第7話
黒服の男がその姿をじっと見つめていたのに気がついた。曹瑛は何か言おうとしたが、男は店の中へ入っていく。そこはこじんまりした食堂だった。中華スパイスの良い香りが漂ってきた。5席あるテーブルのひとつにはおっさんたちが4人座り、カードゲームに興じていた。黒服の男は丸椅子に座った。立ち尽くす曹瑛に座るよう顎で指示をする。
「いらっしゃい、久しぶりだね竜二さん」
エプロンをした恰幅の良いおばちゃんが親しげに男に話しかけた。竜二、聞き慣れない響きの名前だ。異国の人間だろうか。
「腹が減っているか」
竜二が曹瑛に話しかける。曹瑛は驚いて何と答えていいかわからない。
「拍黄瓜、牛肉面、包子、红烧肉、啤酒・・・はお前はまだ飲めないな」
そう言って、竜二はサングラスを外した。その目は涼やかで口元には笑みが浮かんでいた。
きゅうりのタタキと山盛りの肉まんがすぐに運ばれてきた。蒸籠に詰め込まれた肉まんからは湯気が立ち上っている。曹瑛は思わず喉を鳴らした。寝る前に食べ物は腹に入れたはずだが、こんなに美味しそうな料理は見たことがなかった。
「食えよ」
竜二が蒸籠を突き出す。曹瑛は肉まんを手に取った。ふわふわの生地に無心にかぶりつく。中にはしっかり野菜と肉のあんが詰められており、おいしさに目を見張る。
「そんなに美味いか、しっかり食えよ」
竜二はきゅうりをつまみにビールを飲んでいる。曹瑛はあっというまに肉まんを3つ平らげた。
「愛想のねえガキだと思ったが、可愛げあるじゃねえか」
曹瑛の食べっぷりを竜二は面白そうに眺めている。すぐにあつあつの牛肉ラーメンと豚の角煮がテーブルに並んだ。素朴なたまご面をするすると啜る。スープはあっさりして牛肉のダシがよく効いていた。角煮はじっくりと煮込んだ濃厚な味で、八角の風味が食欲を刺激した。
「美味い」
曹瑛はぽつりと呟く。修練所では充分な食事が出されていた。栄養価はそれなりにあるものの、味はまったく考慮されていなかった。街中にどこにでもあるだろうこの小さな食堂の味に感動した。
「そいつは良かった」
竜二は頬杖を突きながら笑う。ビールを二本空けて、支払いを済ませて店を出る。おばちゃんは曹瑛にも手を振った。曹瑛は戸惑いながら軽く会釈する。
竜二がバイクに跨がる。曹瑛は置いていかれないよう慌てて後部座席に飛び乗った。
「家はどこだ、送ってやる」
「・・・家なんて無い」
曹瑛の言葉に、竜二は小さくため息をつく。そのままアクセルを吹かしてバイクは走り出した。街の灯りを背に暗い国道をひた走り、別の田舎町に着いた。コンクリートが剥がれた駐車スペースにバイクを停め、古びた建物の薄暗い階段を上がっていく。曹瑛は竜二の背を追った。
ここは招待所と呼ばれる安宿のようだった。竜二は部屋のドアを開ける。狭い部屋だ。小さなベッドが一つ、それに風呂とトイレが一緒になったスペースがあった。クリーム色の壁は最近塗り直したのか、ペンキの匂いが鼻を突いた。
竜二はコートを脱ぎ籐椅子にかけ、腰を下ろす。
「俺に仕事を教えてください」
曹瑛は竜二の目を真っ直ぐに見つめる。竜二は黙ったままポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「俺の仕事を見ただろう」
「はい、だからお願いしています」
竜二は煙を天井に吐き出す。それはため息が混じっているようにも思えた。あの血塗れの現場を見ても少しも顔色を変えず、自分についてきた。そして、夜の湖のような暗い色を湛えた瞳。その奥に宿る鋭い輝きに思わず引きこまれたのは確かだ。
「お前は一体、何者だ」
竜二の問いに曹瑛は俯いた。自分は一体何者なのだろう。どう説明すればいいか分からず、曹瑛は困惑する。
「八虎連の施設で暗殺術の訓練を受けてきました。そこから掠われてあの部屋へ連れて来られました。あそこに戻っても何も得るものは無い。仕事を教えてください」
八虎連の名を聞いて、竜二は頭を抱えた。面倒なことになった。組織が極秘で運営する養成施設から連れ出された少年だ。連れ歩くことなど出来るはずがない。
「今日はもう寝ろ」
竜二はタバコを揉み消し、籐椅子に体重を預けた。曹瑛は竜二をじっと見つめている。
「ベッドを使え、俺はここでいい」
そう言って、竜二は目を閉じた。これ以上話し合いをする気は無いという意思表示だ。
「ありがとう」
曹瑛は小さく礼を言い、ベッドに寝転がった。さっきの部屋の広いベッドよりも固くて狭い。しかし、修練所の寝床とは比べようが無いほどまともだった。酷い疲労感が襲ってきて、曹瑛は深い眠りについた。
それを見計らい、竜二は目を開ける。そっと部屋を抜け出した。フロントというにはおこがましい手狭な受付カウンターの中に手を伸ばし、受話器を取り上げた。
「仕事は完了だ。ところで・・・」
竜二は受話器を置く。部屋に戻ると曹瑛は静かな寝息を立てていた。籐椅子に座り、暗闇の中でタバコに火を点ける。
「悪いな、小僧。俺も組織には逆らえないんだよ」
そう呟く竜二のコートの襟には、“八虎”の文字の金色のバッジが光っていた。
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