 カーテンの影から黒い服の男が姿を現わした。いつからそこにいたのか、全く気がつかなかった。長身の男は、音も立てずにベッドの側に歩み寄る。

「先客がいたか」

 一体どういう意味だろう。曹瑛は肩を竦めて息を潜めた。黒服の男は丸いサングラスをかけており、表情が読めない。ベッドで気絶する男の髪を掴み、持ち上げた。

「うぅ」

 男がうなり声を上げる。目の前に黒服のサングラスの男が立っていることに驚いて、ベッドから転げ落ちた。


「ひっ、貴様・・・組織に雇われたのか」

 スーツの男は明らかに怯えている。さきほどまでの余裕は跡形もない。黒服は背中からナイフを取り出した。そのまま男の質問に答えることなく、ナイフを胸に突き立てた。男は目を見開き、大きく痙攣してふらふらとベッドに寄りかかる。黒服は胸からナイフを引き抜き、男の首を掻き切り、その体をベッドに蹴り飛ばした。


 噴水のように血が噴き出し、壁に赤い染みを作る。黒服はまったく血を浴びることなく仕事を片付けてしまった。ベッドカバーでナイフの血を拭い、背中にしまう。曹瑛はその鮮やかな手並みを息を止めて見つめていた。

「誰だ」

 黒服が曹瑛の姿を見つけ、ゆっくりと歩み寄る。曹瑛は思わず息を呑み、黒服の男を見上げる。

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